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呟きとメヌエット  作者: camel
襤褸のアクション
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「ちょいと遅いな」

「そうねえ」

 駅改札付近の時刻表前。集合場所となったそこに最初に着いたのは壱で、次にユキ、若菜と続いた。咲は病院から御堂教諭が車で楽器と共に送るとの事なので問題は無いのだが、集合時間になっても可奈子は中々来なかった。

 それでも、誰も不安を口にしないのは、この半年で可奈子が信頼を取り戻したからに違いない。まさか、という話すら出てこないのはユキと若菜の人間性もあるのだろうが、壱にはそんな環境の変化が途轍もなく嬉しい事に思えた。あれ程周囲を遠ざけていた可奈子を、それでもこうして囲ってやる人間が存在するのである。壱がかつて自分の殻に閉じこもっていた頃を思えば、やはりそういう人々の暖かさは不可欠なものであった。

 だから、ユキも若菜も、当然壱も可奈子が小走りにやって来るのを見るまで何も言わなかった。

「ごめ、なさい」

 可奈子は微かに息が上がっているものの、整えながら小さく謝った。流石に運動は苦手なのだろう。

「鶴岡7分遅刻」

「なんか細かいよユキちゃん」

「少し、準備に手間取った、から」

「まあとりあえず呼吸を整えねえお鶴。電車の中でも話は出来るわな」

 1つ頷く彼女に前もって買っておいた切符を手渡し、改札を抜け、ホームへ。楽器を持っているのは自前のある壱と可奈子だけなので、傍目にはギリギリ吹奏楽部らしいと解る一団である。

「ユッキー達は手ぶらでいいな」

「普段から重たいの持ってるんだからこんな時ぐらいいいじゃない」

 いつもより言葉数の多いユキも、言葉数の減っている若菜も、それぞれに緊張はあるらしいなと見て取れた。可奈子だけはフルートを抱くようにして扉に寄りかかり、会話の流れを目で追うような形で、普段通りの様子である。

 彼女の準備が手間取った、というのも気にはなるのだが、今聞くような事でもない。電車が大きく揺れた時に思わずといった様子で伸びてきた手を取って、離し、目を合わせると、ふいと逸らされた。

 電車に揺られる事数分で、目的の駅へ。ここからはバスで、騒がしくも無く乗り込み、会場へ向かった。所謂市民ホールなのだが、随分と構造にセンスの篭められた奇抜な作りのそこをなんとなく見上げてしまう。

「そっか、黒沢君初めてだもんねここ」

「うむ。尖ってるな」

「文化会館とかって無駄にこういう作りよね」

 建物の駄目だしをしていると、女性2人に連れられて、同じ制服を着た女生徒がやってくるのが見えた。

「咲ちゃん!」

 真っ先に声を上げて手を振る若菜の元へ走り出そうとした咲が、ぐいと背の高い女性――御堂教諭につかまった。笑いが一斉に出てくる。

「大人しくしていろと何度言わせるんだ菱沼」

「す、すいませんつい」

「ごめんなさいね御堂さん」

「南さんもちゃんと見てないと。鉄砲玉ですよ、この子」

「咲ちゃん、お帰り」

 ユキの言葉に、咲はちょっと頭を下げそうになって、それからはいと大きな返事をした。それでいい、と思う。

「とりあえず中入ろっか」

 南教諭の言葉でぞろぞろと市民ホール内部へ。ふと気付くと男がこの一団に自分しか居ない幸福がそこにあった。神がかり的な状況過ぎて身もだえしそうになる。

「何してんの黒沢君」

「いや俺って凄いよね」

「はぁ?」

「俺というか、今の俺の状況が」

「あー、女の子だらけだもんねえ」

 若菜が何故か楽しげに笑う。基本的に多くの人間が居ると安心するような所のある彼女からすれば、そういう喜び方もあるのかも知れない。

 ホール内の隅の方に、楠白航行吹奏楽部の座席は確保されていた。出入りには楽だろうと思いながら、適当に荷物を置く。それぞれに緊張の面差しで、それは既に入っている他の学校の生徒もそうだった。ざわざわと小声が積み重なって出来る独特の騒がしさに包まれたホールを見渡すと、流石に壱も唾を飲むような気になってきた。

 ふと、可奈子が御堂教諭と何事か話しているのが見えた。何度も頷きながら微笑んでいる御堂教諭を見るに、今回の引率の礼でもしているのだろうと想像する。

「はい皆注目」

「うん、顧問みたいだよ小枝ちゃん」

「こ、顧問ですっ!?」

 軽やかにおちょくられながら、南教諭は咳払いをし、続ける。

「えっとね。皆本当に今までお疲れ様でした。色々大変な事もあったけどね」

 言いながら咲にちょっと意地悪な視線を向けると、咲が頭を掻く。小さく漏れる笑い。

「特に黒沢君には散々投げっぱなしだったし」

「まあこの貸しは体で払ってもらいま……痛い痛いお鶴さん凄く痛い踏んでるから足を」

「ほんと仲良いわねあんたら」

「ジェラシリスト鶴岡!」

「咲ちゃん全く意味がわからないよ?」

「でね」

 そして強引に話を進める南教諭。

「勿論臼井さんにも柴崎さんにも、色々心配もかけたし苦労もかけたし」

「そ、そんな事ないです」

「そうよ、苦労はあったかも知れないけど小枝ちゃん特に見てなかったし」

「ボロクソだな南さん」

「御堂さん助けてっ」

 泣きが入りそうになっている南教諭を総勢でフォローすると、なんとか不貞腐れたような顔になりながら話を続ける気にはなったらしい。いちいち突っ込まれる辺り舐められているのか人の好さが出過ぎているのか、といった所だ。

