第八話:小さな反乱
リラの部屋を飛び出した陸は、一直線にピクシーたちの居住区画へ向かった。
場所は、すでにホテルの案内図で確認済みだ。
そこは豪華なホテルとは隔絶された敷地の最奥に、ひっそりと存在していた。
高い壁に囲まれ、入り口には物々しいセキュリティゲートが設置されている。
だが、そんなものは今の陸にとって障害にならない。
周囲に人影がないことを確かめると、惑星渡りで一瞬にして壁の内側へ跳躍した。
そこに広がっていたのは、ホテルとはまったく異なる世界だった。
豪華な装飾は一切ない。
同じ形の白い簡素な建物が、整然と並んでいる。
道にはゴミ一つ落ちておらず、徹底して清掃と管理が行き届いていることが窺えた。
だが、生活の匂いはまるで感じられない。
居住区というより、清潔な収容施設のようだった。
広場では、仕事を終えたピクシーたちが集まり、配給される食事を受け取っていた。
食事は、陸がリラの部屋で口にしている栄養バーと同じ、味気ないペースト状のもの。
彼らはそれを無言で受け取り、無言で口へ運んでいく。
会話も、笑顔もない。
一日の労働を終えた機械が、エネルギーを補給しているかのような光景だった。
陸はその輪から少し離れた場所に、一人ぽつんと座っている少女を見つけた。
ルナ。
髪に青い花の飾りをつけた、あの少女だ。
彼女は食事を受け取ろうともせず、ただうつむいて地面を見つめている。
小さな背中は、ひどくか弱く見えた。
陸は意を決して、彼女の元へ歩み寄った。
「……ルナ、だろ?」
その声に少女はびくりと肩を震わせ、怯えた目で陸を見上げた。
瞳は先日の恐怖を、まだ引きずっている。
周囲のピクシーたちも陸の存在に気づき、一斉に警戒の視線を向けた。
穏やかだった瞳に、明らかな敵意と恐怖の色が浮かぶ。
よそ者。侵入者。
秩序を乱す異分子。
「……何のご用でしょうか、お客様」
ルナが震える声で言った。
その声は完璧な接客用のそれだった。
「客じゃない。君に話があって来たんだ」
陸は彼女の前に膝をつき、視線を合わせる。
「君の歌を聞いた。すごく綺麗で、そして……すごく悲しい歌だった」
その言葉に、ルナの顔がさらに青ざめた。
「……私は歌など歌いません。お客様の聞き間違いでは」
「嘘をつくな」
陸は真っ直ぐに、彼女の瞳を見つめた。
「俺は知っている。君たちがここでどんな扱いを受けているかも。
そして君が、もうすぐこの星から売り飛ばされようとしていることも」
その言葉は、周囲のピクシーたちにも衝撃を与えた。
彼らの間に、ざわりと動揺が広がる。
「……だから、何だと言うのですか」
ルナの声は、怒りを押し殺しているようだった。
「それは我々の運命です。あなたのような部外者には関係のないこと」
「関係なくない!」
陸は声を強めた。
「俺は見て見ぬふりができない。
君たちの、その運命とやらを変える手伝いをしたいんだ」
だが、その言葉は彼らの心に響かなかった。
一人の年老いたピクシーが前に進み出る。
「お帰りください、異星の方。あなたのお気持ちはありがたい。
ですが、あなたの気まぐれな同情は、我々をさらに苦しめるだけです。
我々はここで静かに、定めを受け入れるのです」
諦観。
長年の支配によって、彼らの心に深く深く刻み込まれた、どうしようもない諦め。
陸の言葉は、あまりにも無力だった。
(……ダメか)
陸が唇を噛みしめ、立ち上がろうとした、その時だった。
「……嫌」
か細い。
だが、凛とした声が響いた。
声の主はルナだった。
彼女はうつむいていた顔を上げる。
涙に濡れた瞳で、まっすぐに陸を見つめていた。
「私は嫌です」
もう一度、彼女は言った。
「売り飛ばされるのも、二度と故郷に帰れないのも、歌うことを禁じられるのも、もう嫌です。
私は……私は、諦めたくない!」
それは、彼女が生まれて初めて口にした、魂の叫びだったのかもしれない。
その小さな、しかし確かな勇気が、周囲のピクシーたちの心を揺さぶった。
彼らの目に、諦めとは違う別の色の光が灯り始める。
長い間忘れていた、希望の光だった。
陸はルナの手を取り、力強く頷いた。
「……ああ。じゃあ戦おう。俺も一緒に戦う」
無謀な挑戦。
巨大なシステムに対する、あまりにもささやかな反乱。
だがその小さな希望の火は、確かに今、この偽りの楽園の片隅で灯されたのだ。
その頃、ホテル最上階。
リラはコンソールのモニターに映し出された隠しカメラの映像を見ながら、ふう、と一つため息をついた。
映像には、ピクシーたちに囲まれ、何事かを熱く語りかける陸の姿が映っている。
「……本当に、馬鹿な奴」
そう呟きながらも、彼女の指は凄まじい速度でキーボードを叩いていた。
モニターの片隅には、セレネ・ガーデンを支配する企業の違法な労働契約に関する膨大な法的資料が、すでにまとめられつつある。
口では手伝わないと言いながらも、彼女は彼女のやり方で、すでに戦いを始めていたのだ。




