第235話 エドガー・ロウの真実
## 名前を変えて、また始まる。
その一文を、誰もすぐには飲み込めなかった。
「……ちょっと待って」と、ミレイが最初に声を出した。「エドガーさんが、先王に方法を渡した?」
「そう書いてあります」とリアムが答える。
「でも、エドガーさんって、白鴉を止めようとしてた人だよね?」
「少なくとも、私たちが見つけた記録では、そうです」
### 年代の整理
レオは革表紙の記録を見つめながら言った。「まず年代を整理しましょう。リーベルの実験が約二十年前、白鴉の研究班ができたのがその約二年後。エドガーさんが私たちへ残した記録は、ずっと後です」
「つまり」とガレス。「途中で立場が変わった可能性はある」
「最初は協力して、後から止めようとした?」とミレイが問う。
「可能性の一つです」レオは続けた。「でもそれだけではありません。先王の記録自体が、事実と違う可能性もある」
「父が嘘を書いたと?」セドリックが低く言った。
「可能性を排除しません」レオは王の目を見る。「陛下、これは先王本人が書いたものだと断定できますか」
「筆跡は父のものに見える」
「封蝋も?」
「父が私的に使っていた印だ」
「紙は年代として不自然には見えません」とリアムが確認する。「ただし、王都で正式な照合が必要です」
「そうしてください」
### エリアスとエドガー
エリアスは黙っていた。レオがそちらを見る。「あなたは、この記録の存在を知っていた?」
「存在だけは。中身は知らなかった」
「本当に?」
「今さらそこを嘘にして何になる」
「あなたの場合、何になるか分からないから聞いています」
ガレスが小さく吹き出す。「ずいぶん遠慮なくなったな」
「今まで十分遠慮しました」
「エドガーとは、いつから知り合いだったんです」レオが尋ねる。
「二十年以上前」
「白鴉が作られる前?」
「そうだ」
全員の視線が集まった。「どういう関係?」とミレイ。
「同じ資料を追っていた。人間の証言と、記録の変化について」
「それ、もう白鴉と同じじゃねえか」ガレスが眉を寄せる。
「研究対象は同じだ。目的は違った」
「エドガーさんは何を調べていた?」とレオ。
エリアスは少し考えてから答えた。「古い裁判記録だ」
### 百年前の証言操作
「裁判?」とミレイ。
「百年以上前、地方で起きた事件を、エドガーは集めていた。複数の証人が最初は違う証言をしていたのに、数週間後には全員がほぼ同じ話をするようになった事件だ」
「それだけなら、証言のすり合わせや脅迫も考えられます」とリアム。
「そうだ。だからエドガーも最初はそう考えた」
「でも違った?」
「同じ特徴を持つ事件が何十件もあった」
「同じ特徴?」レオが問う。
「最初に一枚の紙が出回る。犯人についてこういう人物だ、こういうことをした、こういう過去がある――そう書かれた紙だ」
ミレイの表情が変わる。「今と、同じ」
「そうだ」
「誰が配った?」とガレス。
「分からない。記録には残っていない。でもその紙が出た後、酒場、教会、市場、役所で同じ話が繰り返される。やがて最初は違うことを言っていた人間まで、同じ話をするようになる」
リーベル。フェルトハイム。王都。今まで何度も見た、同じ形だった。
「エドガーさんは、それを古い記録から発見した」とリアム。
「いつ頃です」
「リーベルの数年前」
「じゃあ、先王に渡したのはその調査結果?」とミレイ。
「おそらくな」
「おそらく?」
「私はその場にいなかった」
### 先王の告白
レオは先王の記録へ戻る。「続きを読みましょう」
セドリックが頁をめくると、まだ文章が残っていた。
**エドガー・ロウは、古い裁判記録の調査結果を私に示した。彼の目的は警告だった。**
レオの目が止まる。「警告?」
セドリックが続けた。**彼は言った。『同じ方法が、意図的に使われている可能性があります』『もし王国の統治に利用されれば、命令や武力より危険です』**
「じゃあエドガーは、やっぱり止めようとしてたんじゃねえか」とガレス。
「そのように読めます」
次の一文。**私は彼の警告を聞いた。そして、私は過ちを犯した。**
セドリックの声が止まる。「父が……自分で、過ちと」
「続きを」レオが促す。
**私は危険性を理解するためには、実際に試す必要があると考えた。**
ミレイが目を見開く。「……それで、リーベル?」
**エドガーは反対した。強く反対した。人間を使うべきではないと。私は聞かなかった。**
部屋が静まり返った。
「つまり」リアムが整理する。「エドガー・ロウは方法を先王へ渡したのではなく、危険な方法が存在すると警告した。先王はそれを実験へ転用した。そういうことになります」
「さっきの『私は方法を受け取った』って、かなり言い方が悪くない?」とミレイ。
「悪いですね。そこだけ読めば、エドガーさんが協力者に見える」
「だから一部だけで判断するな、ということでもあります」
エリアスが小さく息を吐いた。「皮肉だな。先王自身の記録が、切り取ればまったく違う意味になる。白鴉がやっていることと、同じだ」
