118話
翌日、春の中国大会準決勝。
呉市営球場のグラウンドでは、すでに第一試合が始まっている。
承徳高校 対 山田高校。
この試合は、現在3対1で我が校が2点リードする中、四回の表の承徳高校の攻撃を迎えた。
「ふぅ…」
短く息を吐いた。
打席上の六番バッターを一瞥し、哲也のサインを確認する。
ツーアウトで、カウントはスリーボールツーストライク。サインはスライダー。
小さく頷き、投球モーションへと移る。そうしてスライダーを投じる。
生き物のようにクイッと急に変化するスライダーにバッターは対応できず、豪快な空振りで三振。
これでスリーアウト。俺は溜息を吐いてからマウンドを下りる。
豪快に空振りをしたバッターは、空振り三振と言う結果に悔しさを顔ににじませながら、俺を忌々しそうに睨みつけているが、そんなの無視だ。
深呼吸するように大きく息を吐いた。
目を瞑り、天を仰ぐ。
どのバッターもスイングが鋭いから、一球一球油断できない。
初回、我が校は立ち上がりに不安の残る承徳のエース末国から、一番恭平、三番龍ヶ崎のヒットの後、四番大輔のスリーランホームランで先制した。
まぁ俺も二回に、いきなり四番にスリーベースヒットを打たれて、無死三塁から犠牲フライで1点奪われたんだけどね。
「ナイスピッチング英ちゃん!」
「おぅ…」
スコアを書いている岡倉は笑顔で迎えるが、対する佐和ちゃんは厳しい表情だ。
「ワリィな佐和ちゃん。あいつら粘ってくるぞ」
「分かってるなら、何とか対処しろ馬鹿野郎」
などと悪態をつく佐和ちゃん。
何とか出来ないから、球数が増えてるんだろうが。
承徳は、二回の四番バッターがスリーベースヒットを打つまで、とにかく相手はバットを振ってきた。
相手監督も、やはり無名校のピッチャーだから、油断したのだろうか。とにかく積極的に攻めてきた。
しかし四番のスリーベースヒットを、まぐれ当たりだと相手監督は判断したのだろうか?
犠牲フライを打ち上げた五番バッター以降、とにかくボールを良く見て、球数を増やさせるように粘るバッティングをしてきている。
そのせいか、俺の球数はめっちゃ増えてしまっている。
フォアボールはまだ2個だが、球数は四回を終えて、すでに80球近く投げている。
俺の自滅狙いか、二番手、三番手狙いと見ている。
佐和ちゃんもきっと相手の狙いを理解しているだろう。
しかし、相手の狙いが分かっていても、対処法が無いのだ。
ファールなどで粘ってくる相手打線を打たせる為に、哲也もリードを工夫しているのだが、どれもファールにされてしまう。
ここらへんはさすが承徳高校というべきか。選手の鍛えられ方が違う。相手の嫌なことをしてくるのが上手いな。
「まぁ俺が楽々、完投してやりますよ」
相手に粘られる以上、俺の体力が物を言うようになる。
俺のスタミナで、どこまで投げきれるかだが、これは分からん。とりあえず普段は余力を残して完投しているから、多少球数が増えても大丈夫だろう。
あとは打線。どれくらい点を取ってくれるかだ。疲れきっても、やろうと思えば完投は出来るが、失点はかさむだろう。そうなると出来るだけ大量得点が欲しいところだが…。
四回の裏、先頭の俺は空振り三振、五番中村っちはサードゴロ、六番秀平はライトフライで、三者凡退で終わりあっという間にチェンジ。
うーん、やっぱり打てないなぁ。
末国は初回こそ立ち上がりは悪いが、徐々に調子を取り戻してくるピッチャーだ。これからどんどん冴えてくるのだろう。
早めに大量得点を狙っていたが、そう上手くはいかないようだ。
よしっ! この回も守るぞ!
「ボール! フォアボー!」
っと思ったら、いきなり先頭バッターをフォアボールで出しちまった!
