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呟きとメヌエット  作者: camel
夜道に奮うリレイション
30/71

 面接を終え、時計を確認すると、まだ吹奏楽部は部活動の最中だった。今から合流してもそれ程の事は出来ないだろうが、顔ぐらいは出しておくかと考えて、壱はそのままの足で学校へ向かう。ちなみに楠白高校は下記部活動において私服での登校を禁じていないので、他校の生徒はそれを羨むらしい。

 夏の日差しも少しは鳴りを潜めつつある昼下がり。コンビニで飲み物を人数分買い込み、校門を抜け、校庭を横断すると、音合わせをしているのか、4つの楽器が同じキーで音色を響かせているのが聴こえた。思わず早足になる。

「おはよう諸君」

「うお、閣下!」

 漫画ならザンという描き文字でも入りそうな程の鋭い入室に、真っ先に反応したのは咲だった。次いで部員全員が壱を認める。

「あれ、意外に早かったんだ?」

「おかえり黒沢君」

 ユキが言葉通り意外そうに、若菜が微笑みながら出迎え、可奈子がフルートを手にしたまま指先だけを起こして応える。癒されすぎる空間だった。同時に今日女性としか喋っていない自分の幸福ぶりに神の存在を信じそうになる壱である。

「どこ、行ってたの」

「あれ、なんでお鶴さんはキレ気味?」

「べつにキレて、ないけど」

「や、黒沢君が居ないもんだから機嫌悪いのよ鶴岡」

「おやおや寂しかったようだね可奈子ちゃんは」

 大きく溜息をつき、ゆっくりと目を窓の外に向けながら、可奈子は早々に会話を降りた。ユキが苦笑いしながら可奈子の機嫌を取ろうと謝る。

「先輩、あたしたちに連絡くれないんですもんさー」

「ですもんさー、ってやっぱ聞いてないのかよ留守番電話。録音したのに」

「マジっすか!?」

 慌ててポケットを探る咲。出てきた携帯電話を素早く操作して耳を当てる。それから大笑い。

「何が可笑しい!」

「だ、だって先輩すごい緊張してるし」

「え、聞きたい聞きたい」

 若菜とユキが興味深そうに咲に群がる。可奈子も気にはなっているようだったが、なんとなくスルーする事に決めたらしい。

 携帯電話に3人が耳を寄せる。そして大笑い。

「お鶴さんあれはもうイジメだよね」

「私も聞きたい」

「聞かないで!」

「駄目?」

「だ、駄目じゃないけどさぁ」

「うっわ、黒沢君は本当に鶴岡に甘いわね」

「うるさいやい」

 気を取り直して、とばかりにサマージャケットを手近な椅子にかけて、差し入れを広げる。

「つか、先輩が私服な事に今気づいたっすよあたし」

「俺のユニフォームは全裸だからな。服なんか飾りだ」

「わたし前見たけど、私服だと高校生に見えないねえ黒沢君」

「ああ、言えてるわそりゃ」

「これは俺馬鹿にされてるのかなお鶴さん?」

「このお茶、貰っていいの?」

「……あ、うん。どうぞ」

 可奈子にフォローはまだ難しいらしかった。

 口々に礼を言う全員に飲み物が行き渡り、自分も口をつけた所で、漸く休憩らしい空気になる。財布と薫子の名刺を取り出し、壱は口を開いた。

「で、まあ、実際はとある音楽レーベルの会社にだね」

「音楽レーベル?」

「うん、シン・ド・アリッサ」

「嘘!」

 一番驚いたのは若菜である。彼女は楡原康臣のCDなどはいくつか持っているそうなので、その名前が最初に結びついたのだろう。続けて咲が大騒ぎをし、よくわからないといった顔をするユキに説明入れる。

