175話
作戦会議も終わり、あとは寝るだけだ。
決勝戦前夜だけあって、合宿所内には妙な緊張感があった。
普段ならバカ騒ぎする恭平すら言葉少なになり、大輔に至っては部屋の隅に座り、真剣な表情を浮かべながらバットを見つめている。
彼らだけじゃない。どの選手も神妙な顔をして、明日に備えて各々の準備をしている。
そして俺もその一人だ。
スマートフォンには沙希や鵡川、百合などから電話やメールが来ているが、今日は無視する。
せっかくのこの空気を台無しにしたくないし、むしろこういう空気を楽しみたい。
試合前の張り詰めた空気のように、どこか息苦しくて、けど気分を高揚させるこの空気を…。
少しして、誰からともなくゾロゾロと寝室となっている部屋へと移動する。
そうして最後、俺と大輔の二人となった。
大輔は未だにバットを目の前に置いてあぐらを組んで目をつぶっている。まるで精神統一している武士のようだ。
まったく体が揺れることはなく、綺麗に背筋を伸ばした状態で体が硬直している。
それはまるで、大輔の周りだけが時が止まっているように見えた。
まもなく大輔は目を開いた。
そして俺へと視線を向けた。
「英雄、ありがとうな」
「は?」
急に感謝されて俺は首をかしげた。
「どうしたんだよ急に」
「野球部に入部してくれてありがとうって意味だ。お前が野球部に入ってくれたおかげで、俺は野球のというスポーツを最高に楽しんでる」
大輔は微笑みながら、そう告げてきた。
その笑みは、作り笑いとかじゃなくて、心の底から思っている笑顔に見えた。
「いや、俺がいなくてもお前なら野球を楽しめただろ」
「そうとは思えないな。俺は入部テストでお前と対決して、真剣勝負の興奮を覚えた。あれから色んなピッチャーと戦って、真剣勝負の興奮を楽しんだ。だから、英雄がいなかったら俺はこうまで野球に
のめり込まなかったさ。だから、ありがとう」
また微笑みながら感謝してくる大輔。
本当、よく臆せずこんな事を口にしやがる。聞いてるこっちが照れてくる。
「もし明日負けても、俺はきっと後悔しない」
さらに大輔が言葉を継ぎ足してきた。
その言葉に、大輔の本心を垣間見た気がした。
明日、もしかしたら負けるかもしれない。
大輔だけじゃない。部員たち全員が心のどこかしらで思っていることだろう。
俺だってその不安はある。こういう不安を抱くつもりはなかったが、斎京学館の強さを目の当たりにして、いやがおうにも不安は膨れてしまった。
…だけど、不安を口にするつもりはない。
大体、後悔しないって口にしても、絶対に負けたら後悔する。
負けて悔しいのは当たり前だし、どんなに全力で戦っても、どこかしらであぁすれば良かったと後で悔いが生まれる。
だから、負けたくないし、負けても後悔しないなんて事は口にしない。
「そうかよ。だけど、まだまだ真剣勝負を楽しんでもらわないと困る」
不安を垣間見せた大輔に俺はそう告げた。
表情は極力自身の胸の内にある不安を悟られないように、自信に満ち溢れた表情を作る。
大輔は思わず俺の顔をまじまじと見てきた。
「明日の川端もきっと楽しめる。甲子園に行けばもっと半端ないレベルの興奮を味わえるぜ。だから…負けたら間違いなく後悔するぞ」
「…英雄は後悔するのか?」
「当たり前だろ? 決勝目の前で負けるとか、初戦敗退よりも悔いが残るだろ? だから負けられないさ」
軽い調子で本心を口にする。
それを聞いて大輔は小さく微笑んだ。
「…確かにそうだな。うん、そうだ。明日も勝とうな英雄」
「おぅ」
大輔の言葉に返事をして、俺は立ち上がり、寝床へと向かう。
布団に潜り、俺は小さくため息をついた。
ここにいる部員たちは今何を思い、どんな不安を抱えているのだろうか?
