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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
5章 春眠、怪物は目覚める
121/324

120話

 六回の裏ツーアウトで、四番大輔を迎えたが相手エース末国に空振り三振に討ち取られる。

 悔しそうに表情を歪ませてベンチへと歩いてくる大輔。


 「どんまい」

 「悪い英雄。次の打席で絶対に打ってやる!」

 そう意気込む大輔。

 こいつの次の打席は、チームが無安打で行った場合、九回に回ってくる。しかしこっちは後攻めなので、引き分けているか、負けている状態じゃないと回らない。

 正直、そんな状況を考えたくない。



 七回の表の承徳の攻撃。

 先頭の六番の梅沢、七番の末国を三振にし、八番高野をセカンドゴロに仕留めた。


 「ふぅぅぅ…」

 口を尖らせ深く息を吐いてマウンドを降りる。

 一球一球、神経を尖らせているせいか、疲労が半端無い。

 下位打線といえど油断できないのが承徳の打線だ。正直残り2イニング持つか怪しい所だ。



 こちらの七回の攻撃は、俺が先頭バッターから始まる。

 なんとかあと1点欲しいところだが…。


 マウンド上の末国はこの回も躍動する。

 やはり回を増すごとにピッチングに安定感が生まれている。

 コースいっぱいにストレートは決まるし、投じる変化球もキレがどんどんとましている。

 結論、打てない。

 最後は外一杯に決まるストレートを見逃して三振に終わる。


 やっぱり1点取るのも難しそうだ。

 このあとは下位打線だし、得点は期待しないでおこう。

 そうなると、俺が1点もやらずに抑えるしかないという事か。


 六番の中村っちがショートゴロ。七番の秀平がライトフライで終わり、この回の攻撃を終えた。



 八回、両チームとも三者凡退で終わり、早くも九回を迎える。


 「英雄」

 「はい?」

 いざマウンドへと思ったところで、佐和ちゃんに呼び止められた。


 「なんっすか? 俺いま最高の気分でマウンドに行けると思ったんすけど?」

 「お前の今日の球数は150を越えた。スタミナはまだ残ってるか?」

 心配している表情を浮かべることなく、無表情で佐和ちゃんが聞いてきた。


 「余裕っす」

 軽い調子で答えて笑ってみせたが、本当のことを言えば、もうスタミナなんてのは残っちゃいない。1か2か、それぐらいの数値しか残っていないだろう。

 それでも、投げないといけない。俺がここで降板すれば、相手の思惑通りだ。あと一回しかないが、亮輔や松見で抑えられる気はしない。

 この回、承徳はクリーンナップを迎えるし、やはり俺が登板すべきだ。


 「そうか」

 佐和ちゃんは俺の目を見てにやりと笑った。

 何かを察したような表情。俺が限界を迎えているのを見抜いているようだ。


 「なら最終回。お前に任せるぞ。エースらしく、三人で終わらせて来い!」

 だが何をいうわけでもなく、俺を送り出す佐和ちゃん。

 佐和ちゃんも分かっているのだろう。ここで俺を降ろせば勝てる見込みがグッと下がることを。


 「最初からそのつもりですよ。監督様」

 軽い調子のまま笑顔を見せて、俺はマウンドへと駆けていく。

 さぁ最終回。バシゥとやるぞぉ!!



