12
向かい合わせた机で、それぞれ参考書とにらみ合う。
「次は?」
「多分こんな感じの角度じゃね?」
「証明をしなさい、証明を」
「出来るかー!」
数学の問題というのは得てして「解りきっている事」を問う。故に、証明問題などはどうしても遠回りに感じずにはいられない。
「黒沢君編入の時とかどうやって勉強してたのよ」
「最大の謎だね」
音楽室。
まだ他の部員が来ていないので、ユキと壱は劣等生の本分を真っ当中である。期末試験は目前だった。
「これ皆出来るんだろ? 凄くね?」
「気狂ってるわ、むしろ」
「あー、つれえ」
「中間どうだったっけ黒沢君」
「赤は無かったけど散々だった」
「……十分じゃない」
「臼井さんは?」
「2つ」
「いいね。実に劣等生らしくていいね」
「出来てたまるかって話よ」
「かっこいいなおい」
言いながら、壱は伸びをして参考書を閉じた。
「あ、閉じた」
「やっぱ頭のいい人に教えてもらおう。そうしよう。それしかない」
「そうねえ……」
「若菜嬢は? 勉強できそうだけど」
「若菜は上の中ぐらいよ」
「凸凹コンビだな」
ユキの慎ましやかな胸を指差しながら言うと、一瞬の間の後指を掴んで捻られた。
「ウギャー!」
「無礼が過ぎるわよ黒沢壱」
「ご、ごめんなさい」
疲れたように溜息を吐いて、ユキは頬杖。窓の方へ目をやると、彼女もそっと参考書を閉じた。
風が少し入ってくると、無造作に伸ばした彼女の赤い髪が揺れる。
「ユッキーの髪は染めてるの?」
「ううん、地毛」
「そうなんだ。赤毛のユッキーなわけだ」
「散々言われたわそんなの」
笑って、ユキは髪をかきあげ、払う。男らしい子である。
「でも先生とか五月蝿くね?」
「最初はね。でも地毛だって解ると、染めろとも言えないんでしょ。それに、私はこの色好きだからね」
「いい色だよね」
「前話したマリちゃんの事憶えてる? あの子は髪が真っ白っていうか、銀色に近くてね。それがまた綺麗だったわけよ」
「ほう」
「でもやっぱ、目を引くわけじゃない?」
実際にどの程度なのかは解らないが、確かに黒髪が基本の日本国内において、白く染まっていれば嫌でも目立ってしまうだろうと想像はつく。
頷いて返すと、ユキは続ける。
「マリちゃんはそれが嫌だったみたいでね。でも本当に綺麗だったのよ。だから、私が素直に綺麗な色だって言ったら喜んでくれてさ」
「嬉しいだろうね、そういうの。個性の1つだし」
「でしょ。だから、私も多少普通の色とは違っても、気に入る努力はしてるわけで」
「可愛いよ」
「自然に触るなっ」
反射的にいい男を演じながらサイドの髪を一束摘んでみせると、ユキは髪よりも顔を真っ赤にして体を離した。
落ち着き無く触れられた辺りを整えながら、ユキは呆れたとばかりに溜息。
「女慣れしてるっつーか、なんつーか……」
「照れ隠しだよう」
「迷惑だっつの」
「すいません」
「にしても、どうしようか、期末」
「どうもこうも、やるだけやるしかないでしょ」
「じゃなく、赤があると補習よ?」
「え、基準は?」
「中間期末合わせて60点以下」
「……マジかよ」
「やるとなると夏休みになっちゃうし、補習なんてなったら練習もまともに出来ないわ」
両手で頭を抱えるようにし、再三の溜息。
確かに、今の吹奏楽部の完成度では、ここで誰かが補習に行く事で練習不足になどなってしまうと、目も当てられない事になりかねない。壱も今の所赤点こそ無いものの、期末でも落ち着いて得点出来るかどうかは甚だ怪しいものだった。
「マズイね」
「でしょ」
「仕方ない、救世主の到着を待とう。我ら盆百の雑兵ではこれらの過酷な試練に耐え切れるとは思えん」
沈み始めた場に、タイミング良く扉が開く音。若菜こと救世主の到着であった。
「おはよ」
「神様!」
「神様!」
「あ、え?」
満面の笑顔で若菜の手を取るユキ、ボディランゲージでYHVHを披露する壱。
今来たばかりの若菜には完全なカオス空間でしかない。
「どうしたの、2人とも?」
「勉強教えて、若菜」
「俺達を救ってくれ若菜嬢」
一通りの現状を説明すると、若菜は得心行ったらしく、1つ頷く。
それから、どの教科が危ないのか、などを壱とユキは聞かれるままに答えた。正に懺悔である。
「うーん……じゃ、ユキちゃんは英語と物理?」
「うん」
「黒沢君は数学かな」
「うむ」
「わかった、わたしもそろそろキチンと勉強しないといけないと思ってたし、一緒にやろうか」
「イエー!」
「神様ー!」
両手を挙げて、壱はユキとハイタッチ。そんな様子を神様こと若菜は微笑ましげに見る。
そうこうしているうちに、フルート組の到着。
「おはようございまっす!」
「ホイおはようさん」
「あれ、鶴岡三つ編み?」
「……」
可奈子の髪が芸術的なまでに編みこまれているのを見てユキが思わず口にすると、彼女は少し眉間に皺を寄せて咲をちらりと見る。不愉快ではあるのだろうが、元気に走り抜けるこの後輩にどうやってその気持ちをぶつけて良いものか把握しかねているらしい。
「歩きながらあたしが!」
「器用だなおい」
「でもいいじゃない。似合ってるよ鶴岡さん」
「そうね、これはこれ新鮮だわ」
女3人が固まって可奈子の髪を弄り始めると、流石に彼女としても辛いのか、壱に視線を送ってくる。が、良い具合に和気藹々としているので放置する事に決定した。
