12
「ジャンケンポン!」
「うわ弱っ」
「何ィー!?」
思わずユキが口にするような戦況であった。
グー4、チョキ1。チョキは無論壱である。
「畜生……部長は辛いよう」
「部長関係無いよ」
「きりきりどーぞ先輩!」
「ふんだバーカ! 行ってきます!」
悪態をついて廊下に出る。
吹奏楽部に5人が揃ってから数日。いきなり合奏というわけには行かず、一先ずの課題として、有り触れた楽曲をそれぞれ個人で練習する日々が続いていた。歩きながら、部員について一考。
ユキは、まずもって安心していい演奏を持っている。チューバというパートの重要性、意味を心得ているし、何より昔から音楽に携わっていたと若菜が言った通り、とにかく心得がキチンと固まっていた。これならば、どんな譜面が回ってきても、練習次第でこなせるだろう。
その親友たる若菜はといえば、やはりミスがよく目立った。決して下手ではなく、丁寧な演奏を心がけようとする真摯な気構えもよく見えるのだが、それが却って彼女の色を消しているようにも思えた。ユキがチューバとして下に居ればまだマシではあったが、発表という場においてもこうでは、聴けたものではないと評価されるだろう。これは、もう本人にとにかく頑張ってもらうしかない。
咲は器用貧乏というよりも、あらゆる点で優秀な万能選手だった。ユーフォニュウムにしても、或いは若菜を越えてしまうのではないかと思われる。尤もそれは悪いと思うのか、最近では若菜の前でユーフォニュウムを取る事はしなくなったのが微笑ましいといえば微笑ましい。ともあれ、咲の存在は5人の層をかなり厚くしていると言えた。
そして、可奈子である。
彼女はもう、別格だと壱は考えていた。奏法、表現力、センス他、演奏をする上で必要な要素を完全に網羅している。ただ1つ音を奏でるだけでも、既にその存在感は圧倒的とも言える程で、可奈子に自覚は無くとも、楽しんでそれをやっているというのが喜ばしかった。フルートという、強烈な個性を持つ楽器でありながら自在にそれを操り、目を閉じて唇を添える姿は、いっそ絵画のようですらある。
そういう彼女に憧れてか、咲も結局フルートで落ち着いたらしい。5人でのウィンドアンサンブルであるなら、極めて理想的な音域配置だ。低音をユキが、中音を壱と若菜が担当し、高音は才能溢れる2人という構成。
これだけ良い条件が揃っているのだから、有り触れた曲などやりたくはなかった。故に、ジャンケンである。
「失礼し……」
職員室へ入ると、即座に南教諭の姿が見えた。正確には、書類の影から頭が見えただけである。傍まで行くと、頭を抱えて机に伏せているのが解った。
「何しとんですかティーチャー」
「あ……黒沢君。ちょっとね、仕事がね。あと支払いとかね。洗濯物もね。掃除もサボっちゃったしね、先週。お酒もそういえば切れてるのよね」
「しらねえよ」
「冷たい……」
「いや、本気で大丈夫ですか、顔色悪いですけど」
顔色が悪いというよりは、表情が曇りっぱなしなだけなのだが、南教諭の場合顔立ちが良いだけに暗い顔をしていると途端に具合が悪そうに見えるのである。
「うん、まあ、近いうちに話すわ。で、何?」
「ああ、何か良い曲無いかなと思って」
「曲?」
不思議そうな顔をする南教諭に、現在の部員の腕前、配置を説明する。
ただ一般的な曲をやるには聊か勿体無い面子である事も含めて壱が語って見せると、南教諭は感心したように大きく頷いた。
「成る程。それにしても、よく見てるわね黒沢君」
「この4人ぐらいが限界ですよ。元々部長とか出来る程人纏めるのが得意なわけじゃないですし」
「そんな事ないわよ。皆、多分黒沢君を慕って集まってる部分もあると思うし、腕前も認めてるから」
「だと良いんですがー」
「照れないで。そういえば、鶴岡さんはあれからどう?」
「問題無く。まあ、ユッキーなんかは微妙にまだ構えてますけど、お鶴さんにその気が無いってのは解ってるようなんで、時間が解決するでしょう。若菜嬢は言わずもがな、咲さんは完全に虜です」
