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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
6章 怪腕夏に唸る
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189話

 ネクストバッターサークルで俺は空を見上げていた。

 目に染みるほどの青と、何色にも染まっていない純白の雲が広がる夏の空に、白球が打ち上がる。

 耳をつんざく轟音は金属バットから、大地に響くほどの歓声はスタンドから、この雄叫びは…俺の声か?

 球場にいる誰もが目で追った白球は、まもなくレフトフェンスを悠々と飛び越えて、レフトスタンドに着地した。

 瞬間、爆発したかのような大歓声が、俺の後方、一塁側スタンドから沸き起こった。


 「野郎…マジでやりやがった…」

 もう笑うしかない。

 俺はゆらりと立ち上がり、内野に設置された四つのベースを回る野郎どもを迎え入れるために、打席へと向かう。


 三村大輔、改めてこいつの怪物っぷりを見せつけられた。

 川端の投じた五球目。あのストレートは完璧だった。もし俺の打席であんなの投げられてたら、俺は打ち返すのがやっとだっただろう。

 それをスタンド最上段まで運んじまうなんて、マジでありえねぇ。


 けど、うちのチームはありえねぇ事尽くし、一年しか時間がなかったんだ。こんなありえねぇ奴がいねぇと甲子園なんか行けねぇよな。



 「英雄ぉ!」

 大輔が戻ってくる前に一塁ランナーの恭平がホームベースを踏む。

 ハイタッチをする俺ら。

 まもなく大輔もホームベースを踏んだ。


 「英雄! 恭平! 見たか!」

 「ナイバッチだクソ野郎!」

 「さすが大輔だ!」

 大輔とハイタッチする俺。次いで恭平もハイタッチした。

 視線をマウンドへと移す。マウンドでは両膝に両手を置いて、俯く川端。

 さすがにあの一発は効いたか。あの様子なら、まだ点は取れる。


 「英雄! あとは任せたぞ!」

 「甲子園! 甲子園行くぞぉ!」

 「おぅ!」

 ベンチに戻る二人に一つ笑顔を見せて、俺は左打席へと入った。



 マウンド上にはなおも川端。

 先程まで俯いていた川端は、すでに顔をあげてプレートを踏んでいる。

 無表情でジッとキャッチャーのサインを見据える。

 バットを構えながら、川端のピッチングを待つ。


 大輔のホームランで3対2とゲームがひっくり返ったわけだが、俺としてはもうちょい点が欲しい。

 今の川端は絶対にホームラン打たれたダメージが残っている。

 なのでここは初球を狙って畳み掛ける。川端が崩れればこっちのものだ。

 二番手、三番手のピッチャーは昨日の荒城館戦の様子を見る限り、十分うちのバッターでも攻略できる。

 どっちにしろ、あと1点でも入れば勝利はぐっと近づく。


 川端が頷き投球動作に入った。

 来い。一発で決めてやる。


 右腕からボールが放たれる。

 それを俺は打ち抜いた。


 腕には芯で捉えた感触。だが打球は…ショート正面。クソったれ、球威に押された。

 結果、ショートゴロでスリーアウト。

 なんとか川端を崩してもう1点欲しかったが、そう上手くはいかないか。

 まぁいい。逆転したんだ。あと1イニング、無失点で切り抜ければ…。


 「…甲子園」

 ベンチに戻りながら、俺は小声で呟いた。

 心の底では遠く感じていた聖地が、今手を伸ばせば届くところまでやって来た。

 早く試合を終わらせたいという焦燥感に駆られる。…だけど、焦ったら駄目だ。確実にワンアウトを取っていく。


 「英雄! 焦るなよ!」

 佐和ちゃんが真面目な顔していってくる。

 普段ひょうひょうとしている佐和ちゃんが、スゲェ真面目な顔してる。

 彼もきっと緊張しているのだろう。そういえば佐和ちゃん、甲子園出場経験ないんだっけか?