「だから最後まで読むんでしょ」とミレイ。
### ヨハンの死
続き。**ヨハン・ヴァレンを対象とすることにも、エドガーは反対した。**
エリアスの顔が変わる。
**彼は、ヨハンが私の元書記官であり、私の秘密を知る人物である以上、実験の公平性そのものが成立しないと主張した。**
「秘密――エリアスのことか?」とガレス。
「可能性は高い」とリアム。エリアスは何も言わなかった。
**だが私は、むしろそれを理由にヨハンを選んだ。私は恐れていた。ヨハンが、エヴァと子供のことを公にするのではないかと。**
全員がエリアスを見る。エリアスは動かなかった。ただ拘束された両手が、ゆっくり握られる。
「じゃあヨハンさんは、あなたのことを知ってた」とミレイ。
「そういうことになります。そして先王は、実験と同時に口封じも考えていた」とリアム。
「違う、まだ続いている」セドリックが記録を見る。
**私は、彼を殺すつもりではなかった。村から一時的に消し、認識がどこまで変化するかを確認した後、別の土地で暮らさせるつもりだった。**
「だから何だ」エリアスの声が初めて冷たくなる。「死なせるつもりがなければ、許されるのか」
「許されません」レオが答えた。「でも、何をしようとしたのか、何が実際に起きたのか、分けて知る必要があります」
**ヨハンは死んだ。私が継続を命じたためだ。これは事故ではない。私の責任である。**
エリアスが目を閉じた。長い沈黙のあと、セドリックが言う。「父は知っていたんだな、自分が何をしたか」
「知っていた。でも止めなかった。その後も白鴉は生まれた」とエリアス。
### 複製された資料
「なぜリーベルで人が死んで、先王自身も過ちだったと理解したのに、白鴉ができたのか。続きを」とレオ。
**試験終了後、私は全資料を封印するよう命じた。だが、一部がすでに複製されていた。**
リアムが身を乗り出す。
**誰が複製したのか。私は最後まで特定できなかった。監察局へ渡った資料には、私が保管した原本には存在しない追記があった。**
次の頁には短い文があった。**個人への適用に留める必要はない。集団全体に異なる現実を与えれば、国そのものの認識を誘導できる。**
「今、エリアスがやってること」ミレイが息を呑む。
「私ではない」エリアスの声が低い。「私は、そんな文を書いていない」
「でも同じことやってるじゃねえか」とガレス。
「後にその発想へ至ったことは否定しない。だが二十年前の時点では、私はまだリーベルで何が起きたのかすら知らなかった」
「確認できますか」
「できる。エドガーの記録だ。彼は複製資料の存在を知った後、独自に誰が先王の資料を持ち出したのかを追跡した」
「その記録が残っている?」
「王都だ。オーウェンの名を出した。エドガーが甥に残したものの中だ」
### 聖書の中の紙
「オーウェン? 本人は知っているんですか」とミレイ。
「知らないだろう。エドガーはすべてを一つの場所に残す男ではなかった」レオは、鉄箱、手紙、帳面、黒く塗られた名前、破られた頁を思い出す。何度も、情報は分散されていた。
「何に入ってる」とガレス。
「古い聖書だ。エドガーがオーウェンへ遺した私物の中に、革表紙の古い聖書がある。表紙の内側が二重になっていて、そこに紙が隠されている」
「なんで知ってるんです」
「私が隠すところを見たからだ」
「いつ」
「十七年前、ルシアンを逃がした直後」
クララがエリアスを見る。「あなた、その頃まだエドガーと会っていたの?」
「一度だけだ。彼は私を疑っていた」
「何を?」
「白鴉の残党を、私が集めていることを」
部屋が静かになる。「実際、集めていた?」とレオ。
「……ああ」
「エドガーさんはあなたを止めなかったの?」とミレイ。
「止めようとした。説得した」
「当時の私は、まだ今ほど多くをしていなかった」エリアスは少しだけ視線を落とす。「私は、ヨハンに何が起きたのか知りたかった。母に何が起きたのか知りたかった。白鴉の資料を集めれば辿れると思っていた」
「それが途中から、自分で使うようになった」
「そうだ。ルシアン――対象017が、最初だった」
### クララの怒り
「ノアを? 血統を消して別の人間として育てる実験。あなたが始めたの?」とミレイ。
沈黙のあと、「提案した」
クララが一歩前へ出る。「あなたがルシアン様を対象に選んだのですか」
「そうだ」
クララの手が震える。ガレスが僅かに前へ出たが、クララはエリアスを殴らなかった。「なぜアデライド様の子を」
「王家が私にしたことを、逆にしたら何が起こるか、知りたかった」
ミレイの顔が完全に怒りへ変わる。「それ、前にも聞いたけど、やっぱり最低だよ」
「分かっている。分かってたらやらないよ」
「あなたは、自分が間違っていたと今は思っているんですか」レオが静かに言った。
エリアスは答えない。
「それとも、捕まったからそう言っているだけですか」
「分からない。私は、自分の考えがどこから自分のものだったのか、今、分からなくなっている」
