第86話 残されたもの
フェルトハイムの空は、久しぶりに澄んでいた。
騒動の爪痕はまだ残っている。それでも、町は確実に動き出していた。市場は活気を取り戻し、通りには人の声が戻る。完全ではないが、止まっていた時間は再び流れ始めていた。
だが、その流れの裏で——もう一つの動きが始まっている。
◇ ◇ ◇
議事館の一室。
レオとエドワードは、拘束した男から得た情報を整理していた。
「海商ギルドの拠点は複数。今回の男はその一つの指揮役に過ぎません」
エドワードが淡々と報告する。
「資金の流れ、実行役、連絡手段。ある程度は見えましたが、上層にはまだ届いていません」
レオは書類に目を落としたまま、静かに頷いた。
「想定通りだな」
ひとつ潰しても、全体は残る。
むしろ、ここからが本番だった。
◇ ◇ ◇
「三国はどう動きますか」
エドワードが問う。
レオは少しだけ考えたあと、答えた。
「共同で叩く」
短い言葉だったが、意味は重い。
「単独じゃ意味がない。全部まとめて潰す」
今回の件で、三国の利害は一致している。
それを、最大限に使う。
◇ ◇ ◇
同じ頃、別室。
拘束された黒い外套の男が椅子に座っていた。
拘束はされているが、様子は落ち着いている。
目の前には、セルゲイとアシュレイがいた。
「お前の上は誰だ」
セルゲイが低く問う。
男は答えない。
ただ、わずかに笑う。
◇ ◇ ◇
「無駄だ」
静かに言う。
「一人潰しても、何も変わらない」
◇ ◇ ◇
アシュレイが目を細める。
「そうでもない」
◇ ◇ ◇
「少なくとも、お前は終わりだ」
◇ ◇ ◇
男は肩をすくめる。
だが、その目には焦りがない。
◇ ◇ ◇
「終わるのは——どちらだろうな」
◇ ◇ ◇
その言葉に、わずかな違和感が残った。
◇ ◇ ◇
夕方。
金獅子亭。
店内は、以前の活気に近づいていた。
客の声が増え、笑いも戻ってきている。完全ではないが、明らかに“戻っている”。
ガレスが満足そうに言う。
「やっとだな」
ミレイも小さく笑った。
「はい」
◇ ◇ ◇
そのとき、ルナがレオの服を引いた。
「ぱぱ」
「どうした?」
ルナは少し考えてから言う。
「もう、だいじょうぶ?」
◇ ◇ ◇
レオはしゃがみ込み、目線を合わせた。
「大丈夫だよ」
今度は、迷いはなかった。
◇ ◇ ◇
ルナは安心したように頷く。
その表情を見て、ミレイの肩の力も少し抜けた。
◇ ◇ ◇
夜。
レオはひとり、町の外れに立っていた。
フェルトハイムの灯りが、静かに広がっている。
守った。
確かに。
◇ ◇ ◇
だが——。
◇ ◇ ◇
「……終わってない」
◇ ◇ ◇
小さく呟く。
視線は、遠くへ向けられていた。
◇ ◇ ◇
その頃。
さらに遠く、海沿いの都市。
暗い部屋の中で、一人の男が報告を受けていた。
「フェルトハイムの件、失敗しました」
◇ ◇ ◇
沈黙。
◇ ◇ ◇
やがて、低い声が返る。
「そうか」
◇ ◇ ◇
怒りはない。
焦りもない。
◇ ◇ ◇
「では、次だ」
◇ ◇ ◇
その一言だけで、空気が変わる。
◇ ◇ ◇
「均衡を壊す方法は、一つではない」
◇ ◇ ◇
静かに、確実に。
新しい火種が生まれる。
◇ ◇ ◇
フェルトハイムの戦いは終わった。
だが——。
より大きな流れの中では、それはまだ一手に過ぎなかった。
物語は、次の段階へと進んでいく。




