第222話 観察者の痕跡
治療室を出たレオたちは、しばらく廊下で立ち尽くしていた。
オーウェンが最後に口にした言葉。
――観察者。
白鴉計画を引き継いだ組織。
その中心にいる、名前も顔も分からない人物。
「やっと敵の呼び名が出ましたね」
リアムが静かに言う。
「呼び名だけです」
レオは答えた。
「それが個人を指すのか」
「複数人をまとめた役職なのか」
「まだ分かりません」
「でもオーウェンは『その人』って言ったよね」
ミレイが言う。
「はい」
「少なくとも、エドガー・ロウが特定の一人をそう呼んでいた可能性は高いです」
ヴィクターが壁へ背を預けた。
「観察者……」
「何か心当たりがありますか」
「言葉だけなら」
ヴィクターは慎重に答える。
「オーウェンが何度か使っていた気がします」
「いつ?」
「はっきりとは」
「思い出そうとしすぎないでください」
レオが止める。
「浮かんだ時に教えてもらえれば十分です」
「はい」
◇ ◇ ◇
近衛詰所の一室へ戻ると、グレイストーンも合流した。
レオはオーウェンとの会話を最初から説明する。
エドガー・ロウは二年前に死亡。
殺したのは、現在「白鴉」と名乗る組織。
その中心人物を、エドガーは「観察者」と呼んでいた。
「二年前か」
グレイストーンが呟く。
「三年前にエドガーがマリアを訪ねた」
マリアが腕を組む。
「ああ」
「その一年後に殺されたことになる」
「何を調べていたのでしょう」
リアムが尋ねる。
「白鴉計画の資料」
「対象017」
「王族の血」
レオが並べる。
「それだけではないかもしれません」
「どういう意味だ」
ガレスが尋ねる。
「エドガーは十七年前、対象017を逃がした側です」
「なら白鴉を再び追い始めた時」
「最初に考えるのは、対象017がまだ安全かどうかでは?」
ノアが顔を上げる。
「私を?」
「そうです」
「でも、叔父は私の居場所を知らなかった可能性があります」
「観察官私記では、最終引き渡し後の居場所を知らないと書いてありました」
リアムが続ける。
「なら、エドガーはノア様を探していた?」
「敵より先に見つけるために」
ミレイが言った。
「あり得ます」
レオは頷いた。
◇ ◇ ◇
「エドガーの遺体は?」
グレイストーンがマリアへ尋ねる。
「私は知らない」
「オーウェンに聞くしかないね」
「目を覚ました後ですね」
レオが言う。
「それまでに、できることを進めます」
「何からだ」
「二年前」
レオは答えた。
「エドガー・ロウが死んだ時期の記録を調べます」
「王都にいたなら、何か残っているかもしれない」
「王都にいたとは限らんぞ」
「はい」
「だから失踪者、身元不明遺体、旅人の死亡記録まで広げます」
「範囲が広いですね」
リアムが言う。
「仕方ありません」
「もう一つ」
レオは黒い布を見た。
狙撃場所に残されていたもの。
印刷機の油に似た油が付着している。
「号外の偽造と狙撃が同じ系統で動いていた可能性を調べます」
「印刷所か」
ガレスが言う。
「はい」
「王都で、大量の号外を短時間で刷れる場所は限られるはずです」
「正規の印刷所だけとは限らないよ」
マリアが言う。
「分かっています」
「だから紙と油から追います」
◇ ◇ ◇
そこへ、セドリック王が入ってきた。
護衛は二人だけ。
「話は聞いた」
「父上」
「オーウェンは?」
「命に別状はありません」
「そうか」
王はノアを見る。
まだ、どこか戸惑いが残っている。
甥。
死んだと思っていた少年。
今まで王宮書記官として何度も顔を合わせていた男。
「ルシアン」
王が呼ぶ。
ノアの表情が固まる。
「……すみません」
「まだ、その名に慣れていません」
「そうだろうな」
「陛下」
ノアは少し迷ってから言った。
「今はノアと呼んでいただけますか」
セドリック王は一瞬驚き。
やがて頷いた。
「分かった」
「ノア」
そのやり取りを、アルバート伯爵は黙って見ていた。
◇ ◇ ◇
「王都の噂は?」
レオが尋ねる。
「広がっている」
セドリック王の顔が険しくなる。
「近衛が止めようとしたが、お前の言った通り無理だ」
「市民同士で話が変化している」
「内容は?」
「私がオーウェンを撃たせた」
