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「まあまあね」
「そっか。嫌じゃない?」
「そりゃ気持ちよくはないけどさ。相手したってしょうがないじゃない」
「クールだねえ」
ユキと共に、音楽室へ向かう。
並んで廊下を進んでいると、女子生徒の2人組がこちらをそっと盗み見て、わざとらしく逸らした。ユキの方へ目をやると、肩を竦めて返してくる。
元吹奏楽部だろう、と壱は見た。
「気にしないよ」
「ならいいんだけど」
「言ったって始まらないしさ」
「でも元々友達だったんじゃないの?」
「友達は、こういう事しないわ」
「言えてる」
音楽室に入ると、ユキは窓を開けて伸びをした。
「今日もダルかったねー」
「いつもダルがってるじゃんユッキーは」
「そうだけどさ。勉強とかマジ無理だから」
「学生の基本よな」
サックスのケースを開け、取り出しながら、ふと若菜に聞いた話を思い出した。
ユキの音楽遍歴である。
「ねえユッキー、昔ピアノやってたって聞いたんだけど」
「え? ああ、うん。それが?」
「聴かせてくれない? 俺ピアノの音って好きなんだよね」
「無理無理。やってたって言っても、本当に「やってた」だけだから。別に演奏とかは出来ないよ」
「そうなの? 全然?」
「別に全然って程じゃないけど。ま、ピアノはお断り」
「えー、なんでさ」
「……まだ私が4歳とか5歳とかの頃の話なんだけど。こっちの方に、1回引っ越してきた事あるのよ」
「ロリユッキーの頃か」
「はいはい」
壱の妙な呼称は無視しながら、ユキはピアノの鍵盤蓋を開け、続ける。
「その頃、近所にピアノやってる人が住んでてね。当時で10歳ぐらいの女の子だったんだけど、これがまたヤバいぐらいに上手くて」
「ほう」
「その子の家に何度かお邪魔して、聴かせて貰ったりしたことがあるのよ。ピアノはその影響なんだけど、まあ見事に実にはならなかったわ」
苦笑いを浮かべながら、しかしユキは楽しそうに言う。余程、良い思い出なのだろうという事が容易に想像できた。あの子の事考えると、恥ずかしくて弾けないしね、などと付け加えながら、ポンと1つ鍵盤を押して、蓋を閉じる。
「そんな事が」
「家の建て替えで一時的に引っ越しただけだから、当然地元に戻る事になるじゃない。でもそれが嫌でさ。マリちゃん……あ、例の女の子ね。マリちゃんと別れたくない、一緒に居るって大騒ぎ」
「いいねえ、ロリユッキー」
「アンタそこばっかか」
「いや失敬。それで?」
「うん。そうしたらマリちゃんがこれからも音楽やってね、そしたら多分どこかで会えるから、ってあやしてくれたのよ」
「へえ……10歳の女の子にしちゃ、気の利いたこと言うな」
「でしょ。それで、今でも楽器をやってます。いや、楽しいからやってるのが殆どになっちゃったけどね。どこで何してるんだろうなぁマリちゃん」
当時を思い出しているのか、窓の外を眺めながらユキは口元を緩めて言う。
横顔から、その「マリ」という少女と楽器に対する、真摯な気持ちが見て取れた。以前は可奈子に対して構えていたユキだったが、それでも音楽に対しての気持ちが勝ったから、こうして部員として存在している。
「ユッキーには嫌な言葉に聞こえるかも知れないけどさ」
「何が?」
「うん。やめてった吹奏楽部の子らね」
「ああ」
「多分、その程度なんじゃねえかなと今思った」
ユキが首を傾げるので、壱は頷いて続ける。
「ユッキーはさ、そういう動機もあるし、何より楽器好きでしょ?」
「うん、無いと困るわね、ジタバタするぐらい」
「だから、お鶴さんを許容する気にもなった」
「……それ言われると、ちょっとアレなんだけどね」
「ま、過程はいいさ。結果として君はここに居て、俺らの縁の下の力持ち。対して、やめてった子らは折角部活が再起動してるのに、陰口叩いてみたりあからさまに面倒くさい事するばかりで」
「なるほどね」
元々、ユキにとっては吹奏楽部員は身内である。だからか、自嘲気味な笑みを交えながら、頷いて返して見せた。
「ちょっと前まで、なんとかしねえとなぁとか思ってたんだけど、なんかどうでもいい?」
「言ってるじゃない、気にしてないって」
「でも若菜嬢とか」
若菜の名を挙げると、ユキは長い溜息を吐き、腕を組んで難しい顔をする。
「何か?」
「いや、ね。あの子の場合、ちょっとさ」
「ふむ」
言い辛そうに、探りを入れるような言葉を重ねるユキに、気にするなというつもりで視線を外して見せると、彼女はまた溜息を吐いて時計を見上げた。
「口堅いよね、黒沢君」
「言うなってんなら超黙ってるぜ」
「……元彼が居るのよ、退部した部員の中に」
「うわ、聞くんじゃなかった。すげえ面倒臭そう」
「頼むわよ部長」
「他人の色恋沙汰には首突っ込みたくないよう」
「ま、そう言わずに。若菜は黒沢君を信頼してるから、聞けば話してくれるよ」
「そうなの?」
「解んない?」
「生憎」
「そう」
可笑しそうに、ユキは壱の返事に首を振った。
丁度扉が開き、若菜が可奈子と揃って入ってくる。
「おはよー」
「おや、珍しい組み合わせ」
「丁度そこでね」