解放された可奈子は、真っ先に壱の足を踏んでいった。
部活が終わり、楽器を片付け、戸締りの確認。鍵を手の中で一回転させてから最終確認。
「忘れ物無いねー?」
「はーい」
「あれあれ? お鶴さんとユッキーはどうしたのかな? 元気が無いぞう?」
「はいはい」
「面倒」
「この真逆なテンションはどうしたものかのう。で、場所は?」
「ファミレスとかで良いんじゃない?」
「そうだね。わたしはそれに賛成」
「あれ、先輩達どこ行くんですか?」
「ああ、そういや言ってなかった」
この後どこぞで試験対策をするという話をすると、咲はおお、と目を丸くする。何も驚く事は無かったような気がするが、回遊魚たる彼女の反応はいつだって大きい。
「あたしも一緒していいですか?」
「もちろん、時間とか大丈夫なら」
「わーい」
「お鶴さんも来ないかい? 進学だから範囲とか全然違うかも知れないけど」
「……ううん。都合が、悪いから」
壱と一瞬だけ目を合わせて、可奈子はそんな事を言った。内心、すまないような気になる。
ともあれそこで壱まで沈むわけにもいかないので、殊更明るく振舞うように、声をあげた。
「仕方ない。次の機会に」
「うん」
「んじゃ行きますか」
途中まで5人で下校し、可奈子だけが別の道へ別れる。その背中をなるべく見送らないようにしながら、壱はまた改めて明るい声を出して適当な雑談を振った。
駅前のファミリーレストラン。価格も味も控えめなそこに、学生4人がなだれ込む。女3の男1という人数配分は、対外的にどうなのかと思わないでもなかったが、個人的にはとても幸せに満ちているので良しとした。
ドリンクバーとちょっとした食べ物を注文し、勉強道具を広げる。壱の隣に咲、正面にユキ、斜向かいに若菜。気がつくと練習中の車座とほぼ同じというのは面白いものだった。
「さ、俺を導けばいいよ若菜嬢」
「なんでアンタはそんなに偉そうなのか」
「あはは。じゃ、とりあえず試験範囲出来る所までやってみようか。解らない所あったら、聞いて」
「了解」
とにもかくにも、勉強というのは始めなければ実にならない。
教科書を広げ、取り掛かった。ユキは物理を、壱は数学。若菜は自分のペースがあるのか、教科書を流し読みしながらストローに口をつけていた。咲はといえば、メニューを開いて野菜ジュースをガブ飲みである。
「咲さんはやらんのかい」
「うーん、勉強道具の類があんまり無くって」
「何しにいらした」
「だって先輩方がこんな密会だなんてあたしも参加するしかないじゃないですか」
「密会じゃないし。ってか、咲ちゃんて勉強は出来る方なの?」
ユキが横槍を入れると、咲はグラスから手を離して目を細める。
「フフン、実はかなり」
「菱沼、俺コーラ」
「無駄よ黒沢君、今この場によいては私達のが格下なんだから……」
「クソ、なんて時代だ!」
「あれれ先輩も、し、か、し、て?」
「ムキー!」
「でも、黒沢君もユキちゃんも、この辺出来ないと3学期まで響いちゃうよ?」
「え、マジで言ってんの若菜?」
「うん」
教科書に目を落としたまま、若菜は大した事でもなさそうに頷く。
一大事である。
「ダブるじゃねーか!」
「そんなに慌てないでも大丈夫だよ、黒沢君もユキちゃんも」
「ヒィ!? もうタメ口になってる!?」
「こんなに良い子な咲ちゃんが憎いわ……!」
「あはは」
馬鹿げたやり取りを経て、若菜が一頻り笑い終えた後、漸く本格的に勉強開始となった。初めてしまえば流れは来るもので、思っていたよりも授業を聞いていた自分に驚きながら、問題を解いていく。時折つまっても、若菜が解り易い解説を入れてくれるので、心強い事この上なかった。
咲はといえばやっとその気になったのか、ノートを広げて復習を始めた。成る程彼女の言う通り、「勉強の出来そうな人のノート」である。
時間にして1時間と少し、随分と集中した時が過ぎた。
「すげえ……20ページも進んだ」
「甘いわ、私40ページ」
「物理は図が多いじゃんかー」
「でもまだ3倍近く試験範囲あるんだよ、2人とも……」
「聞きたくないぜそんな現実!」
「はい、どーぞー」
耳を塞ぐ壱の傍に、グラスが置かれた。ドリンクバーを、咲が一回りしてきたらしい。
「あー、ありがとう咲ちゃん」
「アンタ本当に良い子よね……」
「涙で前が見えねえ……どこだい咲さんや?」
上級生3人にかいぐりされ、咲は困ったような声を上げながら笑った。そして、唐突にくしゃみ。
「へくちっ!?」
「今疑問系だったよね?」
「うん」
「わたしにもそう聞こえた」
「はははー、お店の中は冷房が効きすぎてイカンですね」
鼻をすすり、咲はカーディガンを羽織って、気にするようにちょっと壱を見た。体が弱いのに病院嫌いというのも困ったものではあるが、結局の所本人が動かねばならない事だろうと壱は思う事にしている。
「確かに寒いよね、この時期の店内」
「早く出て行けって事なんでしょ」
「ドリンクバーで居座り続けて勉強始めちゃうヤツとかいるからな」
「自虐自虐ゥ!」
また何度かくしゃみをし、そえから咳き込む咲に、少しばかり本気の心配が集まったが、壱は敢えて気にしないようにと促した。
距離の取り方が相変わらず下手だな、と内心笑った。




