表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千灯庵語り ———灯の向こう側———  作者: 卜部紘子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/6

第三話 きつね、きくちをゆく

占い師になりたいと夢を語る男が、千灯庵の灯をくぐる。

そこで彼は、思わぬ「欲の言葉」を口にしてしまう。

狐の影は冷たく嗤い、店主はただ静かに見守る。


夢と欲、救いと嘲り。

言葉にできぬ圧の中で、人は自分の立つ場所を問われる。

 町外れ、曇天の下に小さな庵があった。灯火をひとつ掲げるその庵を、人は「千灯庵」と呼ぶ。

 旅の道に迷ったような男が、その戸口に立っていた。三十五を過ぎたばかりの細身の男。眼差しは熱を帯びていたが、骨の奥に冷たい空虚を抱えている。


「わたしは……占い師になりたいのです。人を救いたい。導きたい。そんな夢を叶えたいのです」


 男は自らを奮い立たせるように語った。だがその声の端に、乾いたざらつきが混じっていた。

 庵の奥で、火傷の痕を背に持つ狐が目を細める。その眼光に射抜かれた刹那、男の舌先が勝手にほどけた。


「……こんな店が欲しい。自分なら、もっと繁盛させられるのに」


 言った瞬間、男は凍りついた。隠していたはずの欲望が、口から零れ落ちていた。

 庵に冷気が満ち、灯火が大きく揺らめく。狐の嘲りは男には届かない。だが、その影は確かに胸を抉った。


 狐は口の端を歪め、嗤う。

「救いたい? 己ひとり救えぬ者が、誰を救えるというのだ」


 声は庵の奥に沈み、冷たい圧だけが男に迫る。

 彼は肩をすくめ、喉を詰まらせた。


店主がようやく口を開く。

「夢を持つことは、尊いことです。ただ、足取りが伴わねば、夢は幻となりましょう。占う者はまず己を見つめねば、鏡は曇るばかりです」


 男は拳を握り、視線を伏せた。


 店主は机の上にペンデュラムを垂らした。最初は微動だにせぬ振り子が、やがて小さく、そして不安定に揺れはじめる。男の息遣いに呼応するかのように。


「これは……神からの託宣ではないのですか?」


 驚きの声に、店主は静かに微笑んだ。

「そう捉える方もいます。けれど、最も映るのはあなた自身の心の反響でしょう。神託か心の声か……その境を決めるのは、いつもあなた自身なのです」


 狐が再び嗤った。狐の声は男には届かない。だがその影は氷刃のように庵を覆い、男の胸を締めつける。


「おまえの未来は空っぽの盃だ。中身を注ぐ努力をせぬ限り、何を映しても虚しい」


 男は顔をゆがめ、唇を噛んだ。

 その時、店主の声が静かに圧を裂いた。


「……言葉は、人を突き落とす刃にもなります。けれど今、あなたに必要なのは落ちることではなく、自分がどこに立っているのかを見極めること」


 沈黙が落ちた。

 やがて男は深く息を吐き、灯火の揺れを見つめながら頭を垂れた。


「……また来ます」


「はい。お待ちしております」


 狐は背の火傷を覗かせて鼻で笑い、店主はただ灯を守るように頷いた。

 庵の灯は揺れ、闇の中でなお温もりを放ち続けていた。



夢はしばしば美しく語られます。

けれど、灯の前に立ったとき、隠した欲もまた影となって浮かび上がるのです。


狐はそれを嘲り、店主はただ見守りました。

名乗られぬ欲は人を曇らせますが、認められた欲は歩みの力にもなり得るでしょう。


揺れる灯の下で、人は己の影とどう向き合うのか。

それこそが、千灯庵に課された問いなのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