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「第一印象はイケメンだった」
「……」
「なあ、最初の一言目で呆れるって凄くね?」
「咲さんがすげえ角度で入り込んでくるからでしょうが」
「まあ、うん、冗談だ。いやモロ好みだった事は本当だけどな。つーかハーフ君だもんな黒沢君」
「取りあえず最初からお願いします」
「よし」
咳払い。意味が無いことはお互いによく知っている。
「でもね、カッコいいなと思ったのは本当に本当。ただなんか翳ってる子だなとも同時に思った」
「翳ってる」
「ホラ、色々悩み抱えてる人ってのはどうしても表情に出ちゃうでしょ? ああいうのの、極端なやつかな」
成る程確かに、あの、部室に入る瞬間というのは様々に気の滅入るような思いをしていた。これから馴染む事への苦労や、不特定多数との交流への気苦労を思えば当然だったとも言える。
「だから構ってやろうと思ったのさ。別に同情や慈善的な気持ちじゃない。こりゃもう、そうしようと思ったからでしかないね」
「解り易いですな」
「そうとも。世の中万事相対に出来てるんだから、君を嫌う人と同じ数だけ好く人も居る。私は後者で、だから君に真っ先に声をかけた」
「正直、よくわからん人でしたよ」
「そうだろうねえ。私も私の事なんか解らない。黒沢君だって、危ない自分の内面については解り切ってない筈でしょ」
頷く。自分を理解していないから、或いは理解できない自分の表出が、壱のごく自動的な防衛行動でもある。刃物を持つ人間を危険なものと勝手に判断し、それを止めようとするという己の人格を、否定こそすれ理解したいとは一度も思っては来なかった。
「話してみたら、凄く良い所をいっぱい持ってる子だとすぐに解った。そういう部分を表に出せずに居るだけなんだと」
「買いかぶりもあったと思いますよ」
「まあ、好みの男だから多少の色気はあったかもな」
笑いながら、水を口に含み、更に咲は続ける。
「コンクールに抜擢した事自体は、別に何か意図があったわけじゃなくてね。ただ君にやってもらおうと思っただけで、それを他の部員も承知した。あれだけの腕前だし心配もしてなかった。でも実際に練習に入ると、どうでもいいような演奏しかしてくれなかった」
「どうでもいいような、ですか?」
「そう。当たり障りの無い、初めて1人で吹いてくれたサックスとは天と地の差があるような、ね。それでも大したものではあったけど」
「それで、ああいう風に色々と教えてくれたんですか」
「教えたって程高尚な真似をしたつもりは無い。もうちょい見方を変えてみたら? ぐらいのつもりだったよ。暗いままの黒沢君を、なんとかしてあげたいと勝手に思い込んでね」
それでも、咲の言葉には数え切れないほど目を開かれたし、救われもした。破綻した人格を抱えている壱にとって、それでも部活動にきちんと参加したいと思わせた事実は、快挙と言っても良い程だ。
父がかつて、自分の殻を破らせるために壱にサックスを与えたように、咲は壱とサックスを外に向けさせた。どんな有能なセラピストでも出来る事ではないと今でも思う。
「少しずつ皆とも喋るようになって、私にも色んな事を話してくれたね。1つ1つ、選ぶような言葉も多かったけど、それでも初めて見た時のような顔色は殆ど消えてた。いい男になったなと毎日会う度に思ったもんでさ」
「咲さんに育てられたようなもんですからね、俺」
「嬉しい事言ってくれるじゃないの。なら、頑張った甲斐はあったのかな」
両腕を背もたれに乗せて足を組みながら決める咲に吹き出しながら、相変わらずの物腰と、そしてその物腰のままでずっと自分を見てきてくれていた事に感動すらする。
「俺、咲さんが居ない所だともっと喋れなかったんですよ、当時」
「あれ、そうなの?」
「咲さん居ないとフォロー入れてくれる奴もネタ被せてくる奴も居なくて。まあそういう事よりも、なんというか俺の言葉を聞いてくれないんじゃないかって不安があったかも知れません」
