第五話 女騎士の無実を証明したら、なぜか俺が捕まりました
破滅まで、あと二十七日。
「第三中隊長セリスが武器庫を開けるところを見た。これは、あなたの証言ですね?」
「はい。嘘です」
軍法官の手から、証言書が滑り落ちた。
昨日、俺はセリスの前で証言すると約束した。だから今日、軍の法廷に来た。
いま落ちた紙に署名したのは、この身体の前の持ち主だ。あれ一枚で、セリスは処刑台に送られた。
「聞き方を変えましょう。誰かに、そう答えるよう命じられましたか?」
「いいえ。魔剣を盗ませたのが俺だからです。彼女は武器庫に来てもいません」
書記が慌ててペンを走らせた。
傍聴席で、誰かがひそひそ言う。
「やっぱり侯爵が言わせてるんじゃないか」
「誰に何を?」
「自分に、だよ。ここで自白すれば、軍法官まで巻き込める」
そこまで読める頭があったら、せめて弁護人くらい連れてきている。
「侯爵。あなたが何を言おうと、すでに執行を妨害された死刑判決が一件ある。証拠がないなら、まず囚人を返していただこう」
軍法官が指を鳴らした。壁際にいた兵が、セリスの後ろへ動いた。
剣が二つ、鞘の中で鳴る。
「閣下。先に手を出さないでください」
セリスは前を向いたまま言った。
「まだ何もしてないぞ」
「机の下が暗くなりました」
そっと影を引っ込めた。
「証拠なら外にあります。開けてください」
セリスが扉を指す。軍法官が返事をする前に、隣の席の白髪の女が書記に頷いた。
彼女は再審のために来た審査官だ。今朝、セリスが俺に教えてくれた。あの席の人にも見届けてもらうから、法廷を壊さないでください、と。
念を押す必要があったかどうかは、今は聞かないでおこう。
扉が開いた。
「遅い。箱が重いんだぞ」
リゼットが長い木箱を抱えて入ってきた。俺の隣の机へ、どん、と置く。
「手伝おうか?」
「もう着いた。次から最初に言え」
蓋を外す。昨日、旧礼拝堂で取り戻した魔剣が、六振りそろって入っていた。
リゼットは箱を軍法官へ向けた。
「判決では、六振りとも国境を越えたそうですね。昨日、領内の礼拝堂で拾いました。ずいぶん近い国境だ」
傍聴席の端で、誰かが噴き出した。
軍法官は笑わなかった。
「剣が戻ったからといって、盗みがなかったことにはならないぞ」
「盗みはありました」
扉の脇から、見張りが一歩出た。昨日、祭壇の前で縛られていた男だ。縄の跡を隠すように両手を握りしめている。
「あの夜、鍵を渡したのは私です。セリス隊長は来ていません」
「鍵は誰に渡した?」
リゼットの後ろから、兵に挟まれた男が顔を出した。礼拝堂で俺に魔剣を向けた密売人だ。
「俺だ。侯爵の指示書を持って受け取りに行った」
「その指示書が、これです」
セリスが紙を広げた。
魔剣六振りを城の馬車で運べ。売った金は俺の書斎へ。
書記が読み上げると、軍法官は今度こそ黙った。
「裏も読んでください」と、密売人が言った。
セリスが紙を返す。裏には、武器庫のある区画から馬車を出してよいという一文と、剣を横切る一本線の赤い印があった。
「その印を見せれば門を通れると言われた。実際、荷台も見られずに通ったよ」
書記が手元の判決書と、指示書の裏を見比べた。
「この印は、軍法官の……」
「私の印なら、私が確かめます」
軍法官が遮った。さっきまで椅子の背に預けていた身体が、机から乗り出している。
◇
軍法官は机の下から、小さな鉄の皿を出した。底に赤い石がはまっている。法廷に入ったとき、書記が紙くずを燃やしていた皿だ。
「指示書をこちらへ」
セリスは紙から手を離さなかった。
「ここで見てください」
「法廷での扱いは私が決める」
軍法官が指示書を掴んだ。書記の目の前を横切る。光へ透かすかと思った次の瞬間、紙の端を鉄皿の中に押し込んだ。
火が上がった。
俺の影が、軍法官の袖をかすめて皿を覆った。
火が消える。黒い影の指でつまみ上げた紙は、角が少し焦げただけだった。
書記の前で、灰になった紙の角が落ちた。
「今のも書いとけ」とリゼットが言った。
書記は反射的に軍法官を見た。いつもなら、そこで書いてよいか指示を待つのだろう。今日は返事を待たず、ペンを取った。
「指示書の原本に、軍法官が火をつけた。これでよろしいですか」
「ええ。私が見ました」とセリスが答えた。
「私も」
見張りの声だった。震えていたが、傍聴席にも届く声だった。後ろから「俺も」と声が上がる。
軍法官の前には、まだ火の消えた鉄皿が置いてあった。誰も片づけようとしなかった。
