120話
六回の裏ツーアウトで、四番大輔を迎えたが相手エース末国に空振り三振に討ち取られる。
悔しそうに表情を歪ませてベンチへと歩いてくる大輔。
「どんまい」
「悪い英雄。次の打席で絶対に打ってやる!」
そう意気込む大輔。
こいつの次の打席は、チームが無安打で行った場合、九回に回ってくる。しかしこっちは後攻めなので、引き分けているか、負けている状態じゃないと回らない。
正直、そんな状況を考えたくない。
七回の表の承徳の攻撃。
先頭の六番の梅沢、七番の末国を三振にし、八番高野をセカンドゴロに仕留めた。
「ふぅぅぅ…」
口を尖らせ深く息を吐いてマウンドを降りる。
一球一球、神経を尖らせているせいか、疲労が半端無い。
下位打線といえど油断できないのが承徳の打線だ。正直残り2イニング持つか怪しい所だ。
こちらの七回の攻撃は、俺が先頭バッターから始まる。
なんとかあと1点欲しいところだが…。
マウンド上の末国はこの回も躍動する。
やはり回を増すごとにピッチングに安定感が生まれている。
コースいっぱいにストレートは決まるし、投じる変化球もキレがどんどんとましている。
結論、打てない。
最後は外一杯に決まるストレートを見逃して三振に終わる。
やっぱり1点取るのも難しそうだ。
このあとは下位打線だし、得点は期待しないでおこう。
そうなると、俺が1点もやらずに抑えるしかないという事か。
六番の中村っちがショートゴロ。七番の秀平がライトフライで終わり、この回の攻撃を終えた。
八回、両チームとも三者凡退で終わり、早くも九回を迎える。
「英雄」
「はい?」
いざマウンドへと思ったところで、佐和ちゃんに呼び止められた。
「なんっすか? 俺いま最高の気分でマウンドに行けると思ったんすけど?」
「お前の今日の球数は150を越えた。スタミナはまだ残ってるか?」
心配している表情を浮かべることなく、無表情で佐和ちゃんが聞いてきた。
「余裕っす」
軽い調子で答えて笑ってみせたが、本当のことを言えば、もうスタミナなんてのは残っちゃいない。1か2か、それぐらいの数値しか残っていないだろう。
それでも、投げないといけない。俺がここで降板すれば、相手の思惑通りだ。あと一回しかないが、亮輔や松見で抑えられる気はしない。
この回、承徳はクリーンナップを迎えるし、やはり俺が登板すべきだ。
「そうか」
佐和ちゃんは俺の目を見てにやりと笑った。
何かを察したような表情。俺が限界を迎えているのを見抜いているようだ。
「なら最終回。お前に任せるぞ。エースらしく、三人で終わらせて来い!」
だが何をいうわけでもなく、俺を送り出す佐和ちゃん。
佐和ちゃんも分かっているのだろう。ここで俺を降ろせば勝てる見込みがグッと下がることを。
「最初からそのつもりですよ。監督様」
軽い調子のまま笑顔を見せて、俺はマウンドへと駆けていく。
さぁ最終回。バシゥとやるぞぉ!!
≪九回の表、承徳高校の攻撃は三番川中≫
先頭バッターはトルコアイスこと川中。
めっちゃ疲れてる時にこいつとか、すげぇ嫌すぎる。
口元をグラブで隠し、溜息を吐いた。
哲也のサイン。低めへのストレート。頷き一度息を吐いてから投球動作へと移る。
そうして左腕を振るい、ボールを投じる。
瞬間、指先に残る違和感。それは失投によるものだと気づく。
ボールは高めへと飛ぶ甘いストレート。それを川中は打ち抜いた。
いくらトルコアイス並に粘り強い川中でも、甘い球は容赦なく振ってくるか。
打球はライトへと飛んでいく。
芯で捉えられたが、打球の伸びはイマイチ。ライト龍ヶ崎が落下点へと入り、打球をキャッチした。
偶然、ライト前だったから良かったが、今のは失投だった。
次のバッターだったら、ライトフライでは終わらなかっただろう。
≪四番ファースト、村中君≫
場内アナウンスが選手の名前を読み上げる。
…今の甘い球、こいつに投げたら、間違いなくスタンドまで運ばれていただろう。
さっきみたいに、甘い球は投げられないな。
「しゃあぁぁぁぁ!! 来いやぁぁぁ!!!」
打席に入り、足場を固めた村中は、俺にバットを向けながら声を張り上げる。
巨人のような体格、半袖のユニフォームから出ている丸太のような太い腕、人殺しそうなぐらい鋭利な眼光。獣のような雄叫び。
俺は思わず笑みを溢していた。
ワンアウトランナー無し、ピンチじゃないのに、ピンチのような感覚。
いや違う。今は一打同点のピンチだ。そう、こいつの一振りは、スタンドまで運べるだけのパワーを秘めているのだらかな。
そう思うと、余計に胸がドキドキする。
気持ちが昂ぶっている。身体は疲弊していたはずなのに、心の奥底から力が湧いてくる。まだまだやれる。まだまだ抑えられる。こいつを絶対に抑えてやる。
哲也は、初球外すようサインを送る。
やはり哲也も、このバッターを警戒している。最悪歩かせても良いと考えているのだろう。まぁそうだよな。だけど…
「強打者に対して、後手に回るのは良くねぇよ」
