第181話 王宮の地下図
隠し通路の入口は厳重に封鎖された。近衛兵が二重に警備へ就き、誰一人として中へ入れないよう命令が下される。物々しい空気の中、レオは壁の前に立ったまま、じっと考え込んでいた。
「何か気になりますか」
グレイストンが静かに尋ねる。老人の声には、長年この王宮に仕えてきた者だけが持つ落ち着きがあった。
「ええ」
レオは壁へ視線を向けたまま答えた。
「この通路です。王宮の地下に隠し通路があること自体は、不思議ではありません。古い城には非常時の脱出路が造られることがありますし、王都建設当時の地下道も、その一部は現在まで残っています」
そこまでは、いい。歴史ある王宮であれば、そうした仕掛けが残っていても驚くには当たらない。だが――
「ですが、拘束室へ直接繋がる通路となると話は別です」
ガレスも頷いた。
「最近造ったのなら、大工や石工が知っている」
「ええ。逆に昔からあったのなら」
「王宮の設計図に載っているはずだ、というわけか」
レオは小さく頷いた。新しければ職人の記憶に残り、古ければ図面に記録が残る。どちらにしても、必ずどこかに痕跡があるはずだった。その痕跡を辿ることこそが、この不可解な通路の正体を暴く唯一の道筋に思えた。
レオはグレイストンを見る。
「王宮の古い図面は残っていますか」
「ある」
老人は迷わず答えた。
「ただし閲覧には国王陛下の許可が必要だ」
「今なら許可はいただけるでしょうか」
「事情を説明すれば問題ない」
その返答に、レオはわずかに安堵した。手がかりは、確かに存在している。あとはそれを引き出すだけだ。
◇ ◇ ◇
一時間後、三人は王宮地下にある古文書保管庫へ来ていた。分厚い鉄扉が開き、白髪の管理官が深々と頭を下げる。
「お待ちしておりました」
机の上には大きな筒がいくつも並べられている。長い年月を経た紙の匂いが、部屋全体に染み付いていた。
「こちらが王宮建設当時の図面です」
慎重に図面が広げられた。巨大な羊皮紙いっぱいに、王宮の構造が細かく描かれている。壁の厚み、通路の幅、部屋の配置に至るまで、当時の建築家の手によって丁寧に記録されていた。レオは拘束室の位置を確認し、その周辺を調べ始めた。目を凝らし、線の一本一本を追うように、じっくりと見つめる。
「……ありません」
ガレスが呟く。
「通路がないな」
「ええ」
拘束室の壁は、ただの厚い石壁として描かれているだけだった。秘密の通路を示すような線も、記号も、どこにも見当たらない。
さらに別年代の図面を開く。二十年前、三十年前、五十年前――どれを見ても結果は同じだった。時代を遡っても遡っても、拘束室の周囲にはただ石壁が続いているだけで、通路の存在を示すものは何一つ現れない。
「つまり」
グレイストンが静かに言う。
「後から造られた、ということだな」
「その可能性が高いです」
レオは図面を見つめたまま考える。過去五十年のどの記録にも存在しない通路が、今、確かにそこにある。ならば答えは一つしかない。
「問題は、いつ造られたかです」
その時だった。
「レオ様」
エレナが一冊の台帳を抱えて近づいてきた。
「建築記録を見つけました」
「建築記録?」
「王宮の増改築は、必ず申請が残ります」
エレナの言葉に、レオは顔を上げた。図面に残らないものでも、申請の記録なら必ずどこかに存在する。工事とは、勝手に行えるものではない。許可があり、予算があり、そして記録がある。
◇ ◇ ◇
台帳を開く。年代順に工事内容が並んでいた。屋根の修理、外壁の補強、礼拝堂の改築――地味だが着実な記録の連なりを、レオは一つずつ目で追っていく。そして――
十七年前。
レオの指が止まる。
「地下排水設備改修」
短い記録だった。
「工事期間は三か月」
たった数行の記述に過ぎない。しかしその素っ気なさこそが、かえって何かを隠しているように感じられた。
「担当責任者は……」
そこで、レオの言葉が途切れる。
エレナが目を細める。
「記録がありません」
「ありません?」
「責任者の欄だけ切り取られています」
全員が顔を見合わせた。ただの記入漏れではない。台帳の該当箇所だけが、明らかに人為的に欠けている。
「意図的ですね」
レオが静かに言う。
「しかも最近切られたものではありません」
紙の変色具合から見ても、かなり前だ。切り取られた跡の色は、周囲の紙と同じように古びている。つまりこの隠蔽は、今になって行われたものではなく、はるか昔――おそらくは工事そのものが行われた頃に、すでになされていたということになる。
ガレスが腕を組んだ。
「また十七年前か」
閲覧記録、資金移動、地下書庫、そして地下工事――すべて同じ年へ収束していく。偶然が重なっているだけとは、もはや思えなかった。
「偶然とは思えません」
レオは断言した。
「十七年前、この王宮で何かが始まった」
◇ ◇ ◇
その時、管理官が思い出したように口を開いた。
「あの……」
「何ですか」
「工事責任者の名前は残っておりませんが、一つだけ覚えている話があります。祖父から聞いた話です」
全員の視線が集まる。
「その工事は、当時の王弟殿下が何度も視察に来ていたそうです」
「王弟……」
レオが低く繰り返す。
「エドガー殿下ですね」
「はい。そのように聞いております」
部屋に静寂が流れた。エドガーは十七年前、王位継承文書を閲覧し、地下工事へ関わり、資金を動かしていた。そして今、その工事で造られた隠し通路から姿を消した。点と点が、少しずつ一本の線になり始めていた。
しかしレオには、まだ一つだけ引っかかることがあった。
「エドガー殿下は、その頃まだ若かった」
誰に言うでもなく呟く。
「十七年前から、これほど大きな計画を一人で動かせるでしょうか」
グレイストンも静かに頷く。
「私も同じことを考えていた」
「つまり」
ガレスが低く言う。
「白鴉は、もっと前から存在していたということか」
レオはゆっくりと頷いた。
「エドガー殿下は始まりではない。誰かが先にいて、エドガー殿下を取り込んだ――そう考えた方が自然です」
白鴉。その正体は、ますます深い闇の中へ隠れていった。




