171話
六回の裏、我が校の攻撃はツーアウトを迎えた。
打席には三番龍ヶ崎。俺もベンチの最前列に立ち、必死に声援を送る。
「龍ヶ崎! 打てー!」
俺が声を張り上げる。俺だけじゃない。ベンチ居る全選手が声を張り上げる。
現在試合は0対0の同点。ここまで両者相手ピッチャーを打ち崩していない。
マウンド上には依然松尾。だが前の回からだいぶボールの球威がなくなり始めているっぽい。
今、龍ヶ崎に投じているボールも球威はなく、だいぶストライクゾーンから外れるボールも目立ってきた。
そりゃそうだ。大会前に肉離れで離脱し、復帰したばかりだ。体力が落ちているのは明白で、その上同点のままここまで必死に投げている。精神的にも疲れてくるだろう。
狙うならここなのだが…。
龍ヶ崎への三球目。放たれたボールを龍ヶ崎が捉えた。
快音を残して打球はサード寄りの三遊間への強烈なゴロ。サードの鳥越はまったく動じず、ショートの平松が打球へと向かう。
平松は逆シングルで打球を掴むと、すぐさま体勢を立て直し、ファーストへと投じる。早く低い綺麗な送球だ。
龍ヶ崎が必死に走るが間に合わない。ファーストが精一杯足を伸ばしてキャッチしアウト。
歓声がまた理大付属の応援団から沸き起こった。平松の守備のファインプレーに相手スタンドは大いに盛り上がっている。
相手スタンドだけじゃなく、バックネット裏のスタンドからも拍手が起きている。
この回も無得点。
誰かが溜息を吐いてグラウンドへと飛び出した。
「英雄! 気持ち楽にな!」
ここで誉が一声かけてきた。
それにグラブをはめた右手をあげて応える。
別段疲れはない。いや延々と投げたり前に突っ込んだりして疲れがないわけではないけど、投げれないぐらいの疲れはない。
まだまだ行ける。
≪七回の表、丘城理科大学付属高校の攻撃は、四番サード鳥越君。サード鳥越君≫
そしてこの回最初のバッターは四番鳥越。
ほかの選手が待球作戦をしている中、一人好き勝手打っているバッターだ。
いちいちバントの構えをしないし、粘ったりしてこないから、気分的に投げやすい。その分初球とかでも容赦なく打ってくるがな。
だが、十分抑えられる。
初球、インコースへのストレートを投じる。
疲れを若干感じている左腕だが、しっかりと振るい放つ。
真っ直ぐにミットを収まった。軽快なミットの音が響いた。判定はストライク
まずはワンストライク。
うんうん、良い状態だ。これなら…。
二球目、今度は外から内に入っていくスライダー。切れと変化量のあるこのスライダーにバッターは空を切りツーストライク。
三球目はインコースへのボールとなり、ワンボールツーストライク。
そして四球目。
アウトコースいっぱいに決まるストレート。
これには鳥越は手を出せず見逃してストライク。見送り三振だ。
あっという間にワンアウト。
この回もなんとか乗り越えられそうだ。
七回の表も無失点で切り抜けて、俺はマウンドを下りた。
この回も五番土井、六番赤沢に粘られたが、なんとか切り抜けた。
ここまでで球数は100球を越えている。マズイな。あと2イニング、投げようと思えば投げれるが、これ以上はさすがに明日のことを考えると、投げたくはないな。
「大丈夫か英雄?」
誉が声をかけてきた。
「あぁ」
「無理すんなよ」
そういって背中をグラブで叩く誉。
無理はしていない。本当にやばいと思ったら自ら選択してマウンドを降りるさ。
「さて、七回だ」
佐和ちゃんの真面目な声がベンチ前で円陣を組む選手たちの耳に入る。
顔はいつになく真剣な表情を浮かべている。
「ここで点を入れて欲しい。点が入らなくても今日は負けることはないだろう。だが、明日の決勝戦は分からなくなってくる」
やはり佐和ちゃんの頭には明日の決勝戦があるようだ。
ここが勝ち抜き戦の辛いところだ。一度負けたら終わりの戦い。目先の勝利だけではなく、先の事も見据えないといけない。
「…だが、この回得点を入れる自信はある。それが1点かそれとも大量得点かの違いだ。できれば大量得点が欲しい。その為に打線は頑張って欲しい」
佐和ちゃんの言葉。得点入れる自信があるみたいだ。
なんだろう、佐和ちゃんが言うと、間違いなく得点が入る気がしてきた。
「まずは四番大輔はフォアボールだ。だから英雄、頼むぞ」
「うっす」
佐和ちゃんが俺を見て頼んできた。その姿を見て俺は小さく頷いた。
七回の攻撃が始まる。
七回、この回先頭の大輔は案の定フォアボールで出塁となった。
