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第232話 三つの扉

# 第232話 三つの扉


 三つの扉が。


 同時に開いた。


「……全部?」


 ミレイが呟く。


「一つだけ開くって言ってなかったか?」


 ガレスが顔をしかめる。


 壁の向こうから。


 エリアスの声。


「君が選ばなかったからだ」


「だから全部?」


 レオが尋ねる。


「選択を拒否する者には」


「選択肢そのものを見せる必要がある」


「相変わらず回りくどいですね」


 返事はない。


     ◇ ◇ ◇


 三つの扉。


 左。


 **血統。**


 中央。


 **記録。**


 右。


 **記憶。**


 その先は。


 どれも暗い。


「分かれて入れってこと?」


 ミレイが聞く。


「おそらく」


 リアムが答える。


「でも」


 ガレスがすぐに言った。


「分かれねえぞ」


「はい」


 レオも頷く。


「前にも分断を狙われています」


「今回はなおさらです」


「じゃあ一つずつ?」


「そうします」


「順番は?」


 ミレイが尋ねる。


 レオは。


 三つを見る。


「どれからでもいいでしょう」


「本当に?」


「はい」


「相手が順番まで意味づけようとしているなら」


「こちらが気にするほど」


「思い通りになります」


「じゃあ」


 ミレイが左を指す。


「近いのから」


「血統?」


「うん」


「合理的です」


「ただ近いだけだけど」


     ◇ ◇ ◇


 左の扉。


 ガレスが先頭。


 その後ろに。


 レオ。


 ミレイ。


 クララ。


 リアム。


 護衛。


 廊下。


 狭い。


 五歩。


 十歩。


 やがて。


 部屋。


 壁一面に。


 系図が貼られていた。


「うわ」


 ミレイが足を止める。


 王家の家系図。


 何代も前から。


 現在まで。


 名前。


 婚姻。


 子供。


 庶子。


 死産。


 記録なし。


 疑義。


 大量の書き込み。


     ◇ ◇ ◇


「これは」


 クララが近づく。


「かなり古い資料まであります」


「本物?」


「一部は」


「王宮の非公開資料と一致しています」


 リアムが。


 別の紙を見る。


「複製でしょうね」


「ここで保管していた?」


「可能性はあります」


 中央。


 大きな系図。


 セドリック王。


 その横。


 アデライド王女。


 さらに。


 正式な線ではない。


 点線。


 先王から。


 一人の名前へ。


 **Elias Valen**


「ある」


 ミレイが言った。


「エリアス」


     ◇ ◇ ◇


 その名前の横。


 注記。


 **出生記録なし。**


 **母――Eva Haldy**


 **認知なし。**


 さらに下。


 赤い文字。


 **血は存在する。**


 **王家は存在を認めない。**


 その横。


 別の紙。


 ノア。


 **Lucian Adel**


 **血は存在する。**


 **本人は血統を知らずに育つ。**


 そして。


 レオ。


 **Leon――代替。**


 **血は存在しない。**


 **社会は王子として認識する。**


     ◇ ◇ ◇


「三つ並べてる」


 リアムが言う。


「エリアス」


「ノア」


「レオ」


「血はあるが認められない」


「血はあるが本人が知らない」


「血はないが認められる」


「対照実験みたい」


 ミレイが嫌そうに言う。


「おそらく」


 レオは。


 紙を見る。


「エリアスにとって」


「私たちは」


「ずっと比較対象なんでしょう」


     ◇ ◇ ◇


 奥。


 机。


 一冊の帳面。


 表紙。


 **血統に関する認識記録。**


 リアムが開く。


 中には。


 古い記録。


 王族ではないのに。


 周囲から王族だと信じられた者。


 逆に。


 王族の血を引きながら。


 記録から外された者。


 代替。


 隠し子。


 養子。


 誤認。