一塁へと悠々と向かうランナーを気にしながらも、俺はロージンに軽く触れた。
手に付いた滑り止めの粉に息を吹きかけてから、俺はバッターへと向き合う。
この回の先頭が七番末国だった。
そして八番は…。
≪八番、レフト、安田君≫
打席へと入ってくる高野の目は、鋭く俺を捉えている。
敵意をむき出しにした視線。その視線に俺はにやりと口元をほころばした。
「…やっぱり、こうじゃなきゃな」
やっぱり敵ってのは、こういう視線をしてくれなきゃつまらん。
プレートを踏みしめ、高野と対峙する。
「しゃあらあああぁぁぁぁ!!!!」
高野の咆哮。まるで俺に向かって「かかってこい!」と挑発するような雄叫び。
獣のような殺意のこもった目で俺を睨みつける。
哲也のサインはインコースへの真っ直ぐ。ゆっくりと頷き、一度一塁ランナーを見てから、クイックモーションに入る。
ゆっくりと右足を前へと出す。
そして左腕からボールが放たれ、低い唸り声をあげながらミットめがけて飛んでいく。
英雄の左腕から放たれたボールは、低い唸り声を上げながら、インコースへと向かってくる。
そしてボールは、加速したような錯覚を覚えながら、減速せずに哲也のミットに収まった。
…反応できなかった。速い。
大きく息を吐いて、俺は一度、打撃フォームを崩す。
英雄、中学の頃から凄いとは思っていたが、まさかここまで化けるとは思わなかった。
俺だって承徳高校の厳しい練習を二年間乗り越えてきた自信はあるし、それ相応の技術を身につけたと思っている。だけど英雄は次元が違う。
あぁいう奴がプロに行くのだろう。悔しいが、英雄に一泡吹かせてやろうと言う気概は、すでに失せていた。
ベンチからのサインを確認する。監督のサインは…送りバント。
まぁ定石通りだよな。こっちは負けてるし。
それに、英雄のボールにも合っていないしな。
でも、出来ることなら英雄と対戦したかったかな。まぁそういう文句は口にしないけどさ。
バントの構えをする。
英雄と対戦したくても、監督の命令には拒めない。
俺は軍隊アリの一匹に過ぎない。俺よりも優れた選手はたくさんいるんだからな。
二球目の少し高めのストレートを転がす。
我ながら、上出来なバントだ。
全力で一塁ベースを走るも、案の定アウト。
まぁ送りバントだし、一塁ランナーの末国を二塁に送れれば、それで良いか。
「ナイバン!」
ベンチに戻るなり、控えの河野が笑顔で迎えてくれた。
俺は河野から渡されたタオルで顔を拭いた。
河野はセンバツ甲子園でレフトを守っていた。
しかしセンバツ終了後の県予選の試合途中で、肉離れをしてしまった。
その為、今大会は控えに回り、代わりに控え選手だった俺が、レフトのレギュラーとして出ているわけだ。
「中々、レフトの守備もさまになってきているな」
「そうかぁ? まだまだだと思うけどなぁ」
河野が笑顔で褒めてくる。
本来、俺の本職はサードで、たまに練習試合でショートやファーストを守るくらいで、外野など野球を始めてから、一度もやった事が無い。
だから、外野を本職とする河野に褒められて、内心嬉しかった。
キィィィィィィン!!!!!
河野と話していると、快音がグラウンドから鳴り響いた。
俺らは揃って、グラウンドへと目を向けていた。
九番の谷村が、センター前へとヒットを打ったのだ。
二塁ランナーの末国は、三塁ベースを蹴ってホームへ。
センターからショート、ショートからホームへの返球が来るが、末国はホームイン。
「よしっ!」
「しゃあぁ!」
俺と河野は思わずガッツポーズをしていた。
これで1点差、まだまだ逆転出来る!
マウンド上で帽子を脱ぎ、汗をアンダーシャツでぬぐう英雄へと視線を向けた。
さすがの英雄も球数が増えれば攻略できるか。
英雄、確かにお前は凄いかもしれんが、俺達だって地獄のような練習を乗り越えてきたんだ。
どんなに泥臭かろうと、卑怯な手だろうと、お前を倒す。俺達を甘く見るなよ。
そう俺は胸の内で呟いた。




