魔の手は蜘蛛の巣のように
サッと寄ったルッツ=エールで、兵の準備ができていたこと。
フリードリヒ殿下を謀反人に仕立て上げる噂が流れていること。
陛下が亡くなったことはハインリヒ殿下にも予想外かもしれん。
しかしデュートリッヒへ着くまでに、ベルノへ遣いを飛ばす時間はある。
根回しできる。
そして今や、マルグリット殿下の遣いも到着した。
「ハインリヒ派にもフリードリヒ殿下のことが伝わるでしょう。
それを合図に、ベルノにいるシンパが動き出す可能性が高い」
「そんな、でも」
初めてお会いして、それから言い方は悪いが付きまとわれて。
そのころから、側でお仕えするまえからずっと。
愛らしい顔と情感の豊かさは感じていた。
その殿下のお顔が凍り付き、目は四白眼になっている。
歳相応のものを奪い去られている。
「異母兄との距離感を、私が『分かる』とは申せません。
そのうえで、混乱も、恐怖も、悲しみもあるでしょう。
ですが、今だけは堪えてください。
殿下が勇気を振り絞られる必要も、戦う必要もありません。
全てはこのフューガ・ミュラーが、よろしく整えて差し上げます。
ですから今は、ただ堪えてください。
あとでいくらでも受け止めます」
我ながら、こんな励ましや説得でいいのか分からない。
『なんとかする』
とかいって、私自身頭が冴えているわけではない。
混乱も恐怖も悲しみも、私の中にあるものだ。鏡映しだ。
だが、
「殿下。どうかあなたの忠実なる臣にお任せください。
役目を果たさせてください」
「……」
「殿下」
「……ええ、よきに計らいなさい」
騎士は姫を守るものだ。
信頼の瞳が私を映せば、その顔には無限の力が湧いてくる。
鏡映しの恐怖たちが、勇気と勝利に切り替わる。
「そこのメイド!」
「はっ、はいっ!」
まずは給仕のメイドに声を掛ける。
この際立ってるヤツならカカシでも使うぞ。
「今すぐ馬車と馬、馭者や乗馬のできる人員を用意してくれ!
さっき商工会から戻ってきたところだし、すぐに出せるはずだ!」
「はいっ!」
メイドが廊下へ出るのに私も続く。
「誰かいるかっ!」
「はぁい!」
廊下の角の先から、別のメイドが顔を出す。
掃除中か何かだろうか。
おそらく今の状況までは知らない。
「悪いが、大至急レディ・ド・ブロイをここまでお招きしてくれ!」
「かしこまりましたぁ」
「大至急!」
「はぁい!」
「さて」
時間がないからな。あまり多くのことはできない。
それでもあと欠かせないことといえば、
「さて、君」
「はい」
つい先ほど、フリードリヒ殿下の訃報を伝えてくれた男。
「君は馬に乗れるのかな」
「はい! なんなりと!」
「ではカルツァーヌに向かってくれ。
ドミニク殿下と傅役のトゥルネーがいる。
もしかしたら帰路に出くわすかもしれん。
とにかく2人にはベルノに戻らないように。
グンメノーへ行って、そこで我々と合流するよう伝えてくれ」
「承知しました!」
差し当たってのできることは以上か。
まだあったとしてももう思い付かん。
いや、
まだ個人的な忘れものがあるな。
「殿下、ここで少々お待ちを」
「いえ、着いてまいります。
あれだけ啖呵を切って早々、私を一人にすると?」
「おっしゃるとおりで」
「まぁ! なんと勇ましい!」
自室から庭に戻ってくると。
すでにレディ・ド・ブロイがいらしていた。
彼女は私を見て目を丸くしている。
「よくお似合いでしょう?」
なぜか自慢そうに応えたのは殿下。
私としては、
「もう着ることはないと思っていたのですがね」
それもそのはず、今の私は、
赤いマント。
胸にエーデルワイスの彫り込みが入った鎧。
ドデカいハルバード。
数ヶ月ぶりの騎士装備、
救国の英雄
『女熊』 フューガ・ミュラーの格好をしているからな。