「何年分ある?」


 ガレスが聞く。


「少なくとも三十年以上」


「白鴉ができる前から?」


「はい」


「じゃあ」


 ミレイがクララを見る。


「エリアスが個人的に集めてた?」


「可能性は高いです」


     ◇ ◇ ◇


 最後の頁。


 新しい文字。


 **血統は、人を王族にするのか。**


 その下。


 空欄。


「答えを書けって?」


 ガレス。


「書きません」


 レオが即答する。


「だと思った」


 ミレイが言う。


「でも」


「答えはある?」


「あります」


「何?」


「血統だけでは」


「人を王族にはしない」


「でも」


「血統が無意味だとも思いません」


「ノアの人生にとって」


「自分の母が誰なのかは重要です」


「エリアスにとっても」


「先王が父であるなら」


「それは消していい事実ではない」


「ただ」


 レオは系図を見る。


「血だけで」


「その人の全部を決めることもできない」


     ◇ ◇ ◇


 壁のどこかから。


 声。


「模範的だ」


 エリアス。


「聞いてた」


 ミレイが周囲を見る。


「やはり穴があります」


 リアムが壁を確認する。


「音を拾っているのでしょう」


「模範解答を言ったつもりはありません」


 レオが言う。


「分かっている」


「だから面白い」


「面白いで済ませないでください」


「では」


「次へ行け」


     ◇ ◇ ◇


 レオたちは。


 血統の部屋を出た。


 最初の部屋へ戻る。


 三つの扉。


 残り二つ。


 **記録。**


 **記憶。**


「次」


 ミレイが中央を指す。


「近いから?」


「近いから」


     ◇ ◇ ◇


 記録の部屋。


 入った瞬間。


 紙の匂い。


 湿気。


 古い革。


 棚。


 棚。


 棚。


 小さな書庫。


「これ」


 リアムの表情が変わった。


「全部調べたら何日かかるんだ」


 ガレスが呟く。


「数日では済みません」


 棚には。


 王都。


 監察局。


 地方役所。


 教会。


 税務。


 出生。


 死亡。


 婚姻。


 移住。


 ありとあらゆる記録。


 複製。


 写し。


 改訂前。


 改訂後。


     ◇ ◇ ◇


「ここで」


 レオが呟く。


「記録を書き換えていた?」


「一部は」


 リアムが紙を確認する。


「比較用ですね」


「元の記録と」


「変更後」


「同じ人物について」


「二種類あります」


「どっちが本物?」


 ミレイ。


「そこを」


「分からなくするためでしょう」


     ◇ ◇ ◇


 机。


 一枚の紙。


 **記録が三つ一致すれば、人はそれを事実と呼ぶ。**


「証言と同じ」


 ミレイが言った。


「オーウェンの時」


「三つあれば事実になるって」


「はい」


 レオ。


 その下。


 **では、三つの記録が一致し、本人だけが否定した場合、誰が正しい?**


 ガレスが鼻を鳴らす。


「本人だろ」


「必ず?」


 リアムが聞く。


「……そう言われると」


「本人が嘘ついてる場合もある」


「あるいは」


 クララが言う。


「本人の記憶が間違っている場合も」


     ◇ ◇ ◇


 壁。


 新しい紙が貼られている。


 レオについて。


 三種類。


 一枚目。


 **レオン王子は王家の血を引く。**


 二枚目。


 **レオン王子は代替として選ばれた。**


 三枚目。


 **レオンという人物は存在しない。**


 ミレイが。


 眉を寄せた。


「最後の何」


「極端な例ですね」


 リアム。


「でも」


 レオは見つめる。


「エリアスが見せたいのは」


「こういうことなのでしょう」


「三つとも紙に書ける」


「印も押せる」


「証人も作れる」


「じゃあ」


 ミレイが言う。


「紙だけ見ても」


「本当か分からない」


「はい」


「だからこそ」


「どう確認するかが必要になる」


     ◇ ◇ ◇


「記録を否定するのか?」


 エリアスの声。


「いいえ」


 レオが答える。


「記録は必要です」


