177話
丘城スタジアムに向かうバスの車内。
球場に近付くに連れて、みんな黙り始め、空気が張り詰めていく。
龍ヶ崎は腕を組みながら目を瞑り、大輔はいびきを掻かずに寝ていて、恭平はずっと黙りこくり、頬杖を突いて窓の景色を眺めている。
俺はと言うと、椅子に座りながら出来るストレッチをして試合に備えていた。
誰もが言葉を発しない。だが気まずい雰囲気はなく、みなが試合に向けて神経を研ぎ澄ましていた。
ふと時刻を確認する。12時12分。わお、ラッキー。今日は良い事おきそうだ。県大会優勝かな?
なんてくだらないことを考えながら、流れる車窓を見つめる。道路が混雑している様子はなく、スムーズにバスは道路を走る。
あと少ししたら丘城スタジアムが見えてくる。山田高校から丘城スタジアムまでの道のりは何度も通ったから、もうだいぶルートが頭にインプットされている。
丘城スタジアムに到着し、佐和ちゃんから順に降車する。
バス内に居るのに、外から聞こえる声援。女子の声が混じっているというのに、恭平が騒がない。
なんだろう。拍子抜けというか感覚が狂う。恭平はもっとこうおちゃらけていて欲しい。
「佐倉くーん!!」
「頑張ってー!!」
俺が下車するなり、女子からの黄色い声援が一際大きくなった。
この夏の大会で、俺の知名度は一気に高まったようだ。最近は合宿所で寝泊りしているため、ネットの情報が一切入ってこない状態なのだが、きっと今頃ネットでは高校球界に現れたイケメンピッチャー佐倉英雄と銘打った記事が大量に書かれているに違いない。
「相変わらず英雄は、野球やるとすぐにモテるね」
俺に続いてバスから降りた哲也が呆れたように笑いながら声をかけてくる。
ふふっ、さすが我が親友、分かってるな。
「なんて言ったって俺は天才だからな」
「どうしてそこで天才が出るのかは分からないけど、英雄は野球やってる時だけは、男の僕でも格好いい表情してるって思うもん」
なんだ哲也? そのおだててるのか、けなしてるのか分からない褒め言葉は?
「だからといって、調子に乗らないでね?」
「分かってる。恭平と一緒にするな」
確かに今舞い上がってはいるが、これで調子に乗ったら恭平と同等クラスに成り下がる。それだけはしたくない。
彼女たちの声援はしっかりと受け止めつつ、俺はクールにキメて歩く。
「あっ、お兄ちゃん!」
「うん? おぉ、ファミリー勢揃いやんけ」
ここで千春に声をかけられた。
彼女のそばには、我が家の奴らが勢揃いしていた。佐倉ファミリー全員集合状態だ。
普段は仕事で来れない父親や、大学の剣道で忙しい兄貴まで来ている。まさにレアキャラ登場だ。
「今日の試合頑張って、甲子園連れてってよ!」
「英兄、頑張ってね!」
「英雄ぉ! テッペン獲ってこいや!」
「頑張れよ英雄。ここまで来て負けるような情けない事はするなよ。やるなら甲子園優勝までやってこい!」
「英雄、頑張りなさいよ!」
千春、恵那、兄貴、親父、母上と家族全員からエールをもらう。
「任せろ。佐倉一族の顔に泥を塗るような真似はしねーぜ」
しっかりと家族の期待にも応えるられるよう、今日は絶対に勝とう。
「あっ嘉村先輩!」
ここで千春が、恭平の存在に気付いた。
待て千春。なんだその照れ顔は? こらこら頬を染めるな、赤く染めるな馬鹿!
恭平はいたって普通の表情。普段なら破顔してデレデレするのに、まったくしない。普通のイケメンフェイスだ。フェイスロック決めたい。
「あぁ、千春ちゃん」
声も普段よりもどこか爽やかというか、いやらしさとか恭平らしさのない声だ。
なんだこれ? どうしてお前そんなにおとなしくなったんだ?
「えっと…その…まぁ頑張って…ください」
千春が、恥ずかしそうに恭平から視線を外しながら言う。
やめろ千春。お兄ちゃんの前で、そんな可愛い仕草を見せるな。しかも相手がお兄ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんの友達ってのがさらにタチが悪い。
お前は、俺の友達を落とす気か?
「あぁ任せろ。千春ちゃんを甲子園に連れてく為に、勝ってくるよ」
そして恭平。貴様も穏やかな笑顔を浮かべて、さらりとイケメン発言するな。しかも友人の妹にそんな事口にするな。
クソ、なんだこの綺麗な恭平は? 全然普段の変態さが感じられない。おかしい。絶対におかしい。
「英雄、先に行ってるぞ」
そう言って颯爽とその場を立ち去る恭平。頬が赤い千春。
「…格好いい」
ボソリと千春がそうつぶやいたのを耳が感じ取った。
ま、まさか恭平に惚れたのか!? お、お兄ちゃんはあんな男、認めませんからね!