「それで、どうしてそのような格好をなさっておられますの? 何かの式典かしら?」
「のちのち説明いたします。まずはどうか、ご同行ください」
「そうなの? どちらへ?」
「大丈夫よお母さま。ミュラーさまを信じて任せて」
「それはいいけれど」
よし、難関と目していたわけでもないが。
もし詰まるポイントがあるとすれば、レディ・ド・ブロイの説得だった。
ここがスッと通ったなら、あとは脱出するだけだ。
早速馬に乗って
というところで。
庭の迂回ルートまではよかった。
だが、多少張られていたのかもしれん。
厩舎が近いというあたりの廊下で、
「これはこれは、ミュラー卿にアデライド殿下。そちらにはセレスティーヌさままで。
どこぞ、お出掛けで?」
「えぇ、まぁ」
背の低い老人、
クルゲ卿なる人物に見つかった。
知っているというほどの人物ではないのだが。
私もしばらく傅役として中央にいて、持っている情報がある。
彼はハインリヒ派だ。
今一番見つかってはいけない人物と言えるだろう。
なんなら、
軍人でもない、確か水運関連の役職だったはずの男が、
騎士5名を連れている。
この時点で普通ではない。
「確か商工会との会合を終えて、戻ってこられたばかりと思いますが」
「そうですね」
「今度はどちらへお出掛けで?」
戻ってきたばかり。
こちらの動きを監視、把握していたということか。
「陛下のことがあって、何かと空気が沈みがちでしょう。
気晴らしにピクニックでもと思い、場所の下見に」
「ははぁ、鎧を着込んでですか? 少なくとも、王城にて刃物を持ってうろつくのは、感心しませんな」
万が一と思ったが、武装は失敗だったか。
もっとコソコソできる格好にすべきだったな。
「それは申し訳ない。ただ、私は殿下を預かる身。
道中何が起きようと、殿下をお守りできるようにしておかねばと。
陛下も亡くなられたことだ。治安が悪くなりやすい」
こんな探り合いみたいな会話、嫌いでしょうがない。
殴って終わりの世界に戻りたいが、そうもいかんか。
「あまり、『陛下が亡くなられた』と口に出すものではありませんよ」
クルゲ卿が歯切れ悪く応える。
向こうも分かってて呼び止めたんだ。
そのうえでなんとか丸め込みたい。
うまい反論を思い付くための時間稼ぎだろう。
「いや、あいすまない。まだまだ騎士上がりの粗忽者でして」
「それに、治安が悪いならピクニックは控えるべきですな。
外出はおやめなさい」
そら来た。
ハインリヒ殿下が帰ってくるまで、私たちを軟禁状態にする。
それがオマエらの使命なんだろう?
「まぁそう硬いこと言わずに」
「なりませんなぁ」
「それとも何か? この私がたかだか数名の暴徒に不覚を取ると?」
「う」
ははは、怖かろう。
中央でぬくぬくしていた連中など、私がすごめばこのとおり。
あまり役に立たんザウパーでもビビらないところを、貧弱どもめ。
「そうは言わぬが、慢心はすなわち不覚でありましょう」
「ふむ」
「そうだ。せめて、これなる騎士たちも護衛にお加えください」
「む」
クルゲ卿の後ろに控えている連中か。
お声が掛かって、有無を言わさず近付いてくる。
要は監視だろう。
自分はビビって怖くなったから、コイツらに託そうってか。
それはマズいな。
私としては一気にベルノを離れるつもりだ。
監視が着いてきたら、たとえ撒いたとしても逃亡をチクられる。
なんなら、消してしまうのもアリではあるが……
いや、ダメだ。
それをしたら我々が犯罪者になるし、
チラッと振り返れば、アデライド殿下が不安そうな顔で私を見ている。
彼女の前で、殺しはやりたくない。
となれば。
となれば!
仕方ない!
となれば!!
うおおあああ!!
「まぁまぁ」
「まぁまぁと言われましてもな」
「そう言わずにさ、
お兄ちゃん♡」