「あちゃー、そりゃ随分気を引きすぎたな」
「依存してたんでしょうね、どっちかって言うと」
「とは言うけど、私が引退した後もきちんとやれてたみたいじゃないか」
「その辺はまあ、さじ加減というか。咲さんをよく知る人達相手でしたし」
「難しいもんだね」
「いや咲さんがしてくれた事は凄い事だと思いますよ。俺が言うべきじゃないのかも知れないですけど」
「なんの。君は元々持ってたものがあって、それの出し方が下手だっただけさ」
握っていた手を改めて握りなおしながら、咲はちょっと笑顔を潜めさせ、続ける。
「私の口調なんか真似ちゃったけど、誰が見ても明るい少年になった所までは良かった。さっきまで、君はそういう風に成長したんだろうとも思ってた」
「はい」
「鶴岡さんの事ね。なんか色々細かい事考えてるみたいだけど、やっぱりそれは細かい事なんであって、どこかで捨てちゃっていいと思うのよ。私の真似もまあ結構。でも一番大事なのはそんな事じゃない」
労わるように撫でられる手に、咲の力が篭められて、少しだけ狼狽した。思えば、彼女は何か大切な話をする時にはこうして手を握ってくれたものである。
惚れて当然だと、そんな事を思う。
「お兄さんの「どうしたいのか」って問いに理屈が出せなかったんだよね」
「はい」
「要らないんだよね、それ。鶴岡さんをどうしたい? 今暴力を受けてるのなら、どうするべき?」
「……そりゃ、止めさせる事が1番良いんじゃ」
「じゃあそうしよう。うん。そうすると、或いは鶴岡さんのお父さんは警察の厄介になるかも知れないね。犯罪なんだから。となると鶴岡さんは1人で放り出される。どうしよう?」
「ええと、そういう事なら、実家にでも頼んでなんとか」
「駄目だったら?」
「駄目って事は無いでしょうけど……駄目ならまあ、OKが出るまで俺の部屋に居てもらうか」
「いいね。でもその場合、食事とか現実的な話はどうするか」
「ううん……最悪、嫌な話ですけど貰った契約書を使うしか無いですかね。いや、どのぐらいのお金になるかなんて解りませんが」
「いい覚悟だ。でもそんな程度で、黒沢君1人で鶴岡さんを守れるかな?」
「無理である公算のが高いと思いますけど、そこは俺がなんとか」
「意気込みはいいけど、そう。無理っぽい。つまり、ここまでの流れで言えば、今すぐ鶴岡さんの環境に手を入れてしまうのはどうかと思う」
「解ります」
「でも逆に言えば、条件さえ整えばどうにでもなる」
矢継ぎ早な質問に勢いでここまで色々な事を口にしてしまっていたが、確かに咲の言う事にはいちいち頷けた。漠然と鶴岡可奈子の生活を憂えているだけではなく、落ち着いて現実を見ると、所詮はこんなものだ。
だからこそ、条件さえ整えばどうにでもなる。ただ、最後の問題があった。
「でもお鶴……鶴岡さんが、それを望むかどうか」
これに尽きる。
しかし咲は、笑って首を振った。
「男性恐怖症って言ったよね。あれのまあ、軽度なのに私小学校の頃かかってたらしいのよ。いや診断を受けたわけじゃないんだけどな」
「そうなんですか」
「ホラ、いきなり声が低くなるしすくすく身長伸びるし。なんかキモいと思ったら止まらなくなったって程度で、すぐに無くなったよ。でもね、やっぱりあの頃は触るのも触られるのも嫌だったわけでさ。私のケースは例外だったとしても、鶴岡さんの許容は、もうあと一息で黒沢君に対する大きな信頼になるんじゃないかと思う」
「それはまた……希望的観測の大きな」
「何を言う。女の勘だぜ」
「何故か信憑性が増した気がします」
「そうだろうとも。ともあれね、君が本当に鶴岡さんを助けてあげたいと思うなら、彼女の望む望まないに関わらず、具体的に動いてみる事さ」
「具体的に」
「鶴岡さんが君に触るというのは、もしかしたら助けを求めて手を伸ばしてるのかも知れない。そのぐらい、傲慢に構えてもいいじゃないか」
「でも」
言いさした壱の指に指を力強く絡めて、咲は吃と壱を見据えた。或いは睨んだと言っても良い程の鋭い眼差しに、しかし壱は射竦められるというよりも気を引き締められるような気分になる。
