第80話 決壊の前夜
フェルトハイムの夜は、異様な静けさに包まれていた。
人の気配はある。灯りも消えてはいない。だが、どこか息を潜めているような空気が町全体に広がっている。噂も争いも、今は表に出ていない。
その沈黙が、逆に不気味だった。
◇ ◇ ◇
議事館の一室。
レオとエドワードは、地図と報告書を前にして向き合っていた。
「証言は取れました。黒い外套の男が扇動していたことは確定です」
エドワードが静かに言う。
「ですが、まだ核心には届いていません。上層は切り離されています」
レオは頷いた。
ここまでは読めている。問題は、その先だ。
「……出てくる」
レオが低く言う。
「次で、必ず」
エドワードが目を細めた。
「なぜそう判断します?」
レオは短く答える。
「流れができている。疑いは広がり、分断も始まった。このままでは中途半端だ」
一拍置く。
「だから、決定打を打つ」
部屋の空気が静かに張り詰める。
もう避けられない局面だった。
◇ ◇ ◇
同じ頃、金獅子亭の裏手。
ガレスは数人の町の男たちと、見回りの配置を確認していた。
「今日は散らせ。まとまるな」
低い声で指示を出す。
「何かあったら、すぐに知らせろ。勝手に動くな」
男たちは真剣な表情で頷く。
ガレスは町の様子を見渡した。
表は静かだ。
だが、それが逆に怪しい。
「……来るな」
小さく呟く。
勘ではない。
これまでの流れが、そう告げていた。
◇ ◇ ◇
町の外れ。
黒い外套の男は、暗がりの中に立っていた。
部下が報告する。
「準備は整いました」
男は頷く。
「よし」
その目には、迷いがなかった。
「これで終わる」
部下が問う。
「狙いは?」
男はゆっくり答えた。
「信頼だ」
一拍置く。
「完全に壊す」
そして、わずかに笑った。
「もう一度、血を流せばいい」
◇ ◇ ◇
深夜。
フェルトハイムの一角。
静かな通りに、複数の影が動く。
足音はほとんどない。
だが、その動きは明確に意図を持っていた。
目指す先は、人が集まる場所。
争いを起こすには、最も効果的な場所だった。
◇ ◇ ◇
その動きを、離れた位置から見ている影があった。
レオだ。
すでに察知していた。
「……来た」
小さく呟く。
次の瞬間、表情が変わる。
「止める」
それは決意ではない。
確定だった。
◇ ◇ ◇
そこへ、エドワードが追いつく。
「確認できました。複数、町内に侵入しています」
レオは頷いた。
「分散してるな」
「はい。意図的に火種を作る動きです」
最悪の形だった。
ひとつを止めても、別が燃える。
◇ ◇ ◇
そのとき、別方向からガレスが現れる。
「北側、動いてる」
短く言う。
「町の連中は抑えてるが、長くはもたねぇ」
レオはすぐ判断した。
「任せる」
ガレスを見る。
「町の内側は頼む」
ガレスはニヤリと笑う。
「最初からそのつもりだ」
役割は明確だった。
レオは“全体”。
ガレスは“町の中”。
◇ ◇ ◇
レオは一歩踏み出す。
視線は、敵の中心へ。
もう守るだけでは終わらない。
終わらせる。
◇ ◇ ◇
フェルトハイムの均衡は、今まさに崩れようとしていた。
だが同時に——。
それを食い止める最後の一手も、動き出している。




