176話
全員が起床し、朝飯を食べる。
どの選手も珍しく無言だ。普段ならクソ騒がしい恭平ですら一言も発することなく、黙々と箸を進めている。
今日は朝からトンカツ。験担ぎというやつだろう。志田が揚げ、盛り付けは岡倉が担当したそうだ。
味は普通に美味しい。岡倉が手を出していたら生焼けか下手すりゃパン粉が別のなにかになっていただろう。
よし、これで部員たちが腹痛で力を発揮できず敗れる未来はなくなったな。
食後、グラウンドで決勝前最後の練習を行う。
と言っても各自、自主練習。まぁ調整というやつだな。
調整は人それぞれ。
俺は哲也とブルペンに入り、軽くボールを投げている。指先の感覚、フォームの確認、筋肉の動き、体に異常が無いか等、様々なポイントを確認しながら投げる。
大輔は龍ヶ崎とティーゲージを使ったトスバッティング。耕平君は亮輔をマウンドに立たせて、盗塁のスタートの練習をしている。
みんなが、しっかりと練習を行っている。
なんて言ったって、あの変態の王子様こと恭平が真面目に取り組んでいるんだから驚きだ。
下心などなく、黙々と素振りを続ける恭平。
なんだろう。これが正しいはずなのに、すげぇウザい。真面目な恭平がすごくウザいぞ。
あとでもっと騒げと声をかけておこう。
さて、今日の俺の調子。案外悪くない。と言っても昨日の疲れがないと言い切れない状態。
カットボールと、スライダーの切れがイマイチだ。絶好調の時に比べて切れが悪い。配球を読まれたら簡単に打ち込まれる事だろう。
だからといって、この2球種を使わないとなると、かなり投球の幅が狭まってしまう。
さすがにストレートとチェンジアップのみで抑えられる相手ではないしな。
一方でストレートは調子がいい。いい感じにボールに気持ちが乗っている。
普段よりも何割増しぐらいに球威がある。
これならコース次第にもよるが、そうそう打たれることはないだろうな。
チェンジアップのほうも悪くない。しっかりとスピードを抑えきれているし、フォームの方もストレートを投げるフォームと瓜二つにできている。
そしてフォーク。
丘城戦で一回使っただけだし、まだまだ試合で使えるレベルじゃないが、今日は中々調子が良い。綺麗にストンと落ちてくれる。
これなら案外使えるかもしれないな。
こうして調整の20球を投げ終えて、ブルペンから出る。
ここで哲也が話しかけてきた。
「英雄、今日はストレート主体の配球にする?」
哲也もスライダーとカットボールの状態がイマイチなのを見抜いたようだ。
「そうだなぁ。基本ストレート主体で行こうか」
自分で言うのもなんだが、俺はサウスポーで150キロ投げれるという、高校生レベルなら早々いない逸材。まぁ自慢じゃないがな。
そんなレベルの俺なら、甘いコースさえ投げなければ、そう簡単にヒットは打たれないと思う。
「変化球は要所要所で使う感じでいいんじゃないかな?」
「そうだね」
「あ、あと…」
ここでもう一つ確認しておきたい事があった。
「なに?」
「フォークのサイン。覚えてるな?」
丘城戦でやったサインだ。
俺が帽子のつばをつまんだら、フォークを投げるという合図だ。
フォークに関しては、哲也と話、俺が投げたい時に投げるということで決まっている。
「あぁ、うん…でも、フォーク大丈夫かな?」
頷きはしたが不安そうに表情を曇らせる哲也。
彼の不安も最もだ。まだ俺のフォークは実戦経験が少なく、正直ここぞの場面で使うには不安が残る。ここぞの場面で使うべき変化球なのにな。
だが、試合になれば練習の時よりも意識が集中するし、練習してる時よりも良い結果になる気がする。
「大丈夫だ。俺は怪物だからな。本番に強い」
「だと良いんだけど…。負けたら、終わりなんだよ?」
真面目な顔をして哲也が言ってきた。
ぞくり、背筋に寒気が走り、冷や汗がにじみ出た。
まただ。また不安が湧き出てきた。
どんなに押し殺そうとしても、仲間の不安な声を聞くたびに、俺の胸の内にある不安が湧き出てくる。
「キャプテンのお前が何言ってんだよ。試合やる前から負けるかもなんて考えてたら、斎京学館になんか勝てねーぞ」