暫しの間を置いて、咲はまた柔らかく微笑んだ。
「他人事で言ってるわけじゃない。一応私も来年には懲役を頂ける年齢ではあるけどガキだし、大した事は出来ないかも知れない。でも黒沢君が困った時には一緒になって困ってやるぐらいは出来る。だから、頑張ってみないかね」
「……」
「お返事は?」
「いや、すいません、泣きそうなんで」
「うわマジかよ。大げさだなキミィ」
茶化しながら、しかし咲の表情は、ずっと優しかった。
身に余る、と心底思う。そしてまた競り上がってくる悔悟と自責を、全力で押さえ込んだ。また彼女に謝罪をしそうになったからだ。これ以上頭を下げる事は、自分を心に招き入れてくれた桐田咲という人間に対する侮辱にすらなる。
本当に涙ぐみそうになったので拭おうと思ったのだが、両の手は咲にホールドされている。面白そうに人の顔を眺める彼女には、苦笑いを返すしかなかった。
「しかしまあ、落ち着いて考えてみねえ壱の字」
「は?」
「今鶴岡さんに何をするって言ったか冷静に思い出してみたまえよ。なんなら俺が嫁に貰う! って言ったも同然だぞ」
「……あ、そうか。確かに」
「そういう言葉が反射的に出てくるぐらいだ、本当に好きなんだろうねえ」
「そうなんでしょうかね……」
「黒沢君みたいなタイプは、自分の感情の動きに案外鈍感なものさ。だから楽器が上手いのかも知れんね。音楽ってやっぱ感情表現を露骨にやってくれちゃうものだと思うし」
「解るような気もします」
「今の君は、去年の私。鶴岡可奈子という翳りのある子を、なんとかしてあげたいと勝手に思う吹奏楽部の部長さんだ。こんな所で足踏みしてんじゃない」
「はい」
「それにしてもここまで全力で塩化ナトリウムを送るあたいも人が好いな全く」
ぱっと手を離して、また不貞腐れたような顔を作り、咲はそう嘯いた。
何か答えが出たわけではない。相変わらず可奈子に対して具体的にどうしていいかは決めかねてもいる。だが、どうしてか今は、少しでも早く可奈子に会いたいと思っている自分に気付いた。
「いいかねあたい2号」
「はい」
「一番大事なのは明るくある事。暗い所に居る鶴岡さんと一緒になって暗くなってどうすんだ。ガンガンにライトを焚けライトを」
にやりと笑って伝票を持ち、咲はそう締めくくった。
促されるようにレストランを出ると、並んで咲の家の方面へ向かう。結局咲は買い物を取りやめたらしく、帰宅する事にしたらしい。
「あーしかし悔しいなぁ」
「何がですか」
「一生懸命育てた君が、そのお陰で違う子の所行っちゃうわけでさ」
「む、まあ、なんとも……」
「そういや黒沢君て彼女居た事ある?」
「特に」
妙な返事だなと思っていると、咲はそうかと腕を組んで頷く。
「よし、止まれ」
「はあ」
言うが早いか咲は正面に立ち、あまりにも自然な動きで唇を合わせてきた。ほんの数秒だったが、それがどういう行為なのか壱は即座に理解し、しかし抵抗は出来なかった。
顔が離れると、いくらか赤く染まった咲の顔が視界を埋める。
「うむ」
「いや、え?」
「貴様の初めてのキスの相手は鶴岡さんではなくこの桐田咲だ!」
「ちっとも痺れねえし憧れねー!」
「ズキュゥゥゥン!」
「そんな音してないしな!」
「よし、私はこれで満足しとこう。そら帰れ帰れ」
「うわ、急に冷たくなりましたね」
「うるさいな。今から泣くんだからあっち行けよ。いつまでも見てると既成事実作るぞ」
いつもの言葉遣いと声音だったが、咲は微かに弱々しく眉根をを寄せていて、途端に壱は胸を抉られたような気分になる。初めて見る、そんな桐田咲の表情は、異常な程に壱を混乱させた。
だが、今の自分には言える事も出来る事も何1つとして無い。彼女に対して勿論親愛の情はあったが、やはりあれ以来、壱は桐田咲の内面へ踏み込む手がかりを、確かに失ったのだった。
「わかりました」
「うん」
「有難う御座いました」
「おう、元気でな」
最後だけは涙声になった咲の返事を背中に受けて、壱は自宅へ戻った。




