第238話 第五訂正
## 第五訂正、開始。
その一文を見た瞬間、レオの背中に冷たいものが走った。
「王家」――ミレイが小さく呟く。「今度は、そこを変えるつもり?」
「おそらく」とリアムが答える。「ただ、何をどう変えるのか、まだ分かりません」
「分かるまで待つか?」ガレスが苛立ったように言う。
「いいえ」レオは路地の先を見た。「戻ります、王宮へ。マルセルの部屋、帳面、残された資料――第五訂正につながるものを、全部確認します」
◇ ◇ ◇
王宮へ戻る頃には、すでに裏門周辺へ近衛が配置されていた。
「見つかった?」ガレスが隊長に尋ねる。
「いいえ。灰色の外套の男を数名見つけましたが、全員別人です」
「外套なんて、いくらでもあるもんね」とミレイ。
「はい」とリアム。「最初から、人混みに紛れる服装を選んでいたのでしょう」
◇ ◇ ◇
地下、第七記録庫の隠し部屋。机の上に置かれた訂正記録を、レオはもう一度最初から確認した。第一訂正・エリアス、第二訂正・レオン、第三訂正・ルシアン、第四訂正・オーウェン。そして第五訂正・王家。
「ここ、前は空欄だった」ミレイが指差す。
「はい。でも」とリアムが頁を斜めから見る。「筆圧があります。何か書いてあった?」
「いいえ。別紙を上に置いて書いた可能性があります」
ランタンを横から近づける。紙の表面にわずかな凹みが浮かび上がった。
「読めそう?」
「一部」リアムが目を凝らす。「……王家。その次、……統治。さらに、正当性」
レオの顔が強張る。「王家の統治の正当性?」
「おそらく」
◇ ◇ ◇
「つまり」ガレスが言う。「レオが王子じゃない、ノアが隠されてた、先王は実験してた、セドリックは隠してた――そういうの全部使って、王家そのものが国を治める資格ないって持っていく?」
「可能性があります」とレオ。
「でも」ミレイが少し考える。「それ、全部が嘘ってわけじゃないんだよね」
「はい。そこが危険です」
先王のリーベル実験、ヨハンの死、白鴉を知りながら完全には止められなかったセドリック。本来の王族ではないレオ、王族の血を持ちながら存在を隠されたノア、虚偽の王族認識を付与されたオーウェン。事実と嘘と隠蔽と誘導が、すべて絡み合っている。
「完全な嘘なら否定できます」レオが言う。「でも、事実を並べて一つの結論へ誘導されたら、反論はずっと難しい」
◇ ◇ ◇
「王家は信用できない――そう思う人が出るのは、仕方ないよね」ミレイがゆっくり言う。
「はい」とレオ。「それ自体を否定するつもりはありません」
「え?」
「実際、王家は隠してきた、間違えた、人を傷つけた。そこまで、なかったことにはできない」
「じゃあ」ガレスが言う。「マルセルに好き勝手言わせるのか」
「いいえ。結論を勝手に決めさせない。事実は出す。でも、王家に統治資格があるかどうか、それをマルセル一人が決める権利はない」
「国民が決める?」ミレイが問う。
「それも、簡単ではありません」
「王国は今日明日で王を選び直す制度ではありません」とリアム。
「そうです」とレオ。「だから、まずは王家が何を隠してきたか、どこまで事実か、そこを整理する必要がある」
「公表?」
「はい」
◇ ◇ ◇
ミレイがレオを見る。「また、自分に不利なことまで?」
「今回は私だけではありません。陛下、先王、ノア、王家全体――でも、隠したままマルセルに少しずつ出される方が、もっと危険です」
「先に出す?」
「できる範囲で」
「ただ」リアムが続ける。「一気に全部公表すれば、混乱は避けられません」
「はい。だから順番を決めます。第一に偽布告。第二に、レオ様の過去の命令と契約が現時点で無効になっていないこと。第三に、王家の過去について正式調査を開始すること。そして、証拠が確認できたものから順に出す。それで行きましょう」
そこへ足音が近づいた。近衛だった。
「殿下! 王都中央広場で、新しい紙が!」
またレオたちの表情が変わる。
「内容は」騎士が紙を差し出す。
◇ ◇ ◇
大きな見出しにはこうあった。**「王は、誰のために存在するのか。」**
その下に短い文章が続く。**先王は民を実験に使った。現王はその事実を知りながら隠した。現在の王子は王族ではない。本来の王族は名を奪われた。これでもなお、王家は正しいと言えるのか。**
誰もすぐには口を開かなかった。
「かなり、痛いところだけ並べてる」ミレイが言う。
