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中間試験が終わった。
筆舌に尽くしがたい1週間だったと言っていい。
「ユッキー、生きてる?」
「なんとか」
「手応えは?」
「何言ってんの?」
「そんな心底不思議そうに……」
「私は勉強とかそういうのは出来ないようになってるからいいのよ……」
意味の無い逃避の台詞と共に溜息を吐くユキは、ともすれば魂すら抜けていきそうである。
部活も暫く休みだった為、この日から漸く再開と相成る。
「おら席付け、すぐ帰してやるから」
手を叩きながら新田教諭が教室に現れ、宣言通り「お疲れさん」とだけ言い放つと、去っていった。E組が羨ましがられる理由の1つである。
立ち上がり、伸びをしながら壱は気合を入れてみた。
「よーし部活だユッキー! 音楽室まで競争しようぜ!」
「テンション高いわね……私お腹空いたから、何か買ってくるわ」
「ああ、そういえば俺も腹減ったな。待って、一緒に行く」
「黒沢」
のそのそと荷物を纏めるユキを待っていると、龍一が小声と共に肩を叩く。
「何?」
「いや、ちょっとな。お前がご執心の鶴岡についてなんだけど」
「うん」
「否定はしないのな。まあいいや、簡単に言うとだな、鶴岡ぶっ倒れたらしい」
「……マジで?」
「今は保健室じゃないか? いや、俺も通りがかりで耳に入ってきただけだからさ」
「そっか、有難う。ユッキー、なんかお肉系のサンドイッチと野菜ジュースを頼む」
「え、行かないの?」
「ちょっと用事」
鞄を掴み、小走りに保健室へ向かった。ぶっ倒れた、と龍一は言ったがどういう事なのか。
この所、彼女はずっと編曲作業に追われていた。おまけに、試験もある。そういう事で、疲れが溜まったのだろうか。
扉をノック。返事は無く、どうしたものかと思っていると、後ろから声。
「黒沢」
「あ、御堂さん。どうも」
「鶴岡か」
「倒れたって聞きまして」
「入れ」
白衣のポケットから鍵を取り出し、中へ入る御堂教諭に続く。
室内は微かに温度が下げられているらしく、一瞬だけひんやりとした。ベッドの辺りを見やると、1つ上掛けが膨らんでいる所があった。
「覗くな、みっともない」
「これは失礼」
「座れ。珈琲は飲むか」
「頂きます」
手早く作業をするその後姿には、どことなく疲れたような雰囲気が見て取れた。可奈子の事と、何か関係があるのだろうかと想像しながら、出されたカップに口をつける。
「まあ、倒れた事は倒れたんだが」
「はい」
「発症しちゃってな」
「……恐怖症ですか」
「詳しい事はまだ解らん。本人に聞ける状態でもなかった。ただ、前にも似たケースはあったんでね。まず間違いなく「触れられた」と見ていい」
溜息を付き、苛立たしげに髪を掻く御堂教諭から、再びベッドへ視線を放る。
「具体的に、どんな状態になっちゃうんですか」
「まず気分を悪くする。次いで、ストレスが一気に溜まって、自律神経に異常を来たす。震えがきたり、立ってられなくなったりな。最後には、脳が意識を手放すわけだ」
「それが、今回」
「そう」
「なんか、適切な治療とかって出来ないんですか? そもそも共学に通わせるなんて」
「ご両親の意向だそうだよ。あの子には、このままここに通わせる気らしい。通院や入院で無駄な時間を取らせるのも嫌だと」
「無駄? 治療が無駄な時間なんですか?」
「私に凄むな。お前と同じ台詞は、鶴岡が入学して1ヶ月頃に言ってる」
可奈子の両親は、彼女の体について何も理解していないという事なのか。
立ち上がって、ベッドの傍へ寄った。頭の半分程までを上掛けで覆っているので表情は見えないが、小さな体を殊更小さく丸めて眠る姿には、痛々しさすら感じる。
御堂教諭はそんな壱を言い咎める事なく、黙っていた。
「回復は?」
「今は落ち着いてるからね。間も無く目覚めるだろうが」
「ちょっと、音楽室行ってきます。他の部員に連絡しておきたいので」
「解った」
保健室から音楽室へ、早足で。
既に他の部員は揃っており、各々弁当や学食のパンなどを食べながら談笑中だった。
「あ、おはよう黒沢君」
若菜が壱を見るなり声をかけてくれるが、壱はちょっと頷いただけで全員を見渡した。
「お鶴さんが倒れた」
「……え?」
若菜が、ぽかんとした表情でリアクションを取る。咲は箸を口に咥えたまま、ユキは眉間にちょっと皺を寄せて、固まった。
