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「今日解るのね?」
「うん」
「じゃ、皆で」
「それは駄目。咲ちゃんが凹む結果かも知れないだろ」
「う……そっか」
コンクール前日。
咲の、最後の検診が午後からだという事で、部員達は全く練習に身が入らずに雑談ばかりをしていた。壱もそれは同じで、サックスを手にしてはいるものの、今日何度吹いたかと思えば数える程度にも満たない。可奈子ですら、普段どおりを装っているもののいつもよりフルートにクロスをかけている時間が長すぎる程に長いのだ。
実際にこれで、吹奏楽部の進退は決まると言っても良いだろう。コンクールで結果を出しさえすれば、新しい部員も呼び込めるかも知れないが、そうでなければ冬の機会を待つしか無い上に、それまでまた嫌がらせを受ける可能性は否定できるものでは決してない。
だから、壱の緊張も結構なものだった。桐田咲からまた色々と学んで随分とニュートラルな性格が強くなったとはいえ、こればかりはどうしようもない。どう考えても、壱とてコンクールにこの5人で出たいのである。
「じゃ、黒沢君が1人で行くわけ?」
「別にユッキーが1人で行ってくれてもいいのよ?」
「え……いや、それはちょっと辛いなぁ……」
「そうだろう。若菜嬢行く?」
「うぇ?」
「可愛くなっちゃってるしな。お鶴さんはどうよ」
「いいけど」
「強者だわ……」
「でも、黒沢君が、行くべきだわ。部長というのも、あるし」
「そうだねえ」
「菱沼さんも、どっちであれ、最初に黒沢君に話したいと思う」
平坦な口調で可奈子がそう言うと、若菜がぎょっとしたような顔になる。彼女のリアクションはいちいち大きくて素晴らしいものだ。
「うむまあ、こういう時の部長職だしな。俺が行くよ。とりあえず練習しようか」
一応そう声はかけてみたが、全員曖昧な表情で頷いただけで特に練習にはならなかった。
時計を見ると、午後2時を回っている。南教諭の話では午後一番に検診に入るという話だったから、既に結果自体は出ているのだろう。ならば、この部員達を安心させるか落胆させるかは解らないものの、どちらかの結果ぐらいは今すぐにでも教えてやるべきかも知れない、と思う。
サックスを軽く撫でて、ケースに仕舞った。ユキが怪訝な、若菜が期待の眼差しを向けてくる。
「しょうがないな、行って来ます。もう結果は出てる時間だ」
返事は無かった。ただ、全員が見送ってくれた。
蝉の合唱響き渡る中、壱は普段よりも足早に病院へ向かった。昨日の朝に咲を見舞った時には、顔色も随分と良いものだと思えたのだが、所詮素人判断に過ぎない。咲の家族とも話す機会があったが、たった1度のコンクールに無理をさせるぐらいなら、安静にさせたいと言っていた。
そういう気持ちはよく理解出来る。親としては、娘の体が決定的に悪化するような真似よりも、健康を取るのが当然だろう。だから、これはある意味では咲自身の戦いでもある。彼女の思いが、体調と相俟ってどのぐらい家族へ通じるものかも、大切な事だ。「多少無理をすれば参加出来る」程度の状態では、咲の両親も一時的にとはいえ退院する事を承服はしない筈である。
あれこれと考えている間に、すぐに病院の大きく白い建物が見えてきた。自動ドアを潜り、見舞い者名簿に名前を走り書きして、205の病室へ。
咲のベッドには誰も居なかった。まだ終わっていないのだろうかと思っていると、背中に衝撃。
「うおっ」
「先輩!」
咲の声。慌てて振り向くと、背中に飛びついて来たらしい咲の顔が目に入った。顔色は良い。何より、目の輝きが明るい。
「咲ちゃん」
「やりました!」
言って、再度飛び掛ろうとする彼女を取り押さえる。不服そうな声と顔。
「感動のハグを何故……」
「いや落ち着きなさいな。ていうかどこに」
「あ、飲み物買いに行ってました」
言いながらパックにストローを突き刺し、親指を廊下の外へ向ける咲。肩から力がどっと抜ける。