やはり相手チームは大輔との勝負を避けている。これで三打席連続フォアボール。さすがに一塁側スタンド、山田高校の応援団からはブーイングが飛び出ている。
あぁ言うブーイングされると、ピッチャーとしても精神的に来るものがある。
「…そうだろ松尾?」
左打席そばに立ちながら、俺はマウンド上の松尾を見る。
戦いたいのに戦えない悔しさ。勝負を避けるということは、相手バッターより自分が劣っているとチームに認められていると思うだろう。
悔しさもあると同時にブーイングだ。精神的にも磨り減っているだろう。
松尾は帽子を脱帽し汗を拭いながら、俺を見つめる。
すでに肩で呼吸をしている。この回無失点で切り抜けたとしても、次の回からは吉岡が投入されるだろう。それぐらい彼は疲れている。
狙うなら、やはりここか。
場内アナウンスが俺の名前を告げる中、俺は一歩また一歩と左打席へと入るのだった。
≪五番ピッチャー佐倉君。ピッチャー佐倉君≫
場内アナウンスが英雄の名前を告げる。
俺はベンチ前で腕を組みながら、相手の守備の動きを確認する。
監督として、この場面での最善の策を練る。
「英雄! 打てー!」
「頼むぞー!」
ベンチでは選手達が声を張り上げている。
夏の暑さに負けないぐらい、ベンチの応援は熱い。
このまま単純に攻め立てても、理大付属の守備は崩れない。
セカンド馬場にショート平松。どちらも高いレベルの守備をこなしている。
あの二人を崩すのは難しいだろう。彼らだけじゃない。サード鳥越を除いて守備のレベルは高い。さすがは選抜甲子園出場校。守備の堅さはあるな。
そうなると、監督の俺の作戦がものを言う。
どうする? 最善策はどこだ?
マウンドの松尾を中心に見据えながら、内野の守備の動き、ときには外野の動きも気にかける。
どこを狙えばいい? サードを狙うというのは案外難しい。
相手監督…長尾さんの事だ。こっちがサードを狙っているのは気付いているだろう。そうなれば、サードを打たれないように作を講じているだろう。
…やはり、サードを単純に狙っては崩れない。別の策を。
松尾は初球を投じる。
英雄はこれを見逃した。
「うん…?」
一瞬浮かんだ違和感。その正体はすぐに掴めた。
相手の守備。まったく一塁ランナーの大輔を気にしていない。
松尾は牽制する様子はなく、ずっとキャッチャーを見ていた。キャッチャーもそうだ。大輔を警戒している様子はない。彼らだけじゃない。内野にいる全選手が大輔に見向きすらしていない。
…狙うなら今。正攻法で突破できないなら、奇襲をもってして打ち破る。
打席にいる英雄がサインを確認するために振り返った。
今の違和感に気づかなければ、フリーを意味するサインをしていただろう。だがここは…。
帽子、口元、肩、胸、腕、手の甲、ベルト、太もも。自身の体の部位を触っていく。一見ランダムに体の部位を触っているように見えるが、ここにはサインがあり、それを選手たちは理解する。
サインを送る。
英雄の表情が一瞬歪んだように見えたが、彼はすぐさまヘルメットのつばを触って応える。賢いあいつの事だ。俺の作戦の意図を汲み取ったことだろう。
英雄だけじゃない。一塁コーチャーの鉄平、一塁ランナーの大輔も俺のサインに目を向けていた。
勝負すべきはここ。逆に失敗すれば長期戦になるのは目に見えている。
…監督が不安がる必要はない。毅然とした態度で結果を待つのみだ。
「リーリーリー! リード! リードー!」
一塁コーチャーの鉄平が間延びした声を口にし、大輔はいつものようにリードを取る。
マウンド上の松尾を確認する。やはり一塁ランナーの大輔を気にしていない。
ちらりと気にするそぶりもなく、投球動作に入った。
「ゴォ!」
瞬間、鉄平が声を張り上げた。
今日初回からずっと一塁コーチャーにいた鉄平は、松尾が投球動作に入る瞬間をしっかりと見極めていてくれた。
盗塁。
まったく盗塁を頭に入れていなかった松尾は、ベンチから見ても動揺しているのが分かった。
セカンド、ショートも頭に入れていなかったのか、慌ただしく動く。ショートの平松がセカンドベースへと走る。
案の定、内野手は誰ひとりとして大輔の盗塁を頭に入れてなかった。そして予測通り守備は崩れた。
守備が崩れたならば、狙うは一つだ。
打席の英雄なら今の松尾のボールを容易に打てる。
英雄の鋭いスイングがボールを捉えた。
快音を響かせて打球は三遊間へ。
