129話
翌日、日曜日。
「あれ? お兄ちゃん出かけるの?」
玄関で靴を履いていると、リビングから千春が顔を出して聞いてきた。
「うむ」
「…誰? 嘉村先輩?」
何故最初に恭平の名前が出るんだ千春よ。
そんなに恭平が気になるのか? …いや違う、きっと恭平が嫌いすぎて頭から離れないんだな。…それもそれで嫌だ。
「違う。まぁ友達だ」
「…美咲の誘い断ったくせに」
千春から不満そうな声をぶつけられたが無視だ。
「じゃあ妹よ、お兄ちゃんは楽しんでくるからな」
「美咲とも遊んでよ」
「あぁ、夏が終わったらな」
それだけ言って自宅を後にした。
集合時間の10分前に到着する。
相変わらず山田駅前は真新しい。数年前に駅舎と駅前の工事がおこなわれ、寂れた雰囲気の駅舎も、駅前もなくなり、近代的な造りになってしまった。
個人的には昔の寂れた感じが結構好きだったんだがな。
今日行くのは県庁がある市にある丘城動物園というところだ。
鉄道で約40分。その後バスで5分、徒歩12分と言う長い道のりだ。
集合時刻の10時になっても鵡川は来ない。
針は進み、現在時刻は10時21分。
「さて…どうしたものか…」
駅前で野郎一人、虚しく立っている。腕を組みながら駅のロータリーに設置された時計で時刻を確認する。
鵡川に電話しようか? いやまぁ催促するのもあれだし、待ってればいつか来るだろう。…来なかったらすげぇ恥ずかしいぞ。
「ごめん佐倉君!」
結局、鵡川は30分遅れの10時32分に到着した。
「おぉ遅かったな」
「本当にごめん! 寝坊しちゃった…」
申し訳なさそうに謝る鵡川。
別に怒るつもりはないし、不機嫌になることもない。
たかが30分程度の遅刻だ。前に恭平と大輔の野郎が1時間遅刻したから、この程度余裕だ。
「寝坊なんて、お前には珍しいなぁ」
「…うん、今日の事考えたら眠れなくなっちゃって」
そう言って照れ笑いをする鵡川。
案外子供っぽいな鵡川。意外だ。
「まぁ動物園なんて小学生以来だしな。楽しみなのも分かるな」
「う、うん…でも、動物園が楽しみだからじゃなくて…」
どんどん小声になり俯いていく鵡川。
そんな彼女に俺は首を傾げる。なにしてんだ鵡川? トイレ行きたいのか?
「…その、佐倉君と遊べるのが楽しみで…眠れなくなっちゃった…」
そう言って「えへへ」と恥ずかしそうに笑う表情を俺に見せる鵡川。
ぐほぉ! なんだその笑顔! 可愛すぎんだろう! なんて野郎だ貴様! 男勝りの沙希や、アホな子岡倉には絶対に無い可愛さを持ってやがる。
くそぅ鵡川め、やりやがる! あざとい! あざとすぎるぞ!!
「そっか。じゃあ行こうか」
「うん…」
ドキドキしているのを悟られないようにしつつ、鵡川といざ動物園へ。
列車に乗り、席に対面で座る。いわゆるクロスシートと呼ばれるタイプの座席だ。
特に鵡川と話すことが無い。
いや、最初の方は動物園の話題とかで盛り上がっていたのだが、いかんせん40分の乗車だ。時間が経つにつれて話すことがなくなってきた。
と言っても気まずい雰囲気になる事はなく、心地の良い沈黙が二人の間に流れる。
列車に揺られながら車窓を見つめる俺。最近野球ばっかで神経すり減らしてたから、すげぇ気持ちが落ち着く。
「ねぇ佐倉君」
「うん?」
流れていく車窓風景を見ていると、対面に座る鵡川が俺の名前を呼んだ。
それに返事をして、俺は彼女へと視線を向けた。
「そのさ、お弁当作ってきたんだ…」
「…寝坊したのに作ったのか?」
なんて野郎だ。
寝坊しておいて、弁当を作るとか、色々とおかしいだろう。
鵡川って案外天然なのか? おいおいやめてくれよ。天然馬鹿の女の子は岡倉でお腹いっぱいだ。これ以上天然の女の子が目の前に現れたら、さすがに俺が心労で倒れるわ。
「ごめん。でも…佐倉君には、私の弁当食べて欲しかったから」
そう言って再び照れ笑いを見せてきやがる鵡川。
だからやめろその表情。すげぇ可愛いから! 滅茶苦茶ドキドキしちゃうから!
