第12話「雨が降り出す30秒前だけ分かる男」
神谷は空を見上げた。
青い。
雲はあるが、雨が降りそうには見えない。
隣を歩く同僚の吉岡が言った。
「今日、傘いらなかったよな」
「たぶん」
その瞬間、神谷の鼻の奥がむずむずした。
立ち止まる。
「来る」
「何が」
「雨」
「こんな晴れてるのに?」
「あと三十秒」
吉岡は空を見た。
「天気予報?」
「違う」
神谷は走り出した。
目の前のドラッグストアへ飛び込み、入口に並んでいたビニール傘を一本つかむ。
会計を終えた瞬間、外からぱらぱらと音がした。
そのまま、一気に強くなる。
吉岡が店先へ駆け込んできた。
肩が濡れている。
「お前、これ分かってたの?」
「三十秒前だけ」
「もっと早く言えよ」
「俺も三十秒前まで知らない」
神谷は傘を開いた。
能力に気づいたのは小学生のころだった。
雨が降る三十秒前だけ、鼻の奥が妙にむずむずする。
小雨でも豪雨でも同じ。雪は分からない。
問題は、三十秒という時間だ。
家にいるなら洗濯物を取り込める。
駅前なら屋根まで走れる。
しかし何もない田んぼ道では、三十秒早く絶望できるだけだった。
土曜日、神谷は恋人の千佳と公園にいた。
ベンチでコーヒーを飲みながら、千佳がスマホを見せる。
「夕方から雨だって」
「まだ大丈夫」
「その能力、天気予報より信用してる?」
「直前だけなら」
千佳は笑った。
散歩を続け、川沿いまで来たところで、神谷の鼻がむずむずした。
「来た」
「三十秒?」
「うん」
周囲を見回す。
屋根がない。
橋の下までは遠い。
神谷は千佳の手をつかんだ。
「走るよ」
「どこへ?」
「とりあえずあそこ」
二人は大きな木へ走った。
二十九秒ほどして、雨粒が落ちてきた。
だが、ほんの数滴だった。
十秒後には止んだ。
千佳が木の下で息を整える。
「これだけ?」
「……これだけみたい」
「私、コーヒーこぼしたんだけど」
神谷は目をそらした。
その日の帰り道。
千佳の家まであと少しというところで、また鼻がむずむずした。
「来る」
千佳が足を止める。
「今度は?」
「分からない。雨の強さまでは」
「じゃあ走る?」
神谷は空を見る。
千佳も見る。
二人とも少し考えた。
「……もう濡れてもいいか」
千佳が言った。
「うん」
三十秒後、雨が降った。
今度はかなり強かった。
「強いやつじゃん!」
「強さは分からないって言っただろ!」
笑いながら二人で走った。
能力は役に立ったのか、立たなかったのか。
神谷にはよく分からなかった。
ただ、千佳が笑っていたので、今日はそれでよかった。




