第5話「目玉焼きが一番おいしい瞬間だけ光って見える女」
フライパンの上で、目玉焼きが光った。
「今」
奈緒は火を止めた。
白身の縁は少しだけカリッとしていて、黄身の表面には薄い膜が張っている。
箸を入れると、中から濃い黄色がゆっくり流れた。
「完璧」
弟の悠斗が眠そうな顔で席につく。
「毎朝よく飽きないね」
「何が」
「目玉焼き」
「飽きる要素ある?」
「毎日だよ」
奈緒には、目玉焼きが最もおいしい状態になった瞬間だけ、それが淡く光って見える。
光る時間はせいぜい一秒。
その瞬間に火を止めれば、半熟でも固焼きでも、その卵と火加減における最良の状態になる。
ただし目玉焼き限定である。
卵焼きは分からない。
オムレツも分からない。
ゆで卵も分からない。
奈緒は料理が苦手だった。
味噌汁は濃すぎる。魚は焦がす。野菜炒めは水っぽい。
なのに目玉焼きだけは異常にうまい。
家族は慣れていた。
問題は、その日、母が勝手に話を広げたことだった。
「奈緒、今度の日曜空いてる?」
「なんで」
「町内会の朝市で料理手伝って」
「無理」
母は言った。
「目玉焼き担当でいいから」
「それならまあ」
日曜の朝。
公民館前には鉄板が並び、焼きそば、豚汁、フランクフルトが売られていた。
奈緒の担当は目玉焼きサンド。
一度に六個の卵を焼く。
一つ目が光る。
「それ取って」
隣の婦人が皿へ移す。
二つ目。
「次」
三つ目。
「はい」
見た目にはほぼ同じなのに、奈緒だけには最適な瞬間が分かる。
昼前には妙な噂が立った。
「あそこの目玉焼き、すごくおいしいらしい」
列ができた。
奈緒は無言で卵を割り続けた。
「奈緒ちゃん、料理上手なのねえ」
近所のおばさんに言われ、奈緒は一瞬手を止めた。
「目玉焼きだけです」
「またまた」
「本当に」
昼過ぎ、母が走ってきた。
「焼きそばの人が休憩入りたいって。ちょっと代われる?」
「無理」
「炒めるだけだから」
「無理」
「五分だけ」
押し切られた。
奈緒は鉄板の前に立った。
麺、キャベツ、豚肉。
何も光らない。
当然である。
三分後。
「焦げてる焦げてる!」
「分かってる!」
五分後。
べちゃべちゃの焼きそばが完成した。
母が一口食べて黙った。
「だから言ったでしょ」
「……目玉焼き戻ろうか」
「そうする」
夕方、売れ残りはほとんどなかった。
片付けの最中、小学生くらいの女の子が母親と戻ってきた。
「もう目玉焼きないですか?」
母親が申し訳なさそうに聞く。
「この子、朝食べたのがすごくおいしかったみたいで」
奈緒は冷蔵箱を見る。
卵が一個だけ残っていた。
「一個なら」
鉄板はもう片付けたので、小さなカセットコンロを出した。
フライパンを温める。
卵を割る。
女の子がじっと見ている。
「お姉ちゃん、どうしたらおいしく焼けるの?」
奈緒は困った。
光ったら止める。
そんな説明はできない。
「よく見る」
「卵を?」
「うん」
白身が固まる。
黄身の色が少し変わる。
その瞬間、淡く光った。
奈緒は火を止めた。
「今」
「何が?」
「一番おいしい時」
女の子はよく分からない顔をした。
でも食べると笑った。
「おいしい」
奈緒も少し笑った。
帰宅後。
母が言った。
「料理の仕事とか向いてるんじゃない?」
「向いてない」
「今日すごかったじゃない」
「目玉焼きだけ」
「そこから広げれば」
奈緒は冷蔵庫を開けた。
卵がなかった。
「明日の朝、何食べる?」
悠斗が聞く。
奈緒はしばらく考えた。
「トースト」
翌朝。
真っ黒に焦げたパンが二枚、皿に並んだ。
悠斗は一口かじった。
「やっぱ目玉焼き買ってきて」
「うるさい」