「今は保健室で寝てるけど、そんなに心配な状態じゃない。とりあえず報告迄」
「今日はどうすんの?」
「解らない。もうじき目は覚めるっていうから、とりあえずついてるよ。長引くようなら戻ってくるし、お鶴さんが部活に出るって言うなら付き添う」
「帰してあげたほうがいいんじゃ」
それは何か違う、という予感めいたものが、壱にはあった。
可奈子の体について、両親が何も知らない筈が無い。それでも、現状を維持するという「意向」とやらに、きな臭さを感じたのだ。壱も、よく知る匂いである。
「よっぽど酷ければね。でも、事情も聞かせてもらいたいし」
「そっか。解った」
最初に理解を示したのはユキだった。若菜が慌てたように彼女を見るが、ユキは気にせず頷いて続ける。
「鶴岡は黒沢君に懐いてるし、ついてるなら黒沢君がいいと思うわ」
「有難う。じゃ、皆は適当に練習でもしてて」
「はいよ」
何か言いたそうな若菜と咲を押さえる様に、ユキは手を振った。存外、成熟した考えの持ち主かもしれないと思う。可奈子に対して思うところもある筈だが、こうして割り切る事も出来るらしい。
再び保健室へ。ノックをすると、ぞんざいな「入れ」が返ってきた。まるで社長室である。
「戻りました」
「丁度良かったな、今目が覚めた所だ」
「話をしても?」
「いや、まだ朦朧としてるみたいだ。少し待ってろ」
「はい」
小声での壱の返事に反応するように、パーティションの影から可奈子が顔を出した。目が合うと、引っ込む。
「……大丈夫そうですけど」
「そうみたいな。全く妬けるよ」
「は?」
「あー、いい。声かけてやれ」
面倒くさそうに、しかし面白そうに御堂教諭は笑って手をひらひらと振った。それに見送られるように、ベッドサイドへ。
宮に背を預けるようにして体を起こしている可奈子の顔色は、普段より白く見えた。流石に、短時間といえども意識を失う程の衝撃があったのならば、仕方の無い事かも知れない。
壱が傍まで寄ると、可奈子は微かに体を強張らせたが、すぐに落ち着きを取り戻すように大きな溜息を吐いて見せた。
「調子は?」
「別に」
「何があったのか聞いてもいいかな」
「……」
猫の気紛れのように、顔を壱から背け、可奈子は拒否の姿勢を見せた。思わず御堂教諭を振り返ると、肩を竦められる。
「ま、元気ならそれで良いんだけど。どうする、今日は?」
「行くわ」
「無理だね」
「大丈夫」
「真っ白な顔して何言ってんの。またぶっ倒れちゃうぜ」
「大丈夫だから」
「本当に?」
「本当に」
極めてレベルの低い押し問答である。
人差し指を、可奈子の顔の前に立てた。
「これ何本に見える?」
「いっぽ……」
可奈子が言い終える前に、中指も立てる。彼女の眉間に皺が酔った。
「2本じゃないか。これはもう駄目かも解らんね」
「……」
大仰に溜息を吐いて見せると、その態度も含めて気に入らなかったらしく、可奈子は2本をまとめて掴み、真横へ捻った。
「ギャー!?」
「……」
「指は演奏家の命でー!?」
「なんで半分疑問系なんだ黒沢」
「ウザい」
「おまけに心も折れそうです御堂さん!」
「仲が良さそうで何よりだよ」
爆笑しながら帰り支度を始める御堂教諭である。大物だった。
指先を振りながら、壱は改めて可奈子を見る。
「じゃあ行こうか」
「靴取って」
「はいはい」
言いなりである。
御堂教諭がまた1つ吹き出しているのを背中越しに聞きながら、可奈子がゆっくりと靴下を履き、靴を履くのを待った。
「それでは御堂さん」
「あいよ」
「有難う、御座いました」
「達者でな」
可奈子が頭を下げるのを嬉しそうに見てから、御堂教諭は書類の片付けに戻った。
並んで廊下へ出、音楽室へ。渡り廊下に差し掛かった所で、可奈子がぽつりと口を開く。
「帰りに」
「はい?」
「話が、あるから」
「なんの?」
「帰りにね」
「了解」
「あと……楽譜」
鞄を開け、数枚のA4用紙を取り出し、差し向けてくる。手にとって読んでみると、そのままではないにしても、見事なアレンジの施されたマリー・ゴールドがまざまざと脳裏に蘇った。
「これを、1人で?」
「手伝うって、言ったのに」
「あー……いやほら、試験とかね」
つまらなそうに、可奈子は短く息を吐く。
「まあでも、これからでも手伝うよ。終わってはいないでしょ?」
「というか、黒沢君はきっと、否応無しに、付き合う事になるわ」
「は?」
「帰りにね」
先ほどと同じ台詞を述べ、可奈子は前髪を払い、先に立った。




