今宵、ソートレイン亭で②
たっぷりの油を蓋代わりにした熱々のスープは、海鮮の旨味が溶け込んで濃厚な味わいだった。
軽く炒めた麺や野菜を追加してもらえば具だくさんラーメンが出来上がるのに、常連客はスープ単品で注文しているようだった。
この世界にも情報を拡散するSNSに近いサービスがあればいいのにとフィルは思う。
魔力を基にした通信システムなら、すでに構築されている。伝達ツールにユーザーの望む要素が加わっていくのは時間の問題だろう。
紬として生きていた世界とこちら側の違いに戸惑ったのは最初だけで、今は似ているピースを見つける余裕だってある。
この異世界転生は、現世に疲れた自分へのご褒美だと考えておけば気が楽だ。
ここに長く留まるのか、突然向こうに追い返されるのか予測なんて不可能だ。
立ち寄った店、通りで見つけた美味しいもの、感動した景色などを書きためた手帳はもう二冊目に突入した。
聖獣は守護する土地から動かない者もいるし、人に関わり加護を与えることもある。
それぞれの気質や能力は様々で、フィルも彼らの居場所を把握してはいないが、縁があればどこかで会えるはずだ。
その時、話の種としてこの手帳が役に立つことを願う。
スープは2倍盛り、麺や野菜をマシマシにしたせいか、歩いたくらいでは食べたものが消化していなかった。
今夜は鶏肉の香草焼きが有名なソートレイン亭で夕食をとる予定なのだ。
食べた分を急いで消化するために効率がいいのは身体をしっかり動かすことだ。
魔力量がケタ違いな聖獣は、高度な魔法をひとつふたつ使ったくらいでは体力に影響がない。
安全な道からわざとはずれて、野原に潜むモンスターの群れと一戦交える予定だったのだが、武器や杖を手にしていないフィルが無防備に見えたのか助けにきたのが彼だった。
「魔力で拳を武装して殴るタイプの格闘術もあると聞く。俺の見立てではあなたはそうではないように思えた。余計なことをしたのだろうか?」
勝手に戦闘に加わって、法外な報酬を要求してくる悪党もいる。けれど、彼を動かしたのは善意のみ。
感情や素性が透けて見えるような言動は、正しい道を歩いてきた人間特有のものだ。
聖獣としての権能に頼らずともそのくらいは判別できる。
お礼に食事でもと声をかけたのは、親しくなっても問題がない相手だと判断したからだ。
ソートレイン亭で店長おすすめの酒を酌み交わしながら、名物料理を共に味わう。
大皿に盛りつけられた料理はどれも好みで、苦味のある発泡酒との相性は抜群だった。
テーブルの向かい側に話し相手がいることは久しぶりで、気が緩んでしまったのは仕方ない。
「あなたはきれいで、優しくて、すごく賢い。きっと誰もがあなたに心を奪われる。だから、あなたを俺だけのものにする約束が欲しい」
射抜くような瞳に嘘はなかった。
酒は緊張をゆるめてくれるはずなのに、彼は落ち着かない様子で返答を待っていた。
聖獣としての権能を抑制しているフィルの正体を見抜くことは難しい。若く経験値の低い青年は、年上特有の柔軟な対応が魅力に感じられるのだろう。
ふわふわと酔いが回った相手の戯言を真に受けても意味がない。
気の迷いなら覚ましてやろうとフィルは穏やかに言葉を紡ぐ。
「これは秘密なのですが、私は聖獣と守護契約を結んでいます。誰かと親密な関係を結ぶことは固く禁じられた身なのです」
恋人がいないという宣言に聞こえたのか、青年の表情は明るくなる。
灰月が純潔の聖獣なのは事実だが、それを破ったペナルティは示されていない。
浄化や治癒を司る清廉な聖獣が、奔放であっては困る。その程度の後付けだと認識しているが、権能と強く紐づいている可能性はあった。




