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220/222

第220話 二人の王子

王都の夜に、鐘が鳴っていた。


 一度。


 二度。


 三度。


 火事でも、襲撃でもない。


 城下で騒ぎが起きた際、人々へ注意を促すための鐘だった。


 セドリック王の執務室。


 レオは近衛が持ち込んだ号外を机の上へ広げた。


 大きな見出し。


 消された王子、生存。


 そして、その下には。


 王家の正統なる血を継ぐ者――オーウェン・クロフォード。


「誰が発行した」


 セドリック王が尋ねる。


「王都新報の名義になっております」


「責任者を呼べ」


「すでに兵を向かわせています」


「配布を止めろ」


「ですが……」


 近衛が言い淀む。


「何だ」


「すでに相当数が出回っています」


 リアムが号外を手に取った。


「印刷した場所が一か所とは限りません」


「どういうことだ」


「これほど短時間で王都全域へ広げるなら、複数の印刷所を使った可能性があります」


 レオは頷いた。


「止めることだけに人を使わない方がいいでしょう」


「なぜだ」


「一度読まれた情報は回収できません」


 紙を取り上げても。


 人の口までは塞げない。


     ◇ ◇ ◇


「内容を確認します」


 レオは号外を読み始めた。


 記事には、もっともらしい経緯が書かれていた。


 十七年前。


 王位継承を巡る争いを避けるため、一人の王子が王宮から密かに逃がされた。


 その存在は王家によって隠蔽。


 少年は別人として育てられた。


 そして現在。


 真実を知った彼が王都へ戻った。


「事実と似てる」


 ミレイが言った。


「はい」


 そこが厄介だった。


 完全な作り話ではない。


 ノア――本名ルシアンに起きたことと、一部が重なっている。


「でも名前だけがオーウェン?」


「名前だけではありません」


 リアムが記事を指す。


「ここです」


 王子の母は、先王の娘アデライド王女。


 部屋の空気が変わる。


「そこまで知っているのか」


 アルバート伯爵が呟いた。


「対象017の情報を持っている者が書いたのでしょう」


 レオが答える。


 さらに。


 少年の右耳の後ろには、王家の血を示す三日月形の痣がある。


 ノアが反射的に耳へ触れた。


「これも……」


「あなたの特徴ですね」


 レオが言う。


 母。


 年齢。


 消された過去。


 痣。


 本物の情報を。


 オーウェンという別人へ移している。


「MIREI……」


 ヴィクターが呟いた。


「そうです」


 事実をすべて捨てる必要はない。


 一部だけ変える。


 その方が、嘘は強くなる。


     ◇ ◇ ◇


「記事には証拠があると書いてあります」


 リアムが続きを読む。


 明日正午。


 王都中央広場において、オーウェン・クロフォード本人が民衆の前へ姿を現す。


「明日?」


 ガレスが顔をしかめる。


「随分急だな」


「考える時間を与えないためでしょう」


 レオが言った。


「オーウェンは本当に現れるのでしょうか」


 ノアが尋ねる。


「分かりません」


「でも、現れなかったら?」


 ミレイが言う。


「記事そのものの信用が落ちるよね」


「普通なら」


 レオは答えた。


「だから、相手には何か用意があるはずです」


「本人か」


「本人に似た別人か」


「あるいは、姿を見せられない理由そのものを演出するか」


 ガレスが舌打ちする。


「何でもありだな」


「だから予想だけで動くべきではありません」


     ◇ ◇ ◇


「王家として否定声明を出す」


 セドリック王が言った。


「待ってください」


 レオが止める。


「なぜだ」


「何を否定しますか」


「オーウェンが王族であることだ」


「その根拠は?」


 王が止まった。


「陛下はオーウェンの出生を把握していますか」


「いや」


「なら、現時点で断言すれば危険です」


「しかしアデライドの息子はここにいる!」


 王がノアを見る。


「それを公表するのですか」


 今度こそ。


 セドリック王は黙った。


 ノア自身が。


 つい先ほど知ったばかりの事実だ。


「公表すれば」


 リアムが言う。


「王家自身が、十七年間隠されていた王族の存在を認めることになります」


「しかも」


 アルバート伯爵が続ける。


「私が偽の出生記録を作ったことまで説明しなければならない」


「隠せば?」


 ガレスが尋ねる。