俺は焦げた紙を軍法官の机へ戻した。
「裏の印も読めます。今度は、みんなで確かめましょうか」
男は紙を見なかった。俺の足元の影を見た。
「……これを狙って、自分の罪まで認めたのか。私に証拠を取らせて、皆の前で焼かせるために」
「燃やすとは思わなかったですよ。普通、目の前に二十人もいたらやらないでしょう」
軍法官が傍聴席を見回した。兵も、書記も、誰一人として彼の目を避けなかった。
セリスが、床に落ちていた最初の証言書を拾い上げた。
「私が処刑されるとき、証人をここへ呼んでほしいとお願いしました。詭弁だとおっしゃいましたね」
軍法官は椅子に手をついた。座るつもりだったのか、立ち上がるつもりだったのか、俺には分からなかった。
「改めて聞きます。この証言を書いた侯爵のほかに、私が武器庫を開けるのを見た人はいましたか?」
見張りが顔を上げた。密売人は口を閉じて待っていた。
軍法官の指が、椅子の背を掴み直す。
「……いません」
「書記。今の答えを記録してください」
セリスの声で、ペンが動いた。
◇
「セリス・アルヴェイン。有罪判決を取り消します。あなたに対する刑は執行されません」
白髪の審査官が告げた。
セリスは立ったままだった。聞き取れなかったのかと思うほど、長く動かなかった。
リゼットが彼女のそばへ行く。
「隊長!帰れますよ!」
セリスの膝が曲がった。リゼットが横の椅子を引き寄せ、座らせる。二人が手を取り合うのを見て、俺はようやく、処刑を止めきれた気がした。
審査官は書記の控えを受け取り、軍法官へ顔を向けた。
「あなたは今日から審理を外れます。先ほどの証拠の扱いについては、その席を降りてからお聞きします」
壁際の兵が、軍法官の椅子の横に立った。
「こちらへ」
「私は、この法廷の――」
そこで言葉が途切れた。彼の裁判で一度も呼ばれなかった見張りの横を、今度は自分が通っていく。見張りは道を空けたが、頭は下げなかった。
扉の手前で、軍法官は足を止めた。
「王都には、私から知らせます」
「報告はこちらで出します」と審査官が答えた。
軍法官はもう一度口を開きかけた。だが誰に知らせたいのかは言わず、そのまま兵についていった。
傍聴席で拍手が鳴った。最初は一人。次はどこからか分からないくらい続いた。
俺も拍手しようと手を上げた。
その両手の前に、手錠が出てきた。
「ヴァルグレイヴ侯爵。魔剣の窃盗と虚偽の証言について、身柄を預かります」
「……勝った流れだったのに?」
「セリス隊長は勝ちました」
言い返せなかった。
リゼットが俺と兵の間に一歩入りかける。セリスがその袖を掴んだ。
「閣下。ここは従いましょう。今日のことは、私が記録の控えを受け取っておきます」
「分かった。で、今度こそ礼くらい言ってくれてもいいんじゃないか?」
「出てきたら考えます。」
「今言ってくれ。いつ出られるか分かんないから」
セリスは少し笑った。それから、俺より先に手錠を見て、唇を結んだ。
「すぐ迎えに行きます」
兵が俺の手首に金具を掛けた。
「見ろ、やっぱりわざとだ」
傍聴席でまた聞こえた。
「今度は牢の中を調べるつもりだぞ」
軍法官を巻き込む策の次は、牢に潜り込む策か。さっきから、俺の計画だけが俺の知らないところでよく進む。
「おい、ヴァルグレイヴ」
リゼットが囁いた。
「逃げないって、あいつらにも聞こえるように言っとけ。今ならまだ書記がいる」
俺は足を止めた。
「自分で証言しに来たんだ。逃げないよ」
書記が顔を上げ、それからもう一度、紙にペンを落とした。
◇
裏口から格子付きの馬車へ乗せられた。
車内に若い護送兵が一人。御者は前、もう一人の護送兵は後ろの踏み台に乗った。若い兵は俺の向かいに腰を下ろしたが、槍だけは立てたままだ。
「そんなに怯えるなよ、何もしないよ」
「わ、分かっております」
「俺のこと、何て聞いた?」
「手錠をつけたままなら、普通の侯爵だと」
「外したら?」
「絶対に外すなと」
俺は両手を膝に置いた。なるべく普通の侯爵らしく。
馬車が動き出す。法廷の裏口が格子の向こうに遠ざかった。
通りを二つ過ぎたところで、御者が振り向いた。
「おかしいな。牢なら、そこの大通りを左だ」
「右へ曲がれ。指示が変わった」
後ろの踏み台から声がした。
御者は迷った末、手綱を右へ引いた。
向かいの若い兵が腰の革袋を開け、指示書を広げる。
「待ってください。私の紙には左と書いてあります」
後ろの男は返事をしなかった。
代わりに、剣が鞘を擦る音がした。