くそぅ、まさか俺がここまで感情を乱されるとはな。まったくもって驚きだ。鵡川はここまで可愛いのか…! さすが学校一の美少女。仕草一つ一つが男を落とす技となってるな。
そうしてやっとのことで丘城動物園へと到着した。
「入園料、俺が払っとくよ」
入園券を購入する券売所の前で、俺がそう言って財布を取り出した。
さすがに女の子と遊ぶわけだし、俺が全額払っとかないと男が廃るというものだ。
「いや、私が誘ったから私が払うよ!」
だが鵡川は鵡川でプライドみたいなのがあるらしい。
「お前、こういう所は男に頼られておけよ」
「うわ、佐倉君ってそういう事言うんだ。女性差別だよそれ」
「いや、差別じゃなくて、男としてのプライド的な問題でな」
「そういうの良くわからないから。私が誘ったし、私が払わないと」
券売所の前で口論する俺と鵡川。
…このまま口論しても周りに迷惑だ。
だが俺が折れるつもりはない。ここは妥協しあうのがベストだ。
「…分かった。じゃあお前の分は俺が払う。お前は俺の分を払ってくれ。これで良いだろう?」
とりあえず仲裁案を出した。
鵡川はその仲裁案を聞いて、少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「…うん!」
笑顔を浮かべる鵡川。だから、その笑顔は反則だって。
男なら間違いなくイチコロの笑顔だ。そこらへんの男なら今頃2、3回は恋に落ちていただろう。
という事でお互いの入園券を購入することに。
俺たちの様子を券売所の受付のおばちゃんが微笑ましそうに笑っていた。
入園券を購入し終え、お互い買った券を交換する。
そうして入園。
さて入園して、動物園を歩き始めたが、久しぶりに来た動物園に思わず感動していた。
最後に来たのが、小学生1、2年の頃だったはずだ。
あの頃見た時よりも、動物の可愛らしさに癒される。
「あっ佐倉君! レッサーパンダ!」
なによりも鵡川が大はしゃぎしている。
普段の鵡川では考えられないぐらい子供のようにはしゃいでる。周りの子供以上に喜んでいて、そんな姿に思わず、俺はニヤけてしまう。
鵡川も意外にガキんちょなんだな。普段の感じていた大人っぽいイメージが、いい意味でぶち壊されてしまったよ。
「あれ? ヒヨコを触れるコーナーがあるんだ」
ふと鵡川が、看板をみて気付き、俺を見てくる。
見るからに「行きたい。ヒヨコ触りたい」と言っているような顔。
「ヒヨコか。普段触れる機会ないし、行こうぜ」
鵡川の気持ちを察して、俺が提案する。
俺の提案を聞くなり、鵡川は見る見るうちに笑顔になっていき「うん!」と嬉しそうに頷いた。
すげぇ可愛い。
なんて、無意識に思った俺が居た。
一時間半ぐらいで、園内を回り終え、その後、園内から出て近くのベンチに腰掛けて昼飯。
鵡川お手製の弁当がお目見えだ。
凄い、見た目からして美味しそう。そして蓋を開けても酢の臭いが漂ってこない。あぁ…普通の弁当だ!
「美味そうだな」
「ありがとう。はい、箸」
彼女から箸を受け取り、早速弁当箱から卵焼きを取り出し頬張る。
ほんのり砂糖の甘味を感じる卵焼き。まったく塩の味がしない。そうだよ、俺はこういう卵焼きを求めてたんだよ。うん、めちゃくちゃ美味い。
「どう? おいしい?」
「あぁ美味い」
「本当!」
俺の言葉に花が咲いたように笑顔になる鵡川。
「なんか今日の鵡川のテンションすげぇ高いな」
「そりゃそうだよ。だって、今日凄く楽しみにしてたし」
そういや、寝坊した理由も「明日が楽しみで眠れなかった」なんて言ってたからな。
こいつ、どんだけ俺と遊ぶの楽しみにしてたんだ。もしかして俺に気があるのか?
…いや、こういう言葉に惑わされるな佐倉英雄。相手は稀代の男キラー鵡川梓だぞ?