「お鶴さん反応うっすーい」

「そこの名前は、知ってるけど」

「で、先輩は何故そんな所に?」

「スカウト」

「マジですか!?」

「うん。ホラ名刺も貰った」

「うおお代取! 若菜先輩代取! ユッキー先輩代取! 代表取締役!」

「咲ちゃんテンション高いねえ今日」

 もてあまし気味に、それでも咲とユキと一緒に名刺を見る若菜。その肩越しに、可奈子もちょっと覗き込んでちょっと驚いたような顔をしてみせた。

「で、話してるって事は黒沢君」

 向き直って笑うユキに、壱は親指を立てる。

「オッケーだって。今すぐでもいいって言って貰えた」

「プロ爆誕!」

「すごいじゃん、おめでとう黒沢君」

「やっぱ才能ある人は違うわ」

 拍手などをしながらユキや若菜が自分の事のように喜ぶが、可奈子だけは神妙な目つきで壱を見上げてくるだけである。

「何か?」

「なるの?」

「いや、まだやらない」

 それだけ言うと、目を閉じて、可奈子はフルートの手入れを始める。満足したらしい。対して若菜は驚きを顔中に出しながら身を乗り出す。

「え、なんで? 勿体無いよ」

「だって吹奏楽部あるしさ。俺抜けたら人数足りなくて終わっちゃうしね、この部」

「で、でもでも今蹴ったら次ってあるんですか?」

「契約書を貰っちゃってね。来年でも再来年でもいいって。買い被られたのかな? まあ、色々この辺は微妙な所あるけど」

「ふうん、よっぽど気に入られたのねえ」

「綺麗な人だったよ、この人」

「というか、楡原って」

「うん、楡原康臣のお姉さん」

「わー! サイン下さい!」

「俺の!?」

 おおはしゃぎで楡原康臣談義を始める若菜と咲に曖昧に返事をするユキ。

 可奈子と目を合わせると、少し恥ずかしそうに目を逸らした。


 部活は解散となり、戸締りの確認をした壱は、職員室へ向かった。新田教諭にも話をしておくべきだと思ったのである。元より彼の紹介が無ければ有り得なかった展開だ。

 失礼します、と声をかけると室内は閑散としていて、却って新田教諭を見つけやすかった。

「おう、黒沢」

「先生毎日学校来てません?」

「仕事が大好きなんだ」

 頬杖をついてネットをしながらの台詞ではなかったが、新田教諭は心底から言っているらしかったので流す事にする。

「今日、楡原さんとお会いしてきましたよ」

「どうだった」

「はい、合格貰いました」

「だろうな。俺の目に狂いは無い」

「ありがとうございました。滅多に無い機会を」

「なに、俺にゃ出来ない事だからな、演奏家なんて。代わりに教え子に押し付けてるのさ」

「それでも、やっぱり話を聞いたり、行ってみたりして解りましたよ。俺はサックス本当にやりたいんだって」

「それは良かった。煮え切らなかったのが嘘みたいだな?」

 笑って、新田教諭は立ち上がり、顎をしゃくる。喫煙所だろう。黙って続く。

 ワイシャツの胸ポケットからキャメルのソフトボックスを取り出し、慣れた手つきで火をつける。

「先生毎回銘柄違いません?」

「やっと気づいたか。趣味なんだよ、煙草」

「はぁ」

「それで、具体的にどんな話になったか聞かせろ」

「いやそれにしても美人ですねえ楡原薫子さん」

「やっぱそっちに行ったかお前は」

 苦笑いを浮かべて、新田教諭は煙を壱とは逆の方向に吐き、続けろと言う。

「秘書らしい人も美人さんだったんで、なんというか萎縮しましたね」

「ああ、あの人か。俺は苦手でな、どうも」

「まあそうでしょうね。俺も最初かなり辛かったですもん」

「まあそれはいい、音楽の話だよ」

「それはもう。絶賛されてしまいました。契約書も頂いて、いつでもいいから書き込んで持って来いと」

「成る程。異例だな、そりゃ」

「そうでしたか。俺もこんなに厚遇されていいものかと」

「目をつけたらあの人は離さないからな。間違っても他所のレーベルなんか行くなよ? 生涯後悔するから」

「怖いっすね」

 冗談めかして言う新田教諭と共に笑いながら、壱は薫子に言われていた言葉を思い返した。

 引っかかりである。

 楡原薫子と出会ったのは今日が初めてである。だというのに、心の底を見透かされたような事を言われた。

 確かに引っかかっているものというのは、依然として存在している。壱が吹奏楽という分野で、ただ孤独にサックスを吹いていた時よりも大きく視野を広げる機会を与えてくれた人物に関わる事だ。同時に競りあがってくる罪悪感と悔悟が、心の水位を上げていく。

 壱が考え込み始めたのを見て取ったのか、新田教諭は2本目に火をつけた。内心礼を言い、口を開く。

「先生」

「おう」

「俺、こっちに転校してきたのって、やっぱり楡原康臣の事もあるんですけど」

「うむ」

「こういう事を言っていいのか解りませんけど……なんというか、逃避の一部みたいな所、あるんですよ」

「逃避な」

 聞き流すように、新田教諭は爪の先を気にしたりする。そんなポーズが、却って壱の口を滑らかにした。

 壱が転校に踏み切った理由。それには、勿論楡原康臣という尊敬する人間の存在もある。それは偽らざる壱の本心であって、しかし全てではないのだった。

 兄以外に、この事実を知る者は居ないのである。だからどこまで喋っていいのか、悩んだ。

「黒沢。もし話し辛いなら無理に言わなくてもいい。言って楽になるような事を逃避とは言わないだろうしな。だから勢いじゃなく自分の中で整理して、それでも聞かせたけりゃ俺の所へ来い」

「……」

「お前の前の学校な。偏差値も低くないし、部活動だって充実してる。おまけに家から近かったみたいじゃないか。だっていうのにわざわざこっちに来たって時点で、まあ小さくない理由がある事ぐらい俺にだって想像つくよ」

 煙をやはり壱に向かないように吐いて、新田教諭は3本目を取り出す。火は点けない。

「楡原がここに居た頃は何でもかんでも愚図愚図した男でな。ただ、開き直っちまうと強いやつだった。それまでに、散々回りに迷惑もかけてきたが、それでも最後は自分の力でどうにかしたんだ」

「はい」

「そうしろってわけじゃなくてな。ただ、どっかでお前の中に折り合いがついてないままこっちに居るって自覚があるんなら、まあケツは拭いとかないとな」

 兄と全く同じ言い回しに内心どきりとしながら、壱はしかし新田教諭に感謝した。こういう人も居るのだ、それも家族でもないのに、と思うと涙腺が滲みそうな気すらしてくる。自分は幸せなのだ、と再確認。

「ありがとうございます」

「なに」

「先生みたいですね」

「ぶっ飛ばされたいようだな?」

「すいませんつい」

 太い腕を見せ付けるように腕まくりをした新田教諭から1歩距離を取ると、どちらからともなく笑いあった。

 夏休みは始まったばかりである。いい加減、この3ヶ月程度で学んだ、感じた事を結果にすべき時なのかも知れないと、漸く壱は考えられるようになっていた。

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