セカンドのベースカバーに入った平松。そして普段正面しか打球を処理しない鳥越。三遊間には大きな隙間が空いた。そして打球はその隙間を簡単に抜いてレフトへと転がっていく。
ヒットエンドランの成功だ。レフトが慌てて打球を追うが、間違いなく長打コース。
一塁ランナー大輔は三塁まで進み、バッターランナーの英雄は二塁まで進んだ。
ノーアウト二三塁。一気にチャンスだ。
先程まで静かだった我が校の応援団が息を吹き返したように、歓声をあげ、チャンスのテーマを流し始めた。
相手チームがマウンドに集まる。
松尾続投か、それとも吉岡登板か。
「西岡、相手ピッチャー交代なら行くぞ」
「…はい!」
ベンチで応援していた西岡に声をかけておく。
六番修一に期待をしていないわけではない。単に右のサイドスローの吉岡がマウンドに上がるなら、左バッターの西岡のほうが相性がいいというだけだ。
それに西岡のバッティングは、正直控えに置いとくには勿体無いぐらい良い。守備さえ良ければ、普通にスタメンクラスだ。
…相手ベンチが選んだのは、続投。
マウンドから内野手が離れていく。残ったのはエース松尾のみ。
続投か。長尾さんの事だから、吉岡に継投すると思ったんだがな。
ここで失点を許しても、まだ勝つ自信が長尾さんにはあるようだ。
確かに英雄は球数が100球を越えている。そこらへんの好投手なら、あと2イニングあれば攻略できるだろう。だが…。
「読み違えたな長尾さん」
にやりと口元が歪んだ。
英雄の実力を読み間違えたか。そして、ここで松尾を続投させたのは絶対に大間違いだ。
確かに六番の修一はここまでノーヒット。松尾のボールに合っていなかった。
「西岡、やっぱり後でだ。いつでも行けるよう心の準備だけはしておけ」
「はい!」
西岡投入は後だ。ここは修一で1点取る。
右打席のそばにいる修一。そして二塁ランナー英雄、三塁ランナー大輔、一塁コーチャー鉄平、三塁コーチャー片井が俺のサインを確認する。
サインを送り終えて、修一は表情を変えた。なんというか口をぽかんとしている。
そうだろうな。ここでやる作戦は、まず誰も考えない作戦だ。
ここで決めるのはスクイズ。
山田高校の選手達なら修一がバントをするようなタイプでないことは周知だし、理大付属もこれまでの修一のバッティング成績を見たらバントするようなタイプではないと思うだろう。
だからやらせる。
先ほどの奇襲で、相手の鉄壁の守りに亀裂が入ったはずだ。だがまだ足りない。
奇襲は一度のみでは意味がない。連続でやるから意味がある。
修一は打席に入りバットを構える。心なしか、どこかぎこちなくバットを構えている。
松尾は肩で呼吸しながら、投球動作に入った。
瞬間、三塁ランナー大輔が走り出した。
相手チームが驚愕しているのが肌で伝わった。
慌てて一塁、三塁の選手たちがバントダッシュをするが、サードの鳥越は足がもつれたらしく転んだ。それぐらい急な出来事に慌てているのだろう。
修一は上手くボールを前に転がした。
ピッチャーの松尾が処理するが、焦っていたのか、ボールを掴みそこねるミス。
その間に三塁ランナーの大輔はホームインし、バッターランナーの修一は一塁ベースを駆け抜けた。
判定はピッチャーのエラー。センターの電光掲示板には「E」のランプが灯った。
まず1点。先制点が入った。
これでワンアウト一三塁。
相手チームは今混乱状態だろう。
バッターは七番秀平。息をつかせる暇は与えない。
テキパキと俺はサインを送る。次は修一に盗塁させる。あいつは足は対して早くないが、ここは間違いなく成功するだろう。
相手はまだ松尾を続投させるらしい。エースを信じているのか、それともあちらも明日を考えて、主戦ピッチャーの吉岡投入を渋っているのか。
どちらにせよ、俺のすべきは今攻め立てる事だ。
初球、修一は盗塁を決めた。相手は二塁には投げなかった。
これまでの奇襲で、ディレイドスチールによる三塁ランナー英雄のホーム突入を警戒したのか分からないが、楽々二塁まで修一は進んだ。
これでノーアウト二三塁。この場面、秀平には好きに打たせてやろう。
秀平はこの後、一球見送ったあとの三球目を捉えた。
打球は右中間を破る長打コース。三塁ランナー英雄、二塁ランナー修一と楽々ホームインし、秀平も二塁に進んだ。これで3点。
相手ベンチがやっと動いた。
先程までブルペンにいた吉岡がマウンドへと走っていく。
長尾さん、残念ながら一歩遅かったな。今日の試合、悪いがもらった。




