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222/226

第222話 観察者の痕跡

治療室を出たレオたちは、しばらく廊下で立ち尽くしていた。


 オーウェンが最後に口にした言葉。


 ――観察者。


 白鴉計画を引き継いだ組織。


 その中心にいる、名前も顔も分からない人物。


「やっと敵の呼び名が出ましたね」


 リアムが静かに言う。


「呼び名だけです」


 レオは答えた。


「それが個人を指すのか」


「複数人をまとめた役職なのか」


「まだ分かりません」


「でもオーウェンは『その人』って言ったよね」


 ミレイが言う。


「はい」


「少なくとも、エドガー・ロウが特定の一人をそう呼んでいた可能性は高いです」


 ヴィクターが壁へ背を預けた。


「観察者……」


「何か心当たりがありますか」


「言葉だけなら」


 ヴィクターは慎重に答える。


「オーウェンが何度か使っていた気がします」


「いつ?」


「はっきりとは」


「思い出そうとしすぎないでください」


 レオが止める。


「浮かんだ時に教えてもらえれば十分です」


「はい」


     ◇ ◇ ◇


 近衛詰所の一室へ戻ると、グレイストーンも合流した。


 レオはオーウェンとの会話を最初から説明する。


 エドガー・ロウは二年前に死亡。


 殺したのは、現在「白鴉」と名乗る組織。


 その中心人物を、エドガーは「観察者」と呼んでいた。


「二年前か」


 グレイストーンが呟く。


「三年前にエドガーがマリアを訪ねた」


 マリアが腕を組む。


「ああ」


「その一年後に殺されたことになる」


「何を調べていたのでしょう」


 リアムが尋ねる。


「白鴉計画の資料」


「対象017」


「王族の血」


 レオが並べる。


「それだけではないかもしれません」


「どういう意味だ」


 ガレスが尋ねる。


「エドガーは十七年前、対象017を逃がした側です」


「なら白鴉を再び追い始めた時」


「最初に考えるのは、対象017がまだ安全かどうかでは?」


 ノアが顔を上げる。


「私を?」


「そうです」


「でも、叔父は私の居場所を知らなかった可能性があります」


「観察官私記では、最終引き渡し後の居場所を知らないと書いてありました」


 リアムが続ける。


「なら、エドガーはノア様を探していた?」


「敵より先に見つけるために」


 ミレイが言った。


「あり得ます」


 レオは頷いた。


     ◇ ◇ ◇


「エドガーの遺体は?」


 グレイストーンがマリアへ尋ねる。


「私は知らない」


「オーウェンに聞くしかないね」


「目を覚ました後ですね」


 レオが言う。


「それまでに、できることを進めます」


「何からだ」


「二年前」


 レオは答えた。


「エドガー・ロウが死んだ時期の記録を調べます」


「王都にいたなら、何か残っているかもしれない」


「王都にいたとは限らんぞ」


「はい」


「だから失踪者、身元不明遺体、旅人の死亡記録まで広げます」


「範囲が広いですね」


 リアムが言う。


「仕方ありません」


「もう一つ」


 レオは黒い布を見た。


 狙撃場所に残されていたもの。


 印刷機の油に似た油が付着している。


「号外の偽造と狙撃が同じ系統で動いていた可能性を調べます」


「印刷所か」


 ガレスが言う。


「はい」


「王都で、大量の号外を短時間で刷れる場所は限られるはずです」


「正規の印刷所だけとは限らないよ」


 マリアが言う。


「分かっています」


「だから紙と油から追います」


     ◇ ◇ ◇


 そこへ、セドリック王が入ってきた。


 護衛は二人だけ。


「話は聞いた」


「父上」


「オーウェンは?」


「命に別状はありません」


「そうか」


 王はノアを見る。


 まだ、どこか戸惑いが残っている。


 甥。


 死んだと思っていた少年。


 今まで王宮書記官として何度も顔を合わせていた男。


「ルシアン」


 王が呼ぶ。


 ノアの表情が固まる。


「……すみません」


「まだ、その名に慣れていません」


「そうだろうな」


「陛下」


 ノアは少し迷ってから言った。


「今はノアと呼んでいただけますか」


 セドリック王は一瞬驚き。


 やがて頷いた。


「分かった」


「ノア」


 そのやり取りを、アルバート伯爵は黙って見ていた。


     ◇ ◇ ◇


「王都の噂は?」


 レオが尋ねる。


「広がっている」


 セドリック王の顔が険しくなる。


「近衛が止めようとしたが、お前の言った通り無理だ」


「市民同士で話が変化している」


「内容は?」


「私がオーウェンを撃たせた」


「お前が撃たせた」


「ハーディング伯爵が撃たせた」


「ノアがオーウェンを殺そうとした」


「全部あります」


 ミレイが呆れる。