咲は、何かにつけて可奈子の髪を触りたがる。女性の心理として、ああいう艶や柔らかさのある髪というのは羨ましく、つい触ってみたくなるものだと説明したのは若菜であった。そういう本人も触りたそうではあったが。
「でも一番懐いてるのは黒沢君になのよね。1年生の頃から鶴岡さんは知ってるけど、ああいうのは見た事なくて新鮮」
楽しそうにそんな事を言いながら、南教諭は笑う。
懐く、と表現すると語弊はあるが、可奈子は確かに壱に寄り気味ではある。御堂教諭が言った様な、鶴岡可奈子独自の許容に自分も入っているのだとすれば光栄な事だが、時折思い出したように壱の腕を叩く癖を持ち始め、そんな時ばかりは場の空気に微妙なものが混ざる。
壱にサックスをせがむ事も多く、それは南教諭を壱としてユキ、若菜にとっても意外だったらしい。昔からむっつりと1人での練習を黙々とするタイプだったそうで、悪く言えば他人の演奏など意に介していないような所があったのだという。別段自分の演奏が取り立てて素晴らしいとも壱には思えないのだが、しかし可奈子も含め部員達は気に入ってくれているらしい。
「中々面白いメンバーよね」
「誠に」
「部長、貴方だし」
「よし、その喧嘩買った」
「う、売ってないわよう」
指を鳴らしながら腰を落とすと、南教諭は付き合って慌ててくれる。顧問も含めて面白いメンバーなのだった。
「で、ありますかね、良さそうなの」
「あるわよ。取って置きのが、1つ」
「なんと」
「後で持って行くわ。もうちょっとしたら、一段落するから」
「お願いします」
「うん」
「時に、何? そろそろ、そのう……ねえ」
唐突にいやらしく微笑み、身を捩りながら壱が切り出すと、南教諭は真っ青になった。
大変愉快である。
「やっぱり、忘れてなんていなかったのね……」
「忘れるものかよ!」
「うぅ……どうなるの、私」
「いや、なんか飯でも奢って下さいよ。美味い所とかご存知でしょ?」
そして唐突に素に戻りながら壱がそう提案すると、南教諭は呆気に取られてから、ほっとしたように何度も頷いた。今自分は最もカッコいいと思い始めている黒沢壱である。
「うん、解った。それも、取って置きがあるのよ」
「楽しみにしてますんで、是非」
「了解」
そんなやり取りで締めて、音楽室へ帰還。
「あ、お帰りー。どうだった?」
壱の姿に気付くや、若菜がリードから口を離して問う。
「あるってさ。なんか取って置きらしいぜ」
「へえ、楽しみ」
「持って来てくれるらしいので、適当にサボろうか」
「部長の台詞じゃないわね、そりゃ」
「かっこいいだろう」
「かっこいいっす!」
可奈子は積極的に会話には入ってこないが、全体の流れは常に把握しているらしく、サボると決まったためかフルートを丁寧に手入れし始めた。そういう仕草もまた、外見と相俟って童話じみている。
暫し雑談などをしていると、南教諭が1枚のCDを持って現れた。
「お待たせ」
「待ってました」
「小枝ちゃん、それが?」
「うん。まあ聴いてみて。うちの卒業生が文化祭で発表した曲なんだけどね」
まさか、と思う。思いながら、壱は口を開いていた。
「楡原、康臣の?」
「あ、知ってるんだ黒沢君?」
「知ってるも何も、俺がこっちに来たのって半分ぐらいはその人の所為ですよ」
「そうなんだ。じゃあ、尚更取って置きになっちゃったわね」
言いながらデッキの準備をし、南教諭はCDをセットする。ユキが小声で耳打ち。
「えと、にれはら……?」
「ユッキーはご存知ないか。まあ、あんまり派手にやってる人でもないしね」
「わたし知ってるよ。この前、国営放送で見て、思わずCD買いに行っちゃった」
「あたしもファンなんですよー」
「鶴岡は?」
ユキが何気なく話を振ると、可奈子はちょっと間を置いてから、ううんと首を横に振る。
「新田先生に聞いたんだけど、この頃付き合ってたっていう先輩の為に、書いたそうよ。タイトル、マリー・ゴールド」
「花の名前、ですよね?」
「それだけじゃないんだな」
若菜の何気ない相槌に、南教諭は嬉しそうな顔をしながら続ける。
