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呟きとメヌエット  作者: camel
昔の記憶とレゾリューション
13/71

 5月になり、連休が終わると、流石に校内は試験対策モードに入り始め、どことなく緊張感に満ちた授業が続く。ここがテストに出る、出す、といった話を逐一逃さないように気を使う生徒達にとって、極めて大切な時期である事は間違いない。

 間違いないのだが、黒沢壱は実にどうでもよかった。今更勉強したところで、この中途半端な進度の違いを摺り合わせる事など出来ないのである。ならば、解るところだけ解いていけば良いのだ。

 そうと決まれば就寝まで早かった。隣でユキが唖然とした顔をするのが一瞬見えたが、お構いなしでお休みに入る。

 昼休みまでをそんな調子で乗り切った。多少焦らないでもないが、壱の心配事は他にある。

「黒沢君、アンタいい度胸してるよね本当に」

「うむ」

「いや褒めてはいないんだけど」

「やっぱあれか、編入してきただけに、この辺の勉強なんざ楽勝か?」

「そんなわけないだろう。阿武君はバカかい?」

「……なんだろうこの不快感は」

「いやね、そんな事よりも色々考え事があってさ」

 腕を組みながら目を瞑る。

 また眠りかけて、慌てて体を起こした。

「いかんね。いかんいかん」

「全体的にな」

「泣き見るわよ?」

「ユッキーは?」

「見るわよ!」

「なんでキレ気味なんだ」

「まあいいけど、考え事っていうと、やっぱ?」

「うん」

 壱が頷くと、ユキも同様にテンションを落として溜息。龍一だけがわけも解らず、しかし弁当を租借する。

「大変だな若人」

「すっげえムカつくぞ」

「なんだ、相談してみろ。口は堅いぞ俺」

 イカフライを噛み切れず苦戦しながら言う台詞ではなかったが、龍一の好意だけは有り難く貰っておいた。

 心配事。雑に言えば、吹奏楽部に対する、バッシングである。

 バッシングというほど派手ではないのだが、壱は別として、残留部員への風当たりが微かに冷たいというのである。ユキは性格的に殆ど気にしないが、若菜などは大分参っている。咲は1年生ということもあって大した被害は無さそうだったが、問題は可奈子だった。

 彼女は、現状を招いた最大の理由である。それは壱にも擁護できる事ではないし、本人も自覚はしている。だが、だからこそそういう彼女が今尚部員として在籍し、あまつさえ復活した吹奏楽部で演奏を続けているというのは、辞めていった元部員達にしてみれば面白くない事この上ないだろう。

 そういう、彼女への非難が出るというのもよく理解できた。むしろ、あって当然だろうとさえ思う。

 だが、そんな事に何の意味があるのかと思うのだ。彼女は現在吹奏楽部でフルートを取っている。ただそれだけのことで、退部した人間には何の関わりも無く、ましてこんなバッシングめいた事をしてもメリットは一切無いのだ。

 腕を組み、兄の言葉を思い返す。

 人間、どんな者であろうと、鬱憤を抱えているのだ。そしてそれは、いつまでも抱えていられる程軽いままではない。

 晴らすにしても、別の手段は無いのかと内心突っ込むのが日課だった。壱には、そういう心理までは理解出来ない所がある。

「まあいいや、飯食ってくるわ」

「そうか、いってらっさい」

「ありがとね龍ちゃん」

「ついでにジュース買ってきて」

「何」

「いちごオレ」

「100円になります」

「頼んだ」

 龍一からの100円玉と、ユキのやや心配げな眼差しに見送られて、一路食堂へ。すっかり出遅れ組の壱には大したものは残されていないし、席も無かったが、とりあえず手近にあったパンを1つ2つ掴んで買ってみた。今は味を気にしていられる程心が豊かではない。

 食堂から校庭への階段に腰掛け、袋を開封。不味くも美味くもないジャムパン。

 集団心理にまで発展していないのが幸いか、とひとりごちた。総意が個人を取り囲むようになると、これは最悪である。

 吹奏楽部自体は、順調だった。可奈子の編曲作業も波に乗ってきているし、他の部員も個人練習に余念が無い。今は黙々と、合奏に向けてまい進している途中なのだった。そこへ、この有様である。

