第193話 旧・謁見の間
翌朝。
レオたちは王宮西棟のさらに奥へ足を運んでいた。現在の王宮では使われていない区域である。十五年前、新しい謁見の間が完成して以来、この一帯は立ち入りが制限されていた。
「こんな場所が残っていたとは」
ガレスが薄暗い廊下を見回した。壁には古い王家の紋章が刻まれ、かつて敷かれていたであろう赤い絨毯はすでに撤去され、石床だけが静かに続いている。足音だけが妙に響く、時が止まったような場所だった。
エレナが古い見取り図と照らし合わせながら先を歩く。突き当たりには大きな両開きの扉が見えた。だが、その手前には鉄製の柵が設けられている。柵には一枚の札が掛かっていた。
――危険につき立入禁止。
「危険?」
リアムが眉をひそめる。
「建物の老朽化でしょうか」
レオは札へ近づいた。紙は比較的新しい。少なくとも十五年前に取り付けられたものではなかった。
「最近交換されています」
「ということは」
ガレスが低く言う。
「今でも誰かが管理している」
レオは鉄柵を調べ始めた。錠前は古い型式のものだったが、鍵穴には油が差されていた。
「……使われています」
「十五年間放置された鍵ではありません」
リアムも頷く。
「数か月以内でしょう。誰かが定期的に開閉しています」
その静けさの中で、四人はしばし顔を見合わせた。誰も声には出さなかったが、同じ疑問が頭をよぎっていたはずだ。放置されているはずの場所に、なぜ人の手が入り続けているのか。
◇ ◇ ◇
その時、後方から足音が聞こえた。全員が振り返る。
「失礼します」
現れたのは白髪の老人だった。質素な作業着を身につけ、掃除道具を手にしている。歩き方はゆっくりだが、足取りに迷いはなかった。長年この王宮を歩き慣れた者の動きだった。
「どなたですか」
レオが尋ねる。
老人は深々と頭を下げた。
「王宮管理部で清掃を担当しております、エドモンドと申します」
「この場所をご存じですか」
老人は鉄柵を見ると、少し困ったように笑った。
「昔は毎日掃除しておりました。ですが今は立入禁止です」
「理由をご存じですか」
「詳しくは知りません。ただ……」
老人は少し声を潜めた。
「夜になると、時々ここへ来る方がおられます」
「誰です」
ガレスが鋭く尋ねる。
「顔は見ておりません。いつも黒い外套を着ていますので」
レオたちは互いに視線を交わした。
「頻繁ですか」
「月に一度ほどでしょうか。鍵を使って中へ入り、夜明け前には出て行かれます」
「報告は?」
「いたしました」
老人は苦笑する。
「ですが、『見間違いだろう』と言われまして」
エドモンドの声には、諦めとも呆れとも取れる響きがあった。長年勤めてきた者が、まともに取り合ってもらえなかった苦さが滲んでいる。レオはその表情を見て、この老人が嘘をついているようには思えなかった。
◇ ◇ ◇
レオは老人へ礼を言い、鉄柵へ向き直った。
「鍵を開けられますか」
リアムは錠前を覗き込む。
「時間は掛かりますが」
「お願いします」
工具を差し込み、慎重に内部を探る。かすかな金属音が繰り返し響き、他の三人は無言でその手元を見守っていた。エドモンドもまた、少し離れた場所からじっと見つめている。
しばらくして。
カチリ。
小さな音が響いた。
「開きました」
鉄柵を開ける。その先には巨大な扉が静かに佇んでいた。左右には王家の紋章が刻まれ、中央には古い王の肖像が彫り込まれている。長い年月に晒されてなお、彫刻の輪郭ははっきりと残っていた。
「これが旧・謁見の間……」
エレナが呟いた。
ガレスが両手を掛ける。
「押すぞ」
重々しい音とともに扉が開き始めた。蝶番の軋む音が広い廊下に反響し、埃の匂いが一気に流れ出してくる。
◇ ◇ ◇
中は想像以上に広かった。高い天井、何本もの大理石の柱。玉座はすでに撤去され、広間には白い布を被せられた家具がいくつも並んでいる。窓から差し込む光が、長年積もった埃をきらきらと照らしていた。
「誰もいない……」
エレナが辺りを見回す。足音を立てるたびに、埃が薄く舞い上がった。誰も足を踏み入れていないはずの場所には見えなかった。空気の淀み方が、どこか違っている。
その時だった。
「待ってください」
レオが静かに右手を上げた。視線は床へ向けられている。
玉座が置かれていた場所の前、石床に一本だけ細い傷が残っていた。古い傷ではない。最近付いたものだった。傷は真っ直ぐ壁際まで続いている。
「何かを引きずった跡ですね」
リアムがしゃがみ込む。
「しかも重い物です」
レオは傷の終点まで歩いた。そこには巨大な壁掛けが飾られている。建国王が描かれた古い織物だ。一見すると何の変哲もない。しかし、その下の石床だけが、わずかに擦れていた。
レオは静かに壁掛けへ手を伸ばす。
「……ここにも、隠し通路があります」
誰かが長年守り続けてきた秘密は、旧・謁見の間のさらに奥へと続いていた。