「ノアさんまで?」


「もう話が勝手に増えてるんだね」


「それだけではない」


 王が続ける。


「『撃たれたのは偽物で、本物のオーウェンは別にいる』という話まである」


「……そこまで行きましたか」


 レオが額を押さえる。


「何を出しても疑われる段階ですね」


 リアムが言う。


「だから」


 セドリック王はレオを見る。


「王家として追加声明を出すべきか迷っている」


「今は出さない方がいいでしょう」


「理由は?」


「新しい情報がありません」


「同じことを繰り返せば」


「隠しているから同じことしか言えない、と解釈されます」


「では黙る?」


「黙るのではなく」


 レオは言う。


「調査していることだけを示します」


「捕らえた配布人の事情聴取」


「狙撃場所の捜査」


「オーウェンの生存」


「確認できた事実だけです」


「出生については?」


「触れません」


 王は少し考え。


「分かった」


     ◇ ◇ ◇


 午後。


 最初に結果が出たのは、黒い布だった。


 王都にある複数の印刷所から油を取り寄せ、マリアが匂いと粘度を比較した。


「完全に同じとは言えない」


「でも」


 マリアが三つの小瓶のうち一つを指す。


「これが一番近い」


「どこのものです」


「西区のベルク印刷所」


 リアムが記録を見る。


「王都新報とは関係ありません」


「何を刷る店です」


「商会の広告」


「演劇の宣伝」


「選挙や議会の告知も一部請け負っています」


「大きいのか」


 ガレスが尋ねる。


「中規模です」


「号外を大量に刷れる?」


「可能でしょう」


 レオは立ち上がった。


「行きます」


「今から?」


 ミレイが尋ねる。


「はい」


「店が閉まる前に」


     ◇ ◇ ◇


 ベルク印刷所は、王都西区の裏通りにあった。


 二階建ての石造り。


 入口には大きな看板。


 中から印刷機の規則的な音が聞こえる。


「普通に営業してますね」


 ミレイが言う。


「だからこそ、まず普通に聞きます」


 レオたちは近衛を外へ残した。


 大勢で踏み込めば、相手が無関係だった場合に迷惑が掛かる。


 中へ入る。


「いらっしゃい……」


 受付の男がレオを見て固まった。


「レ、レオン殿下?」


「少しお話を伺いたい」


「は、はい!」


「店主はいますか」


「奥に!」


     ◇ ◇ ◇


 店主ベルクは五十代の男だった。


 事情を説明すると、顔色を変えた。


「号外?」


「うちじゃありません!」


「まだ何も決めつけていません」


 レオが言う。


「確認したいだけです」


「この紙を見たことは?」


 偽号外を広げる。


 ベルクはすぐに首を横へ振ろうとして。


 止まった。


「……紙は」


「知っていますか」


「うちでも使います」


「特別な紙ですか」


「いや」


「王都では普通です」


「では文字の型は?」


 印刷された見出し。


 ベルクが近づく。


「これは……」


「何か?」


「うちの活字に似てる」


 ガレスの表情が変わる。


「似てるだけか」


「古い型です」


「今はほとんど使わない」


「どこに?」


「倉庫です」


「確認できますか」


「もちろん」


     ◇ ◇ ◇


 倉庫。


 木箱が並んでいた。


 ベルクが一箱を引き出す。


「これです」


 蓋を開く。


 中は。


 空だった。


 店主の顔から血の気が引く。


「ない……」


「最後に確認したのは?」


「一か月ほど前」


「誰が触れられます」


「私と」


「職長」


「倉庫係」


「鍵は?」


「三人がそれぞれ持っています」


「盗まれた?」


「分かりません」


「倉庫の扉に破壊跡はありません」


 リアムが確認する。


「合鍵か」


「内部の人間か」


「またその二択ですか」


 ミレイが言う。


「二択にしないでください」


 レオが即座に答えた。


「他の方法もあります」


「鍵を一時的に借りた」


「型を取った」


「扉が開いている時に入った」


「はいはい」


「もう分かったから」


     ◇ ◇ ◇


「職長と倉庫係を呼んでください」


 二人ともすぐに来た。


 職長は四十代。


 倉庫係は二十代の青年。


 どちらも盗難を知らないと答えた。


「一か月以内に、普段と違う注文は?」


 リアムが尋ねる。


「あります」


 職長が言った。


「どんな?」


「大量の白紙印刷」


「白紙?」


 ミレイが首を傾げる。


「文字を刷らない?」


「正確には、罫線だけです」


「帳簿用の紙」


 レオの表情が変わる。


「注文主は?」


「王都記録保存協会」


「そんな組織が?」


 リアムが尋ねる。


「私は聞いたことがありません」


「私もです」


 レオも知らない。