 看過して良いものではないだろう。いずれは必ずぶつかる問題でもあった。

 元部員を納得させつつ、現吹奏楽部に胸を張って活動をさせる方法。そんな魔法のような一手があるのだとすれば、ぜひとも知りたい。少なくとも、壱には思いつかなかった。

 溜息と共に2袋目。ジャムパン。

(失敗した……)

 不味くはないが2つ連続で食べるのは憚られる。開けたばかりの袋を閉じ、小脇に放置。

「黒沢君」

 背後から声。振り向くと、若菜が階段を下りてくる途中だった。スカート内部は見えている。ある意味空腹は完璧に満たされた瞬間だった。

 おくびにも出さず紳士的に、壱は片手を挙げて見せた。

「やぁ」

「パン?」

「不味いね、これ」

「ジャムパンと……ジャムパン。なんで2つも」

「間違えた」

「変なの」

 笑いながら、若菜はスカートを膝の裏に抱きこむようにしながら、隣に腰を下ろした。

「いやまあ、他にも食ったからさ。縞パンとか」

「縞パン?」

「うん。青と白だった」

「……え? あっ!」

「ゴチ」

「そういう事は言わぬが華でしょー……」

 むっとして、微妙に距離を取られた。当然である。

「若菜嬢は?」

「今日はお弁当作る時間無かったから、学食」

「あ、中に居たのね」

「そうだよ。わたしは見つけたのに、凄いかったるそうにパン掴んで出て行くんだもん」

 ちょっと唇を尖らせて抗議する若菜に笑いながら、小さく頭を下げる。

 沈黙。

「わたし達は、平気だよ」

 サッカーをする男子生徒を眺めながら、若菜はぽつりとそう言った。

「どうかな」

「平気だってば」

「いや、一番ダメージ受けてるのは若菜嬢だと見てるんだけど」

 壱がそう切り返すと、若菜はぐっと言葉に詰まった。元々気を使いやすい、思い込みが激しい、などとユキに評されるだけあって、彼女の心理的な負担はかなりのものなのだろうと容易に想像できる。

 壱の指摘を受け、若菜は長い溜息。

「本当は、ちょっとね」

「だろう」

「でもそんな事言ってられないよ。折角再起動したんだから。しょうがない事だけど、負けてられない」

「そうなんだよね」

「黒沢君は?」

「まだ向こうにも、どう扱っていいか解らないんじゃないかね。それっぽいのは、何も」

「まあ、怒らせたら怖そうだしね、黒沢君」

「そう?」

「なんとなくだけどね」

 スカートの前をはためかせながら、若菜は中途半端に笑う。

 やはり、今のままではいけない、と壱は思う。元吹奏楽部に、なんらかの形で返答をしない事には、今の状況が断続的に続くのは目に見えていた。

 その為にどうするか、考えは無い。

「心配してくれるんだ」

「ん? そりゃそうさ。変かね?」

「ううん。やっぱ、部長が黒沢君で良かったと思うよ」

「ふむ。まあ、一番心配なのはお鶴さんなんだけどな」

 言うと、若菜は無表情に頷き返す。

「ほら、色々あるから。あの子の場合は特に攻撃されやすいし、しやすい」

「なるほど」

「暫くは、現状維持かな。俺らが、吹奏楽部として1つ何かを形に出来れば、そういうのも収まるとは思うけどね」

「どうして?」

「ほら、吹奏楽部は大事な宣伝材料なんだろ? 学校側にしてみれば、その材料に変なちょっかいが出たまま放っておくわけにはいかない筈だ」

 予測というか、希望的観測に過ぎない。それでも、若菜は緩く笑ってくれた。

「そうだね」

「その辺は、俺とか南先生がなんとかする部分だから、気にせず練習してなさい。ミスをちょっとでも減らせるように」

「言われるかなとは思ってたけどやっぱり言うんだ……」

「お頑張り」

「はーい」

 心底悲しそうな顔を作って両手を挙げ、それから若菜は笑った。


 放課後、音楽室へ。試験一週間前までは、部活動は許可されている。

「あれ、お鶴さんだけ?」

 担当教師に呼ばれたというユキを置いて先に来たが、中には、可奈子1人。フルートのケースを開け、手入れ中である。壱を見る事もなく1つ頷く彼女の傍へサックスを置き、窓を全開にした。