### 観察される者
「私が白鴉の資料を集め始めた時、すでに誰かが私に資料を渡していた。誰が渡したのかは分からない」
「匿名で、ヨハンの記録、母の記録、王家が私を消した証拠、そういうものが少しずつ私のところへ届いた」
「あなたが最も怒るように?」とリアム。
「そうだ。誘導されていた可能性がある。今になって、そう考えている」
「それって、エリアス自身が観察されてたってこと?」とミレイ。全員が止まる。
あの印――円と三本の縦線。**観察する者の印ではない。観察される者同士が互いを認識するための印。**
レオの表情が変わった。「E.V.――存在抹消。最初の観察室に書かれていた」
「あなた、白鴉の観察者であると同時に、その前から観察対象だった?」
「可能性はある。気づいたのは半年前。私が使った覚えのない記録が、私の名で動き始めた」
「何の記録?」
「白鴉計画の旧関係者へ、招集命令が届いた。私の名で。でも出していない。それからフェルトハイム、王都、ノア、オーウェン――私が計画した観察に、別の指示が混ざり始めた」
「どこまでが、あなたの計画なんです」レオの声が鋭くなる。
「第四観察は私だ。フェルトハイムの偽税も私だ。セリーヌさんの南の火災も私だ。オーウェンの証言を複数の偽証言で揺らしたのも私だ。王都で三人から本物の王子を選ばせたのも私だ」
「では、あなたがしていないものは?」
「最初に、お前が本来のレオンではないという情報を王都へ流したのは、私ではない。ノアの名を私の予定より早く市民へ出したのも、私ではない。そしてオーウェンを第二の王子として最初に作り上げたのも、私ではない」
「じゃあ誰かが、エリアスの計画に乗っかってた?」とミレイ。
「あるいは、エリアス様の計画そのものを利用していた」とリアム。
「目的は?」とガレス。
「分からない。でも一つ違いがあります」レオがゆっくり言う。「エリアスは、人が何を信じるかを観察しようとした。最悪ですが、目的は観察だった」
「……褒めてないですよね?」
「まったく」
「でも」レオは続ける。「別の誰かは、結果を特定の方向へ動かそうとしている。レオを偽物に、ノアを王家へ、オーウェンを第二の王子に」
「つまり観察ではなく、王家の認識そのものを再構成しようとしている」とリアム。
セドリックが先王の記録を見つめる。「父の時代から、まだ誰かが?」
「同一人物とは限りません。方法だけが受け継がれている可能性もあります」
先王の最後の言葉が、また浮かぶ。**名前を変えて、また始まる。**
### ハロルド・ベイン
「王都へ戻ります」レオが言った。「オーウェンが持っている、エドガーさんの聖書を確認する。先王の資料を複製した人物に、辿れるかもしれない」
「エリアスは?」とガレス。
「もちろん連れて帰ります」
「逃げない」
「聞いてません」
その時、リアムが先王の記録をもう一度めくった。「待ってください。最後の頁に何かあります」
紙の裏、ほとんど見えない薄い筆跡。ランタンを横から近づけると、紙の凹凸に文字が浮かぶ。
「筆圧の跡ですね。上に置いた別紙へ書いたものが残っている」
「読める?」
「一部なら」角度を変える。**複製者を確認した。**
全員が息を止める。「名前は?」とガレス。
「続きが」リアムが慎重に読む。**王宮記録官――**
その先は薄いが、一文字ずつ浮かぶ。「……ハ」「次」「ロ」
レオが目を見開く。「まさか」
最後の文字。**ルド・ベイン。**
「ハロルド?」とミレイ。その名は以前、第三図書庫でミア・フォードを呼び出した偽の召喚状に使われていた。
「でもミアさんの時は、ハロルド・ベイン名義を使った偽造召喚状でした。本人が出したとは確認されていません」とリアムがすぐに言う。
「だから、これも名前が出ただけでは決めません」とレオ。
エリアスが、その名を聞いて初めて明らかに動揺した。
「……何です」レオが気づく。「知っているんですね、ハロルド・ベインを」
「知っている」
「誰です」
エリアスはゆっくりセドリックを見た。「先王の、最後の記録官だ」
セドリックの顔も変わる。「いや、待て。ハロルドは死んでいる」
「いつ」
「十六年前だ」
十六年前――その数字に、クララが息を呑んだ。ルイス・アルデン、最終記録官も、十六年前に死んだとされている。
「同じ年? 偶然?」とミレイ。
「分かりません」とリアム。「ですが、調べる必要があります」
レオは、先王の記録、エドガー、ハロルド、エリアス、そして今まで何度も書類の中に現れた「死んだ者」「消えた者」「存在しないことにされた者」の境界を思い出す。
「王都へ戻りましょう」レオが言った。「まず、ハロルド・ベインの死亡記録とルイス・アルデンの死亡記録、両方を最初から確認します」
「同時に?」とミレイ。
「はい。もし十六年前に、二人の記録が同じ時期、同じ人物、同じ部署によって処理されていたら」
レオはそこで言葉を切った。「白鴉が一度終わったように見えた時、本当は何が始まったのか、分かるかもしれません」




