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昼休みになる前に全員に召集をかけておいたので、集まりは早かったらしく、壱が可奈子を迎えに行き、音楽室へ向かうと、既に3人は揃っていた。
壱と並んで入ってくる可奈子を見て、三者三様、それでも喜びのよく解る表情で出迎え。久しぶりだとか元気だったかとか、あまり込み入ったことを聞こうとはしないのも、彼女達らしかった。親戚筋の揉め事、という極めて曖昧な説明に、或いは誰かは疑問を感じているだろうが、それを敢えて問い質そうともしない。
一通りの言葉に、可奈子は微笑み返した。
「あの、皆。心配かけて」
「心配はしたけど、気にしないでよ」
「そうだよ、皆鶴岡さんがまた出てくるの、楽しみに待ってたくらいだもん」
「先輩会いたかったっすよー」
「……うん、ありがとう」
そんなやり取りで、可奈子の復帰は済んだ。以前の彼女なら、もっと固くなって、言葉も少なかっただろう。微笑み返したりなど、決して出来なかった筈だと思うと、壱は後ろで目頭を押さえそうな気分になる。
だが、流石に可奈子の右手に関してだけは黙っているわけにはいかなかった。
「ところで鶴岡。あの、右手さ」
聞き辛そうに切り出すユキの先を制して、壱は口を開く。
「うん、ちょっと事故に巻き込まれちゃったそうでね。今はそんなに痛みは無いらしいけど、動かすのは難儀なんだってさ」
「じゃあ、鶴岡さんは暫く部活は見学になるのかな」
「見学もちょっと。色々ストレス溜まっちゃって、この所体の調子良くないんだ」
「あれ、じゃあ先輩今日無理させちゃってるんじゃ」
「咲さんには言われたくないだろうけどな。とにかく、明日から部活は少しお休み期間だ。そう遠くないうちにリハビリも兼ねて参加はするよ」
壱がそこまで一気に説明すると、流石に不自然だったらしく、ユキはちょっと小首を傾げる。
「通訳かあんたは。ていうか、鶴岡が出てくるのはなんで知ってたの?」
「いやまあ、色々あってさ」
「あやしいぞー? 鶴岡さんなんで?」
若菜が標的を可奈子に変えた。可奈子の目がそのまま壱に来る。さあどうする、と語る眼差し。肩を竦めると、可奈子はふうと大げさに溜息を吐いた。
「彼がスカウトにあった話は、知ってるでしょ? 私も、同じ所に、推薦を受けてね」
「そうなの? っていうかまあ、鶴岡なら当然か」
「その社長さんが、私の凄く遠い、親戚に当たるの。だから、私の家が大変な時、黒沢君はいくつか、社長さんから聞いていたみたい」
ナイスフォローだとガッツポーズを繰り出しそうになるのを堪え、壱は腕を組んで頷くのみに留めた。とはいえ、即座にこれだけのでっち上げを出来る程に成長しているとは思わなかった。来須可奈子大成長である。
可奈子の説明で全員なんとなく納得したらしく――同じ説明を壱がしても頷かなかっただろうが――それで詰問は終わりとなった。若菜だけはまだうんうんと唸っていたが、楽器を出し始めて部活時間が始まると、それも止んだ。
4つの音だけの合わせ。可奈子は最初固辞したが、結局楽器を持たないだけでいつもの輪を作り、音聴きに専念する事になった。壱から見て時計回りに可奈子、咲、ユキ、若菜の構図。漸く日常が戻ってきた、と心底から沸いてくる喜びを、壱はそのままサックスに吹き込むようにして演奏した。全員が目を丸くして視線を送ってくるのを更なる推進剤に、今まで無かった程に軽快で優美なプレイが響き渡る。13年のサックス暦の中でも随一と言って良い程に気分の良い演奏となった。
とりあえず、とばかりにマリー・ゴールドを終えて、全員が楽器を横にする。
「黒沢君絶好調じゃん、どうしたのよ」
「いやあまた皆揃ったなと思ったらこう、テンションが凄い勢いで」
「うん、わたしそれ解るよ」
「若菜先輩もいつもより綺麗でしたもんね」
「わ、咲ちゃんありがと」
そこに、折り良く南教諭がやって来た。これで本来の意味で全員が揃った事になる。5人を見回して、南教諭は満面の笑みを浮かべて見せた。
「お帰り、鶴岡さん。もういいのね?」
「はい、ご心配をおかけしました」
「……ううん、全然。帰ってくるって皆解ってたもの。ねえ」
口々の同意に、また可奈子ははにかんで、ぺこりと頭を下げる。そういう様子が、たまらなく壱にとっても嬉しい。
それから南教諭も交えて、再度マリー・ゴールドを流した。流石に2度連続でという事になれば部員の顔にもいくらか疲労が見えるようになる。咲は殊更そうで、壱は南教諭にちょっと目配せをしておいた。少し休憩を挟もう、という意思を南教諭はすぐに察してくれたらしく、ちょっと外す、と言って外へ。
ふと、可奈子がじっと見詰めているのに気付いた。
「なんだね」
「さっきのに比べて、荒かったと思う」
「早速駄目出しっすね鶴岡先輩!」
「荒かったかなぁ、一生懸命だったのになぁ」
「わたしには最早解らないレベルの話だよユキちゃん」
「そうね、それに関しては私も一緒に居てあげるから安心なさいな」
「で、具体的には?」
このまま雑談に流れを持って行こうと思って壱が問うと、何楽章部分の何小節目がどうだ、という細かい指摘が入り始めた。
「やってみて」
「む、ええと、こうか」
断られる前提の無い言葉に当然逆らわずに壱は従う。軽く流すと、可奈子は首を振った。もう1度、今度はニュアンスを変える。また失格。