 ≪九回の表、承徳高校の攻撃は三番川中≫

 先頭バッターはトルコアイスこと川中。

 めっちゃ疲れてる時にこいつとか、すげぇ嫌すぎる。


 口元をグラブで隠し、溜息を吐いた。

 哲也のサイン。低めへのストレート。頷き一度息を吐いてから投球動作へと移る。

 そうして左腕を振るい、ボールを投じる。

 瞬間、指先に残る違和感。それは失投によるものだと気づく。

 ボールは高めへと飛ぶ甘いストレート。それを川中は打ち抜いた。

 いくらトルコアイス並に粘り強い川中でも、甘い球は容赦なく振ってくるか。


 打球はライトへと飛んでいく。

 芯で捉えられたが、打球の伸びはイマイチ。ライト龍ヶ崎が落下点へと入り、打球をキャッチした。

 偶然、ライト前だったから良かったが、今のは失投だった。

 次のバッターだったら、ライトフライでは終わらなかっただろう。



 ≪四番ファースト、村中君≫


 場内アナウンスが選手の名前を読み上げる。

 …今の甘い球、こいつに投げたら、間違いなくスタンドまで運ばれていただろう。


 さっきみたいに、甘い球は投げられないな。


 「しゃあぁぁぁぁ!! 来いやぁぁぁ!!!」

 打席に入り、足場を固めた村中は、俺にバットを向けながら声を張り上げる。

 巨人のような体格、半袖のユニフォームから出ている丸太のような太い腕、人殺しそうなぐらい鋭利な眼光。獣のような雄叫び。

 俺は思わず笑みを溢していた。


 ワンアウトランナー無し、ピンチじゃないのに、ピンチのような感覚。

 いや違う。今は一打同点のピンチだ。そう、こいつの一振りは、スタンドまで運べるだけのパワーを秘めているのだらかな。

 そう思うと、余計に胸がドキドキする。

 気持ちが昂ぶっている。身体は疲弊していたはずなのに、心の奥底から力が湧いてくる。まだまだやれる。まだまだ抑えられる。こいつを絶対に抑えてやる。



 哲也は、初球外すようサインを送る。

 やはり哲也も、このバッターを警戒している。最悪歩かせても良いと考えているのだろう。まぁそうだよな。だけど…


 「強打者に対して、後手に回るのは良くねぇよ」

 俺は、ゆっくりと首を横に振った。マスク越しから哲也の顔がムッとしたのが分かる。

 しょうがねぇだろう。勝負師なもう一人の俺が、こいつと戦いたいって言ってるんだからさぁ。


 それに、同点にされても、うちには大輔が居る。

 人外のパワーを持つあいつなら、きっと末国からホームランを打ってくれるさ。打ってくれなくても、うちのチームなら、必ず得点を入れてくれる。そう信じている。



 サインが変わった。インコースへのストレート。

 極端なリードだな哲也。消極的に行かないなら積極的にってか。

 そうだよ哲也。お前はそうじゃねぇと困る。消極的なリードよりも積極的なリードの方がお前らしい。

 やっぱりそうじゃないとな。俺は頷いた。


 バックネット裏のスタンドに座るおじ様方の声とか、相手チームのスタンド組の応援とか、バックの仲間の声とか、もう全ての音がシャットダウンする。

 視界も、哲也のミットだけを捉えた。

 極限まで意識を集中させる。今ここに俺の体が疲弊してるとか、一打同点とか、そういう雑念は消え失せた。

 こいつを抑える。それだけに意識を向ける。


 心臓が早いテンポで鼓動を刻む。

 そのテンポに後押しされて、俺は大きく振りかぶり、そして哲也のミット目掛けて、左腕を力強く振りぬいた。



 村中のスイング音よりも球場に鳴り響く、乾いたミットの音。

 その音が耳に入り、続いてバックネット裏に陣取るおじ様方達の拍手が耳に入った。


 打席上で空振りをし終えた状態の村中が俺を睨みつける。

 まずはワンストライク。うん、ボールに力が入ってる。悪くない。



 続く二球目、カットボール。これを村中は鋭いスイングで捉えた。


 快音が球場に響き、打球は三塁側のファールゾーンのフェンスへ強烈なライナーとなって直撃する。

 ガシャン! と騒音をまき散らして、ボールはグラウンドへと跳ね返った。


 「すげぇ」

 思わずそんな言葉が口から漏れた。

 さすがだ。芯を外しても、あんな鋭い打球を打つか。

 だが、これでツーストライク。早くも追い込んだ。



 三球目は、ボールゾーンへのチェンジアップ。

 これを村中は見送り、ボール。


 四球目、アウトコース低めへのストレート。

 ゾーンギリギリに攻めるコース。これで決めたいところだが…。

 見逃し三振狙いで、ボールを投擲する。150球を越えてなお140キロ台のストレートを叩き出す俺の速球は、アウトコース低め一杯に決まった。


 乾いたミットの音が響く。村中は手が出せず見逃した。

 自身でも最高と自負できる一球。

 その判定は…。


 「ボール!」

 ボールかよ!

 がくりと項垂れかけたが、ここで気持ちを切らせてはダメだ。

 次だ次だ。 カウントはツーツーと平行カウントとなった。



 そうして五球目、哲也のサインを確認する。


 「おいおい、マジかよ」

 哲也のサインを見て、自然と頬が緩み、慌ててグラブで口元を隠した。本当攻めるなお前。

 要求されたコースはインコース高めへのストレート。

 村中は間違いなくストレート待ちしている。そして高めへのストレートだ。

 必ず手を出してくるだろう。


 少しでもコースが甘ければ、打たれることは必至。

 あいつに出塁されたら、最悪逆転の恐れもある。

 ここは素直にスライダーで逃げる手もあるし、先ほどのストレートと組み合わせる形でチェンジアップ、カットボールも良いだろう。


 だが俺は頷いた。だって、ストレート勝負の方が面白いもん。

 ここで勝負を決める。もしこのまま村中との対戦が継続されたら、絶対にその後打たれる。

 もう俺の体力も限界値スレスレだ。限界越えたら、承徳打線を無失点で切り抜けるのは難しくなるだろう。



 空気が張り詰める。

 耳に入る全ての音を遮断し、視覚全てを哲也のミットに向けた。

 ゆっくりと大きく振りかぶる。そして腰を動かしながら、右足を上げていく。


 自分のフォームをイメージしながら、体が動く。

 筋肉全ての一連の動きをイメージと重ね、間違っていないか、正しいかと確認していく。

 そしてイメージ通りに動いていく肉体。

 下から上へと伝っていく力は、まもなく左腕へとその力が溜まり、そしてボールへ込めて、射出する。


 勝負は0コンマの世界。

 一瞬の攻防。矢となった白球を、村中の強烈なスイングが迎え撃つ。

 腕を振り抜いた状態で、勝負の結末を見守る。



 乾いたミットの音が球場に木霊した。

 視界の向こうで、空振り三振に終わる村中を捉える。

 悔しそうに表情は歪ませているが、どこか嬉しそうに口元だけは綻ばせていた。

 その表情を見て、俺の感情の高ぶりは今日一番を迎えた。


 「…しゃあ!」

 興奮を咬み殺せず、小さく歓喜の声を上げていた。

 バックネット裏のスタンド席は今日一番の盛り上がりを見せ、拍手と歓声が起きた。

 これでツーアウト。まだあと一人残っている。四番を乗り越えたと言っても承徳の五番バッターだ。油断はできない。

 緩んだ気を引き締め直し、ラストバッターと対峙した。



 試合が終了したのは、この後数分後のことだった。

 最後のバッターをショートフライに打ち取りゲームセット。

 試合は3対2で俺達の勝利だ。無事決勝へと進出を果たした。

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