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第218話 王宮西棟の書庫

夜。


 王宮西棟へ向かう馬車の中で、レオはノア・ハーディングから届いた手紙をもう一度見ていた。


 私は、自分が誰なのか知りません。


 短い一文。


 それだけなら、出生に疑問を抱く男からの告白に見える。


 だが問題は、その紙だった。


 十七年前。


 監察局で使われていたものと酷似した紙。


 そして光に透かした時だけ現れる、銀の鳥。


 羽の根元に二本の溝。


「やっぱり全員では入れないよね」


 隣のミレイが言った。


「はい」


 今夜、書庫へ入るのはレオ、ミレイ、ガレス、リアムの四人。


 ヴィクターはグレイストーン邸に残した。


 白鴉計画による認識誘導を受けた経験がある以上、敵の用意した場所へ連れていく危険は避けたい。


 マリアも残っている。


 ノアから届いた紙と、地下保管室から持ち出した資料を照合するためだ。


「王宮の中なら安全、とはもう言えませんね」


 リアムが向かいの席で言う。


「むしろ今までのことを考えれば、王宮だからこそ警戒するべきでしょう」


「嫌な王子だな」


 ガレスが言った。


「自分の家みたいな場所を信用できないって」


「王宮は私の家ではありません」


「育った場所だろ」


「だから余計に分かるんです」


「何が」


「広すぎます」


「そこかよ」


 ミレイが小さく笑った。


 緊張していた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。


     ◇ ◇ ◇


 王宮へは正面から入った。


 隠れて入れば、それ自体が弱みになる。


 レオは帰還を正式に告げ、王子として入城した。


 ただし、セドリック王への面会は明朝に願い出た。


 今夜の目的はノアだ。


「西棟の書庫は?」


 レオが近衛へ尋ねる。


「通常通り閉鎖時刻を過ぎております」


「誰か入っていますか」


「確認いたします」


 兵士が記録を見る。


「……ノア・ハーディング書記官が入室しております」


「一人ですか」


「記録上は」


 記録上は。


 今となっては、その言葉ほど頼りなく聞こえるものもない。


「入ります」


「かしこまりました」


 レオたちは西棟へ向かった。


     ◇ ◇ ◇


 夜の王宮は静かだった。


 昼間なら官吏や使用人が行き交う廊下にも、ほとんど人影がない。


 壁に並ぶ燭台の炎が、石床を淡く照らしている。


 やがて四人は、西棟の最奥近くにある書庫へ到着した。


 扉の前には誰もいない。


 ガレスが柄へ手を掛ける。


「俺が先に入る」


「お願いします」


 扉を開く。


 古い紙と革の匂い。


 高い棚。


 その間を照らす複数のランプ。


 そして。


「お待ちしていました」


 奥の机の前に、一人の青年が立っていた。


 ノア・ハーディング。


 二十九歳。


 王宮書記官。


 茶色の髪。


 灰色の瞳。


 何度も王宮で顔を合わせている。


 だが、こうして意識して見ると。


「レオン殿下」


「ノア」


 レオは室内を確認する。


「一人ですか」


「はい」


「誰かに私たちが来ることを伝えましたか」


「いいえ」


「手紙のことも?」


「父にも話していません」


 父。


 アルバート・ハーディング伯爵。