「その当時付き合っていた先輩っていうのが、ええと。マリって名前だったそうなのよ。その人、アルビノっていう色素が薄くなる病気でね。殆ど金から銀みたいな髪の色だったらしくて」
「それでマリー・ゴールド」
「そう。素敵でしょー?」
自分の事のように語る南教諭に、咲や若菜は楽しげに食いついていく。可奈子は何か考えているのか黙ったままで、ユキはといえば不思議そうな顔である。
「ユッキー?」
「あ、うん。何?」
「いや、どうしたのさ黙り込んで」
「ちょっとね」
「まあ、とりあえず聴いてみましょうか」
「あ、何か緊張してきた俺」
「何でよ」
「聴けば解るさ、多分」
音量を少し大きめに設定し、南教諭も手近な椅子へ。スピーカーからは人々のざわめきが微かに聞こえ、突如拍手に取って代わる。
「俺を知っている人はこんにちは。初めての方は初めまして。この度、オリジナルの曲をやらせてもらう事になりました、楡原康臣です」
そんな言葉が聞こえた。思わず姿勢を正した壱の背を、ユキが軽く叩く。苦笑いを返し、楡原康臣が見えているワケでもないのにスピーカーを注視した。
「出来れば誕生秘話なんかを惚気混じりに語りたくはありますが、何より聴いてもらった方が解り易いでしょう。20分少々のお付き合いを、どうか宜しくお願いします」
惚気混じり、つまりはマリー・ゴールドというタイトルの由縁なのだろう。当時の人間のうち幾人がこの言葉の意味を知っていたのかは解らないが、壱は何となく優越感を覚える。シンと静まり返る講堂を想像し、その第1音を待った。
そうして始まった、楡原康臣が高校時代に残したというピアノ。
彼が既に出版しているCDは全て手に入れ、どの曲も飽きるほど聴いた壱には、心のどこかで「まだ若い頃だから」という先入観があった。演奏家に必要なのは才能もそうだが、当然経験も大いに作用する。何を見て、何を感じ、何を得て、何とするのか。そうした感受性の面での経験は元より、あらゆるスポーツであったり趣味的な活動ですらも、大事な要素だ。
だからこそ、まだ自分と同じ年齢の頃に楡原康臣が作ったというマリー・ゴールドは、今までに聴いてきたCDよりも劣るだろうと思っていた。
そしてそれが大きな間違いだったと理解するのに、何秒もかからなかった。
「……」
吹奏楽部員全員が、黙り込んでいた。時折入る、録音上のノイズなど何も感じさせない程に、マリー・ゴールドは美しさのみを湛えて流れていく。
あやふやな、悪く言えば暴力的なフレーズが過ぎると、1度ピアノは止まる。そこで漸く、楽章仕立てなのだと気付いた。続く第2楽章は明るく楽しげなモノで、現在の楡原康臣にはあまり見られないフレーズが連続していく。成る程確かに、これは当時付き合っていたという先輩の為に書き上げられたモノなのだろう。
第3楽章。異常なまでのスピードを誇り、テクニックなどという次元では説明できない乱打の連続。壱はあまりクラシックを聴かないので解らないが、恐らくはどこかからの影響を受けているのかも知れない。しかしながら模倣にはならず、確実に作曲者としての主張を感じさせる旋律に、壱は駄洒落ではないがと自分に断りながら戦慄する。
心という器官が人体にあるのなら、そこがどうにかなりそうな程の感動に、壱は満たされていた。
(やっぱ、ヤバイわ、この人)
音楽家を目指す人間ならば、若造と目される楡原康臣を好む事はあっても、尊敬するような所まではいかないのだろう。
だが壱は、それを再確認した。楡原康臣の持っている音色は、確実に自分が求め続けていたモノなのだ。平穏と喜びと解放と癒し、そして幾許かの孤独感を湛えた響き、旋律は、壱が何よりも欲しがって仕方の無かったモノだった。
壱の人生における「転機」を与えた、楡原康臣の「黎明」期。「襤褸」たる幼少期から、今の生活までの「開花」を告げた、ピアノの音色、サックスの音色。
まざまざと思い出す。全ての始まりは、壱の始めの1歩目は、音色に彩られていた事。
(……これを、やろう)
既に決定の下された話だったが、壱は改めてそう意識した。
