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第213話 十七年前の保管室

「敵は最初から、あの地下に眠る記録を探していた」


 レオの言葉に、工房の空気が重くなる。


 マリアは腕を組み、作業台に広げられた古い地図を見下ろした。


「そう考えるのが自然だろうね」


「でも」


 ミレイが眉を寄せる。


「私たちが入った地下採石場って、かなり広かったよね」


「監察局の記録が隠されてたなら、どこにあったの?」


「私が知っているのは『旧石工区・地下保管室』という名前だけだ」


 マリアが答える。


「地下採石場そのものを保管室にしたわけじゃない」


「当時、採石場の一角に小さな石室を作った」


「そこへ封をした資料箱を運び込んだんだよ」


 リアムが地図を覗き込む。


「位置は分かりますか」


「大体なら」


 マリアは地図の一点を爪で示した。


「地下採石場の南側」


「川へ抜ける運搬路から、少し外れた場所だ」


「私たちが通ったところですね」


 レオが記憶を辿る。


 人質のいた切り出し場。


 そこから右へ伸びていた運搬路。


 ミレイたちが荷車で移動させられた道。


「ですが、保管室らしい扉は見ていません」


「隠されていたからね」


 マリアは当然のように言った。


「ただの壁に見えるようにしてあった」


 ガレスが低く息を吐く。


「また隠し扉か」


「監察局なんて、人に見つからない場所を作るのが仕事みたいなものだったからね」


「嬉しそうに言わないでくれ」


「嬉しくないよ」


 マリアはぴしゃりと返した。


   ◇ ◇ ◇


「その保管室に、何を入れたのです」


 レオが尋ねる。


 マリアはしばらく黙った。


「私が運んだ箱は三つ」


「中身を見たのですか」


「一つだけ」


「残り二つは?」


「封をされたままだった」


「何が入っているかは知らされなかった」


「見た一箱には?」


 マリアは古い記憶を探るように目を細める。


「白鴉計画の調査資料」


 ミレイが息を呑む。


「MIREI分類についても?」


「名前だけならあった」


「意味は書かれていなかった?」


「少なくとも私が見た資料にはね」


 マリアは箱からさらに一枚の紙を取り出した。


 古く、端が黄ばんでいる。


「これは当時、私が自分用に書き写した項目だ」


 リアムが受け取る。


 短い箇条書き。


 いくつかは意味不明な符号。


 その中に、一行だけ。


 **MIREI――記憶誘導後・現実整合段階。**


「記憶誘導……」


 ヴィクターが顔を強張らせた。


「私に行われたことと関係がありますか」


「可能性はある」


 マリアは答えた。


「だが、断定はしないよ」


「当時の白鴉計画は、記憶そのものを消すような技術じゃなかった」


「記録」


「証言」


「噂」


「本人への繰り返しの問いかけ」


「そういうものを組み合わせて、自分の認識を疑わせる」


「今まで聞いてきた内容と一致します」


 リアムが言う。


「では『現実整合段階』とは」


「そこが分からない」


 マリアは首を振った。


「私たちが調べ始めた時には、計画書の一部が消えていた」


   ◇ ◇ ◇


 レオは紙を見つめた。


 MIREI。


 人名ではない。


 少なくとも十七年前の文書では、何らかの分類名。


 そしてそれは、記憶誘導の後に行われる段階。


「人に偽の記憶を信じ込ませるだけでは不十分だった」


 レオが呟く。


「周囲の現実まで、その記憶に合わせる必要があった?」


 リアムが顔を上げる。


「なるほど」


「たとえば本人に『昨日、誰かを傷つけた』と思わせても」


「周囲が全員『そんなことはなかった』と言えば、疑いは長続きしない」


「ですが」


 ヴィクターが続ける。


「周囲の者も『確かにあなたがやった』と言えば」


「記録にもそう書かれていれば」


「本人は自分の記憶より、そちらを信じる」


「それが現実整合」


 ガレスが苦い顔をする。


「嘘に周囲を合わせるってことか」


「おそらく」


 レオは頷いた。


「白鴉計画は一人の思考だけを変えるものではない」


「その人物を取り巻く情報そのものを作り替える」


「だからフェルトハイムでも」


 ミレイが言う。


「偽物の命令書を出したり」


「街の人に噂を広めたり」


「私に偽物の手紙を送ったりした」


「同じ仕組みです」


 レオは答えた。


 MIREI分類。


 その意味が、少しだけ見えてきた。


   ◇ ◇ ◇


「でも」


 ミレイは首を傾げる。


「なんで白紙の帳簿に、分類名だけ書いてあったの?」


 誰もすぐには答えなかった。


 リアムが考える。