「つまり、オッケーが出たのだね?」
「はい!」
「それは」
良かった。言いかけて、腰の力が抜けてしまうのを自覚。思わず咲のベッドに腰掛けて、なんとか笑顔を作る事が出来た。自分で思っていた以上に、咲の容態は壱にとっても重く大きな問題だったらしい。
「良かったねえ」
「でもコンクール終わったら、また入院ですけどね」
「それは仕方ないよ。でも、本当に良かった」
「はい、良かったっす」
「おっと俺が座ってちゃいかんな。ほれ横になりなさい」
「はいはー」
妙な返事をしながら、咲は軽々とベッドに乗り、体を起こしたままジュースを啜る。その表情は喜色満面といった様子で、本当に嬉しいのだろうという事がはっきりと伝わってきた。
「あ、そうだ、ちょっと待ってて」
「はい?」
「皆に連絡しないと」
「あ、じゃああたしも行きます。ユッキー先輩にも若菜先輩にも鶴岡先輩にもお話します、あたしから」
「そうか、じゃあそうしよう」
忙しくベッドの上り下りを繰り返す後輩を苦笑い気味に眺めながら、揃って病室を出、電話の使用などが出来る休憩スペースへ。他に病人も来客も居ないらしく、気兼ねせずに済みそうだった。
「そういえば南先生は?」
「保健室の先生に連れられて行きました。一杯奢らされるみたいで」
「成る程」
「あの先生が一緒に来てくれるからっていうんで、あたしの事も許してくれたような所もあるんですよ」
「そうか。そりゃあお鶴さんに感謝しないとな」
「え?」
「お鶴さんなんだよ、御堂さんに引率頼んだの」
「そうだったんですか……」
真面目な顔になり何事か考えて、それから咲はにこりと笑う。表情がころころと変わる彼女を見るのは随分と久しぶりだという気がする。
休憩スペースの一角に並んで腰を下ろし、携帯電話でユキへコール。1つ目で、すぐに繋がった辺り彼女の反応速度もかなりのものだった。
「もしもし!」
「落ち着けユッキー。こっちは大丈夫だったよ」
一瞬、暗い声で繋いで大嘘を吐こうかとも思ったのだが、そんな事をしたら生涯ユキに恨まれそうだったのでやめておいた。お陰か、珍しくユキの嬉しそうな声が聞こえてくる。
「ほんとに! 良かった!」
「今咲ちゃんに変わるから、皆と話させてあげて」
「勿論」
咲に携帯電話を渡す。真っ先に、彼女は謝罪の言葉を述べ、それから感謝を告げた。3人分それをやる姿を見て、よく出来た後輩だと心底思う。特に可奈子には御堂教諭の引率の件もあってか神妙な声で礼を言っていて、可奈子が素っ気無く返事をしているのだろう事が簡単に想像できて面白い。
まだまだ話し足りない様子だったが、きりが無いので目配せをすると、咲はそれに気付いて話を切り上げたらしく、電話を渡してくる。
「もしもし、今誰だい?」
「私」
「お鶴さんか。どうする、こっち来るかい?」
「やめておくわ。明日があるものね」
「いい判断だ。じゃ、そういう方向で、特に若菜嬢には言い含めてくれるかい」
「そういう旨を、臼井さんに伝えるわ」
「はっはっは、まあそれでもいいや。じゃあ俺も早めに切り上げて戻るから」
「ん」
それで通話を終えて咲を見ると、眉毛をハの字にしていた。
「うお、何その顔」
「すぐ帰っちゃうんすか」
「まあ、あんまり引っ張りまわしてまた体壊したら勿体無いしな」
「うーん……お父さんとお母さんも帰っちゃって暇なんですよね」
「じゃ、少し話をしようか。ほんとに少しだけだけど」
「流石先輩、話が解る!」
咲を病室に連れ戻し、ベッドと傍の椅子という入院以来のいつもの格好だったが、それでも咲は見違えて明るい表情で色々な事を話してくれた。綺麗な看護士の話や、小児科の子と一緒に迷子になった話だとか、他愛も無い事ばかりだったが、そんな事を明るく喋れる自分を楽しんでいるようにも見えた。
ともあれ、条件は揃った。殆どぶっつけ本番のようになるが、明日のコンクールでは、形になるものを遺せるだろうと、壱は心から思う。