たゆたうような感慨に満たされたまま、ふと意識が外へ戻ると、スピーカーからは割れんばかりの拍手が響き、冷たくも、あっさりとCDはそこで終わる。
「はぁ……」
「すご……凄い、とか言っていいのかな、これ」
「わ、ユキちゃん見て見て。鳥肌」
たっぷりと間を置いてから、思い思いに感想を口にする部員。可奈子もその傍で頷いたりはしているのに、そんな中で動けなかったのは、壱だけだった。
「黒沢くん?」
「……あ、はい?」
「はい? じゃなくって。どうだった? 感動した?」
「ノーコメントで。何言ってもよく解らん感想になりそうですし」
「そう」
言葉少なに、しかし南教諭は嬉しそうに笑う。
よし、と意気込んで、壱は勢い良く立ち上がった。
「やるぞ、これ。アーユーオーケー?」
「うん」
「聴いた感じ相当難しいけど……やるしかないよね、コレは」
「あたしも頑張りますよ先輩!」
「頼もしいやつらよ。この戦もらった」
「誰と戦うのよ……」
苦笑いと同時に入るユキの突っ込みに知る限りの戦史を語ろうとした所で、南教諭は重たげに口を開く。
「……それで、1つ大きな問題があるのよね」
「問題?」
「そう。えーと、聞き辛いんだけど……誰か耳良い子、居る、かな?」
そこまで聞いて、壱は噴出した。ここまできて、あまりにも面白すぎる展開だった。
「ヘイティーチャー! ……まさか楽譜が無いとかそういう事言い出すんじゃありますまいな?」
ぐっと息を詰まらせ、それから観念したように南教諭は両手を前で組み、頭を下げた。圧縮されたセクシャルバルーンにも、今回ばかりは目が行かない。
「……正解」
「うわー! この人楽譜無いのにイチオシしたのかよー!」
「小枝ちゃん、そりゃないよ……」
「お姉ちゃん無計画すぎ」
「先生……すんごい裏切りですよ」
「ご、ごめんね! ごめんっ! だって凄く良い曲だし、この学校にも由縁が有るし……」
口々に放たれる糾弾。既に音楽室は魔女裁判の如き様相を呈していた。
一通り本気ではないものの部員に怒られた顧問は、すっかり小さくなって教壇にへこたれている。
「……しっかし、どうするかねぇ。コレ諦めきれんでしょ、皆」
「ちょっとね。出来る事ならやりたいもの」
「って言っても、楽譜が無いんじゃ耳コピって事になるんでしょ? わたしは無理だよ?」
「咲さんは?」
「あたしも絶対音感は持ってませんし……」
「南先生、こりゃもう軍法会議モノですよ」
「ぐ、軍法……?」
「部長職を頂いた、わたくし黒沢壱の手によって貴女は裁かれます。とりあえずはその衣服を捌きます」
「ど、どうか体だけはっ」
「フフフ、強いて言えば、君のバディがいけないのだよ」
「はーい黒沢くんストーップ」
南教諭ににじり寄ろうとした壱の襟首を、ユキは不機嫌さ全開の声と共に掴んで引き戻した。止まった呼吸を直しつつ、全体を見る。
「ま、とりあえず耳コピの上にある程度の編曲も必要だよね、これじゃ」
言いながら部員を見渡すと、可奈子と目が合った。逸らし、再び見ると、また合う。
「……お鶴さん。ひょっとして、出来る?」
「うん」
別段誇るでもなく、自己を主張するでもなく、可奈子は平素として頷いてみせた。
「すげえ! 見ろ皆、或いは顧問にすべき人間がここに!」
「わーいさよならお姉ちゃーん」
「なんて酷い部員達なのっ」
喚く顧問と部員の間を縫って、壱は可奈子に近寄る。
「で、本当に?」
「聴いて、楽譜を作るのは、簡単。編曲には、時間が要るけど」
「勿論いいよ。ねえ?」
言いながら他の部員に問いかけると、次々に首肯が帰ってくる。南教諭は凹んだままなのでスルーだ。
「よし、なら頼めるかねお鶴さん」
「時間が、かかるわ」
「勿論手伝える事は手伝うよ」
「黒沢君が?」
やや訝しげな目をする可奈子に頷き返しつつ、そういえば初めて可奈子に苗字で呼ばれたと気付いた。
「じゃあ、やる」
特に意気込むこともなく、可奈子はそう言って頷いた。
沸き始める音楽室の中、壱は再びたった今聴いたばかりのソナタ、そのトリプルタイムを思い返していた。




