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呟きとメヌエット  作者: camel
昔の記憶とレゾリューション
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15/71

3

 中間試験が終わった。

 筆舌に尽くしがたい1週間だったと言っていい。

「ユッキー、生きてる?」

「なんとか」

「手応えは?」

「何言ってんの?」

「そんな心底不思議そうに……」

「私は勉強とかそういうのは出来ないようになってるからいいのよ……」

 意味の無い逃避の台詞と共に溜息を吐くユキは、ともすれば魂すら抜けていきそうである。

 部活も暫く休みだった為、この日から漸く再開と相成る。

「おら席付け、すぐ帰してやるから」

 手を叩きながら新田教諭が教室に現れ、宣言通り「お疲れさん」とだけ言い放つと、去っていった。E組が羨ましがられる理由の1つである。

 立ち上がり、伸びをしながら壱は気合を入れてみた。

「よーし部活だユッキー! 音楽室まで競争しようぜ!」

「テンション高いわね……私お腹空いたから、何か買ってくるわ」

「ああ、そういえば俺も腹減ったな。待って、一緒に行く」

「黒沢」

 のそのそと荷物を纏めるユキを待っていると、龍一が小声と共に肩を叩く。

「何?」

「いや、ちょっとな。お前がご執心の鶴岡についてなんだけど」

「うん」

「否定はしないのな。まあいいや、簡単に言うとだな、鶴岡ぶっ倒れたらしい」

「……マジで?」

「今は保健室じゃないか? いや、俺も通りがかりで耳に入ってきただけだからさ」

「そっか、有難う。ユッキー、なんかお肉系のサンドイッチと野菜ジュースを頼む」

「え、行かないの?」

「ちょっと用事」

 鞄を掴み、小走りに保健室へ向かった。ぶっ倒れた、と龍一は言ったがどういう事なのか。

 この所、彼女はずっと編曲作業に追われていた。おまけに、試験もある。そういう事で、疲れが溜まったのだろうか。

 扉をノック。返事は無く、どうしたものかと思っていると、後ろから声。

「黒沢」

「あ、御堂さん。どうも」

「鶴岡か」

「倒れたって聞きまして」

「入れ」

 白衣のポケットから鍵を取り出し、中へ入る御堂教諭に続く。

 室内は微かに温度が下げられているらしく、一瞬だけひんやりとした。ベッドの辺りを見やると、1つ上掛けが膨らんでいる所があった。

「覗くな、みっともない」

「これは失礼」

「座れ。珈琲は飲むか」

「頂きます」

 手早く作業をするその後姿には、どことなく疲れたような雰囲気が見て取れた。可奈子の事と、何か関係があるのだろうかと想像しながら、出されたカップに口をつける。

「まあ、倒れた事は倒れたんだが」

「はい」

「発症しちゃってな」

「……恐怖症ですか」

「詳しい事はまだ解らん。本人に聞ける状態でもなかった。ただ、前にも似たケースはあったんでね。まず間違いなく「触れられた」と見ていい」

 溜息を付き、苛立たしげに髪を掻く御堂教諭から、再びベッドへ視線を放る。

「具体的に、どんな状態になっちゃうんですか」

「まず気分を悪くする。次いで、ストレスが一気に溜まって、自律神経に異常を来たす。震えがきたり、立ってられなくなったりな。最後には、脳が意識を手放すわけだ」

「それが、今回」

「そう」

「なんか、適切な治療とかって出来ないんですか? そもそも共学に通わせるなんて」

「ご両親の意向だそうだよ。あの子には、このままここに通わせる気らしい。通院や入院で無駄な時間を取らせるのも嫌だと」

「無駄? 治療が無駄な時間なんですか?」

「私に凄むな。お前と同じ台詞は、鶴岡が入学して1ヶ月頃に言ってる」

 可奈子の両親は、彼女の体について何も理解していないという事なのか。

 立ち上がって、ベッドの傍へ寄った。頭の半分程までを上掛けで覆っているので表情は見えないが、小さな体を殊更小さく丸めて眠る姿には、痛々しさすら感じる。

 御堂教諭はそんな壱を言い咎める事なく、黙っていた。

「回復は?」

「今は落ち着いてるからね。間も無く目覚めるだろうが」

「ちょっと、音楽室行ってきます。他の部員に連絡しておきたいので」

「解った」

 保健室から音楽室へ、早足で。

 既に他の部員は揃っており、各々弁当や学食のパンなどを食べながら談笑中だった。

「あ、おはよう黒沢君」

 若菜が壱を見るなり声をかけてくれるが、壱はちょっと頷いただけで全員を見渡した。

「お鶴さんが倒れた」

「……え?」

 若菜が、ぽかんとした表情でリアクションを取る。咲は箸を口に咥えたまま、ユキは眉間にちょっと皺を寄せて、固まった。

