11
6月のコンクールは大成功に終わった。
そもそも練度の高い部員達であった事もあるが、最も評価されていたのはその楽曲のまとまりの良さであった。そして高校の吹奏楽部としては珍しく指揮者である桐田咲の評価もまた高い賞賛を受け、また壱はそれこそが1番嬉しかった。
打ち上げと称して音楽室に持ち込まれたジュースや菓子に手をつけながら、壱は追うともなく咲の姿を目で追う。すると真っ先に気付いたのは、咲自身は全く食べ物や飲み物に手をつけておらず、むしろあちこちへ移動を続けながら話を振ったり、飲み物を注いだりという言わばホストのような役割をやっているのだった。こういう事をごく自然に出来るから、人が集まるのだろうと思う。
「黒沢君も飲んでるかーい?」
「え、なんでこの人酔っ払いっぽいの」
「場酔いだよ場酔い」
「厄介過ぎる……」
「まあそう言いねえ。それにしても、いい演奏してたな黒沢君は」
ね、と咲が周りに振ると、部員達が口々に同意の声を上げる。ごく普通に、場を掻き乱さないように心がけて演奏したまでなのだが、それこそが合奏では大切なのだと咲は言った。
「黒沢君と愉快な仲間達ではないからね、私達は。君がそういう気持ちでやってくれたんなら尚更嬉しいよ」
「そりゃどうも」
「ふはは照れてるぜこやつめ」
「咲はほんと黒沢君好きね」
「いやあだって可愛いじゃん?」
「嬉しくない褒め言葉ですからねそれ」
こうして咲が、殆ど強引に会話の流れへ壱を誘導するために、壱もまた強制的に喋る事を余儀なくされる。だがそれが、不思議と嫌ではなかった。自分が何かを言えば咲が必ずフォローなり突っ込みなりを入れてくれるので、実にリラックスして場に溶け込んでいけるのである。
これもきっと、彼女の成せる業の1つなのだろうと壱は思う。咲に指摘された通り、他人との間にどうしてもある程度以上の距離を置いておく事で面倒を避けようとしていた壱を、こうも気楽にさせてくれるというのは、最早ちょっとした手品を見ているような気分ですらある。明確な尊敬が、既に壱の中にはあった。
場も落ち着いてきた所で、咲は教壇に立った。基本的に顧問不在のケースが多いこの吹奏楽部では、あらゆる連絡事項やイベント事の決済の一切を、咲が取り仕切る。
「はいちょっとお耳を借りるよ。まだ少し早いけど夏のコンクールの事でね」
ぱんと手を叩き、咲がそう声を上げるだけで、全員がそちらを向く。こういう時もデフォルトの真顔のまま真面目な話から冗談までを一気呵成に語るものだから、そのギャップが面白いと言えば面白い。
「夏は全学年出る。3年は最後だし気合入れて用意しといてね。課題曲は今度いくつか候補持ってくるから、その時にでも決めよう。2年生も続投。1年生は選抜にする予定」
「また出られないかも知れないんすね、俺ら……」
冗談交じりに声を出す1年生にちょっと笑いが集まると同時に、咲はそちらを向いて腕を組む。
「そう凹むなよボーイ。大丈夫、キチンと練習して上手にやってくれるなら出てもらう事になるし、っていうかお前ら来年も再来年もあるからな。その若さが憎いぜ」
「黒沢は実績あるけどどうすんの?」
今度は3年生がちょっと身を乗り出しながら問うと、咲は1つ頷いて続ける。
「黒沢君も1回白紙ね。改めて補欠をやってもらうよ。今回のは異例だからさ。いいよね黒沢君?」
「勿論です」
「素直な子ばかりであたしゃ大助かりだよ。内申書もぐっと楽になるってもんさ」
「汚い話っすね咲さん」
「なんとでも言うがいいさ! 私には楽器が無いんだからそのぐらいの役得取らせてくれよ!」
「必死過ぎる……」
「ちくしょうこれだから天才は! ああもういい、とりあえず以上ね。流れ止めちゃってごめんな。あと1時間ぐらいで解散だけど、好きに過ごしておくれ」
もう1度ぱんと手を叩き、咲は教壇を降りて音楽室を出て行った。またすぐに、談笑に包まれる室内。
なんとなく気になって、壱は咲を追うように廊下へ向かった。姿は見えないが、とりあえず彼女が曲がっていった方向へ足を向ける。すぐに、職員室から出てきた咲と鉢合った。
「あれ、どうしたの」
「や、1人だけそっと出て行くんでどうしたんだろうと思って」
「それで心配して来てくれたのかな。もう愛いやつだな君は」
肘で壱をぐりぐりと突付きながら微笑んで、咲は目で壱を促した。歩き出す彼女の少し後ろに続く。
「ホラ、音楽室をああいう使い方してるんでね。お目こぼしを、ってな事をね」
「そうでしたか。なんていうか、面倒事をよく引き受けますよね」
「面倒じゃないよ、別に。こんな事で皆が楽しくやれるんなら、それはいい事じゃない」
「そう思えるのが咲さんの凄い所だなと」
「はは、まあ性分もあるよ」
また笑って、咲は音楽室ではなくその手前の空き教室に入った。何事かと思って中に入ると、そこには冷蔵庫が置いてあったりと一目で普通とは違う教室だと解る内部になっている。飲み物などは、ここで保存していたのだろうか。
気軽に冷蔵庫を開けて、咲はハーフサイズのペットボトルを取り出し、封を切った。ミネラルウォーターを腰に手を当てて飲む姿は極めて男らしい。
「ここで1人で飲まなくてもいいじゃないですか」
「いんや、向こうだとどうしてもお菓子に手つけちゃうからね。ダイエット中なのさ」
「そうなんですか。スタイルいいのに」