「後から暴かれた時、もっと悪い」


「そういうことです」


 レオは号外を見る。


「相手は、こちらがどちらを選んでも疑われる状況を作っています」


 否定すれば。


 王家が本物の王子を消そうとしている、と言われる。


 認めれば。


 なぜ十七年間隠したのか、と追及される。


 さらに本物のルシアンを出せば。


 今度は。


 どちらが本物なのか。


 その争いになる。


     ◇ ◇ ◇


「だったら」


 ミレイが言った。


「今は分からないって言えば?」


 全員が彼女を見る。


「何?」


「いや」


 ガレスが言う。


「王家が『分かりません』って発表するのか?」


「だって本当に分からないんでしょ?」


「オーウェンが誰なのかは」


「まあ……」


「なら」


 ミレイは号外を指す。


「分からないことを、分かったふりしなくてもいいんじゃない?」


 レオは少し考えた。


「陛下」


「何だ」


「ミレイの案が最も安全かもしれません」


「お前まで?」


「オーウェン・クロフォードの出生について、王家は現在確認中」


「号外の記事についても調査する」


「確認できるまでは、王位継承に関するいかなる主張も認めない」


「それだけを発表します」


 リアムも頷く。


「ノア様については触れない」


「今はそれがいいでしょう」


 セドリック王はしばらく考え。


「分かった」


「声明を作れ」


     ◇ ◇ ◇


 リアムが草案を作っている間。


 レオは別の問題を考えていた。


「グレイストーン卿」


「何だ」


「オーウェンの出生記録を調べられますか」


「すでに人を向かわせた」


「さすがですね」


「お前が考える程度のことは考える」


「それは失礼しました」


「他には?」


「オーウェンが王宮へ入った時期」


「経歴」


「親族」


「過去の住所」


「可能な限り」


「やらせよう」


「ただし」


 グレイストーンが言う。


「お前も分かっているだろうが」


「記録だけで判断するな」


「はい」


 記録は書き換えられる。


 だから。


 記録と証言。


 複数の資料。


 可能なら本人。


 すべてを照合する。


     ◇ ◇ ◇


「陛下」


 ノアが口を開いた。


「お願いがあります」


「何だ」


「私は、明日の広場へ行きます」


「駄目だ」


 セドリック王は即答した。


「なぜです」


「危険すぎる」


「でも」


「もしオーウェンが本当に現れるなら」


 ノアは王を見る。


「私自身が確認したい」


「何をだ」


「彼が誰なのか」


「そして」


「なぜ私の過去を、自分のものとして語るのか」


「ノア」


 アルバート伯爵が止める。


「お前が出れば、相手の狙い通りになる可能性がある」


「分かっています」


「分かっていない」


「いいえ」


 ノアは父を見る。


「今までの私なら、父上の言う通りにしたと思います」


「知らない方が安全だと」


「でも」


 少し間を置く。


「それで十七年です」


 伯爵は言葉を失った。


「もう、自分のことを他人だけに決めさせたくありません」


 MIREI。


 周囲の言葉によって。


 自分自身への信頼を失わせる。


 その対象だった少年が。


 今。


 自分で確かめたいと言っている。


 レオには。


 それを簡単に否定できなかった。


     ◇ ◇ ◇


「行くなら条件があります」


 レオが言った。


「レオン殿下!」


 伯爵が声を上げる。


「止めても行くと思います」


 ノアを見る。


「行きます」


「でしょうね」


「だから一人では行かせません」


「私たちも行きます」


「レオも?」


 ミレイが尋ねる。


「はい」


「じゃあ私も」


「ミレイは」


「行く」


「まだ何も言っていません」


「置いていこうとした顔だった」


「そんな顔がありますか」


「ある」


「さっきからお前ら、そればっかりだな」


 ガレスが呆れた。


     ◇ ◇ ◇


 その時。


 扉が開いた。


 王の側近が入ってくる。


「陛下」


「王都新報の責任者を確保しました」


「連れてこい」


「ですが」


「何だ」


「本人も混乱しております」


「理由は?」


「号外を出していないと」


 レオたちの表情が変わる。


「詳しく」


「王都新報は本日、号外を発行しておりません」


「印刷所にも原版が存在しません」


「では」


 リアムが紙を見る。


「名前を勝手に使った?」


「そのようです」


