第81話 夜に火が走る
深夜のフェルトハイムに、最初の叫び声が響いた。
それは小さなものだった。だが静まり返った町では、それだけで十分だった。音は波紋のように広がり、次の瞬間、別の場所でも声が上がる。
火種が、同時にいくつも灯る。
計画通りの動きだった。
◇ ◇ ◇
北側の通り。
言い争いが、すでに形を変えていた。
「だから言っただろ!」
「お前らが——!」
押し合い、掴み合い。
ほんの一歩で、暴力に変わる距離。
その中心へ、ガレスが踏み込んだ。
「やめろ!」
低い声が、空気を割る。
だが勢いは止まらない。感情が先に走っている。
ガレスは迷わなかった。間に割って入り、片方の腕を掴み、力任せではなく“崩す”ように引く。
バランスを失った男が、よろめく。
「落ち着け」
短く言う。
もう一人にも視線を向ける。
「ここでやれば、誰が得する」
その言葉で、ほんの一瞬だけ動きが止まる。
そこに周囲の男たちが入る。町の人間だ。ガレスの指示で配置していた連中が、すぐに距離を作る。
完全ではない。
だが、爆発は止まった。
◇ ◇ ◇
別の通り。
倉庫の裏手で、小さな火が上がる。
油を撒いた跡。
明らかな放火だ。
兵が駆けつけ、すぐに水がかけられる。火は大きくならない。
だがそれが目的ではない。
視線を引き、混乱を広げるための火だ。
◇ ◇ ◇
その全体を、レオは見ていた。
ひとつひとつを追わない。
流れを見る。
どこに集中し、どこが空くか。
「……中央だ」
小さく呟く。
火種は散っているようで、導線はひとつに集まっている。
◇ ◇ ◇
エドワードが隣で言う。
「陽動ですね」
「うん」
レオは頷いた。
「本命は別にある」
視線を上げる。
町の中心へ。
◇ ◇ ◇
その頃。
広場へ続く通りで、黒い外套の男が歩いていた。
慌てる様子はない。
騒ぎの中を、まるで散歩のように進む。
周囲では小競り合いが起き、兵が動き、人が集まっている。
すべてが、目隠しになっている。
「いい流れだ」
小さく呟く。
そして、広場へ足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
レオは動いた。
迷いはない。
中央へ向かう。
途中でガレスとすれ違う。
「北は抑えた」
短い報告。
レオは頷く。
「中央に来る」
それだけで通じる。
ガレスは進路を変え、外周へ回る。
役割は明確だった。
◇ ◇ ◇
広場。
人は少ない。
だが完全に無人ではない。
不安を抱えた者たちが、様子を見に出てきている。
その中心に——。
黒い外套の男がいた。
◇ ◇ ◇
レオは足を止めた。
距離は、数十歩。
逃げられる距離でも、仕掛けられる距離でもある。
◇ ◇ ◇
「やっと会えたな」
男が言う。
声は穏やかだった。
◇ ◇ ◇
レオは何も言わない。
ただ、見据える。
◇ ◇ ◇
「いい顔だ」
男は続ける。
「均衡を守る者の顔じゃない」
わずかに笑う。
「壊す側の顔だ」
◇ ◇ ◇
沈黙。
◇ ◇ ◇
レオは静かに言った。
「終わりにする」
◇ ◇ ◇
男は首を傾げる。
「どちらを?」
◇ ◇ ◇
「全部だ」
◇ ◇ ◇
その言葉に、男の目が細くなる。
◇ ◇ ◇
「なら——」
男が一歩踏み出す。
◇ ◇ ◇
「ここで決めよう」
◇ ◇ ◇
空気が変わる。
広場の空気が、完全に張り詰める。
◇ ◇ ◇
フェルトハイムの均衡は、今この瞬間にかかっていた。
守るか、壊れるか。
その分岐点に、二人は立っている。