「帳簿そのものが、ある種の指示だった可能性があります」


「白鴉計画の記録を探せ、と?」


「あるいは」


 レオが続ける。


「MIREI段階が今も進行している、と知らせるため」


「誰が誰に?」


 ガレスが尋ねる。


「それが分かりません」


 敵が残したのか。


 味方が残したのか。


 白紙の帳簿だけでは判断できない。


「王宮の封印庫に残した以上」


 マリアが言った。


「王家の誰かに見つけさせる意図はあったんだろう」


「それならレオ様が見ることまで想定していた?」


 ヴィクターが尋ねる。


「可能性は高い」


「でも、その結果私たちはここへ来た」


 ミレイが言う。


「それも予定通りだったら?」


 工房が静かになる。


 また誘導。


 どの道を選んでも、敵が望む場所へ辿り着く。


「だから」


 レオは落ち着いて言った。


「敵の意図ではなく、確認できる事実を追います」


「フェルトハイムの地下に、十七年前の保管室がある」


「マリアさんがそこへ資料を運んだ」


「これは事実」


「白鴉計画を引き継いだ者たちが、その地下を使っていた」


「これも事実」


「なら、戻って保管室の有無を確認する価値があります」


 マリアが頷く。


「その通りだ」


   ◇ ◇ ◇


「すぐ戻るのですか」


 リアムが尋ねる。


「今からでは夜になる」


 ガレスが窓を見る。


 外はすでに暗くなり始めていた。


「明朝にしましょう」


 レオが決める。


「夜道を急いでも危険です」


「それに、マリアさんから聞けることを今夜のうちに確認したい」


「まだ聞きたいのかい」


「たくさんあります」


「面倒な王子だね」


「よく言われます」


「誰にだい」


「主にガレスに」


「俺を巻き込むな」


 ガレスが呆れた声を出す。


   ◇ ◇ ◇


 マリアは工房の椅子へ腰を下ろした。


「なら、聞きな」


「答えられる範囲で答える」


 レオも向かいに座る。


「監察局が消えた夜について」


 マリアの表情が少し変わった。


「何を知りたい」


「あなたはその場にいたのですか」


「王宮にはいなかった」


「ではどこに」


「フェルトハイム」


 全員が顔を上げる。


「資料を運んでいた?」


「そうだ」


「監察局内で、何かがおかしいと気づいた者がいた」


「最後のクロイスですか」


「名前は出さない」


「なぜ」


「私が直接見たことじゃないからだ」


 マリアははっきり言った。


「当時、局内で記録の改ざんが行われているという話が出始めた」


「証拠を消される前に、複数の場所へ重要資料を移すことになった」


「その一つがフェルトハイム」


「誰の指示です」


「ルイス・アルデン」


 レオの目が細くなる。


「ルイスが」


「最終記録官だったんだろ?」


 ガレスが言う。


「記録を守る立場なら筋は通るな」


「ルイスだけじゃない」


 マリアが続ける。


「局内には何人か協力者がいた」


「ハンスも?」


「ああ」


「私も」


「他には?」


「死んだ者もいる」


「行方が分からない者も」


「名前を今並べても仕方ない」


「その中にオルドリック・ヴァイスは?」


 レオが尋ねた。


 マリアの眉が僅かに動く。


「会ったのかい」


「はい」


「生きていたよ、あの爺さん」


 ガレスが言う。


「そうか」


 驚いている。


 だが、死んだと思っていた人物が生きていたという反応ではない。


「生存を知らなかったのですか」


「十七年間、会ってない」


「でも生きている可能性は考えていた」


 レオは少し安心した。


 また「死んだと思われていた伝説の人物が実は生きていた」という話ではない。


 単に消息を知らなかっただけだ。


「オルドリックとルイスは対立していたと聞きました」


「ああ」


「何を巡って?」


「記録を公開するか、封じるか」


「オルドリックは危険な真実は封じるべきだと言った」


「ルイスは、いつか必ず公開すべきだと」


「あなたは?」


 マリアは少し考える。


「当時はルイスに近かった」


「今は?」


「今もだよ」


「真実を永遠に隠す権利なんて、誰にもない」


「ただし」


 マリアはレオを見る。


「いつ、どう出すかは考えなきゃならない」


「全部を一度に放り出して、国が壊れればそれで正しいとは思わない」


「なるほど」


 レオは頷いた。


   ◇ ◇ ◇


「最後のクロイスの本名を知っていますか」


 その問いに、マリアは黙った。


 長い沈黙。


「知ってる」


 ついに答える。


「ですが、オルドリックは記録を見てから判断しろと言いました」


「それでいい」


「教えないのですか」


