場面8:関係の深化(信頼)
工房での開発作業を終え、俺とフェリシアさんは二人並んで、月明かりが照らす夜道を宿へと歩いていた。
昼間の喧騒が嘘のようなフロンティアの街は静まり返り、聞こえるのは俺たちの革靴が石畳を叩く規則正しい音と、どこからか聞こえてくる虫の音くらいだ。
ひんやりとした夜風が心地よく、工房での熱気と試行錯誤で火照った頭を優しく冷やしてくれる。
「フェリシアさん、今日も本当にありがとうございました」
しばらく無言で歩いていたが、俺の方から口を開いた。今日一日の作業を振り返っても、やはり彼女の存在の大きさを改めて感じずにはいられなかったからだ。
「タクミ・グリップの改良案も、フェリシアさんの的確な指摘があったからこそ、具体的な形が見えてきました。それに、日中のセンサー設置の際の護衛や、ミミへの指示も……本当に助かりました。あなたの経験や知識は、俺のスキルだけじゃ絶対に得られない、本当にすごい『財産』だと思います」
俺が心からの感謝を伝えると、フェリシアさんは月明かりに照らされた横顔を俺に向けず、前を向いたまま、少しぶっきらぼうに、しかしどこか穏やかな声で応じた。
「……ふん。大袈裟なやつだ。私は私の役目を果たしたに過ぎん。礼なら、お前がその力でフロンティアを本当に良くしてくれた時に、改めて聞こう」
その声には、いつものような棘がない。むしろ、どこか柔らかささえ感じられた。
「それでも、です。俺一人じゃ、きっとここまで辿り着けませんでした。この開発が成功すれば、フロンティアはもっと良くなりますよね。俺、この街に来て、最初は戸惑いましたけど、今は本当に……この街の人たちの役に立てるものが作れるかもしれないって思うと、なんだかワクワクするんです」
俺の少し熱がこもった言葉に、フェリシアさんは少し驚いたように足を止め、初めてこちらに視線を向けた。
その緑色の瞳は、夜の闇の中でも月光を反射して、吸い込まれそうなほど深く、不思議な輝きを放っているように見える。
彼女は一瞬だけ何か言いかけたが、すぐに視線を逸らし、再びゆっくりと歩き始めた。その頬が、月明かりの下でも分かるくらい、ほんのりと赤く染まっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
「……お前のようなお人好しがリーダーでは、先が思いやられるがな」
ポツリと、彼女が呟いた。いつもの辛辣さが少しだけ戻っている。
「だが……この街が本当に安寧を得られるまで、お前の背中くらいは守ってやらねばな。私が、少しばかり手を貸してやらんでもない」
その言葉には、これまでの彼女からは感じられなかった、深い信頼と、そして確かな決意のようなものが込められている気がした。
元騎士ではなく、プロンプターズのフェリシアとして、このフロンティアで、俺達と共に未来を見据えてくれている。そう感じた。
「……はい!」
俺は力強く頷く。彼女の言葉が、なぜか自分のことのように嬉しかった。仲間として、彼女にそう思ってもらえたことが、何よりも。
会話が途切れ、再び静寂が訪れる。だが、それは気まずいものではなく、むしろ心地よい、信頼に満ちた沈黙だった。俺たちは並んで、ゆっくりと石畳の道を進む。月が、いつもより明るく、そして優しく俺たちを照らしているように感じられた。
その時だった。
ふと、石畳の僅かな段差につまずいたのか、あるいはこれまでの疲労がどっと出たのか、フェリシアさんの体が、ほんの少しだけ俺の方へと傾いた。
そして、彼女の肩が、俺の肩にこつん、と軽く触れた。
そのまま、彼女は少しだけ俺の腕に寄りかかるような体勢になった。柔らかく、そして確かな重み。風に乗って、彼女の髪から、先ほどの工房の匂いとは違う、微かに甘い花の香りが漂ってくる。
「――っ!?」
俺は咄嗟に体が強張り、息を呑んだ。なんだ? どうしたんだ? まさか体調でも悪いのか!?
いや、彼女の呼吸は穏やかだ。ただ、その横顔は少しだけ俯き加減で、表情は長い前髪に隠れて読み取れない。
(これは……どういう状況だ!? フェリシアさんが、俺に……寄りかかってる……?)
心臓が、まるで警告音のようにドクン、ドクンと大きく、そしてやけにうるさく鳴り始めた。
顔が熱い。指先が冷たい。思考が、うまくまとまらない。
普段の彼女からは想像もつかない無防備な仕草に、俺の頭の中は完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
『おやおやマスピ? これはもしや、想定外の親密イベント発生中では? フェリ姉のパーソナルスペース内への侵入許可、これはもうレッドゾーン……いや、むしろゴールデンウィーク突入のお知らせ!? アタシの感情分析モジュールによれば、フェリ姉の今の心理状態は『信頼80%、安心感15%、そして無意識の……おっと、これはまだ解析不能領域かな!』ってとこ! こりゃあ、今夜は月が綺麗だねぇ!w』
アリアの脳内実況が、いつにも増して楽しそうだ! やかましい! 今すぐその高性能センサーを月に向けて、月のクレーターでも数えてろ!
だが、アリアの分析も、あながち間違いではないのかもしれない。
今の彼女からは、普段の鎧のような厳しさや警戒心は感じられない。むしろ、全てを委ねるような、穏やかな気配すら漂っている。
俺は、どうすればいいのか分からず、ただ隣の彼女の温もりと、甘い香り、そして自分のうるさい心臓の音を感じながら、月明かりの夜道を進むしかなかった。
確かな信頼と、そしてそれ以上の何かが、俺たちの間に生まれ始めている。そんな予感が、この静かな夜の空気の中に、確かに満ちていた。