「紙の入手先は」


「調査中です」


「配った者は?」


「複数おります」


「捕まえたか」


「三名を確保」


「誰の指示だ」


「それが」


 側近が困惑した顔をする。


「三人とも、別々の人物から仕事を受けています」


「名前は?」


「知らないと」


「金で雇われただけ?」


「はい」


 また。


 中心が見えない。


 命令を出す者。


 運ぶ者。


 配る者。


 互いを知らない。


     ◇ ◇ ◇


「一つ確認したい」


 レオが言った。


「号外を配った三人は、記事の内容を事前に知っていましたか」


「一人は読んだと」


「残り二人は?」


「束を渡されただけだそうです」


「受け渡し場所は」


 側近が答える。


「一人は南市場」


「一人は旧劇場前」


「もう一人は」


 紙を見る。


「中央広場です」


「明日の場所だな」


 ガレスが言う。


「時間は?」


「夕方頃」


「誰か見ていないか調べてください」


「すでに兵を」


「兵だけではなく」


 レオが言う。


「露店商や御者にも聞いてください」


「毎日そこにいる人の方が、見慣れない人間に気づきます」


「承知しました」


     ◇ ◇ ◇


 深夜。


 王の声明が出された。


 内容は簡潔だった。


 オーウェン・クロフォードの出生については確認中。


 王位継承に関する事実は確認されていない。


 市民には未確認情報へ惑わされないよう求める。


 ノアについては。


 一切触れなかった。


「これで収まるかな」


 ミレイが窓から城下を見る。


「収まらないでしょう」


 レオが答えた。


「だよね」


「はい」


「でも」


「何もしないよりはいいです」


 すでに城下では。


 様々な噂が生まれているはずだ。


 王家が慌てている。


 オーウェンは本物だ。


 いや偽物だ。


 本当の王子は別にいる。


 王は昔から知っていた。


 知らなかった。


 一枚の号外から。


 いくつもの「現実」が作られていく。


     ◇ ◇ ◇


 翌朝。


 グレイストーンが最初の調査結果を持ってきた。


「オーウェンの出生記録が見つかった」


「どこです」


「王都西部の教会」


「内容は?」


「三十年前」


「父、トーマス・クロフォード」


「母、エレナ・クロフォード」


「普通の出生記録だ」


「両親は?」


「父親は二十二年前に死亡」


「母親は十五年前に死亡」


「他の親族は?」


「確認中だ」


「本人の幼少期は?」


「近所の証言を取らせている」


「なら」


 ミレイが言う。


「オーウェンは普通にクロフォード家の子供だった可能性が高い?」


「まだです」


 レオが答える。


「記録があるだけです」


「分かってる」


「言ってみただけ」


「すみません」


「最近レオ、私にも厳しくない?」


「平等です」


「嬉しくない平等だなあ」


     ◇ ◇ ◇


「もう一つある」


 グレイストーンが言った。


「何です」


「母親のエレナ」


「旧姓が分かった」


 紙を置く。


 エレナ・ロウ。


 マリアがいれば。


 すぐ反応しただろう。


 だがレオも覚えていた。


「ロウ……」


「まさか」


 リアムが顔を上げる。


「エドガー・ロウ」


 十七年前。


 監察局に所属していた男。


 銀の鳥の分類印を扱えた六人の一人。


 そして現在。


 消息不明。


「関係は?」


「調べた」


 グレイストーンが答える。


「エレナ・ロウには兄がいた」


「名前は」


 全員が答えを予想した。


「エドガー・ロウ」


 オーウェンは。


 エドガーの甥。


 対象017を逃がした可能性がある監察局員の。


 血縁者だった。


     ◇ ◇ ◇


「偶然とは考えにくいですね」


 リアムが言う。


「ですが」


 レオはすぐに続ける。


「これでオーウェンが敵だと決まったわけではありません」


「むしろ」


 ヴィクターが言う。


「利用されている可能性もある」


「はい」


 エドガーが対象017を守った側なら。


 その甥であるオーウェンは。


 白鴉計画について何かを受け継いでいた可能性がある。


 逆に。


 その血縁を利用されただけかもしれない。


「エドガー本人を見つける必要があります」


「生きていればな」


 ガレスが言った。


     ◇ ◇ ◇


 正午まで。


 あと二時間。


 レオたちは中央広場へ向かう準備を始めた。


 ノアも同行する。


 ただし顔を隠し。


