178話
ベンチ入りして、ベンチからスタンドの景色を眺める。
一塁側を陣取る我が校の反対側、三塁側スタンドは溢れんばかりの応援団で構成される。
斎京学館高校の応援団は県内でもトップクラスと評判。伊達に何度も甲子園に出ているだけあって、応援団でもブラスバンド部でもない学生でも応援に駆り出され、一糸乱れぬ応援を強要される。
だがそれは、野球部が強い斎京学館高校故の宿命とも言える。中学時代、それが嫌で斎京学館から進路を変更した野球とは無関係の友人を、今ここで思い出した。
「すげぇな」
「あぁそうだな」
感嘆の声を口から吐き出す誉に、俺は素直に同意した。
三塁側スタンドだけじゃない。バックネット裏の席は満席だ。
高校野球ファンのおじさんがたが、我が県にここまでいるとはな。
彼らが待ち望むのは、三強時代の崩壊。つまり俺達、山田高校の優勝だ。
丸野港南、酒敷商業、そして斎京学館の三校のみが甲子園出場権を回し合う時代の終焉。そして新たな時代の幕開けの瞬間を、今か今かと待ちわびている。
球場は騒然としている中、俺はベンチから出て一塁側スタンドへと視線を向けた。
「すげぇ…」
山田高校応援団も斎京学館に引けを取らない数となっていた。
生徒数こそ斎京学館に比べると少ない。山田高校の応援団はあくまで有志。全生徒総員というわけではない。だから来てない奴らもいる。
だが、生徒数の数を補うように、山田高校応援団には学生じゃない人々が来ていた。
山田高校のOBであり、同時に山田市内で暮らす人びと。おそらく山田高校OBでもない人もちらほらいるだろう。
山田市内にある学校の歴史的快挙を見るために訪れた一般人。
それらが一つのまとまりとなり、応援団として結成している。
三年前の夏の県大会決勝戦。
当時も山田高校の応援団はこんな感じだった気がした。
一般客が多く、まとまりは相手校に負けていたが、騒がしさと盛り上がり方は相手校を凌いでいた。
応援は時に勝利を呼び込む。こうしてたくさんのサポーターが集まったのは心強い。
準決勝までとは比べ物にならないほどの熱気が、スタンドからグラウンドへと降り注ぎ、何とも言えない緊迫感が漂う。
「山田! 甲子園行けよ!」
「佐倉ぁ! 抑えろぉ!」
ベンチから出てきた俺達を待っていたかのように、バックネット裏から、そして一塁側の応援団から、野太い男たちの声が聞こえた。
俺たちは期待されている。それは同時に斎京学館も同じだ。
県王者としての誇り。そして昨夏の甲子園での借り。三連覇をかけた大事な一戦。相手も負けられない。
「最高だ…」
去年の夏、あれは助っ人で出た試合の時だ。
あの時渇望した雰囲気がこの球場に満たされている。嬉しさのあまり頬を緩ませた。
「行こう! 決勝進出した学校らしいアップを始めよう!」
圧倒される選手たちが多い中で、哲也からキャプテンらしい一言。
良いぞ哲也。今の発言はちょっと格好いい。
外野でアップを始める選手たち。
自然と声が出る。体も無意識に必要な動きを取り、最善の動作で、ボールをしっかりと投じる。
圧倒はされているが緊張はない。むしろリラックスしている。不思議な気分だ。
他の選手も俺と同様、どこかリラックスしているように見える。だが、一人だけ、すげぇ緊張しているのがいる。秀平だ。
一年生で唯一スタメンを任されているし、緊張するのも無理はないだろう。
さっきから投げるボールが上ずったり、余裕で捕れるボールをポロポロこぼしたりと、見ていて凄く不安だ。
さっきから声が裏返ってるし、こんな状態で大丈夫だろうか?
だが、よくよく選手たちを見ると、ちょいちょい、普段よりも動きがぎこちないところが見られる。
まともに緊張していないのは、俺と大輔と恭平、誉の四人ぐらい。あの龍ヶ崎ですら緊張しているようだ。
まぁこればかりは仕方ない。俺たちにとってみれば初めての決勝戦だ。
そりゃ春の県大会で決勝を経験したが、あの時とはまったく雰囲気が違う。俺ですら油断していたら飲み込まれそうなぐらい、張り詰めている。
対して斎京学館は、こういう大舞台に慣れている。
さすがは三強と呼ばれ、甲子園の常連校だけある。県大会決勝程度では緊張はしないか。
相手チームを見ていると、やはり落ち着きがある。
エース川端、四番良ちん、一番の浅海、三番猪股は、去年の夏もスタメンだったし、こういう大舞台には慣れているか。
ちなみに先攻と後攻だが、哲也がジャンケンに負けやがったので、こっちが先攻になった。
できれば後攻の方が、気分的に楽なのだが、しゃーないか。
シートノック中も我が校は何個かエラーがあった。
特に秀平が多い。秀平の奴、大丈夫か?