「はい」リアム。「しかも一つ一つは完全な虚偽ではない」
「最後だけ」レオが言う。「結論を、読み手に出させている。王家は正しくない、そう思わせる。でも、直接は書かない」
◇ ◇ ◇
「マルセルらしい」――エリアスの声だった。全員が振り返る。拘束されたまま、別室から護衛に連れられてきていた。
「呼んでないぞ」ガレスが言う。
「私が呼びました」リアム。「この紙を見せた方がいいと思って」
「勝手に」
「後で怒ってください」
「今怒ってる」
エリアスが紙を見る。「間違いない、この形。昔からマルセルが好んでいた」
「形?」レオが聞く。
「質問で終わる。断定しない。自分は結論を言わない。でも、読む側が同じ結論へ辿り着くように材料だけを並べる」
「自分で考えたと思わせる」ミレイが呟く。
「そうだ。だから強い」エリアスが続ける。「人は、自分で出した答えを、他人に言われた答えより信じる」
◇ ◇ ◇
「じゃあ逆に」ガレスが言う。「こっちも答えを言わなきゃいい?」
「違います」レオが首を振る。「また同じことをやる必要はありません」
「じゃあどうする」
「答えを一つにしない」
「どういう意味?」ミレイが問う。
「王家は正しいか間違っているか、その二つだけではない。先王のしたことは間違いです。セドリック陛下が隠したことにも責任がある。でも、だから王家のすべてが今この瞬間から無効になるとは限らない。一つずつ分ける」
エリアスが少しだけ笑った。「また、二択を壊すのか」
「あなたに何度もやられましたから」
◇ ◇ ◇
レオたちは地上へ戻り、会議室でセドリック、ノア、グレイストーン、オーウェンに、第五訂正、マルセルの隠し部屋、偽布告、中央広場の紙のことを説明した。
セドリックは長く黙っていた。
「父のことを公表するのか」
「はい」レオが答える。
「全部?」
「確認できた範囲。リーベル実験、ヨハン・ヴァレン、先王の記録、陛下がそれを後から知っていたこと、そこまで」
「私が隠したことも」
「はい」
「お前をレオンにしたことも?」
レオは少しだけ間を置いた。「そこは、すでにかなり出ています。だから、正式に整理して出した方がいい」
「陛下」ノアが静かに言う。「俺のことも出していい」
セドリックがノアを見る。「ルシアン」
「ノアで」
「……ノア」
「俺が、アデライドの息子だったこと、隠されたこと、全部。俺は、隠されたまま守られるの、もう嫌です」
セドリックは何も言えなくなる。
「ただ」ノアが続ける。「王子として扱えとは言わない。俺は、まだ自分がどうしたいか決めてない」
「決める必要は、今すぐありません」レオが言う。
◇ ◇ ◇
「俺も」オーウェンが手を上げる。「俺が王子って話、正式に否定してくれ」
「出生記録の確認は、かなり進んでいます」
「両親も、記録が残ってる?」
「はい」
「なら出してくれ。もう、知らん奴に第二王子って呼ばれるの、うんざりだ」
「分かりました」レオが応じる。「ただし、あなたの証言だけではなく、出生記録、親族証言、可能なら幼少期の記録もまとめて」
「頼む」
◇ ◇ ◇
「問題は」グレイストーンが口を開く。「この発表を、どの名義で出すかだ」
全員が止まる。
「王家名義なら、また王家が自分に都合よく言ってるって思われる?」とミレイ。
「そうです」リアムが頷く。
「では議会を通す?」セドリックが問う。
「時間がかかる」グレイストーン。「今は噂の速度に負ける」
「第三者」ノアが言う。「誰か、王家以外で信用できるところ」
「監察局は?」ミレイが提案する。
部屋が静かになる。
「昔の、白鴉を調べてたところ」
「今は?」
「再編されています」リアムが答える。「現在は王室監査院の一部門として残っています」
「独立してない?」
「完全には」
「なら」レオが言う。「一つにしない。王宮、王室監査院、議会。三者で同じ資料を確認する。結果を別々に署名して出す」
「時間は」グレイストーン。
「最初の確認だけなら半日、詳細は後から」
「それでいいです」
「また複数経路」ミレイが呟く。
「でも今度は確認できる」レオが答える。
◇ ◇ ◇
準備が始まる。先王の記録、リーベル資料、エドガーの手紙、ノアの出生、オーウェンの出生、レオの代替経緯。複製と原本、保管場所、閲覧者――すべてを記録する。