 民衆の中へ出ることはしない。


 広場を見渡せる建物から確認する。


「絶対に勝手に出ないでください」


 レオが言う。


「分かっています」


「何があってもです」


「はい」


「『自分で確かめたい』と言って飛び出すのもなしです」


「殿下」


「何です」


「あなたにだけは言われたくありません」


「なぜです」


 ガレスが吹き出した。


「お前、本気で分かってないのか」


     ◇ ◇ ◇


 中央広場。


 正午が近づくにつれ、人が増えていた。


 号外を握る者。


 噂を聞いて来た者。


 商人。


 職人。


 貴族の使用人までいる。


 近衛も配置されている。


 だが。


 強引に解散させる命令は出していない。


 群衆を刺激すれば。


 それこそ相手の思うつぼだ。


 レオたちは広場北側の建物の二階にいた。


 窓から中央が見える。


「あと五分」


 リアムが言う。


 ノアは黙って広場を見ている。


 ミレイがその横にいた。


 鐘楼の針が正午へ近づく。


 そして。


 鐘が鳴った。


 一回。


 二回。


 人々の話し声が消えていく。


 広場中央。


 簡素な演台。


 昨夜まではなかったものだ。


「誰が置いた?」


 ガレスが尋ねる。


「今朝早くにはあったそうです」


「撤去しなかったの?」


 ミレイが聞く。


「調べましたが、仕掛けはありませんでした」


 リアムが答える。


 鐘が鳴り終わる。


 静寂。


 そして。


 一人の男が。


 広場の西側から歩いてきた。


「……オーウェン」


 ヴィクターが呟いた。


 間違いない。


 行方不明だった男。


 オーウェン・クロフォード。


 生きていた。


     ◇ ◇ ◇


 群衆がざわめく。


 オーウェンは演台へ上がった。


 護衛はいない。


 武器も見えない。


 そして。


 ゆっくり顔を上げた。


 レオは目を凝らす。


「耳」


 ミレイが言った。


「何?」


「右耳」


 オーウェンの髪は。


 普段より短く切られていた。


 右耳の後ろが見える。


 そこに。


 三日月形の痣。


 ノアが立ち上がった。


「同じ……」


「座ってください」


 レオが言う。


「でも!」


「見えています」


 痣まで同じ。


 号外に書かれた特徴。


 だが。


「本物とは限りません」


 リアムが言う。


「作ることはできます」


 ノアは座る。


 拳を握ったまま。


     ◇ ◇ ◇


 オーウェンが口を開いた。


「王都の皆さん」


 声が広場へ響く。


「昨夜の記事を読んだ方も多いでしょう」


「私は」


 群衆が静まる。


「オーウェン・クロフォードです」


 そこで一度止まった。


「そして」


 レオは息を詰める。


 オーウェンが続ける。


「私は」


「王子ではありません」


 広場がざわめいた。


 ノアも目を見開く。


「何?」


 ミレイが呟く。


 予想と違う。


 オーウェンは。


 号外の内容を否定した。


「私はアデライド王女の息子ではない」


「王位を求めてもいない」


 群衆が混乱する。


 では。


 なぜここへ?


「昨夜の号外は」


 オーウェンが続ける。


「私が出したものではありません」


「私は」


 一瞬。


 オーウェンの視線が。


 レオたちのいる建物へ向いた。


 見えている?


「今日」


「皆さんへ伝えるために来ました」


 そして。


 次の言葉。


「本物の王子は」


 ノアの顔が強張る。


「王宮にいます」


 ざわめきが大きくなる。


「十七年前」


「一人の少年が記録から消された」


「その少年は生きています」


 レオが窓から離れた。


「まずい」


「何が?」


 ミレイが尋ねる。


「ノアを公表するつもりです」


「でも名前を知らないんじゃ」


「知っている可能性があります」


 オーウェンが。


 口を開く。


「その名は――」


 その瞬間。


 広場の反対側。


 鋭い音。


 ガレスが叫んだ。


「伏せろ!」


 オーウェンの体が。


 大きく揺れた。


 胸元に。


 一本の矢。


 悲鳴。


 群衆が一斉に動き出す。


「オーウェン!」


 ヴィクターが叫ぶ。


 演台から。


 オーウェンが崩れ落ちた。


 そして。


 中央広場は。


 一瞬で混乱に飲み込まれた。

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