その後、相手のシートノックの間に、佐和ちゃんがベンチ前に俺たちを集めた。
「これから戦う相手は、再三に渡って言っているが、今までの学校とはレベルが違う。川端は間違いなく全国クラスのピッチャーだろう」
佐和ちゃんの言葉に、一同は黙って聞く。
「川端だけじゃない。スタメン全員が全国クラスに準ずる力があると思え」
脅しにも取れる一言。
選手たちの気持ちが萎縮してしまいそうだが、佐和ちゃんの声はどこか自信に溢れていて、自然と萎縮することはなかったようだ。
「だから県大会決勝戦だと思うな。甲子園一回戦だと思え」
「一回戦?」
佐和ちゃんの言葉に、哲也は首をかしげた。
なるほど。決勝戦って言う響きが緊張を与えてるんなら、初戦って言う響きに変えるわけか。
「あぁ甲子園の前哨戦だと思えば、いくぶん緊張は取れるし、集中できるだろ?」
笑みを溢す佐和ちゃん。正直うちのチームで一番余裕あるのこの人だと思う。
監督が余裕の表情を浮かべていると、こちらの緊張もほぐれてくる。やはり佐和ちゃんは有能なんだな。クソみたいに笑顔で過酷な練習言い渡す所とか除けばな。
それにしても前哨戦か。そう言われると、俄然やる気が出るし、勝てば甲子園と言うプレッシャーが幾分和らぐ。
「お前たちは十分全国でも戦える力は持っている。今まで練習試合で全国クラスのチームとも戦って競り勝ってきた。それを思い出せ。だから自信を持て。
斎京学館は強敵だが、倒せないわけじゃない。大事なのは強い心を持つこと。エラーはいくらでもしてもいい。だが、それを後には引きずるな。良いな!」
「はい!!」
試合前最後の監督からのアドバイス。
それに俺たちは強く返事を返した。
「それから恭平」
「なんですか?」
「お前はもっとはしゃげ」
「はぁ?」
恭平がすげぇ不審そうな顔を浮かべた。
いくら不可解な助言だとしても、相手は監督だ。その馬鹿にするような目を見せてやるな。
「今日のお前は静かで調子が狂う。もっとこう、大はしゃぎしてくれないと、チームのムードも上がらない。だから頼む。はしゃいでくれ」
佐和ちゃんが手を合わせて頭を下げた。
監督に頭下げさせるとか、恭平お前どんだけだよ。確かにこいつが馬鹿やってくれれば、チームの緊張も少しはほぐれるだろう。
いや、我が校が緊張している原因の一つに、恭平が大人しいってのも含まれてるだろう。
「何を言ってるんですか監督? 僕はいつだってこうじゃないですか!」
何を言ってるんだお前は?
恭平が千春にも見せた爽やかなイケメンスマイルを浮かべる。一発顔面をぶん殴ってやりたいところ。
だが、今の発言で大輔が噴き出した。笑いをこらえる誉や中村っち。
「おい待て大輔! なに噴き出してんだよ!」
「わ、悪い…お前がいつもこうとか…クソ…」
どうも笑いをこらえられないのか、口元を収めて笑いを咬み殺す大輔。
その様子を見て、部員たちの表情に自然と笑みが浮かび始めた。
「おいおい! なんでお前ら笑うんだよ! 俺はいたって真面目だぞ!?」
笑い出す部員たちに驚愕する恭平。なんだその反応は、まるで本当に思っていたように見えるぞ。え? もしかしてさっきの発言本気で言ってたのか? 場を和ますためとかじゃなくて?
マジかよ、呆れて笑えてくるぜ。
だが、これでチームにあった緊張はいくらかほぐれた。
さぁ、あとは試合を待つだけだ。
ベンチ前に整列する両チーム。
今日も日差しは暑い。夏本番の太陽がこれでもかと光を大地へと降り注がせる。
汗が頬をつたるのが感じ取れる。思わず袖口で頬を拭った。
空は雲ひとつ無い快晴。
夏だ。まごう事なき夏。
…最高の天気だ。
口元が緩んでいる。だけど引き締めるつもりはない。
最高の空気を吸いたい。最高の舞台を楽しみたい。
勝敗なんて二の次だ。とにかくこの状況を満喫しよう。
俺はこの空気を一年間待っていたんだ。
「集合!」
球審の号令。
スタンドが一斉に静まった。
「行くぞぉ!」
「おぅ!!」
哲也の声、良ちんの声、俺らの叫び声、相手選手の叫び声。
静まり返った球場に反響する。
それが試合開始の合図となる。
山田高校と斎京学館高校の県大会決勝戦は定刻通りの午後1時に、火蓋が切られた。