自分に言い聞かせるように哲也に反論した。
そうだ。試合やる前から負ける事なんて考えてたら、斎京学館には勝てない。
あっちは三連覇する気で来るんだ。こっちも優勝、いや甲子園制覇でここはあくまで中間地点と言い切れるだけの度胸がなきゃ勝てっこない。
戦力も実績も負けている以上、勝てるのは気持ちだけ。
「…そうだね。ごめん英雄」
「謝んな。お前だけじゃなくて、俺だって心の奥底ではその不安はあるから」
謝る哲也に俺は弱さを見せた。
昔の俺なら、弱さを隠していたかもしれない。この一年間でだいぶ俺の性格は変わった気がする。
「おらぁ! お前らぁ! 集合だぁ!」
佐和ちゃんの陽気な声が聞こえた。
決勝前、最後のグラウンドでの練習が終わりを迎えようとしている。
「この後、10時に食事をしながらのミーティング、11時にバスに乗車、12時にスタジアムに到着し、12時半に球場入りをする。そんでもって13時から試合開始だ」
「はい!」
ベンチの前で円陣を組み、佐和ちゃんから告げられるスケジュールを聞く。
「それじゃ最後に、哲也! キャプテンからの意気込みを頼む」
「えっ!?」
急な佐和ちゃんの振り。そして戸惑う哲也。
哲也は一度部員たちを見渡した。俺とも目が合い、俺は小さく頷いた。
部員たちを見渡した哲也は、戸惑いを隠せないまま、ゆっくりと前へと出て、佐和ちゃんの隣に立った。
ナイスだ佐和ちゃん。ここはキャプテンの一声でバシッと締める場面だな。
「……えっと、その…」
哲也は俯いて口ごもる。
おい、キャプテン。しっかりしろ。ここで締まりなく終わったら試合にまで影響出るぞ。
別に格好いい言葉を選ばなくてもいいんだよ哲也。お前の今の気持ちを言えば、きっとみんなだって理解してくれるし、士気が上がるはずだ。
少し悩んだ哲也だったが、ゆっくりと顔をあげた。
その表情は覚悟を決めたものになっていた。
「僕は正直、今不安で一杯だ。相手は今まで戦ってきた学校とは比べ物にならないぐらい強いし、負けるかもしれないって思いがある…」
自身の不安を包み隠さず口にする哲也。
ここにいる全員が抱いている不安。それを今哲也が代弁している。
「…だけど、僕たちには僕たちなりに頑張ってきた! だから、今日はそれを発揮しよう! それを発揮して…勝とう!」
不安そうな顔を浮かべながらも、力強い意志のこもった声が哲也の口から放たれる。
表情はあれだが、目にはしっかりと闘志がこもっているように俺には見えた。
満点とは言えないが、それでも十分なキャプテンらしさを発揮してる。
「今日勝てば、明日も明後日も野球が出来る! 僕は、このチームでもっともっと野球がしたい! だから、斎京学館に勝とう!」
さらに言葉を続ける哲也。
良いぞ哲也。お前今最高にキャプテンしてるぞ!
そうだ。斎京学館に勝つ。勝って甲子園に出て優勝する。
哲也の力強い声は、確実部員たちの胸の内にあった不安をかき消してくれたはずだ。
いやかき消すというよりは、上書きしたような感じか。
「おぅ!」
哲也の号令を聞いた部員たちが口々に返事を返す。
自然と顔には笑みが浮かんでいた。
最後に俺達は、グラウンドそばに一列で整列した。
決勝戦最後のグラウンド。
綺麗に整備されたグラウンドを、じっと見つめる。
「気を付け! グラウンドに礼!」
哲也の響く声が、俺達の耳に入り、俺達はビシッと気をつけし、そして同時に頭を下げた。
「ありがとうございましたぁ!!」
俺は心からこのグラウンドに感謝した。
思い返せば、佐和ちゃんのクソ野郎が考え出した苦しい練習しか出てこないが、何故か嬉しい気持ちになった。
楽しいの対義語は、苦しいとか辛いとかではないと俺は思っている。
苦しくても楽しいものだってあった。辛くても楽しかった事もあった。
この一年間で、俺が確かに学んだ事だ。
佐和ちゃんの練習は厳しかったし、苦しかったし辛くもあった。
だけど、思い返せば楽しいものになっていた。
俺は、この一年間を生涯忘れる事は無いだろう。
ただ、ひたすらに野球をやり続けた思い出として、一生残っていくはずだ。
さぁ、甲子園の切符を手に入れに行きますかぁ。