こうして合宿所で寝食を共にして、だいぶ部員たちの性格や趣味とかも分かってきた。だけど根っこの部分はやはり見えてこない。
…だけど、それで良いのかもしれないな。本当に不安なら、きっと口にするだろう。
口にすれば誰かが励ませばいい。自分が不安なら不安だと口にすればいいだけだ。
あまり、深く考えないようにしよう。明日、勝てばこの不安も消えるしな。
自然と睡魔がやってきた。
目をつぶり、小さく息を吐く。
睡魔は確実に俺を蝕んでいき、やがて俺を飲み込んだ…。
久しぶりに夢を見た。
それは走馬灯のようで、俺の今までの野球人生を振り返るものだった。
生まれて初めて野球ボールを握った時の記憶や、哲也と初めてキャッチボールをした記憶。
リトルリーグで日本一になって、世界大会に出場した記憶、中学の頃の軟式野球で、地区優勝した時の記憶。
様々な記憶が俺の脳内を駆け巡った。
高校に入学し、一年間恭平と大輔と馬鹿やって騒いだ記憶。二年に上がり夏の大会で助っ人として出場した記憶。そうして野球部に入部し甲子園を目指して努力を続けた記憶。
そして、これから先の未来が映っていく。
甲子園で優勝する俺。プロで日本一になる俺。メジャーで活躍する俺。
どこでも俺は中心にいた。マウンドでガッツポーズをして雄叫びをあげていた。
そして、結婚する俺の映像すらも脳内に映った。
妄想か、はたまた未来視か。分からない。
だけど、俺はタキシードを着ていて、結婚式場であろう教会にいた。俺の隣に居たウェディングドレスの女性は…。
…………。
「…んが…」
目が開いた。ぼんやりとした脳は、先ほどまで見ていたはずの夢ですら思い出せない。
上体を起こし、頭をかきむしる。まだ他の奴らは寝ているようだ。
…大輔の奴、昨日不安見せたくせに今は大きないびき掻いて寝てやがる…。
…えっと、先ほどの夢はなんだったか…?
野球で活躍していたのは覚えている。あと誰かと結婚した部分もあった気がするが結婚相手の顔が思い出せない。
まぁ、どうせ忘れるぐらいの顔だしいいか。
壁に掛けられているアナログの時計で時刻を確認する。
まだ時刻は午前5時5分ぐらい。こりゃあ誰もおきてないのも当然だ。
窓からの光はカーテンで遮られており、カーテンの合間からは朝の光が差し込んでいる。ちょうど俺の顔のところに降りている。なるほど、これで目を覚ましたわけか。
どうしよう。ちょっと朝の空気でも吸ってくるか。
体を動かす。昨日の理大付属との試合の疲労はあまり残っていない。
これも佐伯っちのおかげだろう。佐伯っちのマッサージは確実に俺の疲れを取ってくれている。
合宿所を出た。大きく深呼吸を繰り返す。
朝の澄んだ空気が体内に入り、自然と目が覚めていく。
そうして、何気なく縁石を腰を下ろした。
今日は決勝戦。そう考えて、精神統一するように目を閉じた。
「あれ? 英ちゃん?」
と思ったら、ふわふわした声に精神がかき乱された。
目を開き、視線を声の方へと向ける。パジャマ姿の岡倉がいた。
「グッドモーニング岡倉」
「おはよう英ちゃん! どうしたの? 寝れなかった?」
首をかしげながらきいてくる岡倉。
「いや、珍しく早く起きただけだ」
「そっか。私は緊張して寝れなかったよー」
とかいいつつ、俺の隣に座る岡倉。
お前、プレイヤーでもないのに緊張するのか。
「今日、決勝戦だね」
「そうだな」
「優勝したら、英ちゃんに言いたい事あるんだ」
「…そういえばそうだったな」
前に岡倉に頼まれていた事を思い出す。
甲子園に出場したら言いたいことがあるという岡倉の頼み。
彼女のためにも、自分のためにも、今日は負けられないな。
「だから英ちゃん! 今日は頑張ってね!」
「今日はじゃなくて今日もだけどな」
「あはは、そうだったね」
岡倉はいつものように可愛らしく明るい笑顔を浮かべた。
「そうだ! 今日は大事な試合だし、私も頑張って料理するから!」
「…いや、志田に任せっきりで良いと思うぞ」
「えー! なんでよー!」
いや、お前が頑張ったら絶対に部員たちが腹壊すからな? 最悪死人が出る恐れもあるし。
さぁ決勝戦。
絶対に勝って、甲子園に出場してやる!