「ともあれ。よく頑張ってくれました。練習出来る場所も一応あるから、そっちで軽く音合わせくらいはやっておいて。特に咲ちゃんは無理しないように」

「はーい」

「以上。期待してるわ」

 ぐっと南教諭が突き出した拳に、咲が真っ先に拳をぶつける。そういう事かと壱も続くと、間髪入れずにユキと若菜が乗り、御堂教諭までもがそこに参加。

 可奈子に集まる視線。一瞬の間を置いて、突き出される彼女の手のひら。

「お鶴さんが高度なボケを!」

「鶴岡、昨日から黒沢君のバカが伝染してる気がするんだけど」

「すげー! 鶴岡先輩1人勝ちだ!」

「あ、別に、そういうのじゃ……」

 最後まで締まるのか締まらないのか適当な吹奏楽部だった。

 アナウンスが、別の高校の名前を読み上げ、拍手が鳴り響く。今出ている連中を含め2校が終われば、楠白高校の出番だった。

「どう思うねお鶴さん?」

「練度がまだ。人数が多いから、仕方ないのかも」

「あのトロンボーンの人は結構やるねえ」

「そうね。でも、周りに合わせて、死んでる」

「うむ」

「ねえユキちゃん、あの2人はなんであんなに余裕なの?」

「だってあの2人よ?」

「う、そっか……」

「すっげえ失礼ですね先輩方」

「ああ、一応聞こえてるからな若菜嬢」

 控え室に通されると、若菜の緊張はトップギアにまで入ったらしく、落ち着きの無い様子と言葉が先ほどから随分と目立つ。ユキはそういう彼女を諌めていればいくらか落ち着くのかそれ程でもないのが見た目には面白かった。

 他校の演奏も確かに大したものが多くあったが、壱の耳にはそれ程のものには聴こえてこなかった。ただの身内の欲目なのかとも思うが、可奈子も同感だというのでそれだけではないのだろう。つまり、自分達の演奏は相当にレベルが高いと言ってしまって良いのかも知れない。そもそも、数十年に1人という表現をして憚りの無い程の腕を持つ鶴岡可奈子を擁している上に、彼女の才能で練り上げられた曲をやるのだ。不安など微塵も沸いてこないとは言わないが、殊更に焦るような気持ちも特に無い。

 直前に全員で音合わせは済ませた。流石に咲の1週間というブランクは微かな齟齬を生んでいたが、それも何度目かにはすぐに修正出来た。そういう所は、咲のセンスが物を言ったのだろう。

 若菜も、極端に音が震えるような事は無く、念のためにユキと近い場所に配置を変えてはあるが、壱と可奈子の余裕を見てか今は落ち着きも少しずつ取り戻しつつある。そしてユキの安定感だけは未だに全く変わらない辺り、彼女が恐らく精神年齢が一番高いのかも知れなかった。

 また拍手が鳴り、ざわざわと話し声。ステージへ出て行く、出番になった学校の生徒達。同時に控え室に係員らしき男性が入ってきて、スタンバイをするようにと言われた。

 立ち上がって、一同を見渡す。

「よし、スタンバーイ」

「ひう」

「黒沢先輩、若菜先輩の可愛さは今世界に通用します!」

「いいとも!」

「テンション変だからねあんたたち」

「柴崎さん」

「あ、はい……」

「私達は、出来るわ」

 可奈子がそう言うと、きょとんとして、そしてすぐに見た目にも解る程若菜は落ち着きを取り戻した。面白い事もあるものだと思いながら、壱は可奈子の肩をぽんと叩く。

「優しいなぁお鶴さんは」

「ん」

「そら、落ち着いたなら楽器のチェックだけしといてくれよ。もうじきだ」

 今出ている吹奏楽部の演奏もクライマックスに差し掛かっている。

 ユキはチューバを抱いて、若菜はユーフォニュームを持ち直して、頷いた。

 咲は手の中で器用にフルートをくるりと回し、可奈子はすげなく壱が肩に置いた手を払い、背筋を伸ばす。

 拍手が外に聞こえた。係員が、どうぞ、と声をかけてきた。

「よし、行こうか」

 壱が言うと、全員が頷いた。舞台袖の階段に足をかける。

「あたしたちの戦いはこれからだ!」

「咲ちゃん最終回みたいな事言わないで!」

 ステージに乗る。拍手で迎えられる。まだ早い、と壱は思った。今の数倍の拍手を送ってもらわねばならないのである。

 並べられた5つの椅子に腰掛ける。目配せをすると、全員と合う。追って出てきた南教諭が笑顔で全員に頷いて見せた。

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