「お前が撃たせた」
「ハーディング伯爵が撃たせた」
「ノアがオーウェンを殺そうとした」
「全部あります」
ミレイが呆れる。
「ノアさんまで?」
「もう話が勝手に増えてるんだね」
「それだけではない」
王が続ける。
「『撃たれたのは偽物で、本物のオーウェンは別にいる』という話まである」
「……そこまで行きましたか」
レオが額を押さえる。
「何を出しても疑われる段階ですね」
リアムが言う。
「だから」
セドリック王はレオを見る。
「王家として追加声明を出すべきか迷っている」
「今は出さない方がいいでしょう」
「理由は?」
「新しい情報がありません」
「同じことを繰り返せば」
「隠しているから同じことしか言えない、と解釈されます」
「では黙る?」
「黙るのではなく」
レオは言う。
「調査していることだけを示します」
「捕らえた配布人の事情聴取」
「狙撃場所の捜査」
「オーウェンの生存」
「確認できた事実だけです」
「出生については?」
「触れません」
王は少し考え。
「分かった」
◇ ◇ ◇
午後。
最初に結果が出たのは、黒い布だった。
王都にある複数の印刷所から油を取り寄せ、マリアが匂いと粘度を比較した。
「完全に同じとは言えない」
「でも」
マリアが三つの小瓶のうち一つを指す。
「これが一番近い」
「どこのものです」
「西区のベルク印刷所」
リアムが記録を見る。
「王都新報とは関係ありません」
「何を刷る店です」
「商会の広告」
「演劇の宣伝」
「選挙や議会の告知も一部請け負っています」
「大きいのか」
ガレスが尋ねる。
「中規模です」
「号外を大量に刷れる?」
「可能でしょう」
レオは立ち上がった。
「行きます」
「今から?」
ミレイが尋ねる。
「はい」
「店が閉まる前に」
◇ ◇ ◇
ベルク印刷所は、王都西区の裏通りにあった。
二階建ての石造り。
入口には大きな看板。
中から印刷機の規則的な音が聞こえる。
「普通に営業してますね」
ミレイが言う。
「だからこそ、まず普通に聞きます」
レオたちは近衛を外へ残した。
大勢で踏み込めば、相手が無関係だった場合に迷惑が掛かる。
中へ入る。
「いらっしゃい……」
受付の男がレオを見て固まった。
「レ、レオン殿下?」
「少しお話を伺いたい」
「は、はい!」
「店主はいますか」
「奥に!」
◇ ◇ ◇
店主ベルクは五十代の男だった。
事情を説明すると、顔色を変えた。
「号外?」
「うちじゃありません!」
「まだ何も決めつけていません」
レオが言う。
「確認したいだけです」
「この紙を見たことは?」
偽号外を広げる。
ベルクはすぐに首を横へ振ろうとして。
止まった。
「……紙は」
「知っていますか」
「うちでも使います」
「特別な紙ですか」
「いや」
「王都では普通です」
「では文字の型は?」
印刷された見出し。
ベルクが近づく。
「これは……」
「何か?」
「うちの活字に似てる」
ガレスの表情が変わる。
「似てるだけか」
「古い型です」
「今はほとんど使わない」
「どこに?」
「倉庫です」
「確認できますか」
「もちろん」
◇ ◇ ◇
倉庫。
木箱が並んでいた。
ベルクが一箱を引き出す。
「これです」
蓋を開く。
中は。
空だった。
店主の顔から血の気が引く。
「ない……」
「最後に確認したのは?」
「一か月ほど前」
「誰が触れられます」
「私と」
「職長」
「倉庫係」
「鍵は?」
「三人がそれぞれ持っています」
「盗まれた?」
「分かりません」
「倉庫の扉に破壊跡はありません」
リアムが確認する。
「合鍵か」
「内部の人間か」
「またその二択ですか」
ミレイが言う。
「二択にしないでください」
レオが即座に答えた。
「他の方法もあります」
「鍵を一時的に借りた」
「型を取った」
「扉が開いている時に入った」
「はいはい」
「もう分かったから」
◇ ◇ ◇
「職長と倉庫係を呼んでください」
二人ともすぐに来た。
職長は四十代。
倉庫係は二十代の青年。
どちらも盗難を知らないと答えた。
「一か月以内に、普段と違う注文は?」
リアムが尋ねる。
「あります」
職長が言った。
「どんな?」
「大量の白紙印刷」