「矛盾しているな」


「していません」


「記録は」


「人の記憶より正確なことがあります」


「でも」


「記録も人が作る」


「間違える」


「改竄もされる」


「だから」


「一つだけで決めない」


「複数を見る」


「人の話も聞く」


「物証も調べる」


「その上で」


「それでも分からなければ」


「分からないままにする」


     ◇ ◇ ◇


 沈黙。


「分からないまま?」


 声。


「はい」


「人は」


「答えがないことに耐えられない」


「だから」


「嘘でも答えを選ぶ」


「そういう人もいるでしょう」


「君は違う?」


「私だって」


「答えは欲しいです」


「でも」


「間違った答えを」


「早く選ぶ必要はありません」


     ◇ ◇ ◇


 しばらく。


 声がなかった。


「……次へ」


 エリアスが言った。


 ガレスが。


 小さく笑う。


「ちょっと機嫌悪くなってないか」


「聞こえてますよ」


 ミレイが囁く。


「別にいい」


     ◇ ◇ ◇


 最後。


 **記憶。**


 扉を開く。


 中は。


 何もない。


 椅子だけ。


 一脚。


「また椅子?」


 ミレイ。


「拘束具はありません」


 リアム。


 正面。


 壁。


 鏡。


 最初の観察室と似ている。


 だが。


 机も。


 紙もない。


 壁に。


 一文。


 **あなたの記憶は、本当にあなたのものか。**


     ◇ ◇ ◇


「嫌な部屋」


 ミレイが言う。


「同感です」


 クララの声も硬い。


 その時。


 奥の壁から。


 音。


 カタン。


 小さな箱が。


 壁の隙間から押し出された。


「触るな」


 ガレス。


 リアムが確認する。


「仕掛けは見当たりません」


「開けますか」


 レオ。


「ここまで来たら」


 蓋を開く。


 中。


 古い布。


 その下。


 一冊の小さな手帳。


     ◇ ◇ ◇


 表紙。


 文字はない。


 開く。


 最初の頁。


 子供の字。


 **エリ。**


 次。


 **エリア。**


 次。


 **エリアス。**


 クララが。


 息を呑んだ。


「これは」


「本人の?」


「おそらく」


 頁をめくる。


 短い文章。


 幼い字。


 **母さんはエリと呼ぶ。**


 **あの人は名前を呼ばない。**


 **先生は坊やと呼ぶ。**


 **僕の名前はどれだろう。**


     ◇ ◇ ◇


 次の頁。


 少し成長した字。


 **母さんがいなくなった。**


 **母さんの名前を聞いても教えてくれない。**


 **家の人は、最初から母親はいなかったと言う。**


 ミレイの顔が。


 変わる。


「……同じだ」


「リーベルの老人と」


 リアムが言った。


「周囲が」


「存在そのものを否定している」


     ◇ ◇ ◇


 さらに。


 **僕は覚えている。**


 **母さんはいた。**


 **歌を歌った。**


 **手が冷たかった。**


 **髪を撫でてくれた。**


 **なのに皆はいないと言う。**


 次。


 **もし全員がいないと言ったら、母さんはいなかったことになるのか。**


 次。


 字が乱れている。


 **僕の方が間違っているのか。**


     ◇ ◇ ◇


 誰も。


 すぐには話せなかった。


 レオは。


 手帳を閉じなかった。


 次の頁。


 年齢は。


 おそらく十代。


 字が整っている。


 **確認した。**


 **エヴァ・ハルディという女性は王宮で働いていた。**


 **記録は一度削除されている。**


 **古い給与台帳にだけ名前が残っていた。**


 さらに。


 **僕の記憶は正しかった。**


     ◇ ◇ ◇


「それで」


 クララが呟く。


「記録に執着するようになった」


「自分の記憶を」


 ミレイが言う。


「証明するために?」


「最初は」


 レオが答える。


「そうだったのかもしれません」


     ◇ ◇ ◇


 頁を進める。


 文字が。