「開けないで」

 が、可奈子にはお気に召さなかったらしく、ぼそりとそんな事を言う。

「なんで」

「うるさいから」

「……」

 言われ、窓の外に耳を傾けると、成る程確かに気合の入った掛け声を放ちながら、運動部がグラウンドを走り回っている。

 うるさいという程ではないが、可奈子が閉めろと言うので、閉めた。なんとなく逆らい辛いのは、必死になって引っ張ってきた手前があるからだろう。言わば、惚れた弱みである。

「お鶴さんは、手入れをするのが好きだな」

「別に」

「そう? 暇があると磨いてるからさ」

「私には、この1本しか、無いから」

「まあ、そうだろうけどね」

 むしろ、ストックが沢山ある方が嫌である。壱にとっても、父に買い与えられたこのサックスは愛妻とでも呼ぶべき大切な1本だ。

 壱の同意に、可奈子はちょっと首を振ったが、気にしなかったように手入れに戻った。

 なんとなく手持ち無沙汰なので、壱もサックスを取り出し、コンディションのチェックをする。

「そういや、お鶴さんさ」

「何」

「たまに、俺の手を叩くじゃない。あれ、何?」

 可奈子の方を見ながら手入れをしつつそう問うたが、答える気は無いらしく、彼女は黙ったままだ。

「いや、なんか気になるじゃない」

「気にしないで」

「なるって」

「そう」

「セクハラ?」

「……」

「ソーソーリー」

 ゆっくりと俯けていた顔を上げながら睨まれると、大きな瞳はその凄みを増す。片手で可奈子の視線を遮りながら、壱は素直に謝った。

「好きにしてくれて良いんだけどね、俺は。周りも不思議がってるから、なんでかなと思ったまでさ」

「黒沢君は、変ね」

「このかみ合わない会話を俺はどうすればいいと思う?」

「普通の人じゃ、ないと思う」

「あ、続けるのね……で、俺が変って?」

 完全に可奈子のペースだったが、別段悪い気もしないので、壱は流れに乗る。

 可奈子は手を止めると、大きな溜息を挟み、続けた。

「普通の、男子とは、少し違うと思うわ」

「ほう」

「何とは、言わないけど。少し、興味がある」

「俺に?」

「うん」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」

 背もたれに体を預け足を組み、壱はいい男を演じながらそう返す。

 以前は、興味も無いと言っていたので、言葉通りに受け取れば、喜ばしい台詞である事には間違い無い。

「何故、こっちへ?」

「転校? いやほら、楡原康臣の母校だしね」

「それだけ?」

「ん、まあ、他にも色々あるけどさ」

「前の学校の、友達なんかを切ってまで、ただその為に、ここへ?」

「そう言われると凄く頭悪そうだな。えーと、色々あるのさ」

「どんな」

「ごめん、あんま話したくないや」

「……そう」

 珍しくよく喋る可奈子だったが、壱が話したくないと返すと、少しばかり残念そうに納得した。

「ところで、元吹奏楽部はどうよ?

「別に」

「お鶴さんならそう言うと思ったけど。具体的にどんな様子か聞かせてもらえないかな」

「どうして?」

「どうしてって、度が過ぎるようなら、止めるから」

「必要ない」

「そうは言うがなお鶴」

「あの人達が、私に何をしようと、私が拒否できる事じゃない」

「……責任があるから?」

「そうね」

 自分の事なのだが、可奈子は興味無さそうにあっさりとそんな事を言う。

 だとして、何事か起きているのだろう彼女の周りを放置して良いとは思えない。思えないが、彼女が助けを求めてくれない事には、動き辛いのも確かだった。

「まあ、なんかあったら言って」

 故に、そんな言葉しか残せなかった。

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