↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
194/238

第194話 王の密室

レオは建国王の織物へ静かに手を掛けた。厚い布を横へ払うと、その裏には予想どおり石壁が現れた。だが、ただの壁ではない。左右の石とわずかに色が異なっている。長年この城で暮らしてきた者でなければ、決して気づかないほどの違いだった。

「隠し扉ですね」

 リアムが近寄り、壁に顔を寄せるようにして観察する。

「しかも、かなり精巧です」

 ガレスが壁を軽く叩いた。コン、コン、と乾いた音が返る。何度か場所を変えて叩くうちに、その音の変化に気づいたのか、彼は眉を寄せた。

「向こうは空洞だ。それも、そう浅くはない」

 レオは壁の縁を指でなぞっていく。目で見ただけでは分からない継ぎ目を、指先の感触だけで探る。冷たい石の表面を這わせていくと、細い溝に触れた。指先はそのまま溝をたどり、やがてぴたりと止まる。

「ありました」

 石の彫刻に紛れるように、小さなくぼみが一つだけあった。装飾の一部のように見えるが、よく見ると人為的に穿たれた跡がある。

「鍵穴ではありません」

 エレナが覗き込みながら言う。

「何かを差し込む仕掛けでしょうか」

 レオは懐から金属札を取り出した。第三保管庫で見つけた、『17-4-3』と刻まれた銀色の札である。あの日、埃をかぶった棚の奥からこれを見つけたときは、ただの記録用の札だと思っていた。まさかこんな場所で使うことになるとは、誰も想像していなかっただろう。

「試してみます」

 札をくぼみへ当てる。形がぴたりと合った。まるで最初からこの場所のために作られたかのように、寸分の狂いもなく収まる。

 その瞬間、カチッ、と壁の奥で小さな音が響いた。

「開きます!」

 リアムが声を上げる。重い石壁がゆっくりと横へ滑り始めた。軋むような低い音とともに、長い年月、誰にも知られなかった隠し部屋が姿を現す。舞い上がった埃が、差し込むわずかな光の中で白く揺れた。

   ◇ ◇ ◇

 中は意外にも狭かった。十人も入ればいっぱいになるほどの広さしかない。中央には一脚の机が置かれ、壁際には本棚が並んでいる。そして、窓は一つもなかった。

「密室……」

 エレナが呟く。声が小さな部屋の壁に反響して、妙に大きく聞こえた。

「歴代の王が使っていたのでしょうか」

 グレイストーンは静かに部屋を見回した。長年、王宮の内情に通じてきた彼の目にも、この空間は初めて映るものだったらしい。

「私はこの部屋の存在を知らなかった」

 彼はそう言ってから、しばらく黙り込んだ。そして、絞り出すように付け加える。

「王直属だった私でも、だ」

 その言葉が、この部屋の秘匿性を何よりも雄弁に物語っていた。王に最も近い場所にいた人間ですら知らなかった部屋。それがここに、確かに存在している。

 机の上には何もない。埃さえも薄く積もっているだけで、長い間誰も触れていないことが分かる。しかし本棚には、数冊だけ本が残されていた。

 レオは慎重に一冊を取り上げる。政治史。軍事記録。王国法典。一見すると、どこにでもありそうな普通の書物ばかりだった。だが、それがかえって不自然だった。これほど厳重に隠された部屋に、ただの資料が置かれているだけとは思えない。

「違います」

 リアムが一冊を手に取り、両手でその重さを確かめるようにする。

「この本だけ重さが違います」

 革表紙を開く。ページは途中まで本物だった。文字も印刷も、他の本と変わらない。だが中央部分だけが四角くくり抜かれ、小さな箱になっている。まるで本そのものが、秘密を守るための器として作られたかのようだった。

「隠し箱です」

   ◇ ◇ ◇

 箱の中には一枚の羊皮紙が入っていた。レオは慎重にそれを広げる。古い紙特有の乾いた匂いが漂った。

 そこに描かれていたのは家系図だった。王家。公爵家。侯爵家。有力貴族の血筋が一本の線で結ばれ、複雑に枝分かれしながら現在まで続いている。

「系譜図ですね」

 エレナが線をたどりながら言う。

「ですが……」

 レオの視線が、ある一点で止まった。何度も目をこすり、見間違いではないことを確かめる。

「一つだけ、おかしい」

 系譜図の隅。現国王エドリックへ続く正統な系統とは別に、細い赤線が一本引かれていた。他の家系とは明らかに違う筆致で、まるで後から書き加えられたかのように浮いている。その先には、名前がなかった。ただ、