クソ、なんだよこれ…試合前から調子が狂うなぁ…。
一度頭をかきむしってから、恭平の後を追う。
佐倉一家と別れを告げて、選手通用口へと向かう。
そしたら今度は、沙希と鵡川と笑顔で話す岡倉を発見。
選手たちは、みんな真剣な面持ちで試合に臨もうとしているのに、岡倉だけはクッソ呑気に笑いながら話している。
「あっ! 英ちゃん!」
「英ちゃんじゃねぇ! てめぇはさっさと通用口行け」
岡倉が笑顔で手を振る中で、軽く頭をはたく。
大げさに痛がりながら、岡倉は通用口へと向かう。
「英雄! 頑張ってよ! あと1勝で甲子園なんだから!」
ここで沙希が声をかけてきた。
「あぁ、任せろ。怪物らしくパパッと優勝決めてやるよ」
俺は不敵な笑みをこぼしながら、沙希へと告げる。
「英雄くん! 私も応援するね!」
鵡川も話しかけてきた。
…あれ? 良ちん応援しないの?
「そういえば、良ちんはどうした? 応援しないのか?」
「私は今、良平より…英雄くんを応援したいの」
はにかみながら話す鵡川。そして笑顔を俺に見せた。
はい可愛い。あざといまでに可愛いですよ鵡川さん。あのね、男はその言葉を笑顔浮かべながら言われたら、間違いなく恋に落ちちゃうから、もうちょい言葉を選ぼうね? いや、すげぇ嬉しいけどさ。
あークッソ。こんな可愛い子に応援されてたら負ける訳には行かない。ここで負けたら男が廃るというものだ。
「そっか、ありがとう。こんな事言われた以上、負けられないな。それじゃあ沙希、鵡川。ちょっくら勝ってくるから、応援よろしく」
そう一言、俺は二人に言い残して、ダグアウト入り口へと入った。
一度時刻を確認する。時刻は12時27分。そういえば、斎京学館も今頃ベンチ入りの時刻か。
良ちんは何を思い、何を考えながらベンチ入りしてるのだろうか?
学校からバスで丘城スタジアムへと向かう。
バスの車内、俺は何気なく時刻を確認した12時14分。もう少しで丘城スタジアムに到着する。
バスの中では、監督が再三にわたって、決勝の相手山田高校について話している。
「相手で警戒すべきはエースの佐倉英雄と四番の三村大輔のみだ! あとは遊星。お前なら充分抑えられる!」
耳にタコができるぐらい聞かされた言葉だ。
だが何度も言うという事は、佐倉英雄も三村大輔も、それだけ警戒すべき選手であるという事だ。
我が校の監督は、長い間高校野球の監督を勤めている。その我が校の監督がかなり警戒するほどの選手。
正直、去年の甲子園でも佐倉英雄に優るピッチャーはいなかった。あいつは間違いなく全国屈指のピッチャーだ。
中学の時と同様、俺の前に立ちふさがるか、佐倉英雄。
「いくら佐倉が好投手といえど、昨日の試合の疲れは確実に残っているはずだ。変化球で失投する可能性が高い。それを逃すな! 甘いボールを見逃さなければ十分攻略できる! 佐倉も人の子、限界がある」
監督の言葉に一同が強く返事をした。
逆に言えば、甘いボールが来なければ我が校が打てる見込みは薄いということか。
慢心にとられるかもしれないが、我が校の打線は全国屈指だと自負している。その打線をもってしても佐倉英雄の攻略は手間取ると…。
やはり山田高校は恐ろしい。甲子園出場経験が無いとか、去年の夏は初戦敗退だったからと、甘い考えで望む相手ではないと改めて思い知った。
「三村のほうだが、こっちは手を付けようがない。出来るだけ勝負は避けたいところだが…」
「監督! 試合する前から弱気発言はどうか思いますよ!」
っと手を挙げたのは俺の隣に座る川端遊星だった。
「三村大輔なんて、たかがちょっと打てるだけでしょう? 俺が本気を出せば、あんな奴全打席余裕っすよ」
自信満々に大口発言をする遊星。その姿を見て俺は小さく舌打ちをこぼした。
こいつ、本当に佐倉英雄に似ているな。自信満々な所とか、ビッグマウス発言ばかりする所とか特に。
「正直、良平のほうが怖いっすよ! なっ!」
そういって俺の肩を軽く叩いた。
エースにそう言ってもらえるのは嬉しいが、遊星の慢心は危険だ。
「油断するな遊星。相手は曲がりなりにも決勝まできている相手だぞ?」
「鵡川の言うとおりだ川端。確かに山田高校は去年の夏初戦敗退した学校だ。だがこの一年で目覚しい成長を遂げている。油断すれば足をすくわれる。私達は昨年、一昨年と夏二連覇をしているが、今年も優勝する保証はない。自信満々なのは良い事だが、慢心するなよ?」
「うーっす」
監督の言葉に不満げな顔を浮かべて返答する遊星。