俺は、ゆっくりと首を横に振った。マスク越しから哲也の顔がムッとしたのが分かる。
しょうがねぇだろう。勝負師なもう一人の俺が、こいつと戦いたいって言ってるんだからさぁ。
それに、同点にされても、うちには大輔が居る。
人外のパワーを持つあいつなら、きっと末国からホームランを打ってくれるさ。打ってくれなくても、うちのチームなら、必ず得点を入れてくれる。そう信じている。
サインが変わった。インコースへのストレート。
極端なリードだな哲也。消極的に行かないなら積極的にってか。
そうだよ哲也。お前はそうじゃねぇと困る。消極的なリードよりも積極的なリードの方がお前らしい。
やっぱりそうじゃないとな。俺は頷いた。
バックネット裏のスタンドに座るおじ様方の声とか、相手チームのスタンド組の応援とか、バックの仲間の声とか、もう全ての音がシャットダウンする。
視界も、哲也のミットだけを捉えた。
極限まで意識を集中させる。今ここに俺の体が疲弊してるとか、一打同点とか、そういう雑念は消え失せた。
こいつを抑える。それだけに意識を向ける。
心臓が早いテンポで鼓動を刻む。
そのテンポに後押しされて、俺は大きく振りかぶり、そして哲也のミット目掛けて、左腕を力強く振りぬいた。
村中のスイング音よりも球場に鳴り響く、乾いたミットの音。
その音が耳に入り、続いてバックネット裏に陣取るおじ様方達の拍手が耳に入った。
打席上で空振りをし終えた状態の村中が俺を睨みつける。
まずはワンストライク。うん、ボールに力が入ってる。悪くない。
続く二球目、カットボール。これを村中は鋭いスイングで捉えた。
快音が球場に響き、打球は三塁側のファールゾーンのフェンスへ強烈なライナーとなって直撃する。
ガシャン! と騒音をまき散らして、ボールはグラウンドへと跳ね返った。
「すげぇ」
思わずそんな言葉が口から漏れた。
さすがだ。芯を外しても、あんな鋭い打球を打つか。
だが、これでツーストライク。早くも追い込んだ。
三球目は、ボールゾーンへのチェンジアップ。
これを村中は見送り、ボール。
四球目、アウトコース低めへのストレート。
ゾーンギリギリに攻めるコース。これで決めたいところだが…。
見逃し三振狙いで、ボールを投擲する。150球を越えてなお140キロ台のストレートを叩き出す俺の速球は、アウトコース低め一杯に決まった。
乾いたミットの音が響く。村中は手が出せず見逃した。
自身でも最高と自負できる一球。
その判定は…。
「ボール!」
ボールかよ!
がくりと項垂れかけたが、ここで気持ちを切らせてはダメだ。
次だ次だ。 カウントはツーツーと平行カウントとなった。
そうして五球目、哲也のサインを確認する。
「おいおい、マジかよ」
哲也のサインを見て、自然と頬が緩み、慌ててグラブで口元を隠した。本当攻めるなお前。
要求されたコースはインコース高めへのストレート。
村中は間違いなくストレート待ちしている。そして高めへのストレートだ。
必ず手を出してくるだろう。
少しでもコースが甘ければ、打たれることは必至。
あいつに出塁されたら、最悪逆転の恐れもある。
ここは素直にスライダーで逃げる手もあるし、先ほどのストレートと組み合わせる形でチェンジアップ、カットボールも良いだろう。
だが俺は頷いた。だって、ストレート勝負の方が面白いもん。
ここで勝負を決める。もしこのまま村中との対戦が継続されたら、絶対にその後打たれる。
もう俺の体力も限界値スレスレだ。限界越えたら、承徳打線を無失点で切り抜けるのは難しくなるだろう。
空気が張り詰める。
耳に入る全ての音を遮断し、視覚全てを哲也のミットに向けた。
ゆっくりと大きく振りかぶる。そして腰を動かしながら、右足を上げていく。
自分のフォームをイメージしながら、体が動く。
筋肉全ての一連の動きをイメージと重ね、間違っていないか、正しいかと確認していく。
そしてイメージ通りに動いていく肉体。
下から上へと伝っていく力は、まもなく左腕へとその力が溜まり、そしてボールへ込めて、射出する。
勝負は0コンマの世界。
一瞬の攻防。矢となった白球を、村中の強烈なスイングが迎え撃つ。
腕を振り抜いた状態で、勝負の結末を見守る。
乾いたミットの音が球場に木霊した。
視界の向こうで、空振り三振に終わる村中を捉える。
悔しそうに表情は歪ませているが、どこか嬉しそうに口元だけは綻ばせていた。
その表情を見て、俺の感情の高ぶりは今日一番を迎えた。
「…しゃあ!」
興奮を咬み殺せず、小さく歓喜の声を上げていた。
バックネット裏のスタンド席は今日一番の盛り上がりを見せ、拍手と歓声が起きた。
これでツーアウト。まだあと一人残っている。四番を乗り越えたと言っても承徳の五番バッターだ。油断はできない。
緩んだ気を引き締め直し、ラストバッターと対峙した。
試合が終了したのは、この後数分後のことだった。
最後のバッターをショートフライに打ち取りゲームセット。
試合は3対2で俺達の勝利だ。無事決勝へと進出を果たした。