 急に変わる。


 冷静。


 分析的。


 **人は、一人の記憶を簡単に否定する。**


 **ならば、周囲の記憶を変えれば現実そのものを変えられるのではないか。**


 ミレイが。


 顔をしかめる。


「ここから」


「おかしくなってる」


「はい」


     ◇ ◇ ◇


 最後近く。


 **リーベル。**


 その文字。


 何度も。


 下線。


 **実証に適する。**


「実証?」


 ガレスが低く言う。


「じゃあ」


「やっぱりあの村の件」


「エリアスがやった?」


 リアムは。


 すぐには頷かなかった。


「可能性はかなり高くなりました」


「ですが」


「まだこの手帳自体が本人のものか」


「確認は必要です」


「そうですね」


 レオ。


「ここに置かれていた以上」


「見せたい物でもあります」


     ◇ ◇ ◇


 その言葉に。


 エリアスの声がした。


「君は」


「本当に疑うな」


「あなたが」


「そうさせたんでしょう」


「そうだ」


「だからこそ」


「嬉しい」


「褒められても困ります」


     ◇ ◇ ◇


「手帳は本物だ」


 エリアスが言う。


「証明できますか」


「できない」


「なら」


「保留します」


 短い沈黙。


 ガレスが。


 また笑いそうになる。


     ◇ ◇ ◇


「だが」


 声が続く。


「書いてある記憶は」


「私のものだ」


「母はいた」


「王宮に」


「確かに」


「そして」


「消された」


 クララが。


 静かに尋ねる。


「エリアス」


「エヴァ・ハルディは」


「どうなったのです」


 沈黙。


 長い。


「知らない」


 初めて。


 エリアスの声が。


 僅かに揺れた。


     ◇ ◇ ◇


「死んだのか」


「追放されたのか」


「別の名で生きたのか」


「知らない」


「私は」


「ずっと探した」


「記録を」


「証言を」


「何十年も」


「それでも」


「最後まで見つからなかった」


 レオは。


 鏡を見る。


 その向こうに。


 いるのか。


「だから」


「他の人にも同じことをしたんですか」


     ◇ ◇ ◇


 声が止まる。


「自分がされたことを」


「リーベルの老人に」


「ルシアンに」


「他の人たちに」


「繰り返した」


「違う」


 即答。


「何が違うんです」


「私は」


「確認しただけだ」


「何を」


「人は」


「どこまで」


「自分を守れるか」


「周囲が否定しても」


「記録が否定しても」


「記憶が揺らいでも」


「なお」


「自分が自分だと言えるのか」


     ◇ ◇ ◇


「それを」


 レオが言う。


「本人の同意なしに?」


「……」


「人生を壊して?」


「必要だった」


「あなたには」


「そうでしょうね」


 レオの声は。


 静かだった。


「でも」


「された側には」


「必要じゃない」


     ◇ ◇ ◇


 ミレイが。


 レオを見る。


 怒鳴らない。


 責め立てない。


 それでも。


 はっきり。


 拒絶する。


「あなたが」


「自分の過去を確かめたかったこと」


「母親を探したかったこと」


「自分が誰なのか知りたかったこと」


「それ自体を」


「私は否定しません」


「ですが」


「そのために」


「他人の名前や人生を使う権利は」


「あなたにはありません」


     ◇ ◇ ◇


 鏡の向こう。


 何か。


 音。


 椅子が動くような。


 小さな音。


「……君は」


 エリアスが言う。


「私と」


「似ている」


「いいえ」


「似てる部分はあるよ」


 ミレイが突然言った。


「ミレイ?」


「だって」


 ミレイは鏡を見る。


「自分で選んだ名前を大事にしてるところとか」


「周りに決められるのが嫌なところとか」


「似てる」


「でも」


 ミレイの声が。


 少し強くなる。


「似てるからって」


「同じじゃない」


     ◇ ◇ ◇


「レオは」


「自分が苦しかったから」


「同じ苦しさを誰かにやろうとはしなかった」