「まず確認したいことがあります」


 レオは手紙を取り出した。


「これは、あなたが書いたものですか」


「はい」


「紙もあなたが選んだ?」


 ノアの表情が僅かに変わった。


「やはり、そこに気づいたのですね」


「どこで手に入れました」


「その話をするために、お呼びしました」


     ◇ ◇ ◇


 ノアは書庫の机へ一冊の古い本を置いた。


「三日前です」


「この書庫の整理をしていました」


「王宮の記録整理?」


「はい」


「古い法令集の移動を命じられまして」


「誰から?」


「書記官長です」


「通常の業務です」


 リアムが尋ねる。


「その法令集と手紙の紙に、どんな関係が?」


「これです」


 ノアが本を開く。


 分厚い表紙。


 だが中身の一部がくり抜かれていた。


 そこに。


 紙の束が隠されている。


「この紙が入っていました」


 レオが一枚を取る。


 ノアの手紙と同じ紙。


「銀の鳥の印を知っていましたか」


「いいえ」


「では、なぜこの紙で私に手紙を?」


「一番上に、これがあったからです」


 ノアが別の紙を差し出した。


 そこには短い文章。


 レオン王子が王都へ戻ったら、この紙で手紙を書け。


 ガレスが顔をしかめる。


「またか」


「指示されたから書いたのですか」


 レオが尋ねる。


「違います」


 ノアは首を振った。


「その下も読んだからです」


 次の一文。


 自分の出生を知りたいなら、彼に会え。


「それで私を?」


「はい」


「なぜ、そんな紙を信用したのです」


 ノアはしばらく黙っていた。


「信用したわけではありません」


「では?」


「私自身、以前から自分の出生に疑問を持っていたからです」


     ◇ ◇ ◇


「いつからです」


「子供の頃から」


 ノアは淡々と答えた。


「父も兄も、私にはよくしてくれました」


「母もです」


「ですが」


「私だけ、幼い頃の話がほとんどない」


 ミレイが尋ねる。


「どれくらい前の記憶があるの?」


「十二歳頃からです」


 全員の表情が変わった。


 記録上、ノア・ハーディングの出生に関する文書が作られたのも十七年前。


 当時十二歳前後。


「それより前は?」


 レオが尋ねる。


「断片的です」


「家の記憶は?」


「ありません」


「両親の顔は?」


「ありません」


「友人は?」


「ありません」


「では、最初にはっきり覚えていることは?」


 ノアは目を閉じた。


「ベッドです」


「知らない部屋で目を覚ました」


「父がいました」


「ハーディング伯爵が?」


「はい」


「父は私に言いました」


 ノアが目を開く。


「病気で長く寝込んでいたのだと」


「その影響で記憶が混乱している」


「自分はノア・ハーディング」


「ハーディング家の次男だと」


 MIREI。


 ミレイがレオを見る。


 だがレオは、まだ何も言わなかった。


「あなた自身は、それを信じた?」


「他に信じるものがありませんでした」


「周囲の人間も同じことを?」


「はい」


「使用人も」


「兄も」


「母も」


 ノアは苦笑した。


「全員が同じことを言うんです」


「なら、自分の方が間違っていると思うでしょう?」


 地下保管室で見つけた観察官私記。


 対象017の言葉。


 みんなが同じことを言うなら、私の方が間違っているの?


