第七話:陸の決意
重い沈黙が、部屋を支配していた。
リラの冷徹な正論は、陸の燃え上がりかけた怒りと正義感を、真正面から否定するものだった。
陸は唇を噛みしめ、俯いていた。
彼女の言うことは正しい。
自分たちの目的は、クロノス・オーダーの情報を得ること。
そのために、ここへ来たのだ。
個人的な感情でリスクを冒すべきではない。
頭では分かっていた。
分かっているのに。
脳裏に、あの光景が蘇る。
月を見上げ、悲しげに歌っていたピクシーの少女、ルナ。
自分に気づいた瞬間、恐怖に顔を歪めたあの表情。
そして、彼女があと一週間で「輸出」されるという事実。
見て見ぬふりなど、できるはずがなかった。
「……ふざけるな」
陸の口から、低い声が漏れた。
リラが怪訝な顔で彼を見る。
「……何がだ」
「だから、見て見ぬふりなんてできるわけないだろうって言ってるんだ!」
陸は勢いよく顔を上げた。
その瞳には怒りと、そして確固たる決意の光が宿っていた。
「あんたの言うことは正しいよ。正しい、けど、俺は納得できない。あの子を助けもせずに、のうのうとこの楽園で過ごして、情報提供者が来るのを待つなんて、絶対にごめんだ」
「……甘いな、陸」
リラは冷ややかに言い放った。
「あんたはまだ、この世界の本当の厳しさを分かっていない。それはただの自己満足だ。あんたが一人、息巻いたところで、この星の巨大なシステムが変わるわけじゃない。下手に動けば、あんたが潰されるだけだ」
「それでもだ!」
陸は叫んだ。
「何もせずに後悔するくらいなら、俺は動いて失敗した方がマシだ! ウロボロスで俺を助けてくれた、あの爺さんがそうだったように!」
ヘパイストス・ファウンドリでの戦いを経て、陸は自分の力に自信と、そして責任を感じ始めていた。
この「惑星渡り」の力は、ただ逃げるためのものではない。
ザインと共闘した時のように、使い方次第では戦局すら変えられる。
ならば、誰かを守るためにも使えるはずだ。
無力なまま暴力に蹂躙されるのを待つだけだった、以前の自分とは違うのだ。
「困っている奴がいたら助ける。理由はそれだけで十分だろ。それが、俺のやり方だ」
陸はきっぱりと言い切った。
その言葉に、リラは一瞬息を呑んだ。
真っ直ぐな瞳。
青臭い理想論。
非効率で危険極まりない感情論。
情報屋としての彼女のすべてが、それを否定しろと叫んでいた。
だが、彼女はそれをできなかった。
なぜなら、その青臭い正義感に、一度救われた覚えがあるからだ。
アルカディア・ネクサスで、泥棒をしようとしていたこの馬鹿な少年。
彼が持つ、損得を度外視した甘さこそが自分にはないものであり、そして時として、計算され尽くした論理を凌駕することを、彼女は知ってしまっていた。
「……好きにしろ」
リラは吐き捨てるように言うと、ぷい、と顔をそむけた。
「だが、私は手伝わない。あんたがどんなトラブルに巻き込まれようと、私は私の仕事をする。情報提供者との接触が最優先だ。忘れるな」
「……ああ、分かってる」
陸は頷いた。
「これは俺が勝手にやることだ。あんたを巻き込むつもりはない」
彼はリラに背を向け、部屋の出口へと向かった。
胸の中では、これから何をすべきか、その計画がすでに形を作り始めていた。
それは無謀で危険な賭け。
だが彼は、行くと決めたのだ。
「……死ぬなよ、馬鹿」
部屋を出ていこうとする陸の背中に、リラの消え入りそうな小さな声が投げかけられた。
陸は振り返らず、ただ片手を上げてそれに応えた。
その声が、いつもの彼女からは考えられないほど優しさに満ちていたことに、彼はまだ気づいていなかった。
リラは一人部屋に残されると、陸が出ていったドアをしばらく見つめていた。
そして一つ大きなため息をつくと、忌々しげにコンソールへと向き直った。
モニターには、彼女が先ほどまで調べていた、セレネ・ガーデンを支配する企業連合の脆弱性に関するデータが、まだ表示されたままになっていた。