「むしろ」


「されたくないことは」


「人にしない」


「それだけ」


 エリアスは。


 答えない。


「だから」


 ミレイ。


「あなたがレオと同じだって言うなら」


「そこが一番違うよ」


     ◇ ◇ ◇


 長い。


 沈黙。


 やがて。


 カチ。


 正面の鏡。


 中央から。


 左右へ。


 ゆっくり割れるように開いていく。


「下がって」


 ガレスが前へ。


 剣を構える。


 鏡の向こう。


 別室。


 机。


 棚。


 ランタン。


 そして。


 一人の男。


     ◇ ◇ ◇


 年齢は。


 五十前後。


 細身。


 灰色の髪。


 王族らしい華美な服ではない。


 濃い色の上着。


 記録官のような。


 地味な服装。


 顔立ちは。


 セドリック王と。


 似ている。


 はっきりとではない。


 だが。


 目元。


 鼻筋。


 どこか。


「……」


 クララが。


 息を止める。


「十九年ぶりですね」


 男が言った。


「クララ」


「エリアス」


     ◇ ◇ ◇


 レオが。


 初めて。


 観察者を直接見る。


「あなたが」


「エリアス・ヴァレン」


「そう呼ばれている」


「まだそれ言うんですね」


「事実だからだ」


「自分で選んだ名前でしょう」


「そうだ」


「なら」


 レオは。


 まっすぐ見る。


「あなたの名前です」


     ◇ ◇ ◇


 エリアスの表情が。


 一瞬だけ。


 止まった。


「簡単に言う」


「簡単ではありません」


「私は」


「自分が名前に振り回されたから」


「少しくらいは分かります」


「レオン」


「レオです」


「……」


「あなたが私を」


「どの名前で記録しても」


「そこは私が決めます」


     ◇ ◇ ◇


 エリアスは。


 しばらく。


 レオを見ていた。


 やがて。


「そうか」


 小さく。


 笑った。


「では」


「最後の確認をしよう」


 ガレスが剣を上げる。


「まだやる気か」


「もう観察は終わりです」


 レオが言う。


「違う」


 エリアス。


「これからだ」


「何が」


 男は。


 机の上から。


 一枚の紙を持ち上げた。


「王都で」


「今」


「新しい記録が配られている」


 レオの顔が変わる。


     ◇ ◇ ◇


「何の記録です」


「王宮の公式記録を模した文書だ」


「内容は」


 エリアスは。


 ゆっくり読む。


 **レオン王子は身代わりであり、王族ではない。**


 そこまでは。


 すでに公表した。


 だが。


 次。


 **従って、これまでレオン王子の名で行われた命令、契約、領地統治の正当性には疑義がある。**


「……何?」


 ミレイが顔を上げる。


 レオも。


 動かない。


     ◇ ◇ ◇


 エリアスは続ける。


「君は」


「自分が誰なのかを選んだ」


「次は」


「国が」


「君の過去をどう扱うかだ」


「何をした」


 ガレスが怒鳴る。


「私は」


「紙を配っただけだ」


「嘘を?」


「一部は事実だ」


「一部?」


「そこが重要だ」


 エリアスが笑う。


「完全な嘘より」


「事実を混ぜた方が」


「人はよく信じる」


     ◇ ◇ ◇


 レオの手が。


 強く握られる。


 フェルトハイム。


 領地。


 復興。


 決裁。


 契約。


 命令。


 すべて。


 レオン王子として行ってきた。


 もし。


 それらまで。


 無効だと広まれば。


 また。


 領民が混乱する。


「これが」


 レオが低く言う。


「最後の観察ですか」


「そうだ」


「君自身ではない」


「君が生きた時間」


「それを」


「国民が」


「本物と認めるかどうか」


     ◇ ◇ ◇


 エリアスは。


 レオを見た。


「名前が偽物なら」


「その名で積み重ねた人生も」


「偽物になるのか」


「私は」


「それを見たい」


 レオは。


 答えなかった。


 ミレイが。


 横から。


 レオの手を握る。


「帰ろ」