そうして子供のようなすねた表情を浮かべて背もたれに体を預けた。
相変わらず子供っぽい。おそらく佐倉英雄もこんな感じなのだろう。…相手のキャプテンを思わず同情してしまった。
最後のミーティングも終わり、あとは球場に着くだけだ。
道路は混んでいないし、定刻通りに球場に到着することだろう。
「なぁなぁ良平! 今日、梓来るの?」
「あ? あぁ…姉ちゃんの事か?」
いつの間にか機嫌を戻した遊星が俺に聞いてくる。
そんな子供が見せるような純粋な笑顔を見せるな。
俺は川端遊星が嫌いだ。
姉ちゃんの事を気安く下の名前で呼ぶし、自分勝手だし、どんな時でも軽い調子だし、まるであのクソ野郎を思い出す。
「来るよ」
胸が不快感に包まれながら、俺は吐き捨てるように返答した。
「マジか! んじゃ余計に頑張らないとなぁ!」
お調子者め。まるっきり奴じゃないか。
「佐倉君、どんだけ凄いんだろ。俺と双璧をなすピッチャーって評価だろ? 天才同士の対決…楽しみだなぁ!」
「そうだな」
適当に返しながらも、頭の中には佐倉英雄の顔が出てくる。やはり出てくるのは不敵に笑う奴の顔だ。
姉ちゃんは奴の事を気に入っているようだが、俺はこれからどれほど関わる事があったとしても奴を気に入ることはないだろう。
「まさか甲子園前に俺と同クラスのピッチャーと投げあえるとはな。ライバル関係ってのはこういう事言うんだろうな!」
嬉しそうに話す遊星。
相手が強ければ強いほどにテンションを上げていく性格は相変わらずか。そこらへんも佐倉英雄とまるっきり同じだと思う。
こいつ、本当に奴と気が合いそうだな。中身が入れ替わってもバレないぐらい似ている。
「勝って、甲子園の切符も、梓も、俺のものにするぜ!」
また軽い調子でアホなことを言いやがって。敵チームの選手だったら、今頃一発腹に拳を入れていたかもしれない。
野球をする仲間としては良いが、私生活では関わりたくない部類の人間だ。俺は、やっぱり川端遊星のことが大嫌いだ。
もう面倒だ。無視して寝よう。あと10分程度についてしまうが、まぁいい。
ぼんやりとした頭は、忘れかけていた過去の出来事を思い出した。
中三のあの日、佐倉英雄に全打席三振に奪われたあの日だ。
今でも覚えている。空を切ったバットの向こう。投げ終えた体勢で不敵に笑う佐倉英雄の顔を…。
何度も何度もボールに当たらず空振りを続けた感覚を…。
あの日以来、俺は佐倉英雄からホームランを打つ事を夢見ていた。
だからこそ、県内一の野球名門校に入り、苦しい練習を乗り越えられたのだ。
今日、その夢が叶う。
絶対にあいつからホームランを打ってやる。
バスは球場に到着した。
バスから出て行く選手たちに歓声が上がる。キャプテンの俺は黙々と歩く。後ろにいる遊星は女子生徒に手を振っているようだ。決勝前だというのに緊張感の欠片もない男だ。
だが、こいつが本気を出せば、本当に三村大輔ですら全打席三振にする実力者だと思っている。
だから突き放すことも、注意することもできない。
「良平!」
ふと声をかけられた。
父さんと母さんだ。だが、そこに姉ちゃんの姿は無かった。
普段なら一緒にいるはずだが…。まさか…。
「おい良平! 梓いねーじゃん!」
後ろにいる遊星が小突きながらぼやいてきた。
黙れ遊星。そんなの分かっている。
そうか姉ちゃん。姉ちゃんは佐倉英雄のほうを選んだか。
別に良いさ。姉ちゃんは山田高校の生徒なんだから当然だろう。むしろ俺の方に肩入れしていたら、それはそれで間違っていると思う。
「遊星、俺たちは佐倉英雄に負けたようだ」
「は? なにが?」
「姉ちゃん、佐倉英雄のほうについたみたいだ」
俺の言葉。それに遊星は黙った。
こいつと三年間野球をしてきて、同じ釜の飯を食ってきて分かったことがある。
こいつは、どこまでも単純で幼稚で、そして煽り言葉は分かりやすい方がいい。
「佐倉英雄…許せねぇ」
遊星のつぶやき。思わず苦笑した。
まさかこここまで簡単に、こいつのやる気に火をつけられるとはな。
単純というか、相変わらず分かりやすい男だ。
「ぜってー倒す!」
そして意気込む遊星。さきほど無かった闘争心を感じた。
理由はどうであれ、俺たちの気持ちは一つに揃った。
望むは三年連続の甲子園。そして甲子園優勝。
厳しい戦いになるとは思うが、絶対に勝つ。
選手通用口に入る。時刻は12時27分。
今頃、山田高校もベンチ入りしている時刻だろう。佐倉英雄は今何を思い、何を考えているのだろうか?