「嬉しい事言ってくれるじゃないの。でもまあ、これを維持する為にもな」
「苦労しますね」
「なんの」
言って、咲は再び冷蔵庫からペットボトルを取り出し、壱に投げて寄越す。同じくミネラルウォーターの入ったそれを、ちょっと頭を下げて壱も口をつけた。
「さっきは冗談交じりに言っちゃったけど、良い演奏だったよ」
「ありがとうございます」
「初めて聴かせて貰ったサックスよりよっぽど良かった。あれだけの腕前なのに君の噂を聞かなかった理由が解ったような気がする」
「というと?」
「うんまあ、怒らないで聞いて欲しいんだけど、ぶっちゃけ黒沢君のサックスって独りよがりな印象が強かったからさ」
「……独りよがりですか」
「そうなった理由までは解らないけど、中学時代の吹奏楽部とかで結構浮いてたんじゃない?」
言われて、壱は冷たい汗が出るのを自覚した。
確かに中学時代、部員達は自分を認めてはいただろう。ただ壱自身が回りに溶け込もうとしないスタンスであったが為に、雑に言えば腫れ物のような扱いをされていた事も確かなのだ。演奏の良し悪しとは直接関係無くとも、黒沢壱が浮いていたとするには十分な空気ではあった。
「まあ、はい」
「それがあの演奏ですよ。指揮するの最高に楽しかった。周りに気を配りすぎてた頃よりも、よっぽど上手に周りを意識できてるんじゃないかな今は。だから、合奏の中できちんとしたものを出せるようになったと思うんだけど」
「だと良いんすけどね」
「ま、これは私が保証しよう。君は凄い。胸張っていいぞ」
そこまで言って、咲はまた微笑んで見せた。何か引き込まれるような、有体に言えば綺麗な笑顔に、壱は入学してから初めてどぎまぎとする。
「どうしたね」
「あ、いや別に」
「ははーん、巨乳の先輩と空き教室に2人きりじゃ意識しちまうかね?」
「そういうの言わなかったら多分意識しました」
「くそう、またフラグを叩き折っちまった!」
「フラグて。まあ、咲さんらしい照れ隠しなんだろうと思う事にします」
「な、なんだようその素敵な切り返しは。パンツ見たぐらいで調子に乗るなよ!」
「珍しく慌てた所も見られて満足したので戻ります。あんまり俺と咲さんだけが居ない時間が長いとそれこそ妙な噂になったりしそうなんで」
「ははは、そうだね。じゃ、先に行ってておくれ。一緒に入ってもアレだろうし」
「そうします」
背を向けて、扉に手をかけた所で、咲の声。
「黒沢君」
「はい」
「……や、夏も期待してるよ」
「それはどうも」
「うん。すぐに行くから」
「ええ」
妙な間だったなと思い、また咲が表情を崩して話すのは決まって1対1の時だけだなと気付き、どこか自惚れる様な気分で、壱は音楽室に戻った。
夏のコンクールもまた、成功を収めた。1年生からは、全員の推しもあって壱だけが再度参加する事になり、その成功に少なからず寄与もしたが、そんな事よりも壱はこの吹奏楽部と、桐田咲と共に演奏が出来るという事にとにかく喜びと楽しみを見出していた。
しかしながら、3年生は今回で引退という事になる。受験も差し迫っており、殆どの生徒が憂鬱な気分になっていたものの、それでも吹奏楽部は咲を中心に良くまとまっていたのだ。
だから尚更、咲が抜けるという事態に対して、女生徒などは涙を流して惜しむし、男子生徒も破天荒ながら気安い部長の引退を残念がった。壱も無論の事その例に漏れず、週末を利用して開かれた追い出し会でもどこか上の空になってしまう。
「別に今生の別れじゃないんだからさ」
そう言って、女子後輩連中を宥める咲の姿は、それでも普段より小さく見えた。彼女自身も、やはり部活から離れなければならないという事を残念に思っているのだろう。
教壇に立ち、相変わらずの手拍子から、咲は言う。
「さて、部長は前決めた通り小野君ね。頼むぜ」
「凄いプレッシャーなんですけど」
名指しされた小野という2年生が苦笑いで受け応えた。
「大丈夫、3年満場一致だから。私の真似なんかしないで素敵にまとめていっておくれよ」
「逆立ちしても部長の真似は出来ませんから!」
「ふふん、偉大な先輩の影に悩まされるのは後輩の常なのよ。ま、適当にしっかりね」
流し目で決めて、咲は続ける。
「学園祭の部活発表は聴きに行くよ。手抜いたら3年全員で乗っ取るからな。冬のアマチュア大会はまあ見には行けないけど、まあ君らならどうにでもなるさ」
「なんか投げ槍じゃないっすか!?」
「そんな事はないぞう。頑張れ頑張れ」
「あの人凄い肩の荷下りてるな」
「流石だわ……」
「ええいコソコソと失敬な人達だなもう。いやほんと、1年生も期待できるし、2年生は春に大成功してるし、何も心配してないんだよ」
1度止めて、咲は部員を見渡す。しんと静まり返った音楽室。誰もが咲の次の言葉を待っている。
改めて、凄い人なのだと壱は思い直した。
「楽しかった。ありがとね、皆」
誰からともなく、拍手が起こり、すぐにそれは全員へと伝播した。照れ臭そうに髪を払って、再び追い出し会の談笑の空気が戻ってくる。
彼女の抜けた後の吹奏楽部など、壱には想像できなかった。できなかったが、しかしここまで培った雰囲気を守るために、微力であっても努力しよう、と決意した。
部活には来なくなった咲だったが、壱との距離感は、この後日増しに短くなっていく。




