第3話 朝のお茶を運んでいたら、なぜか女騎士に斬られました
朝一番の来客は、名乗るより先に俺の首を狙った。
「隊長を返せ、ヴァルグレイヴ!」
剣をよけた拍子に、手にしていた茶が廊下へ散った。
「本人に聞け。今、お茶を――」
二撃目が来た。
影を伸ばす。赤毛の騎士はその先を飛び越え、着地するより早く剣を振った。
頬が熱い。指で触ると、血がついた。
「……速いな、君」
「隊長に教わった剣だ。お前に褒められる筋合いはない」
そりゃそうだ。
背後で、食器がかちりと鳴った。
朝食を下げに来た侍女が、皿を抱えたまま立ち尽くしている。俺の頬から落ちた血を見て、真っ青になっていた。
「下がってくれ。客室には入るなよ」
セリスが寝ている。驚かせたくなかった。
「客室の前を固めろという意味か?」
赤毛の騎士が俺と侍女の間に割って入った。
「そんな命令に従う必要はない。私が隊長を連れ出す」
「君もその子に剣を向けたまま話すな!」
騎士が切っ先を下げた。侍女は皿を窓枠に置くと、踵を返して走った。
よかった。話を聞く気はあるらしい。俺以外の人間なら。
「処刑場にいた兵から聞いた。お前が隊長を抱き上げて、馬で連れ去ったと」
「足を痛めてたから、馬に乗せた。俺と来るって決めたのは本人だ」
「なら、なぜ隊長をここへ呼ばない」
「歩くと痛むんだ。君が会いに行けばいい。剣を納めてくれれば案内する」
騎士の目が、俺の後ろの客室へ動いた。
「隊長! リゼットです!」
返事がない。朝食を運んだときは起きていた。だが、この声を聞いて足を引きずって出てくるのは勘弁してほしい。
「セリス、来なくていい! 俺が連れていく!」
「隊長への指図はやめろ!」
騎士が剣を握り直した。ああ、今のはこの子の前で言うべきじゃなかった。
床に落ちた茶を踏まないように下がる。赤毛の騎士は俺の手元と足元を交互に見ていた。影がどこから来るか、もう見当をつけている。
騎士が腰を沈めた。さっきよりも深い踏み込みが来る。
剣の先が下がった。
来る、と思って影を走らせた。
その瞬間、赤毛の騎士は前に出ず、廊下の壁に足を掛けた。床を走った影が靴の下を抜ける。剣が上から落ちてくる。
闇の剣をとっさに作り、受けた。
手首に衝撃が来た。受け止めたと思ったときにはもう刃が離れていて、今度は脇腹を狙われる。半歩ずらすと上着が裂けた。
「前も下も、よく見えているんだな」
「見え見えだ。お前は、相手の足を見てから影を出す」
言い返せなかった。処刑場では、こっちが何をするか分からない相手ばかりだった。目の前の女はもう、俺が影を伸ばす瞬間を待っている。
同じやり方で勝とうとしたら、次は服だけじゃ済まない。
なら、彼女の足を見るのをやめよう。
床を見る。柱の根元も、窓の下も、廊下の突き当たりも。彼女が行きそうな場所を当てる必要はない。全部、俺の影でつないでしまえばいい。
俺は湯飲みを窓枠に置いた。
剣が突き出される。
今度は影を細く伸ばさなかった。廊下の端から端まで、床をまるごと黒く染めた。
騎士は黒くなった床を見て、とっさに横へ跳んだ。壁を使うつもりだ。
だが、今度は壁の根元からも影が立ち上がる。
彼女は空中で身体をひねり、剣で黒い帯を払った。そのまま反対側へ抜けようとする。速い。一本ずつ出していたら、また逃げられていた。
着地する場所には、もう影があった。
騎士の前足が止まった。剣だけが勢いのまま伸びてきて、俺の喉の手前で影に絡め取られる。
「三歩も跳べるのは分かった。じゃあ、着地する場所がなければ?」
剣を握る指が白くなる。それでも刃は一寸も進まない。
俺が闇の剣を作ると、彼女は顎を上げた。
「私を斬るなら斬れ。隊長には手を出すな」
「リゼット」
杖が床を打った。
赤毛の騎士が振り返る。廊下の向こうに、包帯を巻いたセリスが立っていた。
「私のために剣を抜くなら、先に私の話を聞きなさい」
「でも、隊長が馬に無理やり――」
「足を痛めていたので、乗せてもらいました。城に来ると決めたのは私です」
「……私が助けに来る必要は?」
「ありました。お茶を運んでいた人が、今こぼしましたから」
セリスが俺の頬を見た。俺は闇の剣を消し、リゼットの足と剣を解放した。
「ほら。落とすなよ」
柄を向けて返すと、リゼットは受け取ったまま固まった。
「次に剣を抜くときは、私の話を聞いてからにしてください」
「次も俺が斬られる前提か?」
セリスが吹き出した。
廊下の向こうから、さっきの侍女が顔を出した。片手には濡れた布。セリスが受け取って、俺に差し出す。