 あまりにも似ていた。


     ◇ ◇ ◇


「ノア」


 レオは慎重に尋ねた。


「あなたは白鴉計画という言葉を知っていますか」


「いいえ」


「MIREI分類は?」


「……MIREI?」


 ノアがミレイを見る。


「彼女の名前ではなく?」


「別の意味です」


「知りません」


「対象017は?」


 その瞬間だった。


 ノアの顔から表情が消えた。


 沈黙。


「ノア?」


「……今」


「何か?」


「その数字」


 ノアが額を押さえる。


「どこかで」


「思い出した?」


 ミレイが一歩近づく。


「無理に思い出さなくていいです」


 レオが止めた。


「頭に浮かんだものだけ教えてください」


「扉……」


 ノアが呟く。


「白い扉」


「そこに」


「十七……」


 呼吸が乱れる。


「ノア」


「大丈夫です」


「続けなくていい」


「いや」


 ノアは首を振る。


「知りたいんです」


「ずっと」


「私は自分が誰なのか知りたかった」


     ◇ ◇ ◇


 少し休んでから、ノアは話を続けた。


「他にもあります」


「何が?」


「夢だと思っていた記憶です」


「どんな?」


「女の人」


「顔は思い出せません」


「でも」


「歌を歌ってくれた」


「歌?」


「はい」


「同じ歌を、母に尋ねたことがあります」


「ハーディング伯爵夫人に?」


「知らないと言われました」


「父にも」


「兄にも」


「誰も知らなかった」


「歌詞は覚えていますか」


「少しだけ」


 ノアは小さく口ずさもうとして。


 止まった。


「どうしました」


「……思い出せない」


「旋律は?」


「それなら」


 ノアがごく小さく鼻歌で旋律をなぞった。


 その瞬間。


 レオは隣で息を呑む音を聞いた。


 リアムではない。


 ガレスでもない。


 ミレイだった。


「ミレイ?」


「私」


 ミレイが戸惑った顔をしている。


「その歌、知ってる」


「何?」


「どこで?」


「マリアさん」


 レオが目を見開く。


「マリアさんが?」


「うん」


「昔、村で」


「薬を作りながら、たまに鼻歌で歌ってた」


 偶然。


 まだそう考えることはできる。


「同じ旋律だと確信できますか」


「たぶん」


 ミレイは慎重に答えた。


「でも、短かったから」


「似た歌かもしれない」


「それでいいです」


 決めつけない。


 確認する。


「戻ったらマリアさんに聞きましょう」


     ◇ ◇ ◇


「もう一つ」


 ノアが言った。


「父についてです」


「ハーディング伯爵?」


「はい」


「父は、私の出生について嘘をついています」


「なぜそう思うのです」


「五年前」


「母が亡くなる少し前です」


 伯爵夫人は十二年前に亡くなっている。


 レオは眉を寄せた。


「五年前?」


「すみません」


 ノアが首を振る。


「母ではありません」


「乳母です」


「私が母同然に慕っていた女性です」


「名前は?」


「エレン・フォード」


「その人が?」


「亡くなる前、私に謝ったんです」


「何と?」


 ノアは静かに答えた。


「『あなたを騙してごめんなさい』」


「理由は?」


「聞きました」


「でも答えてくれなかった」


「ただ」


「父に聞いてはいけないと言われました」


「なぜ?」


「父は悪い人ではない」


「だからこそ、聞いてはいけないと」


 ガレスが眉を寄せる。


「意味が分からんな」


「私もです」


 ノアは苦笑した。


     ◇ ◇ ◇


 リアムが尋ねる。


「エレンという女性は、いつからハーディング家に?」


「私が家に来た頃にはいました」


「十七年前?」


「はい」


「それ以前は?」


「知りません」


「調べれば分かるかもしれません」


「すでに調べました」


 ノアが答える。


「結果は?」


「それ以前の記録がない」


 また。


 十七年前から始まる人物。


「ノアと一緒にハーディング家へ入った?」


 ミレイが言う。


「可能性があります」


 レオは答えた。


「ですが、まだ分かりません」


     ◇ ◇ ◇


「あなたのお父上に直接尋ねる必要があります」


 レオが言った。


 ノアはすぐに頷かなかった。


「父を疑っているのですか」


「分かりません」


「では」


「確認したいのです」


 レオはノアを見る。


「あなたが本当にハーディング家の息子なら、それでいい」


「違うなら」


「なぜあなたを息子として育てたのかを知る必要があります」


「もし父が」


 ノアの声が僅かに揺れた。


「私を騙していたら?」


「それでも」


 ミレイが言った。


 ノアが彼女を見る。


「育ててくれた時間まで、全部嘘になるわけじゃないと思う」


「ミレイ」


「だって」


「守るために嘘をつくこともあるでしょ」


「それが正しいかは別だけど」


「理由を聞いてから決めてもいいんじゃないかな」


 ノアはしばらく彼女を見ていた。


