第89話 海の街
馬車の揺れが、ゆっくりと止まった。
視界の先に広がるのは、これまでとはまったく違う景色だった。大きな港、並ぶ船、絶え間なく動く荷と人。空気には塩の匂いと、熱を帯びたざわめきが混ざっている。
フェルトハイムとは、別の世界だった。
レオは馬車から降り、ゆっくりと周囲を見渡した。
動きが速い。
人の流れが途切れない。
そして何より——。
視線が多い。
◇ ◇ ◇
「……活気がありますね」
エドワードが言う。
その言葉自体は間違っていない。
だが、レオは首を振った。
「違う」
◇ ◇ ◇
「回ってる」
◇ ◇ ◇
整いすぎている。
雑多に見えて、流れが制御されている。
偶然ではない。
◇ ◇ ◇
港町の中心へと進む。
通りには商人、船乗り、運搬人。声が飛び交い、金が動き、交渉が行われる。
だがその裏で、見えない線が引かれている。
踏み込んではいけない場所。
関わってはいけない人間。
それを、皆が理解している。
◇ ◇ ◇
「……強いですね」
エドワードが小さく言う。
◇ ◇ ◇
レオは頷いた。
◇ ◇ ◇
「ここは、もう支配されてる」
◇ ◇ ◇
フェルトハイムは揺れていた。
だがここは違う。
完成されている。
◇ ◇ ◇
そのとき、通りの向こうから一人の男が近づいてきた。
無駄のない歩き方。
自然な動き。
だが、明らかに“こちらを見ている”。
◇ ◇ ◇
「お待ちしていました」
男は丁寧に頭を下げる。
◇ ◇ ◇
「フェルトハイムの件、お見事でした」
◇ ◇ ◇
その一言で、空気が変わる。
◇ ◇ ◇
レオは視線を外さない。
◇ ◇ ◇
「誰だ」
◇ ◇ ◇
男は微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「案内役です」
◇ ◇ ◇
「あなたを、“正しい場所”へ」
◇ ◇ ◇
曖昧な言い方。
だが意味は明確だった。
◇ ◇ ◇
エドワードがわずかに身構える。
「信用できる相手とは思えませんが」
◇ ◇ ◇
男は肩をすくめる。
◇ ◇ ◇
「信用は必要ありません」
◇ ◇ ◇
「ここでは、流れに乗るか、飲まれるかです」
◇ ◇ ◇
レオは少しだけ考えた。
そして、前に出る。
◇ ◇ ◇
「案内してくれ」
◇ ◇ ◇
男は満足そうに頷いた。
◇ ◇ ◇
「では、こちらへ」
◇ ◇ ◇
港町の奥へと進む。
通りは徐々に狭くなり、表の喧騒から離れていく。
だが、人の気配は消えない。
むしろ、濃くなる。
◇ ◇ ◇
やがて、一つの建物の前で止まる。
外見は普通の商館。
だが——。
◇ ◇ ◇
空気が違う。
◇ ◇ ◇
男が扉を開ける。
◇ ◇ ◇
「ようこそ」
◇ ◇ ◇
「均衡の外側へ」
◇ ◇ ◇
その言葉とともに、レオは一歩踏み入れた。
◇ ◇ ◇
フェルトハイムとは違う世界。
より深く、より複雑に絡み合った均衡。
◇ ◇ ◇
物語は、新たな局面へと入る。
ここから先は——。
さらに厳しい戦いになる。