「厳しいなお鶴さん!」
「もっと良く出来るのに、しないのは、勿体無いでしょ」
「ニュアンスをもうちょい解り易く」
壱がヒントを求めると、可奈子は身少し乗り出して壱の目をしばらく見、口を開く。
「喋るように」
「し、喋るように?」
「最早わたし以外にも解らないレベルなんじゃないかなユキちゃん」
「それは少し失礼だからね若菜」
「さあトーキンインザアレイ先輩!」
「相変わらず意味解んないからな咲ちゃん」
言っている意味は解らなかったが、何を言おうとしているのかはなんとなく伝わった。それをそのまま実践すると、茶化していた部員の声も消えて、微かな感嘆に変わる。壱自身、「喋るように」という曖昧な指示が可奈子以外から出ていたら恐らくこうは行かないだろう。前後のパートも含めて考えれば、成る程彼女の指示は的確であったと言わざるを得ない音色になった。
漸く、深く頷く可奈子が見られた。内心ほっとする。
「うん」
「お褒めに預かりまして」
「鶴岡の今のは褒め言葉なの?」
「っていうか……」
若菜が不意に表情を消した。普段あまり会話の腰を折ろうとはしない彼女にしては珍しい。
「何よ若菜?」
「うん、なんか、うん……」
壱と可奈子を交互に見ながら、よくわからないものを言葉にしようとしているのか、若菜はまたうんうんと唸り始める。流石に背中を汗が伝うような気分になる壱。
「2人、雰囲気変わったね?」
「そうかい?」
「別に」
「ホラ息もピッタリだよ!?」
「落ち着きなさい若菜、咲ちゃんより意味解んない」
「ユッキー先輩が遠まわしに後輩いじめを!」
「仲良しなのは昔からさ。ねえお鶴さん」
「うるさいから」
「ホラやっぱ仲良しだよ!?」
「落ち着きなさい若菜、殆ど言いがかりだからそれ」
「ユッキー先輩は意外と若菜先輩に冷たい!」
また騒がしくなり始めた部室に、助け舟とばかりに南教諭が戻ってきた。手には携帯用のDVDプレーヤーとディスク。
「お待たせ、ちょっとこれ見ようか」
言うなり電源を引っ張り、ノートパソコンのように画面を起こして、南教諭はさっさとディスクを挿入して操作を始める。何事か、と集まる部員。
「皆揃うまでとっておこうと思ったのよ。コンクールの時のビデオ」
「おお! お姉ちゃんがハイテクに!」
「うわ、なんか凄い恥ずかしいわ」
「ユキちゃん恥ずかしがるの早くない?」
「成る程、そんなもん録ってたんですねえ」
椅子をひっぱって1つの机に群がる6人。壱の隣で、身を乗り出すようにする可奈子の様子が少し微笑ましい。
再生が始まる。突然割って入ったがやがやとした話し声。カメラは真正面の、5つしかないパイプ椅子の広がったステージをぶれることなく捉えている。アナウンスで、楠白高校の名が読み上げられ、拍手。こんなに大きな拍手だっただろうかと思うほどの音に誘われるように、最初に咲がステージへ飛び出してきた。
「うお、あたし元気!」
「下にテロップで「病人です」って米印と一緒に入れとこうぜ」
続いて若菜とユキが並び、可奈子がしずしずと進んだ最後を壱が締めくくる。元々身長差については自覚していたが、こうして第三者の視点で見てみると驚くほど差があった。思わず顔を見合わせてしまう。
そして南教諭が一段高い指揮台に載り、礼をし、演奏は始まった。記憶にある通りの、この5人でしか作り出せない演奏。それは、映像という媒体を通しても嫌というほどに伝わってくる。これほどまでによくも、と壱は改めてこの吹奏楽部の尊さを感じた。
映像が終わると口々に再び感想を話し合う。どの部分が良かったとか、当日にも散々話し合ったような事ばかりだったが、何度話題に上げても飽きない程の美しさが、そこには顕在していた。
そういう中、若菜が目ざとく顔を見合わせていた壱と可奈子を見ていたらしく、また「怪しい」などといい始めたのをユキがなだめたりし、また音合わせをして、その日は解散となる。若菜だけは最後まで何か納得いかない様子ではあったが、こうなると本当に事実を伏せておいて良かったと思う。
壱だけは新田教諭に話があるから、と外れ、4人を先に返した。可奈子は可奈子で、適当に理由を付けて分かれ道から壱の部屋へ向かう事になっている。これをいつまでも続けるわけにもいかない事を考えると、やはり早めに打ち明けてしまった方が良いのだろうかとも思い直した。
職員室に居た新田教諭に、一連の流れを説明した。虐待に関する事実も、喫煙所で全て打ち明けた。この人は味方にしておけ、というのが御堂教諭の助言だったのである。
そして助言通り、新田教諭は驚くほどの理解力を示してくれた。
「そうか、どうだ同棲生活は」
「やっぱそこですよね!」
「いやあ、いいじゃねえか。でも当然学校にはバレんようにしとけよ」
「でも、先生がそんな事言っちゃって良いんですか?」
「事情が事情だってのもあるが、俺は基本的に好きな女とは常に一緒に居ろと思う派なんだ。それが出来なくなる時まではせめてな」
「……成る程」
どこか含みのある響きだったが、しかし協力は惜しまない、という新田教諭の言葉に素直に感謝を述べて、頭を下げた。
「ただ避妊はしろよ」
「まだそういう事してませんっ!?」
「なんだよ、ヘタレだなぁお前」
勿論下世話な理解も忘れない新田教諭のスタンスに笑いながら、壱は家路に着いた。戻れば可奈子が待っていると思うと、足取りはやはり軽い。