笑いながら荷物を下ろし、若菜は楽しげに渡り廊下で可奈子とであったというだけの事を語る。それに相槌を打ちながらユキの方をちらと見ると、悪戯っぽく彼女は笑った。
なんとも難しいヒントを貰ってしまったものである。
「あれ、咲ちゃんは?」
「遅いね。そろそろ来ても良い頃なんだけど。走って」
「菱沼さんは、なんでいつも、走るのかしらね?」
「多分止まったら死ぬタイプの人間なんじゃね?」
「それもう人間じゃないし」
「酷いっす先輩諸氏」
噂をすれば影、出待ちをしていたかの如く、咲が入室。
「出たな回遊魚のような君」
「あまりあたしを怒らせるなよ人間どもー!」
振りに対する反射神経の高さは部員の中でもトップレベルなので、つい弄りたくなるというのが壱の本音ではある。
「よし、じゃあ4人と1尾も揃った所で始めようか」
「訂正! 訂正を希望します!」
「釣り上げるぞ菱沼咲」
「うわーんユッキー先輩ー!」
「はいはい酷い先輩でゴメンねー」
「黒沢君はマグロが好きなの?」
「若菜嬢は時々無茶な事を言うね?」
「……」
「なんでこのタイミングで俺を叩くのお鶴さん?」
収集のつかない一団だが、心底尊い、と壱は思った。
内心、フォローめいているとも思いはしたが。
週末になると、途端に壱は暇になってしまう。
龍一ら友人を誘って遊べば良いのかも知れないが、あまりそうして外出をするよりは、1人でまったりと時間を過ごす方が好きなのだ。人に言わせれば寂しい青年かも知れないが、壱にとって暇というのはそうして潰していくものだった。
目覚めと同時に食事を作って腹を満たし、付近を歩き回る。歩きなれた場所でも、注意深く見渡すと意外な発見があったりして面白い。
住宅街から公園を回り、駅へと出る小さな商店街。今まで、理由は無いがなんとなく通らなかったその道へ、この日は入ってみる事にした。駅が賑わう前は、この周辺のメインストリートだったのであろう商店街は、古臭いながらも趣を以って壱を迎えてくれる。
肉屋、魚屋といった具合に店舗がそれぞれ独自性を持っていて、お互いに軒を連ねて研鑽を競う様子は、どことなくほっとするものだった。
駅前へ出た。サックス用のクロスがかなり傷んできているので、ついでに買っていこうとも思う。
駅ビル内を通り、目的の買い物を済ませ、さてこれからどうしようと思った時に、意外な人物を壱は見た。
(若菜嬢?)
2人の女性を連れて歩く様は、さながらリーダーといった風体だが、壱には普段の若菜を知っているだけに、2人に引き連れられているのがよく解った。とはいえ、彼女も嫌々ではない様子で、むしろ楽しげに会話をしながら歩いている。
立ち止まって、なにやら今日買ったらしい衣類等を確認している3人を、壱は遠目に眺めた。ビバ、学生である。女3人寄ればかしましいの言葉通り、内容こそ聞こえないものの、はしゃぐように語り合っているのが解る。彼女も吹奏楽部の一件で、大分疲弊している筈だった。それを、こういう機会に晴らしていくというのは非常に良い事である。
普段はアップの髪を下ろし、目に優しい柔らかめのカラーのシャツとタイトジーンズというラフな格好は、普段の頼りなさとは打って変わって年齢相応の女の子らしさがある。
ふと、眺めていた壱の方を、若菜が向いた。目が合う。暫く重なった視線を意識した頃、彼女は驚いたような顔をして、連れ2人に何事か話してから、走りだした。無論、壱の方にである。
「黒沢君! すごい偶然。どうしたの?」
「いや、俺のアパートこの辺なんでね。ブラブラしてた」
「そうなんだ、いいなぁ学校近くて」
「いやまあ、それはいいんだけど、友達放置していいのか君は」
「あ、うん。2人共用事があるから、じゃあもう解散しようかって言ってた所だから」
「なら、いいんだけど」
若菜から、2人の方へ視線を巡らすと、興味深そうにこちらを眺めている。あまり落ち着かない視線だった。
「今、黒沢君暇なの?」
「ご覧の通りよ」
「そっか。じゃあ、ちょっと軽く何か食べない? わたしお腹空いちゃってて」
「それは構わないけど」
「ホント? よかった、じゃあ、待ってて」
いつになくアグレッシブな所を見せて、若菜は2人の連れの元へ戻っていく。そして何事か説明すると、2人の連れはが揃って頷いたのが壱の場所からも解った。
再び走って戻ってくる若菜。見事にメッセンジャーと化していた。
「うん、大丈夫」
「あ、そうなの?」
「帰るって、2人とも」
壱が再び若菜の連れへ芽をやると、大仰に手を振り替えしてきたので、壱も返答しておいた。
駅の方へ歩き始めた若菜の友人を見送る。
「じゃ、行こうか黒沢君」
「どこへ?」
「……どこだろう?」
「えぇー」
「や、なんか、間食したい気分で。いいとこ無いかな? この辺あんまり詳しくなくて」
辺りを見回す若菜に倣うように壱もそうしながら、あまりこの辺りの地理に詳しくない自分を再確認。
「俺もまだよく解ってないからね、この辺」
「じゃ、探してみる?」
「それがいいかね」
壱が頷くと、若菜は笑って隣に並んだ。
ユキの言う「信頼」というのはまた別として、嫌われている様子ではないと解って、一安心ではあった。