「今は保健室で寝てるけど、そんなに心配な状態じゃない。とりあえず報告迄」

「今日はどうすんの?」

「解らない。もうじき目は覚めるっていうから、とりあえずついてるよ。長引くようなら戻ってくるし、お鶴さんが部活に出るって言うなら付き添う」

「帰してあげたほうがいいんじゃ」

 それは何か違う、という予感めいたものが、壱にはあった。

 可奈子の体について、両親が何も知らない筈が無い。それでも、現状を維持するという「意向」とやらに、きな臭さを感じたのだ。壱も、よく知る匂いである。

「よっぽど酷ければね。でも、事情も聞かせてもらいたいし」

「そっか。解った」

 最初に理解を示したのはユキだった。若菜が慌てたように彼女を見るが、ユキは気にせず頷いて続ける。

「鶴岡は黒沢君に懐いてるし、ついてるなら黒沢君がいいと思うわ」

「有難う。じゃ、皆は適当に練習でもしてて」

「はいよ」

 何か言いたそうな若菜と咲を押さえる様に、ユキは手を振った。存外、成熟した考えの持ち主かもしれないと思う。可奈子に対して思うところもある筈だが、こうして割り切る事も出来るらしい。

 再び保健室へ。ノックをすると、ぞんざいな「入れ」が返ってきた。まるで社長室である。

「戻りました」

「丁度良かったな、今目が覚めた所だ」

「話をしても?」

「いや、まだ朦朧としてるみたいだ。少し待ってろ」

「はい」

 小声での壱の返事に反応するように、パーティションの影から可奈子が顔を出した。目が合うと、引っ込む。

「……大丈夫そうですけど」

「そうみたいな。全く妬けるよ」

「は?」

「あー、いい。声かけてやれ」

 面倒くさそうに、しかし面白そうに御堂教諭は笑って手をひらひらと振った。それに見送られるように、ベッドサイドへ。

 宮に背を預けるようにして体を起こしている可奈子の顔色は、普段より白く見えた。流石に、短時間といえども意識を失う程の衝撃があったのならば、仕方の無い事かも知れない。

 壱が傍まで寄ると、可奈子は微かに体を強張らせたが、すぐに落ち着きを取り戻すように大きな溜息を吐いて見せた。

「調子は?」

「別に」

「何があったのか聞いてもいいかな」

「……」

 猫の気紛れのように、顔を壱から背け、可奈子は拒否の姿勢を見せた。思わず御堂教諭を振り返ると、肩を竦められる。

「ま、元気ならそれで良いんだけど。どうする、今日は?」

「行くわ」

「無理だね」

「大丈夫」

「真っ白な顔して何言ってんの。またぶっ倒れちゃうぜ」

「大丈夫だから」

「本当に?」

「本当に」

 極めてレベルの低い押し問答である。

 人差し指を、可奈子の顔の前に立てた。

「これ何本に見える?」

「いっぽ……」

 可奈子が言い終える前に、中指も立てる。彼女の眉間に皺が酔った。

「2本じゃないか。これはもう駄目かも解らんね」

「……」

 大仰に溜息を吐いて見せると、その態度も含めて気に入らなかったらしく、可奈子は2本をまとめて掴み、真横へ捻った。

「ギャー!?」

「……」

「指は演奏家の命でー!?」

「なんで半分疑問系なんだ黒沢」

「ウザい」

「おまけに心も折れそうです御堂さん!」

「仲が良さそうで何よりだよ」

 爆笑しながら帰り支度を始める御堂教諭である。大物だった。

 指先を振りながら、壱は改めて可奈子を見る。

「じゃあ行こうか」

「靴取って」

「はいはい」

 言いなりである。

 御堂教諭がまた1つ吹き出しているのを背中越しに聞きながら、可奈子がゆっくりと靴下を履き、靴を履くのを待った。

「それでは御堂さん」

「あいよ」

「有難う、御座いました」

「達者でな」

 可奈子が頭を下げるのを嬉しそうに見てから、御堂教諭は書類の片付けに戻った。

 並んで廊下へ出、音楽室へ。渡り廊下に差し掛かった所で、可奈子がぽつりと口を開く。

「帰りに」

「はい?」

「話が、あるから」

「なんの?」

「帰りにね」

「了解」

「あと……楽譜」

 鞄を開け、数枚のA4用紙を取り出し、差し向けてくる。手にとって読んでみると、そのままではないにしても、見事なアレンジの施されたマリー・ゴールドがまざまざと脳裏に蘇った。

「これを、1人で?」

「手伝うって、言ったのに」

「あー……いやほら、試験とかね」

 つまらなそうに、可奈子は短く息を吐く。

「まあでも、これからでも手伝うよ。終わってはいないでしょ?」

「というか、黒沢君はきっと、否応無しに、付き合う事になるわ」

「は?」

「帰りにね」

 先ほどと同じ台詞を述べ、可奈子は前髪を払い、先に立った。

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