第二話:楽園への招待状
ヘパイストス・ファウンドリでの死闘から、数日が過ぎた。
陸の身体の傷は、スキルチップの自己修復機能のおかげか、驚くべき速さで回復していった。
精神的な疲労も、アルカディア・ネクサスの喧騒と、リラの隠れ家の奇妙な居心地の良さの中で、少しずつ癒えていく。
その間、リラはまるで何かに取り憑かれたかのように情報収集に没頭していた。
メインモニターには常に「クロノス・オーダー」に関する断片的な情報が映し出される。
目撃情報。
活動領域。
そして彼らが過去に起こしたとされる、数々の事件。
だが、どれも噂の域を出ず、組織の核心に迫るような有力な手がかりは見つからない。
奴らはまるで幽霊のように、実体が掴めなかった。
「……やはり、正面から探ってもダメか」
リラは深くため息をつくと、すべてのウィンドウを閉じた。
そして椅子を回転させ、部屋の隅で体幹トレーニングをしていた陸を見る。
「おい、陸。次の仕事だ」
その声に、陸はトレーニングをやめて向き直った。
「もう何か見つけたのか?」
「いや、逆だ」
リラは首を横に振る。
「こっちから追っても尻尾を掴ませない連中だ。なら、向こうから来させるしかない」
彼女はそう言って、新しいファイルを開いた。
モニターに映し出されたのは、息を呑むほど美しい惑星の映像だった。
どこまでも続く真っ白な砂浜。
太陽の光を反射してエメラルドグリーンに輝く、穏やかな海。
海岸線にはヤシの木に似た植物が立ち並び、その奥には未来的なデザインの豪華なホテルが点在している。
空には巨大な真珠のような母星が浮かび、幻想的な風景を作り出していた。
「……なんだ、ここ」
陸が思わず声を漏らす。
「リゾート・ユートピア『セレネ・ガーデン』。銀河でも有数の観光惑星だ。銀河中の富裕層が最高のバカンスを求めて、ここに集まる」
リラの説明に、陸の心がわずかに躍るのを感じた。
リゾート。
その言葉の甘い響き。
ウロボロスの鉄屑。
ヘパイストス・ファウンドリの酸性雨。
そんな殺伐とした世界ばかりを見てきた彼にとって、それはあまりにも魅力的だった。
「……で、仕事っていうのは?」
「数時間前、暗号化された最高レベルのセキュリティ回線を通じて、私に接触してきた人物がいる」
リラはモニターに、チャットログの一部を表示した。
『――クロノス・オーダーの内部情報に関する取引を希望する。当方、古代文明の遺産についての情報を求む。接触場所はセレネ・ガーデン、ホテル・アルテミス最上階のバーにて。三日後、月が最も高く昇る時刻に――』
「……匿名の情報提供者だ。おそらくオーダーのやり方に不満を持つ内部の人間か、あるいは彼らと敵対する別の組織の人間だろう」
リラは冷静に分析する。
「どちらにしても、得るものは大きいはずだ。奴らの尻尾を掴む絶好の機会になる」
「なるほどな」
陸は頷いた。
だが、その視線はチャットログよりも、背景に映るセレネ・ガーデンの美しい海に釘付けになっていた。
「……なあ、リラ。それって、つまり……」
陸が期待に満ちた目で彼女を見ると、リラはふいと顔をそむけた。
「……勘違いするなよ。あくまで仕事だ。危険な取引であることには変わりない」
彼女はそこで一度言葉を切り、ぼそりと呟く。
「……だが、まあ、たまにはいいだろう。あんたも私も、少し休みが必要だ。……これは、その、経費で落ちる必要不可欠な休息だ。そう、必要経費だ」
必死に自分に言い聞かせるように繰り返す、その横顔。
どこか旅行の計画を立てるのが楽しくて仕方がない、普通の少女のように見えて、陸は思わず笑ってしまった。
「分かったよ。じゃあ準備しないとな。水着とかいるのか?」
「……いらん。あんたの貧相な身体など、誰も見たがらない」
リラは悪態をつきながらも、その口元がかすかに綻んでいるのを、陸は見逃さなかった。
ヘパイストス・ファウンドリでの激闘。
クロノス・オーダーの影。
自分に向けられた予言。
考えるべき重い問題は山積みだ。
だが今は、少しだけ忘れてもいいだろう。
久しぶりの穏やかな任務。
そして、まだ見ぬ楽園への期待感。
二人の心は珍しく、同じ方向を向いて軽く弾んでいた。