 「佐和ちゃん、優勝したら飲みに行こうぜ。良い店知ってるんだ」

 自然と口からこぼれたジョーク。あ、俺緊張してないわ。

 俺の言葉を聞いた佐和ちゃんはキョトンとした表情を浮かべたあと、吹き出した。


 「安心した。英雄! 楽しんでこい!」

 佐和ちゃんがニヤリと笑う。

 勝利を確信した笑み。そこらの二流監督がやったら敗北フラグだが、佐和ちゃんがやるとなんだか勝てる気になる。

 あぁ分かってる。最後まで楽しんでくる。


 「そんじゃあ佐和ちゃん、甲子園決めてくるから」

 「おぅ! 任せた!」

 友人のように軽い調子で一言二言話して、俺はマウンドへと走っていく。

 一塁側スタンドからは盛大な拍手が送られる。

 さぁ最終回。長く感じたこの試合の幕を下ろそうか。



 最終回、斎京学館の攻撃。

 ライトからベンチに戻った俺は、誰にも気づかれないようにため息をついた。


 「良平。だから言っただろう?」

 ベンチに戻ってきて早々、達男は機嫌悪そうに言ってきた。

 俺はまたもため息をつき、ベンチに座る遊星へと視線を向ける。

 俺や達男よりも機嫌悪そうな顔をしている遊星。ホームランを打たれたからだろう。いつだって打たれると遊星は機嫌を悪くする。本当面倒くさいガキと同じだ。


 「達男、遊星が打たれても俺がなんとかすると言っただろ?」

 まだ俺たちには1イニングの猶予がある。

 状況的には先ほどの山田高校と同じ立場になっただけだ。


 「なんとかすると言っても、この回浅海からだろうが」

 苛立ちのこもった声で達男が言う。

 確かにこの回は一番の浅海から始まる。


 「怒るな達男。まだ1イニングあるんだ。佐倉英雄だっていい加減疲れがきてるはずだ。だから落ち着け」

 達男は自分の思い通りにならないと不機嫌になる。

 完璧主義者とも言える。計画が破綻したりすると、いつもこんな感じだ。

 去年の修学旅行で同じ班になった時も当初の計画より大幅にズレて、達男が激怒したっけか。

 …今はこんな事考えるべきではなかったか。


 「鵡川の言うとおりだ。まだ1回攻撃のチャンスはある。それも浅海から始まる好打順だ。十分攻略できる! 自分達のやってきた事を思い出せ!」

 監督の激励。

 思い出すのは三年間の野球漬けの日々。あれだけの練習をこなしてきたんだ。負けるわけにはいかない。


 もう一度甲子園へ。去年の夏、果たすことのできなかった四番としての責務。

 必ず借りを返す。あの夏あそこに置いてきたものをまた取りに戻る。そう決めてこの一年間を励んできた。

 負けられない。絶対に!


 マウンドを見て、そこに立つ男を見つめる。

 佐倉英雄。お前はどこまでも俺の邪魔をしてくれるな。



 最終回、九回の裏、斎京学館の攻撃が始まった。

 先頭バッターは一番の浅海。

 一塁側ベンチで俺は腕を組みながら試合を見守る。


 「佐和先生。私…緊張してきました…」

 隣でスコアをつけていた岡倉が震えた声で俺に話しかけてきた。

 普段どこか能天気な彼女ですら緊張している。

 もちろん俺もそうだ。


 「お前がビビるな。選手たちはもっと緊張してんだぞ」

 「…そうですね。英ちゃん…頑張れ…」

 普段の元気がない。調子が狂いそうだ。

 あと三人アウトにすれば甲子園が決まる。


 …甲子園。

 学生時代から、ずっと追い求めていた聖地。

 甲子園に出れば、今まで俺がやってきた事は報われるのだろうか? …あいつの死は無駄じゃなかったと思えるのだろうか?


 「…焦るな」

 どうやら焦っているのは、英雄ではなく俺の方らしい。

 心臓の鼓動が早い。早く試合よ終わってくれと思ってしまう。

 勝ち急いだら負ける。相手はこんな場面何度も経験しているんだ。焦ったら負けだ。

 英雄、焦るなよ。

 マウンドにいるエースへと、俺は胸の内で呟いた。



 ≪九回の裏、丘城斎京学館の攻撃は、一番センター浅海君。センター浅海君≫

 「しゃあおらぁぁぁぁぁぁぁ!」

 今日一番の雄叫びをあげる浅海。

 一方の俺はロジンバックに触れ、プレートを踏みしめて、ため息をついた。

 あと三人で試合終了。一人も塁に出さなきゃ、あいつには回らない。


 もうすぐで県大会優勝、甲子園出場が決まるというのに、俺はひどく落ち着いていた。

 落ち着いていると言うより焦っていないという感じか。いつも通りにマウンドに立てている。

 一塁側スタンド、山田高校応援団からの期待のこもった視線も、三塁側スタンド、斎京学館応援団の必死な応援も、いつもの試合とはちょっと違う空気なのに、俺はいつも通りだ。

