第88話 出立
朝の空気は、少しだけ冷えていた。
フェルトハイムの通りはいつも通り動き始めている。市場の準備をする音、店を開ける気配、行き交う人々の足音。日常は、確かに戻っていた。
その中で、レオは静かに歩いていた。
向かう先は、町の外。
◇ ◇ ◇
金獅子亭の前。
ガレスが腕を組んで立っていた。
「本当に行くのか」
短い言葉。
だが、その中には色々な意味が含まれている。
レオは頷いた。
「ここはもう、大丈夫だから」
ガレスは鼻で笑う。
「誰のおかげだと思ってんだ」
軽口だが、視線は真剣だった。
◇ ◇ ◇
「……頼む」
レオが言う。
◇ ◇ ◇
ガレスは一瞬だけ黙り、やがて肩をすくめた。
「最初からそのつもりだ」
◇ ◇ ◇
それで十分だった。
◇ ◇ ◇
店の中から、ミレイが出てくる。
「準備はできています」
その声は落ち着いていた。
だが、その奥にある感情を、レオは理解している。
◇ ◇ ◇
「無理はしないでください」
◇ ◇ ◇
レオは少しだけ笑う。
「分かってる」
◇ ◇ ◇
それ以上は言わない。
言えば、止まりたくなるからだ。
◇ ◇ ◇
そのとき、ルナが小走りで出てくる。
「ぱぱ!」
勢いよく抱きつく。
レオは少し驚きながらも、優しく受け止めた。
◇ ◇ ◇
「すぐかえる?」
◇ ◇ ◇
その問いに、レオは少しだけ間を置く。
◇ ◇ ◇
「……うん」
◇ ◇ ◇
完全な約束ではない。
だが、嘘でもない。
◇ ◇ ◇
ルナはそれで満足したように頷いた。
そして、ゆっくり離れる。
◇ ◇ ◇
エドワードが通りの向こうから歩いてくる。
「準備は整っています」
馬車が一台、待っている。
必要最小限の護衛。
目立たない構成。
◇ ◇ ◇
レオは最後に町を振り返った。
フェルトハイム。
守った場所。
変わった場所。
◇ ◇ ◇
もう、以前と同じではない。
だが、それでいい。
◇ ◇ ◇
新しく組み直された均衡。
◇ ◇ ◇
それが、ここにはある。
◇ ◇ ◇
「行こう」
◇ ◇ ◇
レオは馬車に乗り込む。
エドワードも続く。
◇ ◇ ◇
車輪が動き出す。
ゆっくりと、町を離れていく。
◇ ◇ ◇
フェルトハイムの灯りが、少しずつ遠ざかる。
◇ ◇ ◇
その先にあるのは——。
◇ ◇ ◇
まだ見えない、新しい戦場。
◇ ◇ ◇
同じ頃、海の向こう。
大きな港町。
人と物が絶えず行き交う場所。
◇ ◇ ◇
その一角で、ひとりの男が立っていた。
フェルトハイムで動いていた者とは、明らかに格が違う。
◇ ◇ ◇
「来るか」
小さく呟く。
◇ ◇ ◇
その目は、すでに先を見ている。
◇ ◇ ◇
「なら、迎えよう」
◇ ◇ ◇
新しい舞台。
新しい均衡。
◇ ◇ ◇
物語は、次の局面へと進む。
より大きな流れの中へ。




