第78話 見えない崩壊
フェルトハイムの朝は、昨日よりもわずかに軽かった。
広場での説明が効いたのか、人々の視線は少しだけ柔らいでいる。完全に信じられたわけではない。それでも、露骨な敵意は減っていた。
だがレオは、それを安心材料にはしなかった。
表面が整うほど、裏の動きは見えにくくなる。
◇ ◇ ◇
議事館の一室で、レオはエドワードと地図を見ていた。
「押収した記録から、資金の流れは追えます。ただ、末端の実行役までは辿れても、上は切り離されています」
エドワードの指が地図の上をなぞる。複数の拠点、分散された経路。明らかに意図的な構造だ。
「顔を出さない相手だな」
レオが呟く。
「ええ。だからこそ厄介です」
直接叩いても、本体には届かない。
レオは少し考えたあと、視線を上げた。
「なら、逆に使う」
◇ ◇ ◇
同じ頃、町の通り。
金獅子亭の前では、いつも通りの営業が続いていた。
ミレイは客に料理を運びながら、さりげなく周囲を見ている。以前よりも、客同士の会話が増えている。だがその内容には、まだ慎重さが残っていた。
「昨日の話、どう思う?」
「全部が嘘じゃないだろうな」
「でも、本当かどうかも分からない」
完全な否定でも、完全な肯定でもない。
その曖昧さが、今の町の状態だった。
◇ ◇ ◇
店の奥で、ガレスが低く言う。
「戻りきってねぇな」
「うん」
ミレイは小さく頷く。
「でも、崩れてもいない」
それが、今の限界だった。
◇ ◇ ◇
一方、町の外れ。
黒い外套の男は、別の動きを始めていた。
「次は“内側”だ」
部下が首を傾げる。
「もう町は揺れています」
「足りない」
男は即答した。
「揺れは、やがて戻る」
その目が細くなる。
「戻らない形にする」
◇ ◇ ◇
その日の午後。
フェルトハイムの一角で、小さな争いが起きた。
「お前、王国側の人間だろ」
「違うって言ってるだろ!」
ただの口論。
だが、それだけでは終わらなかった。
周囲がざわつき、どちらかに加担する声が出始める。
ほんの小さな火種。
だが、それは確実に燃え広がる形をしていた。
◇ ◇ ◇
レオがその場に着いたときには、すでに空気が張り詰めていた。
「やめてください」
声をかける。
だが、すぐには止まらない。
人は一度感情に火がつくと、簡単には戻らない。
◇ ◇ ◇
レオは一歩前に出る。
「ここで争えば、誰が得をしますか」
その一言で、空気がわずかに揺れる。
◇ ◇ ◇
「外にいる連中です」
静かに続ける。
「今、やられているのは——これです」
人々は言葉を失う。
自分たちが、操られている側だという事実。
◇ ◇ ◇
やがて、どちらかが視線を落とした。
争いは、そこで止まる。
◇ ◇ ◇
だが——。
レオは分かっていた。
これは止めたのではない。
先送りにしただけだ。
◇ ◇ ◇
夜。
金獅子亭の外。
レオはひとりで立っていた。
町の灯りを見つめる。
昨日よりは、穏やかだ。
だが、その下で確実に何かが動いている。
◇ ◇ ◇
「……内側からか」
小さく呟く。
◇ ◇ ◇
敵は変えた。
やり方を。
◇ ◇ ◇
壊すのではなく、分ける。
◇ ◇ ◇
そのとき、ミレイが隣に来た。
「まだ、終わりませんね」
レオは頷く。
「むしろ、ここからだ」
◇ ◇ ◇
遠くの屋根の上。
黒い外套の男が、その様子を見ていた。
「そうだ」
静かに言う。
「ここから壊れる」
◇ ◇ ◇
フェルトハイムの均衡は、まだ保たれている。
だがそれは、薄い氷の上のようなものだった。
次の一手で、すべてが崩れる。
物語は、さらに危うい局面へと進んでいく。




