第3話「一番早いレジが分かる女」
高橋真理子は、スーパーに入ると少しだけ強い。
レジに並ぶ直前、一番早く会計を終えられる列が分かる。
勘ではない。
確信として分かる。
左から三番目。
今日はそこだった。
「こっち」
真理子は買い物かごを持った夫の健太を引っ張った。
「また?」
「三番」
「二番の方が短いけど」
「三番」
真理子は迷わない。
二番レジは三人。三番レジは五人。
だが結果は見えている。
前の客がカードを落とす。店員がバーコードを二度読みする。一見遅そうな老人が驚くほど素早く小銭を出す。
そういう未来すべてを説明できるわけではない。
ただ、一番早い列だけが分かる。
「これ、ほんとにすごいよな」
健太が感心している。
「でしょう」
「でも人生で一番使える場所がスーパーっていうのがな」
「十分でしょ」
真理子はこの能力をかなり気に入っていた。
世の中には時間泥棒が多い。
信号待ち。エレベーター。病院の受付。役所の窓口。
その中で週に何度も発生するレジ待ちを最適化できるのは、十分に価値がある。
少なくとも本人はそう信じている。
ところが、その日。
列へ入った瞬間、真理子の感覚が消えた。
能力は並ぶ直前の一回しか働かない。
選んだ後の未来は分からない。
「あ」
「どうした?」
「前の人、財布探してる」
四人前の女性がバッグを漁り始めた。
健太が隣を見る。
二番レジは順調に進んでいる。
「移る?」
「ダメ」
「なんで」
「三番が一番早いって出た」
健太は言った。
「でも今は二番の方が」
「三番」
「意地になってない?」
真理子は答えなかった。
財布は見つかった。
一人進む。
次の男性が大量の割引券を出した。
真理子の眉が寄る。
「……想定内」
「能力って想定とかあるの?」
「ない」
二番レジはさらに進んだ。
「移ろうよ」
「嫌」
「なんでそこまで」
「私が三番って言ったから」
「能力じゃなくてプライドになってるじゃん」
真理子はかごの中のネギを見つめた。
その通りだった。
だが今さら移れない。
夫婦生活七年。健太には何度もこの能力を見せてきた。
毎回、真理子の選んだ列が勝った。
ここで負けるわけにはいかない。
何に対してなのかは、自分でも分からない。
さらに一人進む。
すると突然、二番レジの店員が手を挙げた。
「申し訳ございません。レジ点検のため、こちら一時休止いたします」
真理子はゆっくり健太を見た。
健太も真理子を見る。
「ほら」
「すご」
真理子は勝ち誇った。
ところが三秒後、三番レジの前にいた老人が振り返った。
「あんたたち、これ少ないから先行きな」
老人のかごには山ほど商品が入っている。
真理子たちは牛乳、卵、ネギだけだった。
「え、でも」
「いいからいいから」
譲られた。
会計は一分もかからなかった。
店を出て、健太が袋を持ち直す。
「これって能力で最速だったの?」
真理子は黙った。
「おじいさんが譲ってくれるところまで含めて?」
「……たぶん」
「なんかズルくない?」
「何が」
「能力っていうか、人の親切じゃん」
真理子は少し考えた。
「結果として最速だったからいいの」
「能力の判定基準が雑だな」
翌週。
二人はまた同じスーパーへ行った。
レジ前で真理子が立ち止まる。
「どこ?」
健太が聞く。
真理子は列を見渡した。
左から一番目。
そう分かっていた。
でも、その列には先週の老人がいた。
老人のかごには今日も大量の商品が積まれている。
目が合う。
「あ」
老人が笑った。
「今日は先にはやらんぞ」
真理子も笑った。
「大丈夫です」
そして、あえて二番レジへ並んだ。
健太が驚く。
「そこ?」
「今日は急いでないし」
「能力は?」
「使った」
健太が尋ねた。
「じゃあ一番早いのどこ?」
「教えない」
結果、二番レジはかなり遅かった。
健太は何度も時計を見た。
真理子は少し後悔した。
能力があっても、使わない自由はある。
ただし、使わないと普通に待たされる。
それだけだった。