 それが、凄く安心する。

 大輔はいつも通り打ってホームランを決めた。だから俺もいつも通り投げて試合を決める。



 初球はインコースへのストレート、二球目はチェンジアップを打たれるもファール。

 三球目、左の浅海にとっては、外に逃げていくスライダー。

 それを打ちに来る浅海。だが、バットは空を切った。

 哲也のキャッチャーミットから乾いた音が鳴る。瞬間、一塁側スタンドから歓声と拍手が沸いた。

 まずは空振り三振。あと二人。


 いやがおうにも球場の熱は高まっていく。

 今夏の県王者が決まるその瞬間がまもなく訪れようとしている。その事実に野球ファンのみならず、スタンドで見ている我が校サポーターが胸を高鳴らせている。

 一方の斎京学館の応援団は、絶望感に打ちひしがれてるか。いやそれとも表の攻撃で起きたような逆転劇をどこか期待しているのかもしれないな。


 高校野球は何が起こるか分からない。

 スリーアウト、ゲームセットの宣告がされるまで、どんな大どんでん返しが起きてもおかしくない。

 あまたの野球の中でも、高校野球は特にそれが強い。

 だからこそ、何十年と経過した今でも一つのスポーツ競技として根強いファンを残している。


 そんな高校野球のいちプレイヤーとして、このマウンドに立てていることが光栄に思える。

 だけど、この程度で満足しちゃいられない。


 「あと二つだ」

 アウトは残り二つ。



 続く二番奈良が打席へと入る。

 ここでも俺はいつも通りのピッチングをしていく。

 ストレート、ストレートと追い込み、一球チェンジアップでファールにさせる。


 奈良の表情はぎこちない。

 あとアウト2つで負ける。そんな不安で今頃埋め尽くされているだろう。

 まぁそんなのはどうでもいい。俺は俺のピッチングをするだけだ。


 四球目、インコース高めへの釣り球となるストレート。これに奈良は手を出した。

 バットは途中で止まったが、スイングは半分されている。一塁審判にジャッジを求めるまでもなく、球審は右手を高々と天へと突き上げた。

 二者連続空振り三振。

 一塁側スタンドの大歓声と拍手。熱気はどんどんと高まっていく。


 あとアウト一つで甲子園。

 バッターは三番の猪俣。


 さぁあと一つだ。


 帽子をかぶり直し、息を吐く。

 あと一つで高校球児の夢である聖地甲子園に行ける。

 そう自分に言い聞かせているのに、最後まで落ち着いている。


 今日の試合、色々あったな。

 一つ今日の試合を振り返ってから、俺はプレートを踏みしめる。


 哲也からのサインは低めへのカットボール。

 俺は小さく頷いた。そうして投球動作に入る直前、三塁側のネクストバッターサークルに腰を下ろす男を視界に収めた。

 鵡川良平。できれば最後対決したかったな。まぁ良い。結果的にはこっちが2回勝ってるんだ。一本のホームランぐらいくれてやる。

 猪俣と鵡川良平。どっちが抑えやすいかなんて考えるまでもないし、どっちと対決したほうが楽しいかなんて考えるまでもない。


 投球動作に入り、いつも通り左腕を振るってボールを投げ放つ。


 低めへと向かうボール。手元で変化するそのボールに、猪俣のバットをつまらせる。

 打球はショート正面のゴロ。


 「オッケー!」

 恭平はいつもの調子で打球処理をする。

 あとは恭平が投げて、ファーストの秀平が捕って終わり。

 長かった決勝戦も、これで終わりだ。


 誰もが試合が終わると思った。

 恭平はいつも通り打球を捕球して、そしてファーストに転送した。

 送球は完璧。捕りやすい送球だ。


 なのに…秀平が、そのボールを弾いたのだった。

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