「白紙?」
ミレイが首を傾げる。
「文字を刷らない?」
「正確には、罫線だけです」
「帳簿用の紙」
レオの表情が変わる。
「注文主は?」
「王都記録保存協会」
「そんな組織が?」
リアムが尋ねる。
「私は聞いたことがありません」
「私もです」
レオも知らない。
「誰が注文に来ました」
「男です」
「年齢は?」
「三十代くらい」
「特徴は?」
「普通の人でした」
「名前は?」
「ヘンリーと」
「姓は?」
「聞いていません」
「支払いは?」
「現金です」
「納品先は?」
「西区の倉庫」
「場所は残っていますか」
「帳簿に」
◇ ◇ ◇
注文帳を確認する。
確かにあった。
一か月前。
大量の罫線入り用紙。
そして。
同じ注文に。
黒インク。
大型見出し用紙。
さらに。
古い活字の借用料。
「借用?」
ガレスが言う。
「貸したのか?」
ベルクが職長を見る。
「聞いてないぞ」
職長の顔色が変わった。
「私は……」
「誰の許可で?」
「店主の署名がありました」
「俺は書いてない!」
注文書を確認する。
ベルクの署名。
だが。
「偽造ですね」
本人が言う。
「私の字に似てるが違う」
「古い活字は」
リアムが尋ねる。
「その時に貸し出された?」
「おそらく」
「では盗まれたのではなく」
「正式な貸し出しに見せかけて持ち出された」
レオが言う。
白鴉らしい。
壊さない。
奪わない。
記録上は正規の手続きにする。
◇ ◇ ◇
「納品先を確認します」
レオたちは、帳簿に書かれた倉庫へ向かった。
王都西区。
住宅街から少し離れた、古い倉庫群。
目的の建物はすぐ見つかった。
扉。
閉まっている。
「近衛を呼ぶ?」
ミレイが尋ねる。
「先に外から確認します」
リアムが周囲を回る。
「裏口があります」
「窓は?」
「二階に二つ」
「人の気配は?」
ガレスが耳を澄ます。
「分からん」
レオは正面扉を見る。
錠前に傷はない。
「鍵を」
近衛が倉庫管理者を探し。
ほどなく所有者が判明した。
だが。
「貸している?」
倉庫主が答える。
「はい」
「誰に?」
「王都記録保存協会です」
また。
存在しないと思われる組織。
「契約書は?」
「あります」
◇ ◇ ◇
契約書。
借主代表。
**エドガー・ロウ。**
マリアが紙を見て固まった。
「二年前に死んだ人間が」
ミレイが言う。
「一か月前に倉庫を借りてる?」
「署名は本物ですか」
レオがマリアへ尋ねる。
「知らない」
「エドガーの署名をじっくり見たことなんてない」
「でも」
マリアは紙の端を見る。
「この書き方」
「何か?」
「古い監察局の契約文に似てる」
「文面が?」
「ああ」
「形式を知ってる人間が作ったんだろうね」
◇ ◇ ◇
倉庫を開ける。
中は暗い。
ランタンを掲げる。
「誰もいない」
ガレスが先へ進む。
だが。
何もないわけではなかった。
中央。
大きな印刷機。
周囲には紙束。
黒インク。
切断された活字箱。
「ここです」
リアムが言う。
「偽号外を刷った場所」
台の横には。
印刷された紙が数枚残っていた。
一枚目。
昨日配られた号外。
**消された王子、生存。**
二枚目。
まだ配られていない。
レオが手に取る。
見出し。
**王家、偽王子を認める。**
本文は白紙。
「見出しだけ?」
ミレイが尋ねる。
「後から内容を変えるつもりだったのでしょう」
リアムが言う。
三枚目。
**王都騒乱、王子同士が対立。**
これも本文は白紙。
四枚目。
**セドリック王、退位へ。**
ガレスが顔を上げる。
「全部」
「これから起きることを先に用意してる?」
ミレイが言った。
「正確には」
レオは紙を見つめる。
「どの結果になっても使える見出しを用意している」
王家がノアを認めれば。
偽王子認定。
レオとノアが意見を違えれば。
王子同士の対立。
騒乱が大きくなれば。
王の退位。
事実が起きるのを待つのではない。
使える物語を先に準備している。
◇ ◇ ◇
「白紙の帳簿と同じ」
ミレイが言った。
「MIREI分類」
「はい」
リアムが答える。
「先に枠だけ作る」
「起きた出来事を、その枠へ当てはめる」
まさに。
現実整合。
「だから、どの選択をしても」