夕方、最初の共同声明が出された。内容は短い。**現在流布している「フェルトハイム統治権停止」の文書は偽造である。レオン名義で過去に行われた行政行為は、現時点で有効である。王家の過去に関する重大な資料が発見されたため、王宮・王室監査院・議会による合同確認を開始した。確認された事実は順次公開する。**
「これだけ?」ミレイが聞く。
「まずは」レオが答える。「今必要なことだけ。全部一気に出すと、何が大事か分からなくなる」
「なるほど」
声明は王都へ、フェルトハイムへ、各地方へ送られた。今度は王宮だけではない。三つの印、三つの署名、確認方法、閲覧場所――全部を明記した上で。
◇ ◇ ◇
だが夜、最初の報告が返ってきた。
「殿下」リアムが紙を持って入る。「中央広場で、また別の紙です」
「内容は」
**三者が一致したから真実なのか。三つの署名があれば、あなたは信じるのか。**
ミレイが思わず顔をしかめる。「もう、何しても言えるじゃん」
「はい」レオが言う。「それが狙いです」
だが、その紙には続きがあった。**ならば、原本を見よ。明日正午。王都中央広場。王家が隠してきた原本を公開する。**
「……何?」ガレスが声を上げる。
「原本?」リアムが繰り返す。「何の」
その下に列挙されていた。**リーベル試験命令書。アデライド王女の最終処方記録。レオン代替決定書。ルシアン身元抹消指示書。** そして最後に――**セドリック王署名入り。**
◇ ◇ ◇
部屋の空気が完全に変わった。
「陛下」レオがセドリックを見る。「そんな書類、存在するんですか」
セドリックはすぐには答えなかった。その沈黙だけで、ミレイにも分かった。
「……あるの?」
やがてセドリックが低く言った。「少なくとも、二つは存在した」
「どれです」
「レオン代替決定書」王が目を伏せる。「そして、ルシアンの身元を秘匿するための指示書だ」
「署名は、私だ」
ノアの顔が止まる。レオも何も言えない。
「原本は?」リアムが尋ねる。
「王宮の封印記録庫に、あるはずだった」
「だった?」ガレスが聞き返す。「今は?」
セドリックが顔を上げる。「確認しろ」
近衛が走る。半刻後、戻ってきた。
「陛下、封印記録庫を確認しました」
「結果は」
騎士が息を呑む。「該当する二点の原本が、ありません」
「盗まれた?」ミレイが聞く。
「保管箱に破壊跡はありません」
「鍵は?」
「正常です」
「閲覧記録は」レオが問う。
「最後が、三か月前」
「誰」
答えが返る。**臨時記録修復士 エドワード・グレイ。**
マルセルは、三か月前に王宮へ入り、その時点ですでに第五訂正の材料を集めていたのだ。
◇ ◇ ◇
「明日正午、本当に中央広場で出す気か」ガレスが言う。
「おそらく」リアムが答える。「しかも、本物の原本を」
「どうする?」ミレイがレオを見る。「止める?」
レオはしばらく考えた。そして「いいえ」と答えた。
「え?」
「公開させます」
全員がレオを見る。
「本物なら、隠す理由はありません」
「でも」セドリックが口を挟む。「レオン、それを出せば、お前も、ノアも、王家も、大きく傷つく」
「もう」レオが答えた。「傷つかない方法を選ぶ段階ではありません」
「ただし、マルセルの好きにはさせない」
「どうする」ガレスが聞く。
「原本が出るなら、その場でこちらも確認する。筆跡、印、紙、保管記録、全部。そして、何が書かれているか読み上げる。切り取らせない」
ミレイがゆっくり頷く。「見せるなら、全部?」
「はい。都合の悪いところも、全部」
◇ ◇ ◇
中央広場。明日、正午。マルセルが王家の原本を出す。それは明らかに罠だ。それでも、今度は避けない。
レオは机に置かれた偽布告、訂正記録、共同声明のすべてを見比べた。
「マルセルが、誰が真実を決めるかを問うなら」ミレイがレオを見る。
「うん」
「答えます。誰か一人じゃない。記録だけでもない。王でもない。マルセルでもない。確認できるものを、皆で見る。そこから始めます」
◇ ◇ ◇
その頃、王都中央広場は誰もいない深夜だった。一人の男が壇上へ、大きな木箱を置いていた。灰色の髪、左手、曲がった人差し指――マルセル・グレイである。
箱の中には古い書類、王家の印、封蝋。そして一番上に、**レオン代替決定書。**
マルセルはそれを見て、静かに言った。
「明日は、私が決めるのではない。彼ら自身が、自分たちの王家を終わらせる」