咲との話もそこそこに学校へ戻ると、3人は熱心に練習に打ち込んでいた。それはそうだろう、心配事は最早何も無いのである。今はもう練習以外はする事が無いと言ってもいい。
壱もちょっと手を上げて輪に入りながらサックスを取り出して、途中参加をした。もう何度も合わせたフレーズで、それぞれの癖まで解ってきているマリー・ゴールドだったが、ここへ来て更に磨きがかかったのではないかと思う。或いは、心にいつまでもわだかまっていた不安が綺麗に消えたが為に出来るようになった音色なのかも知れないが、どちらにしろこのメンバーでやる合奏ならばコンクールでも上手くやれるだろう。
時間いっぱいまで、何度も吹き続けた。終わると、若菜などは微かに息が上がっている。
「今日はここまでかね。お疲れさん」
「うわ、ほんとだもうこんな時間」
時計を見上げながら若菜が言い、ユキもまたそれに吊られて凝った肩をほぐすようにしながら溜息。
「さて明日がコンクールなわけですが」
「黒沢君若菜にプレッシャーかけないで」
「だ、大丈夫だよ?」
「若菜目泳いでる」
「はっはっは、まあホレ、しくじっても良いからさ。賞取れなきゃ殺されるわけでもなし。好き勝手にやろうぜ」
壱の言に、若菜がふにゃりと笑った。彼女も性格的に緊張は既にあるようなものだろうが、やはり安心感が今は上を行っているらしく表情もそれ程堅くない。尤も明日になればまた別か、とも思う。
ふと、携帯電話が鳴った。南教諭。
「はい」
「あ、ごめんね黒沢君前日なのに行けなくて」
「いやあ今御堂さんと一緒なんでしょう?」
「そうなのよう……御堂さんが、黒沢君に任せとけばいいじゃないかって離してくれなくて」
不満げながらどこか嬉しそうな響きが声にあるのは、気のせいではないだろう。誰よりも咲の傍に長く居た南教諭であるから、彼女の体調の快復はやはり誰よりも喜ばしい事に違いない。
「まあ、こっちは上手くやります。明日の移動の手配は?」
「それは大丈夫。とりあえず駅に8時集合ね」
「飲みすぎないで下さいよ」
「わかってるわよう」
「何か他に伝言は?」
「特に。ただ、ありがとうとだけ伝えてくれる?」
「了解」
「勿論、黒沢君にもね。また改めてお礼は言うけど、本当にありがとう」
「俺は何もしてませんけど」
「そういう所が人に好かれる秘訣かしらね」
「あー、まあいいや。とりあえず以上で」
「ふふ、じゃ、よろしくね」
照れ隠しを最後に見透かされながら、通話が終わった。ユキと若菜が興味深そうにこちらを見る。
「明日は朝8時に駅だそうな。今日はゆっくり休みたまえよ」
「はーい」
「はーい」
「おやおやお鶴さん? お返事が無いぞう?」
可奈子にそうして振ってみると、じっと見つめ返され、そして。
「はーい」
片手を上げて無表情にそう言った。凍りつく空気。
「……!」
「何よ」
「いや、なんだろう……ありがとう?」
「そう」
やってから「しまった」と思っているのか、可奈子は随分と居心地が悪そうだった。
「鶴岡のキャラが変わってきてる……」
「つ、鶴岡さんもう1回! もう1回!」
「なんで」
また騒がしくなりながら、なんとか収拾をつけてその日は下校となった。いつも通り可奈子だけが別れる道に差し掛かった辺りで、彼女が口を開く。
「駅の、どこに集合?」
「あ、そうか。うんと……時間はあるかいお鶴さん」
「うん」
「じゃあ駅まで来ないかね。あそこ改札周りとか結構雑多だし」
「あー、確かに」
なんとなくもう少し一緒に居たい気になって壱がそう言うと、可奈子はこっくりと頷いて、分かれ道に向けていた踵を返した。4人でこちらへ向かうのは初めてかも知れない。
そして道中壱の部屋などを無駄に知られたりしながら、駅前の集合場所を確認しあった。考えてみれば、この駅を可奈子が利用する機会というのもかなり少ないのではないかと思う。
それでも壱は、暗い気持ちにはならないのだった。いずれ、自分が彼女をどうにかして見せると、既に決めているのだ。




