第7話 捨てられた廃村
映司は麻袋を提げたまま、草の途切れたほうへ歩き出した。優菜が半歩後ろをついてくる。
道は途中から石畳へ変わった。目地の草が伸びていて、踏むたびに折れる。折れ口が青くなっていた。根元まで灰色に抜けた草が、村の入口までずっと続いている。
入口には門柱らしい石が二本立っていた。上へ渡してあったはずの梁は、片方の足元へ落ちて割れている。
とりあえず、村の中へ入った。
まず、家屋を数える。屋根の形が残っているものが六つ。うち二つは棟が折れて、片流れのようになっていた。
宰相の言葉は正しい。『屋根の残った家屋がいくつか』。たしかに、いくつかあった。
ただ、それだけだ。
一軒目は壁の板が半分抜けて、土間まで朝の光が届いている。二軒目は床板が波打っていて、踏めば抜けるのが見ただけで分かった。三軒目は梁が中央で下がり、天井が浅い漏斗の形になっている。
広場らしい場所の真ん中に、井戸があった。石組みの縁だけが残っていて、木の枠も滑車もない。覗き込んでも底は見えず、湿った匂いもしなかった。
その先が畑だ。畝の形は残っている。土は灰色で、雑草すら生えていなかった。二十年ぶん草の生えなかった土は、掘り返したところですぐには戻らないだろう。
『井戸は枯れ、畑も戻っておりません』
宰相の言ったことに、嘘はひとつもなかった。情報は、正確に伝えられている。ただ、その三つを並べて人が住めるかどうかを考えた人間が、あの城にひとりもいなかっただけだ。
(……なるほど。確かに、誰も嘘はついてないな。ただ、誰も見てもいないってだけで)
畑の縁に、荷車が一台横倒しになっていた。車軸が折れて、輪が片方だけ外れている。荷台の板は風雨に晒された色をしていたが、割れてはいなかった。
その脇に、鍬の頭が三つ転がっていた。柄は腐って短くなっている。刃の錆は表面だけだ。
村の外れでは、小川に架かっていた橋が落ちていた。川床は乾いている。石を積んだ橋脚だけが、水のない溝の底に立っていた。
一軒目の戸口へ寄る。
柱に、横向きの浅い傷が段になって刻まれている。一番下は膝より低い。一番上は、映司の腰の高さで止まっていた。それきり、上には何もない。
指先で一番上の段をなぞって、手を離した。
優菜は広場の真ん中で立ち止まっていた。鞄の紐を両手で握って、村をひととおり見回している。
「……ひどいね。さっきの御者さんが逃げたくなるのもわかるかも」
苦い笑みを浮かべて、彼女が言った。
だが、映司はそれをすぐに否定する。
「いや、そうでもないぞ」
「え?」
「石組みは残ってるし、柱も三本は生きてる。荷車は車軸だけ替えれば使えそうだ。案外掘り出し物が多いんじゃないか?」
映司には、そう見えていた。
壁の抜けた家も、柱と梁が生きていれば骨格は残っている。床が腐っていても、根太まで駄目になっているのは一軒だけだ。荷車は軸さえ替われば荷を運べる。鍬は刃を落とし直せば使えるだろう。橋脚が立っているなら、あとは渡す板だけでどうとでもなった。
優菜が失われた物を数えているあいだ、映司は残っている物を数えていた。
「すご……そういうの、どこでわかるの?」
優菜は目をぱちくりと瞬かせ、感心した様子で言った。
「わかるっていうより、勝手に情報が入ってくるんだよな」
「それは、〝回収士〟の力?」
「だと思うよ。少なくとも、日本にいた時は見えなかったわけだしな」
祖父の工房で覚えたのは、見て、触って、手順を組む作業だ。二十年前に何があったかまでは、いくら触っても出てくるはずがない。この世界へ来てから、その先が勝手に付いてくるようになった。
「やっぱり……」
優菜が両手を胸の前で合わせた。口の端が上がっている。
「どうした?」
「ううん。みんな、見る目ないなって」
それは、何やら含みのある言い方だった。目はこちらを向いたまま、きらきらと輝かせている。
何だか恥ずかしくなって、映司は顔を村のほうへ戻した。
「……いや、魔王討伐的にはハズレだろ。俺の能力は」
「それは、どうだろう?」
優菜は否定しなかった。ただ、その表情は、どこか嬉しそうにしたままだ。
(調子狂うな……)
映司は倒れた荷車まで歩いて、その荷台へ麻袋を載せた。板は乾いていて、腐っていない。物を置くぶんには使えそうだ。
とりあえず、麻袋の中身を確かめておく必要があった。三日と言われた物が本当に三日ぶんなのか、まだ誰も数えていない。
紐をほどいて、袋の口を開いた。
乾いた黒パンが四つ。干し肉が、手のひらより少し大きい塊で三つ。その下に、水袋が二つ入っていた。
優菜が隣へ来て、指で数えはじめた。パンを一つずつ触り、干し肉を三つ確かめて、水袋のところで指が止まる。
「お水……これだけ?」
「二つだ。飲むだけなら二日、洗うぶんまで入れたら一日ももたないだろうな」
「食べ物は、三日分あるって言ってたのに……」
「一人分で三日ってことだろうな。お前が来ることまで、あいつらは計算に入れてなかったんだ」
優菜が水袋から手を離した。荷台の縁に指をかけたまま、しばらく袋の口を見ている。
「……ほんと、最低」
吐き捨てるように、彼女は言った。
優菜の口から出る言葉としては、聞いたことのない部類だ。小学校の頃から、この幼馴染は誰かを悪く言う時に必ず言い方を選ぶ。選ばずに出てきたのは、たぶん初めてだ。
「王国も同じだよ。俺たちが三日で終わると思ってやがる。それ以上渡すのは無駄だと踏んだんだ」
「……ひどい。同じ人間なのに」
「そういう倫理観を、この世界で求めるなってことだろうさ。堂島も言ってただろ? 『白河は、すぐ音を上げる』って」
そこで優菜が「あっ……」と顔を上げた。ようやく意図を解したのか、眉を顰める。
「そういう意味だったんだ」
「ああ。ただ──その読みは外させてもらうけどな」
こんなところで、野垂れ死んで堪るか。
絶対に生き残ってやる。
いや、自分のことはもはや半分どうでもよかった。せめて、こんな自分についてきてくれた幼馴染だけは生き残らせてやりたい。
この力を駆使すれば……きっと、こんな場所でも、いや、こんな場所だからこそ、何とかなるはずだ。