「あなたは」


「はい?」


「噂と随分違いますね」


「どんな噂!?」


「もっとこう……」


 ノアがレオを見る。


「殿下に守られている、おとなしい方かと」


「誰が流したんですか、その噂」


「王宮ではかなり」


「レオ」


「私ではありません」


「本当に?」


「なぜ私が疑われるのです」


 ガレスが小さく笑った。


     ◇ ◇ ◇


 その時。


 書庫の外から足音が聞こえた。


 一人ではない。


 ガレスが即座に剣へ手を掛ける。


 リアムがランプを少し遠ざけた。


「誰か呼びましたか」


 レオが尋ねる。


「いいえ」


 ノアの顔にも緊張が走る。


 足音が扉の前で止まる。


 三回。


 ノック。


「誰です」


 ノアが尋ねた。


「私だ」


 その声を聞いた瞬間。


 ノアが固まった。


「父……」


 アルバート・ハーディング伯爵。


 レオとガレスが視線を交わす。


「開けます」


 ノアが扉へ向かう。


「待ってください」


 レオが止めた。


「私が」


 レオが扉の前に立つ。


「ハーディング伯爵」


「レオン殿下もいらっしゃるのでしょう」


 向こうから声が返ってくる。


「なぜご存じなのです」


「息子を二十九年育てています」


「ノアが何かを隠している時くらい分かります」


 レオは少し迷い。


 扉を開けた。


     ◇ ◇ ◇


 廊下に立っていたのは一人。


 アルバート・ハーディング伯爵。


 五十八歳。


 王室政務官。


 三本の麦穂を紋章に持つ男。


 武器は持っていない。


「中へ?」


 レオが尋ねる。


「そのために来ました」


 伯爵が入る。


 扉を閉じる。


 ノアと向き合った。


「父上」


「見つけたのか」


「何を?」


「あの紙だ」


 ノアの顔色が変わる。


「知っていたのですか」


「ああ」


「なら、なぜ」


「私が置いたものではない」


 伯爵はレオを見る。


「十七年前から、この書庫に隠されていた」


「存在を知っていた?」


「知っていた」


「誰が隠したのです」


「それを話す前に」


 伯爵はノアへ視線を戻した。


「確認したい」


「お前は」


「自分が誰なのか、本当に知りたいのか」


 ノアの拳が握られる。


「知りたいです」


「知れば、今までの人生が変わって見えるかもしれない」


「それでも?」


「はい」


 長い沈黙。


 やがて伯爵は目を閉じた。


「そうか」


 そして。


「なら、もう隠すべきではないな」


     ◇ ◇ ◇


「ノア」


 伯爵が言う。


「お前は私の実の息子ではない」


 分かっていた可能性。


 それでも。


 本人へ告げられる言葉の重さは違った。


 ノアは動かなかった。


「……では」


「私は誰なのです」


「本当の名前は知らない」


「何?」


 レオも予想していなかった。


「あなたも知らないのですか」


「知らない」


「私が知っているのは」


 伯爵は続ける。


「十七年前」


「一人の少年を預かったということだけだ」


「誰から?」


「女だ」


「名前は?」


「クララ・ウェルズ」


 グレイストーンが調べていた人物。


 アデライド王女付きの侍女。


「クララは少年を連れて、夜中に私の屋敷へ来た」


「そして言った」


 伯爵の声が低くなる。


「この子を王族から消してほしい、と」


「王族から……?」


 ノアが呟く。


「理由は聞かなかったのですか」


 レオが尋ねる。


「聞いた」


「答えは?」


「この子が王族でいる限り、殺される」


 静かな書庫に。


 伯爵の言葉だけが響いた。


「白鴉計画については?」


「当時は知らなかった」


「監察局は?」


「クララは監察局の協力を得ていると言った」


「だから出生記録を?」


「ああ」


「私の次男として記録を作った」


「伯爵夫人は?」


「すべて知っていた」


「長男も?」


「当時十七歳だった」


「事情の一部だけ話した」


「ノアを弟として扱えと」


「それだけで?」


 ガレスが尋ねる。


「家族全員で、知らない子供を息子にしたのか」


「そうだ」


「なぜ?」


 伯爵は一度ノアを見た。


「私たちにも、次男がいたからだ」


 ノアが息を止める。


「どういう意味です」


「お前が来る二年前」


「病で死んだ」


「十二歳だった」


 誰も言葉を挟めない。


「存在を公にはしていなかったのですか」


 リアムが尋ねる。


「病弱で、領地からほとんど出たことがなかった」


「王都の社交界で顔を知る者も少ない」


「だから」


「死んだ息子の名を」


 伯爵は苦しそうに続けた。


「お前へ渡した」


 ノア。


 その名さえ。


 元々は別の少年のものだった。


     ◇ ◇ ◇


「では」


 ノアが掠れた声を出す。


「私は」


「名前すら」


「……そうだ」


「なぜ今まで言わなかった!」


 初めて。


 ノアが声を荒らげた。


「二十九年じゃない!」


