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04:息子との時間

 帰宅すると夫は外出中だった。執務室の壁紙剥がしも進めていると聞き、ひとまずは安堵して本日3回目となる着替えに向かった。今朝着ていた室内着に着替えるだけだよ。今日は来客の予定もないからね。

帽子を外して、ドレスを着替えた。つくづくコルセットが恨めしい。そのうちウエストの緩いドレスを何着か用意しよう、せめて邸の中くらいは自由でいたい。それを賄うためにいくつかのジュエリーは手放そうと思った。アビゲイルは夫を金を産むガチョウか何かと勘違いしていたようだ。分不相応な品がアビゲイルの部屋にはいくつもある。だが、その選別は後にしよう。まずは息子に会わなくては。


 かつての父と思うと、内心は複雑だが今世は我が息子だ。どんな姿をしているのか頭の中では理解しているが、この目で見るのは少し心が躍る思いだった。


「ケヴィンはどうしているかしら? 一緒に昼食にしようと思うの」


 またしても侍女は目を見開いて動きを止めた。無理もないね。息子と食事などした記憶がアビゲイルの中には一切ないのだから。咄嗟には言葉も浮かばぬ様子の侍女に、こちらから話を続けることにした。


「ケヴィンは今どこにいるの? 案内してもらえるかしら? 食堂まで2人で向かうわ」


 ケヴィンは午前のうちは大抵を子供部屋で過ごしているようで、今日も多分そこにいるだろうと侍女は自信なさげに言った。この侍女は常日頃アビゲイルに振り回されていたのだろうから、ケヴィンについて詳しくないのも尤もだ。それを責めるつもりは微塵もないから、そう不安そうな顔をしなくてもいいんだよ。


 ケヴィンの子供部屋のドアを軽くノックする。ナニーが中からすぐに顔を出した。アビゲイルの顔を見た途端、少し顔色が悪くなったように見える。気のせいだろうか。


「息子とお昼をいただこうと思って誘いに来たのよ」


「すぐにお連れ致します」


 慌てるナニーの後ろから子供部屋の中へ一歩踏み入れる。アビゲイルはこの部屋を知らなかった。部屋の中には適度な陽射しが入り込み、こざっぱりと整えられている。しかし子供のために用意した部屋という印象はあまり感じられなかった。古びた、しかし高級な壁を見て内心ではほっと安堵した。この部屋は間に合わせでケヴィンに与えられたように見える。息子への関心の薄さが唯一役に立ったな。ケヴィンの周りに転がっている玩具の中にも緑色のものは見当たらない。ひとまずは安心して良さそうだ。


「マミー?」


 息子がナニーのスカートの後ろから、おずおずと顔を覗かせている。少し寂しさを憶えたが、仕方ない。今までのアビゲイルの行動を思えば、このような態度になるのも当然だ。アビゲイルはその場でしゃがみこんで、ケヴィンと視線を合わせた。腹が苦しい。


「ええ、マミーよケヴィン。今日はマミーと一緒にお食事しましょうね」


 両手を差し出すと、ケヴィンがそろそろと近づいてくる。キュッと一度抱きしめてみた。そのうちきっと愛情も湧くと思う、そう思いたい。そのためにはケヴィンのことをもっと知らなくてはね。アビゲイルは息子のことを知らなすぎる。ゆっくりと立ち上がりケヴィンと手を繋いだ。


「さあ、行きましょうか」


 そろそろと階段を降りて食堂へ向かった。腹は空いていると思う。転生してからまだ紅茶しか飲んでいないのだからね。けれど忌々しいコルセットに慣れず、食事の仕方が思い出せそうにもなかった。頭の中の切り替えはできても、身体がついてこれていないらしい。

 ケヴィンと並んで席につく。この子は普段何を食べて、何を好んでいるのだろう。今日のところはその観察で満足しておこうか。


 さて、ケヴィンの前に運ばれてきた皿の上にはマッシュポテトに、小さく刻んだチキンが乗っている。アビゲイルの方には同じポテトにチキンが一切れと、スープも添えられていた。ソフィーだった頃に食べていたものとさほど違いがないようだ。

 ケヴィンは上手にスプーンを動かし、ポテトを口へ運んでいる。チキンを器用に避けているようにも見えた。


「ケヴィンは何が好きなのかしら? ポテトは美味しい?」


 自分の子だというのに、それすらも知らないことがもどかしく、少し苛立たしかった。子を持った経験は何度もある。しかし、こんなにも子供のことを知らぬ親になった経験はなかった。ケヴィンはこんな母親のことをどう思っているのだろう。3歳ともなれば、ある程度物心がついている頃だと思う。


「うん、でもねチキンのほうがもっと好き」


 スプーンを片手に嬉しそうな顔をするケヴィンを見て、まだ間に合うかもしれないと感じた。アビゲイルが若くして死んだことを思うと、ケヴィンは母の愛を知らずに育ったんだね。ソフィーにとっては、そこそこいい父親だったとは思うが、少し記憶も曖昧だ。


「まあ! ケヴィンは大好きなものを最後まで残しておくタイプなのね。マミーも同じよ」


 本心じゃないことは許してよ。私自身は好きなものから食べるのさ。けれど、アビゲイルでいる間はケヴィン、あなたに合わせてあげたいと思う。


 ケヴィンの皿が綺麗に空になるのに合わせて、自分の料理も食べ進めた。ようやく食べ終えた頃合いを見計らって、次の皿が用意される。キャビネットプディングだ。ひとつずつきっちりと型に入れて蒸されたプディングに、苺のソースが添えられている。懐かしいね、久しぶりに見たよ。アビゲイルは毎日のように食べていたんだね。これはアビゲイルの好物だ。


 大きく口を開いて一息に食べてしまいたい。3つはいけそうだ。なのに既にポテトで腹がきつかった。つくづくろくでもない時代だ。この食事が終わったらコルセットをやめよう。せっかく没落前のパーシー家で生きていくのに、まともに食事もできないのは納得がいかない。

ケヴィンはプディングも綺麗に完食した。


「お腹はいっぱいになった? ケヴィン」


「はい! おいしかったねマミー」


 息子の頭を撫でてみた。ほんの少しでも距離が縮まっていればいいと思う。そうだ、いいことを思いついた。


「ねえケヴィン、明日はマミーとピクニックしましょうか」


「ピクニック?」


 ケヴィンは同じ言葉を繰り返してきょとんとしている。ピクニックの経験もないか。それもそうだね。


「お庭で昼食をいただきましょう。大きなブランケットを敷いて、ケヴィンの好きなチキンも用意しましょうね。他には何が好き?」


 瞳を輝かせた息子が「ブドウ」と元気よく答えたが、思わず笑いながらそれはあと半年待つように言うと、しょんぼりとした声で「いちごは?」と尋ねられた。両手で大きな丸を作ってみせると、大喜びで早速真似をしている。貴族の息子に行儀が悪いと叱られるかな。構わないよね、この場にケヴィンを叱るものはいないのだし。

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