 ――監察。

 とだけ記されている。

「監察家系……?」

 ガレスが首をかしげた。長年、貴族社会の内情に詳しい彼でさえ、聞いたことのない名だった。

「そんな貴族は聞いたことがない」

「私もです」

 エレナも困惑した表情を浮かべる。彼女の記憶にある限りの貴族名鑑にも、そのような家名は存在しなかった。

 沈黙が部屋を満たす。誰もが同じ疑問を抱いていた。王家の系譜に、なぜ名前のない家系が記されているのか。しかも赤線という、明らかに他とは異なる扱いで。

   ◇ ◇ ◇

 その時だった。リアムが本棚の最下段を調べながら声を上げた。

「レオ様」

「こちらにも何かあります」

 本棚の奥、石壁に小さな金属板が埋め込まれている。指を掛けて引き出してみると、それは薄い銅板だった。表面には文字が刻まれている。短い文章。それだけだった。だが、その短さゆえに、かえって不気味な重みを感じさせた。

 レオは静かに読み上げる。

「――監察局は王に仕える組織ではない」

 全員の動きが止まった。誰も呼吸すら忘れたかのように、その場に立ち尽くす。

 さらに続きがあった。

「――監察局が仕えるのは、王国そのものである」

 誰も言葉を発しなかった。王ではなく、王国。たった一文字、いや一語の違いに過ぎない。だが、その意味はまったく違う。王に仕えるのであれば、王が誰であろうと従うべき対象は明確だ。しかし王国そのものに仕えるというのなら、時には王その人が、監察局にとっての排除すべき対象になり得るということだ。

 グレイストーンがゆっくりと息を吐いた。長い沈黙の後、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「だから歴代の王にも知らされなかった秘密があったのか……」

 彼の声には、驚きだけでなく、どこか納得したような響きも混じっていた。長年、王宮に仕えてきた中で感じていた小さな違和感の数々が、この一枚の銅板によって、ようやく一つの形を成したのかもしれない。

 レオは銅板を見つめたまま考え込む。もし監察局が特定の王ではなく、王国そのものへ忠誠を誓う組織なのだとしたら。十七年前、彼らが監視していたという「王宮内部の人物」は、必ずしも王である必要はない。むしろ――。

「王国そのものを脅かす存在だった」

 レオが静かに呟いた、その時。

 部屋の入口から微かな風が吹き込んだ。全員が振り返る。誰もいないはずの通路に、一枚の白い紙が舞い落ちていた。まるで今、この瞬間に誰かがそっと置いていったかのように。

 紙は音もなく床に着地し、それきり動かない。誰もその紙に触れようとしなかった。ただ、部屋に満ちていた沈黙だけが、いっそう深くなっていった。

 ガレスが真っ先に我に返り、剣の柄に手をかけながら通路の奥へ視線を走らせる。だが、そこには誰の姿もなかった。灯りの届かない闇が、ただ静かに横たわっているだけだ。

「誰かが……見ていたということですか」

 リアムの声は、わずかに震えていた。長年この城で剣を振るってきた彼にとっても、姿の見えない相手というのは、剣で斬りつけられるよりも厄介な相手なのかもしれない。

「あるいは、見せられている、というべきかもしれません」

 エレナが低く言った。彼女は白い紙を見つめたまま、動こうとしない。

「わざとらしい、と思いませんか。これほど都合よく、私たちがこの部屋の秘密に辿り着いた直後に現れる紙など」

 その言葉に、レオは思わず銅板から視線を上げた。エレナの指摘は的を射ている。監察局という言葉を目にした直後、まるで見計らったかのようにこの紙が現れた。偶然にしては、あまりにも出来過ぎている。

 グレイストーンが慎重に歩み寄り、紙の前でしゃがみ込んだ。だが、すぐには手を伸ばさない。

「罠である可能性も、考えねばならん」

「ですが、確かめなければ何も始まりません」

 レオはそう言うと、銅板を懐へしまい、自ら紙のそばへと近づいた。指先で紙の端に触れる。ただの紙であるように思われた。焦げた跡も、妙な匂いも、仕掛けを疑わせるようなものは何も見当たらない。

 それでも、レオの手はわずかに緊張していた。この部屋に足を踏み入れてから、次々と明らかになる真実の重みが、まだ肩にのしかかったままだったからだ。

 王家の系譜。名も無き監察の血筋。そして、王にではなく王国にこそ忠誠を誓うという、常識を覆す組織の存在。その全てを踏まえた上で、この一枚の紙が意味するものは何なのか。

 レオは静かに紙を拾い上げた。全員の視線が、その手元に集まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。