レオが言う。
「敵は都合のいい物語へ変えられる」
「面倒だな」
ガレスが低く唸る。
「なら全部公表するか?」
「この倉庫を?」
「証拠になるだろ」
「なります」
レオは答えた。
「ですが、慎重に」
「なぜ?」
「これ自体が見せるために残されている可能性があります」
「またか」
「ええ」
だが。
残された印刷物が偽物とは限らない。
実際。
昨日の号外はここで刷られた可能性が高い。
◇ ◇ ◇
「レオ様」
リアムが奥から呼ぶ。
「こちらへ」
倉庫の最奥。
小さな事務机。
引き出し。
中に帳簿が一冊。
「注文記録?」
「違います」
表紙には何もない。
開く。
一頁目。
日付。
その横に。
**第一観察――王都。**
次。
**第二観察――フェルトハイム。**
さらに。
**第三観察――王宮。**
「観察……」
ヴィクターが呟く。
各項目の下に。
人々の反応が記されている。
偽命令への反応。
王家の声明への反応。
号外への反応。
オーウェン狙撃後の噂。
誰が。
どの情報を。
どれだけ早く信じたか。
「実験記録だ」
ガレスが言う。
「王都そのものを」
リアムが答える。
「観察している」
頁をめくる。
最後に。
**第四観察――未開始。**
「次がある」
ミレイが言う。
「場所は?」
記されていない。
代わりに。
一文だけ。
**対象を分断する。**
「誰を?」
ガレスが尋ねる。
その下。
名前。
複数。
セドリック。
レオン。
ノア。
オーウェン。
アルバート。
ヴィクター。
マリア。
そして。
ミレイ。
「私も?」
ミレイが顔をしかめる。
さらに。
その横。
それぞれに短い言葉が書かれている。
セドリック――王。
レオン――選択。
ノア――血統。
オーウェン――証言。
アルバート――秘密。
ヴィクター――疑念。
マリア――過去。
ミレイ――基準。
「基準?」
ミレイが首を傾げる。
「どういう意味でしょう」
リアムも分からない。
「まだ決めつけません」
レオは答えた。
だが。
嫌な予感がした。
◇ ◇ ◇
帳簿の最後の頁。
そこには。
短い文章。
**レオン王子は、情報だけでは崩れない。**
**彼には、現実へ戻す基準点が存在する。**
次。
**基準点を切り離せば、判断は再び揺らぐ。**
レオの手が止まった。
ミレイも。
文章を見ている。
「基準点って」
ガレスが低く言う。
誰も答えなくても。
分かった。
敵は。
ミレイを。
レオが現実を判断するための基準だと見ている。
何を信じればいいか分からなくなった時。
レオが最後に信じる相手。
それが。
ミレイ。
「だから」
ヴィクターが呟く。
「フェルトハイムで、ミレイさんを狙った」
家族を人質にするためだけではなかった。
レオの判断そのものを。
揺らすため。
◇ ◇ ◇
「帰ります」
レオが言った。
「どこへ?」
ミレイが尋ねる。
「王宮です」
「この帳簿を持って」
「でも」
ミレイは最後の記述を見る。
「第四観察って、まだ始まってないんだよね」
「そう書いてあります」
「なら」
ミレイの顔から。
血の気が引いた。
「これを私たちが読むところまで」
「観察されてるんじゃない?」
全員が止まった。
倉庫。
静か。
人の気配はない。
だが。
レオは天井を見る。
窓。
梁。
裏口。
「外を確認!」
ガレスが走る。
リアムも反対側へ。
数秒後。
「レオ!」
裏口。
開いていた。
先ほど確認した時には。
閉まっていたはずだった。
外へ出る。
細い路地。
誰もいない。
ただ。
地面に一枚。
白い紙。
レオが近づく。
触れずに見る。
そこには。
一文。
**第四観察、開始。**
ミレイが息を呑んだ。
その下。
さらに。
**基準点を切り離す。**
レオは即座に振り返った。
「ミレイ!」
「いるよ!」
すぐ後ろ。
無事だ。
「一人にならないでください」
「分かってる」
「絶対に」
「分かったって!」
だが。
これは予告だ。
今度の狙いは明確。
レオと。
ミレイ。
二人を。
引き離す。
レオは紙を睨んだ。
「させません」
敵が何を観察したいのか。
もう関係ない。
第四観察。
その実験を。
始めさせるつもりはなかった。