「今はね」


「理由は?」


「私の口から名前を出せば、お前たちはその人物を見る目が変わる」


「オルドリックと同じことを言うのですね」


「同じ結論になることくらいあるさ」


 マリアは鼻を鳴らす。


「まず保管室を確認しな」


「そこに当時の記録が残っていれば」


「誰が何をしたか、自分で読める」


「燃えていたら?」


 ガレスが尋ねる。


「その時は私が知ってることを話す」


 マリアの声は重かった。


「でも、できれば」


「私の記憶じゃなく、記録を信じな」


   ◇ ◇ ◇


 その夜。


 レオたちは村の宿へ泊まることになった。


 ミレイだけは、久しぶりに昔の知人たちと少し話してから宿へ戻ってきた。


 部屋にはレオがいた。


「楽しかったですか」


「うん」


 ミレイは椅子へ座る。


「セリーヌ、全然変わってなかった」


「私を見た時の反応も?」


「そこはもっと変わってなかった」


 レオは苦笑する。


「でも」


 ミレイの表情が少し落ち着く。


「よかった」


「何がです」


「私の出生に巨大な秘密があるとかじゃなくて」


 レオは思わず笑った。


「まだ分かりませんよ」


「ちょっと」


「冗談です」


「今のところ、その証拠はありません」


「そう言って」


 ミレイは安心したように息を吐いた。


「私、普通の村娘でいいんだよ」


「普通ですか?」


「何」


「王子と結婚して、フェルトハイムで暮らして、二人の子供がいて」


「それはレオのせいでしょ」


「確かに」


 二人で少し笑う。


「マリアさんの過去は驚きましたね」


「うん」


「昔から薬師だったと思ってた」


「でも、考えてみれば」


 ミレイが言う。


「毒とか薬のこと、すごく詳しかった」


「薬師だからでは?」


「そうなんだけど」


「たまに『これは人を殺す方が簡単だ』とか、怖いこと言ってた」


 レオが固まる。


「それは初耳です」


「冗談だと思ってた」


「マリアさんなら冗談ではなさそうですね」


「でしょ?」


 少しだけ。


 肩の力が抜ける夜だった。


   ◇ ◇ ◇


 翌朝。


 レオたちは工房へ集まった。


 マリアも旅支度をしている。


「……何をしているのです」


 レオが尋ねる。


「見て分からないかい」


「まさか、一緒に来るつもりですか」


「そのまさかだよ」


「危険です」


「誰に言ってる」


 マリアが杖ではなく、丈夫な薬箱を背負う。


「フェルトハイムの保管室を実際に知ってるのは、ここじゃ私だけだ」


「場所を教えてもらえれば」


「十七年前の地下だよ」


「壁が崩れてるかもしれない」


「入口が埋まってるかもしれない」


「現地で見なきゃ分からない」


 ガレスが小声でレオへ言う。


「止めても来るぞ」


「分かっています」


「聞こえてるよ!」


「すみません」


「謝るくらいなら黙ってな!」


 ミレイが懐かしそうに笑っている。


   ◇ ◇ ◇


 出発直前。


 ハンスが村へ戻ってきた。


「どうでした」


 レオが尋ねる。


「灰色の外套は戻らなかった」


「ただし」


 ハンスが一枚の紙を差し出す。


「道端の木にこれが刺さっていた」


 白い鳥の印。


 偽物ではない。


 羽の根元に二本の細い溝。


 マリアとハンスが使っていた、本物の分類印。


「誰が?」


 マリアの顔色が変わる。


 紙には一文だけ。


 **保管室は開いた。**


 その下に。


 **残っているものを、先に見つけてみろ。**


「敵がもう保管室を見つけた?」


 ミレイが尋ねる。


「少なくとも、場所を知っている」


 レオは紙を見つめる。


「ですが」


 リアムが印を確認する。


「これは本物の印です」


「誰かが、十七年前の監察局の印を持っている」


「盗まれた可能性は?」


 ガレスが尋ねる。


 マリアは険しい顔で答えた。


「ある」


「でも」


「この溝の位置まで正確に知ってる人間は、そう多くない」


「昔の監察局関係者?」


 ミレイが言う。


「それも含めて調べるんだよ」


 マリアは荷物を背負い直す。


「急ぐよ」


 レオは頷いた。


 一行は村を出る。


 今度向かう先は、再びフェルトハイム。


 だが。


 帰る目的はもう違う。


 十七年前。


 監察局が消える直前に隠された資料。


 MIREI分類。


 白鴉計画。


 そして。


 敵がすでに開いたかもしれない地下保管室。


 答えは、燃えた採石場のさらに奥に残されている。


 もし。


 まだ何かが残っているのなら。


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