「誰が注文に来ました」


「男です」


「年齢は?」


「三十代くらい」


「特徴は?」


「普通の人でした」


「名前は?」


「ヘンリーと」


「姓は?」


「聞いていません」


「支払いは?」


「現金です」


「納品先は?」


「西区の倉庫」


「場所は残っていますか」


「帳簿に」


     ◇ ◇ ◇


 注文帳を確認する。


 確かにあった。


 一か月前。


 大量の罫線入り用紙。


 そして。


 同じ注文に。


 黒インク。


 大型見出し用紙。


 さらに。


 古い活字の借用料。


「借用?」


 ガレスが言う。


「貸したのか?」


 ベルクが職長を見る。


「聞いてないぞ」


 職長の顔色が変わった。


「私は……」


「誰の許可で?」


「店主の署名がありました」


「俺は書いてない!」


 注文書を確認する。


 ベルクの署名。


 だが。


「偽造ですね」


 本人が言う。


「私の字に似てるが違う」


「古い活字は」


 リアムが尋ねる。


「その時に貸し出された?」


「おそらく」


「では盗まれたのではなく」


「正式な貸し出しに見せかけて持ち出された」


 レオが言う。


 白鴉らしい。


 壊さない。


 奪わない。


 記録上は正規の手続きにする。


     ◇ ◇ ◇


「納品先を確認します」


 レオたちは、帳簿に書かれた倉庫へ向かった。


 王都西区。


 住宅街から少し離れた、古い倉庫群。


 目的の建物はすぐ見つかった。


 扉。


 閉まっている。


「近衛を呼ぶ?」


 ミレイが尋ねる。


「先に外から確認します」


 リアムが周囲を回る。


「裏口があります」


「窓は?」


「二階に二つ」


「人の気配は?」


 ガレスが耳を澄ます。


「分からん」


 レオは正面扉を見る。


 錠前に傷はない。


「鍵を」


 近衛が倉庫管理者を探し。


 ほどなく所有者が判明した。


 だが。


「貸している?」


 倉庫主が答える。


「はい」


「誰に?」


「王都記録保存協会です」


 また。


 存在しないと思われる組織。


「契約書は?」


「あります」


     ◇ ◇ ◇


 契約書。


 借主代表。


 **エドガー・ロウ。**


 マリアが紙を見て固まった。


「二年前に死んだ人間が」


 ミレイが言う。


「一か月前に倉庫を借りてる?」


「署名は本物ですか」


 レオがマリアへ尋ねる。


「知らない」


「エドガーの署名をじっくり見たことなんてない」


「でも」


 マリアは紙の端を見る。


「この書き方」


「何か?」


「古い監察局の契約文に似てる」


「文面が?」


「ああ」


「形式を知ってる人間が作ったんだろうね」


     ◇ ◇ ◇


 倉庫を開ける。


 中は暗い。


 ランタンを掲げる。


「誰もいない」


 ガレスが先へ進む。


 だが。


 何もないわけではなかった。


 中央。


 大きな印刷機。


 周囲には紙束。


 黒インク。


 切断された活字箱。


「ここです」


 リアムが言う。


「偽号外を刷った場所」


 台の横には。


 印刷された紙が数枚残っていた。


 一枚目。


 昨日配られた号外。


 **消された王子、生存。**


 二枚目。


 まだ配られていない。


 レオが手に取る。


 見出し。


 **王家、偽王子を認める。**


 本文は白紙。


「見出しだけ?」


 ミレイが尋ねる。


「後から内容を変えるつもりだったのでしょう」


 リアムが言う。


 三枚目。


 **王都騒乱、王子同士が対立。**


 これも本文は白紙。


 四枚目。


 **セドリック王、退位へ。**


 ガレスが顔を上げる。


「全部」


「これから起きることを先に用意してる?」


 ミレイが言った。


「正確には」


 レオは紙を見つめる。


「どの結果になっても使える見出しを用意している」


 王家がノアを認めれば。


 偽王子認定。


 レオとノアが意見を違えれば。


 王子同士の対立。


 騒乱が大きくなれば。


 王の退位。


 事実が起きるのを待つのではない。


 使える物語を先に準備している。


     ◇ ◇ ◇


「白紙の帳簿と同じ」


 ミレイが言った。


「MIREI分類」


「はい」


 リアムが答える。


「先に枠だけ作る」


「起きた出来事を、その枠へ当てはめる」


 まさに。


 現実整合。


「だから、どの選択をしても」


 レオが言う。


「敵は都合のいい物語へ変えられる」


「面倒だな」


 ガレスが低く唸る。


「なら全部公表するか?」


「この倉庫を?」


「証拠になるだろ」


「なります」


 レオは答えた。


「ですが、慎重に」


「なぜ?」