「頬に当ててください。浅いですが、まだ血が出ています」
「ありがとう。君の弟子、いきなり手強すぎるぞ」
「最初に避けたあなたがいけません。リゼットは避けられると、相手がどこまで見ているか試す癖があります」
「隊長、今それを教えないでください」
「斬りかかったのはあなたでしょう」
リゼットは返事を探すように一度だけ口を開け、それから閉じた。さっきまで俺の喉に刃を向けていた人間が、たった一言でおとなしくなった。
……俺の魔法より強くないか。
布を頬に押し当てた。さっきの刃がもう指一本ぶん深かったら、この先も「速いな」で済ませられたか分からない。明日はできれば、あの剣の向こう側に立ちたい。
リゼットは俺の傷を見て、それからようやく剣を納めた。
「……斬りかかったのは私が悪かった。それは謝る」
◇
書斎で、俺は昨夜見つけた紙を二枚並べた。
一枚目は、セリスが武器庫を開けるのを見たという証言書。
二枚目は、武器庫から魔剣六振りを運び出し、売った金を俺に届けろという指示書。
どちらにも、レオンハルト・ヴァルグレイヴの署名がある。
「武器庫を開けたのは隊長じゃない。俺が鍵を手配して、魔剣を盗ませた。そのあと、隊長がやったと証言した」
リゼットは二枚目を手に取った。光に透かし、それから一枚目と日付を見比べる。
「見張りが鍵を渡すと、前から決まっていた?」
「指示書にはそうある。俺が武器庫に行ったのかは、これだけじゃ分からない。だが、鍵を用意させたのは俺だ」
「なのに、隊長が武器庫を開けるところを見たと?」
「ああ」
セリスは何も言わなかった。俺が口を閉じてからも、リゼットが二枚を読み終えるまで待っていた。
紙を戻すとき、リゼットの指が震えた。剣を振っているときには、一度も震えなかった指だ。
リゼットが顔を上げた。ついさっき納めた剣の柄に、手が戻りかける。
「ヴァルグレイヴ。自分が何を認めたか、分かってるのか」
「君が謝ったのに、俺だけ黙ってるのは格好悪いだろ」
「では、私の無実を証明してください」
セリスが指示書をこちらへ押し戻した。
「この紙を法廷に出しても、私があなたを脅して書かせたと片づけられます。あの晩、武器庫で何があったか話せる人が要ります」
「見張りなら、心当たりがあります」
リゼットが上着から紙片を取り出した。
「隊長が捕まる前に、武器庫の見張りが私に預けたものです。あの人も、その晩から姿を消しました」
リゼットはすぐには紙を渡さなかった。折り目のところを親指で押さえている。
「あの人は隊長に会いたがっていました。でも武器庫の話だと言うと、誰も取り次いでくれなくて。私にこれを渡したときも、ほかの兵が来るなり、逃げるように立ち去りました」
「今まで、あなた一人で持っていたんですね」
「はい。上官には、隊長の仲間が逃げたと聞かされました。これを出したら、あの人のことまで告げ口する気がして」
セリスが手を差し出す。リゼットはその手を見てから、ようやく紙を渡した。
「よく持っていてくれました」
礼を言われて、リゼットはかえって俯いた。
「私がもっと早く、あの人の話を聞いていれば」
「そう思うなら、明日聞けばいいんじゃないか」
俺が言うと、リゼットは顔を上げた。
「それをお前が言うのか」
「ああ。俺にも、できれば処刑台へ行く前に聞いておきたかった話が山ほどある」
セリスは紙を開きながら、ちらりと俺を見た。
「それは明日も、私が聞きますよ」
「聞かれるほうか、やっぱり」
紙には日付と場所があった。明日の日没、旧礼拝堂。
その名前を見た瞬間、ゲームの画面が頭に浮かんだ。
祭壇の前に並んだ魔剣。その手前に転がる、王国騎士たちの死体。
「明日は私が行きます。隊長はここで足を休めていてください」
「私の裁判です。行きます」
「俺も行く」
リゼットが俺を見た。
「何だ、その顔。お前、礼拝堂に何があるか知ってるのか?」
言えるわけがない。そこへ行く騎士が、ゲームでは一人も帰らなかったなんて。
「明日は、君より先に俺が踏み込む」
「先に踏み込む? さっき頬を切られたばかりだろ」
「そうだな。だから明日は、俺が止める前に味方まで斬るなよ」
リゼットは一瞬、俺の頬を見た。
言い返そうとしたところで、書斎の扉から控えめに声がした。さっきの侍女が、新しい湯飲みを盆に載せていた。
「閣下。今度は、私がお持ちしても?」
「頼む。朝飯からやり直したい」
「だったら先に味方だと言え。背中を預けるかは、それから決める」