「十七年だ!」


「十七年間、いくらでも話せたでしょう!」


「話せなかった」


「なぜ!」


「お前を探している者がいたからだ!」


 伯爵の声も強くなる。


 ノアが止まった。


「何度もあった」


「お前が家へ来てから」


「素性を探る人間が」


「使用人として入り込もうとした者もいた」


「王宮から記録を確認しに来た者もいた」


「だから私は」


「お前自身にも真実を知らせないことを選んだ」


「私が知らなければ、話せないから?」


「……そうだ」


 それは。


 対象017を逃がした観察官の私記と一致する。


 名前も過去も、本人へ知らせない。


 守るために。


 本人からさえ真実を隠す。


     ◇ ◇ ◇


「クララ・ウェルズは?」


 レオが尋ねる。


「その後どうなりました」


「少年を預けた翌朝、姿を消した」


「二度と会っていない」


「死んだとは?」


「聞いていない」


「生きている可能性も?」


「ある」


「では」


 リアムが尋ねる。


「ノアがアデライド王女の息子だということは?」


 伯爵が驚いた顔をする。


「何?」


 知らない。


 少なくとも反応はそう見えた。


「どこでそれを」


「まだ確定していません」


 レオが答える。


「十七年前の祝典の下絵に、王位継承順位第三位の位置にいた少年が描かれていました」


「その横に」


「『陛下の甥』と」


 伯爵がノアを見る。


「私は……」


 ノア自身も言葉を失っている。


「陛下の甥?」


「可能性です」


 レオは強調した。


「まだ証明されていません」


     ◇ ◇ ◇


「一つだけ」


 伯爵が突然言った。


「思い当たることがある」


「何です」


「クララが少年を連れてきた時」


「一つだけ荷物を持っていた」


「何を?」


「小さな木箱だ」


「中身は?」


「知らない」


「今は?」


「保管している」


 ノアが父を見る。


「そんなものが?」


「お前に見せるなと言われていた」


「どこにあります」


 レオが尋ねる。


「屋敷だ」


「鍵は?」


「私が持っている」


「すぐ確認しましょう」


「待ってください」


 ノアだった。


 全員が見る。


「その前に」


 ノアは伯爵へ向き直る。


「一つだけ答えてください」


「何だ」


「私は」


 声が震える。


「あなたにとって、誰だったんですか」


 伯爵はすぐには答えなかった。


 ノア・ハーディング。


 本当の名ではない。


 実の息子でもない。


 王族かもしれない。


 だが。


「息子だ」


 伯爵は答えた。


「最初は、守るよう頼まれた子供だった」


「死んだ息子の名前を与えた」


「騙した」


「それは否定しない」


「だが」


「十七年も一緒に暮らして」


「今さら他に何と呼べという」


 ノアが俯いた。


「……ずるいですね」


「ああ」


「知っている」


     ◇ ◇ ◇


 レオは二人から少し視線を外した。


 今は。


 これ以上踏み込むべきではない。


 だが、その時だった。


 書庫の外。


 また足音。


 今度は。


 大勢。


「近衛です」


 リアムが言う。


 ガレスが扉へ向く。


「誰か呼んだか?」


「私は呼んでいません」


 伯爵が答える。


 足音が止まる。


 扉の外から声。


「レオン殿下」


「何です」


「陛下がお呼びです」


 レオが眉を寄せる。


「面会は明朝の予定だったはずですが」


「至急とのことでございます」


「理由は?」


 僅かな沈黙。


「ノア・ハーディング書記官について」


 室内の全員が顔を見合わせる。


 セドリック王が。


 ノアについて。


 今すぐレオを呼んでいる。


「陛下は、ノアがここにいることをご存じなのですか」


「はい」


「誰から聞いた?」


「分かりません」


 レオはノアを見る。


 そして伯爵を見る。


「行きます」


「レオ」


 ミレイが言う。


「一人では行きません」


 レオは扉へ向かう。


「ノアも連れていきます」


 伯爵の顔色が変わった。


「殿下」


「逃げても解決しません」


「それに」


 レオはノアを見る。


「本人が知りたいと言いました」


 自分が誰なのか。


 その答えを。


 セドリック王が持っている可能性がある。


 ノアはゆっくり頷いた。


「行きます」


 扉を開く。


 近衛たちが並んでいた。


 その先。


 王の執務室へ続く夜の廊下。


 十七年前。


 記録から消された少年。


 王位継承順位第三位。


 対象017。


 もしノアがその少年なら。


 これから会うセドリック王は。


 彼の伯父かもしれない。


 そして。


 王がその事実を知っていたのかどうか。


 それによって。


 十七年前の出来事の意味は、大きく変わる。


 レオたちは。


 王の待つ執務室へ向かった。

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