「これ自体が見せるために残されている可能性があります」


「またか」


「ええ」


 だが。


 残された印刷物が偽物とは限らない。


 実際。


 昨日の号外はここで刷られた可能性が高い。


     ◇ ◇ ◇


「レオ様」


 リアムが奥から呼ぶ。


「こちらへ」


 倉庫の最奥。


 小さな事務机。


 引き出し。


 中に帳簿が一冊。


「注文記録?」


「違います」


 表紙には何もない。


 開く。


 一頁目。


 日付。


 その横に。


 **第一観察――王都。**


 次。


 **第二観察――フェルトハイム。**


 さらに。


 **第三観察――王宮。**


「観察……」


 ヴィクターが呟く。


 各項目の下に。


 人々の反応が記されている。


 偽命令への反応。


 王家の声明への反応。


 号外への反応。


 オーウェン狙撃後の噂。


 誰が。


 どの情報を。


 どれだけ早く信じたか。


「実験記録だ」


 ガレスが言う。


「王都そのものを」


 リアムが答える。


「観察している」


 頁をめくる。


 最後に。


 **第四観察――未開始。**


「次がある」


 ミレイが言う。


「場所は?」


 記されていない。


 代わりに。


 一文だけ。


 **対象を分断する。**


「誰を?」


 ガレスが尋ねる。


 その下。


 名前。


 複数。


 セドリック。


 レオン。


 ノア。


 オーウェン。


 アルバート。


 ヴィクター。


 マリア。


 そして。


 ミレイ。


「私も?」


 ミレイが顔をしかめる。


 さらに。


 その横。


 それぞれに短い言葉が書かれている。


 セドリック――王。


 レオン――選択。


 ノア――血統。


 オーウェン――証言。


 アルバート――秘密。


 ヴィクター――疑念。


 マリア――過去。


 ミレイ――基準。


「基準?」


 ミレイが首を傾げる。


「どういう意味でしょう」


 リアムも分からない。


「まだ決めつけません」


 レオは答えた。


 だが。


 嫌な予感がした。


     ◇ ◇ ◇


 帳簿の最後の頁。


 そこには。


 短い文章。


 **レオン王子は、情報だけでは崩れない。**


 **彼には、現実へ戻す基準点が存在する。**


 次。


 **基準点を切り離せば、判断は再び揺らぐ。**


 レオの手が止まった。


 ミレイも。


 文章を見ている。


「基準点って」


 ガレスが低く言う。


 誰も答えなくても。


 分かった。


 敵は。


 ミレイを。


 レオが現実を判断するための基準だと見ている。


 何を信じればいいか分からなくなった時。


 レオが最後に信じる相手。


 それが。


 ミレイ。


「だから」


 ヴィクターが呟く。


「フェルトハイムで、ミレイさんを狙った」


 家族を人質にするためだけではなかった。


 レオの判断そのものを。


 揺らすため。


     ◇ ◇ ◇


「帰ります」


 レオが言った。


「どこへ?」


 ミレイが尋ねる。


「王宮です」


「この帳簿を持って」


「でも」


 ミレイは最後の記述を見る。


「第四観察って、まだ始まってないんだよね」


「そう書いてあります」


「なら」


 ミレイの顔から。


 血の気が引いた。


「これを私たちが読むところまで」


「観察されてるんじゃない?」


 全員が止まった。


 倉庫。


 静か。


 人の気配はない。


 だが。


 レオは天井を見る。


 窓。


 梁。


 裏口。


「外を確認!」


 ガレスが走る。


 リアムも反対側へ。


 数秒後。


「レオ!」


 裏口。


 開いていた。


 先ほど確認した時には。


 閉まっていたはずだった。


 外へ出る。


 細い路地。


 誰もいない。


 ただ。


 地面に一枚。


 白い紙。


 レオが近づく。


 触れずに見る。


 そこには。


 一文。


 **第四観察、開始。**


 ミレイが息を呑んだ。


 その下。


 さらに。


 **基準点を切り離す。**


 レオは即座に振り返った。


「ミレイ!」


「いるよ!」


 すぐ後ろ。


 無事だ。


「一人にならないでください」


「分かってる」


「絶対に」


「分かったって!」


 だが。


 これは予告だ。


 今度の狙いは明確。


 レオと。


 ミレイ。


 二人を。


 引き離す。


 レオは紙を睨んだ。


「させません」


 敵が何を観察したいのか。


 もう関係ない。


 第四観察。


 その実験を。


 始めさせるつもりはなかった。


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