なにより、こんな露骨な好意は逆に怪しい。これまで鵡川と接してきて、彼女があざといのは知っている。油断は禁物だ。
なんて警戒しながら、鵡川の弁当を食べ終えた。どの料理も普通に美味かった。白米は酢の味がしないし、ほうれん草の胡麻和えはしっかりとほうれん草が茹でられていた。本当、普通に美味しい弁当だった。
「この後どうするかぁ」
もう時刻は午後一時を過ぎている。帰ると二時ぐらいか…。
まだまだ時間はあるな。俺は明日からずっと練習が続くからな。今日の休養を有意義に使わなければ。
「じゃあさ、善楽園に行かない?」
「善楽園に?」
善楽園とは、市内にある日本庭園だ。国の特別指定名勝とやらに選ばれているらしい。
まぁのんびりと心が落ち着く場所だし、観光客も多い。
「そうだな。んじゃ行くか」
ってな事で、善楽園へと移動する。
善楽園に到着し、早速入場する。今回も入場料はお互いの分を払う。
園内はやはり観光客が多かった。と言っても、園内で見せる優雅な自然は、俺の心を癒した。相変わらず良い庭園だ。
善楽園は江戸時代に、当時この地域の藩主によって作られた大名式庭園。
優雅なこの庭園は一見の価値ありと謳われ、その評判にたがわぬ美しい景色が訪れた人々の目を釘付けにさせる。
んで、鵡川も口をぽかんと開けてジッと見つめている。
この反応は初めて来た感じだな。
俺なんて、小学校の時に遠足などで3回、中学のときに友人達と2回、哲也と1回、沙希と1回、恭平たちと1回。計8回も来ている。
ここまで来ると、優美な光景も見飽きてしまった。
園内にある茶屋で抹茶と茶菓子を食べながら、鵡川は感想を口にしている。
やはり綺麗だとか、優雅だとか、風流だったとか、趣あるとか、とにかく褒め言葉を連発している。
感動しているのは目に見えて分かった。何度もきている俺だから分かるが、初めて善楽園の庭園をみると感動しちゃうんだよな。みんな、今の鵡川と同じ反応をする。
まぁ中には「優雅な景色の中で、野外でやっちゃうカップル居ないかなぁ~」なんて探している恭平とか言う馬鹿野郎も居るんだけどさ。
「善楽園、凄い良い」
色々と感想を述べた鵡川は、最後に簡潔にまとめて終えた。
「こんな場所に佐倉君と来れて良かった。ありがとう」
そうして今日何度目かの鵡川の笑顔。
お前、そういう発言されると男は狼になっちゃうんだからな? ってかあざとすぎるぞ鵡川。そうやって男を油断させるんだな! 俺は惑わされないぞぅ!
善楽園を見終え、再び鉄道で山田市へと戻る。
そうして山田駅で下車した。
「今日はとっても楽しかった」
改札口へと向かうとき、鵡川がそんな事を笑顔で呟いた。
「あぁ俺も楽しかったよ」
嘘なんかではない。本当に楽しかった。
きっと沙希や哲也、大輔や恭平達と来ても、こんな楽しさは味わえなかっただろう。なんていうか、楽しさの味が違う感じがする。
改札を出て、鵡川を家まで送る。
彼女は駅までで平気だと言っていたが、女の子を最後まで送るのは男としての礼儀だ。
という事で、鵡川の家まで向かう。
「佐倉君、今日はありがとう」
「どういたしまして」
彼女は何度目かの感謝を口にした。
本当に嬉しかったんだろうなぁ。まぁ俺も楽しかったし、彼女に誘われて良かった。
「野球、頑張ってね」
「おう」
明日からは夏が終わるまで野球に没頭する。
だから今日が夏の大会前、最後の休養と言っても過言ではないだろう。
しっかりと気持ちはリフレッシュできたし、逆に気合が入った。明日から今まで以上に頑張れそうだ。
「…野球終わったら、また遊ぼうな」
「え?」
不意に口からこぼれた言葉に鵡川は驚いた表情を浮かべた。
俺だって口にする気はなかった。だが自然と口から出てしまったんだから仕方がない。
鵡川は恥ずかしそうに顔を赤くさせてから、ニコッと優しい笑みを浮かべた。
「うん!」
彼女の笑顔を見て、俺も笑顔になった。
さぁ、夏前最後の休養も終了だ。
夏の大会はもう間近、俺にとって最初で最後の高校球児としての夏が始まる。