「ミレイ」


「王都に」


「ここでこの人の話聞いてる場合じゃない」


 エリアスが。


 僅かに眉を上げた。


     ◇ ◇ ◇


「そうですね」


 レオが言った。


 そして。


 エリアスを見る。


「あなたの実験は」


「失敗です」


「まだ結果は出ていない」


「いいえ」


「もう失敗しています」


「なぜ」


「私は」


「結果を見届けるために」


「ここに残らない」


     ◇ ◇ ◇


「あなたは」


「人がどう反応するかを」


「安全な場所から見続けた」


「でも」


「私は」


「その人たちのところへ戻ります」


「混乱しているなら」


「一緒に考える」


「怒っているなら」


「話を聞く」


「間違った記録があるなら」


「一つずつ確認する」


「それだけです」


 エリアスの表情から。


 笑みが消えた。


     ◇ ◇ ◇


「ガレス」


「おう」


「エリアス・ヴァレンを拘束してください」


「やっとか」


 ガレスが。


 一歩前へ。


 その瞬間。


 エリアスは。


 抵抗しなかった。


 両手を。


 静かに差し出した。


「……抵抗しないの?」


 ミレイが聞く。


「必要がない」


「なぜ」


 エリアスは。


 レオを見る。


「私はもう」


「見るべきものを見た」


     ◇ ◇ ◇


 ガレスが。


 手首へ縄をかける。


「変な真似すんなよ」


「しない」


 リアムは。


 部屋の資料を確認し始める。


「持ち出せるものはすべて回収します」


「はい」


 レオ。


「特に」


「リーベル村の実験記録」


「対象A」


「エヴァ・ハルディ」


「白鴉計画の成立前後」


「全部です」


     ◇ ◇ ◇


 エリアスが。


 小さく言った。


「対象Aの名を」


「知りたくないか」


 全員が止まる。


「知っているんですか」


「もちろん」


「誰です」


 エリアスは。


 少しだけ。


 目を伏せた。


「ヨハン・ヴァレン」


「……ヴァレン?」


 ミレイが聞き返す。


「私を育てた男だ」


     ◇ ◇ ◇


 クララの顔が。


 強張る。


「あなたを育てた人物が」


「リーベルで消された老人?」


「そうだ」


「じゃあ」


 ミレイが言う。


「あなたが実験した相手って」


「自分を育てた人?」


「違う」


 エリアスは。


 初めて。


 強く否定した。


「私は」


「彼を消していない」


「では誰が」


 レオが尋ねる。


 エリアスは。


 まっすぐ。


 答えた。


「白鴉を作る前の」


「最初の実験をした者がいる」


     ◇ ◇ ◇


 部屋の空気が。


 変わった。


「誰です」


 レオ。


 エリアスは。


 ゆっくり言った。


「先王だ」


     ◇ ◇ ◇


 誰も。


 すぐには言葉を出せなかった。


 レオが。


 眉を寄せる。


「セドリック陛下の父親が?」


「そして」


 エリアスは続ける。


「私の父でもある」


「先王が」


「リーベル村で」


「ヨハン・ヴァレンを使って」


「人の認識を変える実験をした」


「それが」


「すべての始まりだ」


 レオは。


 エリアスを見つめる。


「証拠は?」


「ある」


「どこに」


 エリアスが。


 部屋の奥を顎で示した。


 棚。


 一番下。


 黒い箱。


「そこだ」


     ◇ ◇ ◇


 リアムが。


 慎重に取り出す。


 鍵。


 開いている。


 蓋を上げる。


 中には。


 一冊の古い帳面。


 王家の紋章。


 そして。


 最初の頁。


 先王の署名。


 その下。


 短い一文。


 **認識誘導試験――リーベル村。**


 さらに。


 **対象――ヨハン・ヴァレン。**


 レオは。


 息を止めた。


 白鴉の始まりは。


 エリアスではなかった。


 そのさらに前。


 王家そのものが。


 すでに。


 人間の現実を。


 書き換えようとしていた。


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